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甲子大黒天本山のブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-07-24 本当の敵は何処に

 内閣支持率が急落しているようです。少し前までは盤石な政権運営に見えたのですが、安定ということの困難を実感させられます。今回の急落はおごりとしか言いようがありません。安定は人の心に慢心を生み出します。長期的な安定とはこの慢心との戦いでもあります。慢心とは睡魔のようなもので、眠気の誘惑に負けると知らないうちに眠っているように、少しでも気が緩むと気づかないうちに慢心しているものです。平家物語の冒頭にある「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」の言葉を肝に銘じたいものです。


 平常心是道という言葉がありますが、順境にあっての慢心、逆境にあっての悲観、この二極から離れて心をおだやかに維持することが大切だと思っています。そのためには誠実と勇気の徳を持たなければなりません。順境にあっては調子に乗らず自らの欲ら負けることなく、「おかげさま」の感謝の心を持って誠実に努めなければなりません。逆境にあっては自分を信じて勇気を持って進まなければなりません。


 世界中にある宗教の物語を読むと必ず悪魔との戦いがあります。その悪魔とは慢心、悲観、偏見、憎悪、不信など自らの心に巣くう悪魔ではないかと思うのです。これらの悪魔に負けることなく平安の境地を勝ち取らなければなりません。憎いと思う相手を負かすのではなく、相手を憎いと思う自らの憎悪を負かすのです。周囲や社会を信じず一人で生きるのではなく、信じることができない自らを克服するのです。そうすることで人はおだやかに暮らせるようになります。



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2017-07-21 あなたのことが許せません

 あるテレビで国会議員の公用車使用に関する賛否を視聴者に問う番組がありました。最初のうちは反対が多かったのですが、コメンテーターが擁護にまわると賛成が抜き返しました。この現象はコメンテーターの言葉によって批判的だった人も冷静に考えることによって、断罪するほどのことではないと思い直したのだと思うのです。些細なことでも特例を作れば、そこからなし崩し的に乱れてしまうと考えることもできますが、私は今の日本が寛容性に欠けていると感じます。


 学校や会社でも人を育てるという意識や機能が失われつつあります。人を育てるためには失敗するという経験も必要なのですが、失敗させないようにしたり、失敗を非難するだけでは成長することはありません。また、一度レッテルを張られてしまうと簡単にははがせなくなっています。いつまでも偏見にさらされるということも寛容性の欠如に起因します。


 非寛容の雰囲気が蔓延すると誰もが失敗を恐れるようになります。また、周囲と違うことができなくなります。それは失敗の先にある大きな成功に届く人が少なくなるということです。失敗したときの保険となる言い訳を肌身離さず持ち歩き、小さな成功しか求めなくなります。大きな可能性を求められず、人も社会も停滞するようになるばかりです。また、自分の思いを主張できなくなり、まわりに流されるばかりの烏合の衆となり、自分で考え行動することができなくなります。そのため責任の押し付け合いばかりで、誰かが失敗するのを待っているような社会になってしまいます。


 人間は完璧ではありませんから、失敗することもあれば、マイナスの感情に囚われ関係性を壊すこともあります。お互いにあたたかい気持ちで見守り許すことができなければ、ますます殺伐とした社会となり、否定や非難の申し子ばかりになってしまいます。私は人間には必ず人を思うやさしい気持ちがあると思っています。人の心に宿るあたたかい気持ちを発揮できる社会であってほしいと願います。




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ねこ8ねこ8 2017/07/22 06:29 温かい気持ちで許す、大目に見るのは自分が批判される立場になると、そういう態度はありがたいのですが、逆の立場になると、結構難しいです。職場で、同僚は、仕事をしているふりをして、実は何もしていない時間が結構あります。その人と私の仕事処理量を比べる(データ入力ですから、機械で集計もできるので)と、1:1.7です。私が忙しくあれこれやっているときも、書類を広げてやっているふりをして、何もしていません…。一度、更衣室で、「たくさん処理すべきデータがお客さんからきているけれど、今日は、○時までに来た分までしか処理できなかった」といったことがあります。直接その人を批判しないように気をつけたつもりですが、「上の人に言われていないんだから、そんなこと、どうでもいいじゃない」と言われました…。ファイルの入った戸棚の陰で、他の同僚とおしゃべりしていることもあります…。仕事量が違うのに同じ給料というのにはほとんど何も思いませんが、自分が客なら、できるだけ早く処理してもらいたいと思うんじゃないかと思うと、その人に対して、温かい気持ちにはなれません。それに、その人がさぼれば、私の仕事量が増えて、毎晩、疲れ切って帰宅して、うたたねしてしまいます。
 本来は、「貴方の働き方が納得できません」でしたが、これが続けば、「貴方のことが許せません」という気持ちになりそうなのです。

buddhistbuddhist 2017/07/22 09:37 ねこ8さん、コメントありがとうございます。周りは気にしないで自分の信念とペースで仕事をする。もしくは職場全体の雰囲気を改善していく。言葉にすれば簡潔な二択ですが、現実はどちらにしても大変だと思います。まずは周囲に流されないように気をつけていただきながら、自分なりの仕事哲学やペースを作っていくしかありません。周囲からの悪しき影響は迷惑ですね。

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2017-07-19 評価の根拠

 地域の団体であれば総会の承認をもらわなければ大きなことはできません。「総会での承認によって」という大義名分が必要になります。ところが、総会の参加率はどこもあまり高くないように思われます。委任状は興味がありませんという通達でもあります。2〜3割の人間によって決定された事項を残りの人間が協力的に受け入れるとは限らないものです。ところが、全員に協力してもらわなければ事業は達成できないという厳しい現実があります。


 みんなに認めてもらうということは難しいことです。たとえ周囲から頼まれてしぶしぶ引き受けたものであっても、引き受けてしまえば、やってあたりまえとなり普通に頑張っていても評価されないものです。「そこまでやるのか」と感動してもらえるようなところまで頑張らないと無関心・批判的な人々の協力を得ることはできません。そもそも何もしないのに批判的な人間に認めてもらう必要があるのかという疑問もありますが、認めてもらってこそ自分が成長できたという何よりの証となります。


 仲間内だけで仲良くするのは楽であり、親しくない人や批判的な人は避けたいという思いがありますが、あえてそこにアプローチすることも大切だと思っています。自分とは違う、自分とは合わない、そういう人達とも仲良くなれること、認めてもらえることは成長するために必要なことなのです。もちろん困難なことであり、黙々と継続的に頑張ってこそどんな人間であっても、認めるしかなくなってくるのです。そこまで根気強くできるかどうかなのです。


 数年前のある総会でずいぶん厳しいことを言われた方と話す機会がありました。私のなかではトラウマになっていましたが、頑張っていると親しくほめていただきました。その方に認めてもらうために頑張っていたわけではありませんが、自分が頑張っていると口で宣伝してまわるよりも、黙々と続けることが何より相手の目に留まり認めてもらえることなのだと実感しました。人は見ていないようで見ているものです。ただし、自分が見てほしいようには見ませんから、相手の目線に立つことも大切です。自他ともに認められてこそ物事は進展するのですから。



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メグライアンメグライアン 2017/07/19 13:19 いつもありがとうございます。

少し気になったので
お伺いします。
その 数年前に厳しいことを言われた方
というのは、、、、、やはり有力者と言われる立場の方
ということなのでしょうか?

いわんとされることは非常によくわかります。

自他共に認められてこそ
という点
とてもよくわかります。
うまくは説明できませんが
いつもそんな私の心の中をも代弁してくださっているようで
このブログにお邪魔すると ホッ とします。
ありがとうございます。

buddhistbuddhist 2017/07/19 17:13 メグライアンさん、コメントありがとうございます。厳しい意見は先輩からいただいたものです。お寺の世界ではまだまだ若輩ですから、先輩方から見れば新しいことへの抵抗もあり、この取り組みを始めたころはずいぶん抵抗にもあいました。あれから5年が過ぎある程度の結果も出せ、少しずつ認めていただいております。やはり時間と忍耐が必要ですね。いつもご覧いただき、ありがとうございます。

ねこ8ねこ8 2017/07/20 23:10 いろいろご苦労もおありだと思います。厳しいことをおっしゃった方、実は、この人なら耳を傾けて考慮してくれるという思いが土台にあったのではないでしょうか。よく、デパートやお店で、クレームを言う人がいますが、中には、それがもとで 、愛顧につながっていった例も聞きます。やはり、愛の反対は、無関心であって、攻撃や敵意、憎しみは、関心や愛の裏返しなのかもしれないと思いました。自分を振り返ると、職場できついことを言う人が別の人には甘くて優しいので、その別の人のことをうらやましく思っていましたが、ある面では、その人には期待していないからこそ優しかった(=どうでもよかった)のかもしれません。でも、そう思っていても、やはりきつい口調で自分だけが叱責を受けるのはつらかったです…。

buddhistbuddhist 2017/07/21 07:43 ねこ8さん、コメントありがとうございます。単なる悪意なのか、期待なのかを見分けることも必要だと思います。また自分が試されていると思い、期待以上に応えようとすることで人の心は動くものだと思っています。たとえ悪意の人であっても、その悪意を発揮させない、さらには悪意を消滅させられるような態度や努力というものがあると思っています。ピンチは誠実に対応すればチャンスにもつながります。叱責されれば私も落ち込んだりイライラしたりします。そこからいかに自分を立て直すかが大事だと思います。失敗をどう活かすかは、それからの自分にかかっています。自分のなかに生まれてマイナスの感情をプラスに転化して相手に届けてあげたいものです。

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2017-07-17 習慣の改善

 自分に対しても他者に対しても否定的な人が多いように感じられます。良いところが見つけられない、前向きに応援できない、信じることができないというのは残念なことです。これは自分や相手にそういった価値がないのではなく、そういった態度を取ることができなかったり、取りたくても取り方が分からないというのが現状ではないかと思うのです。自分が思う以上に素直でいること、前向きでいること、信じることは難しいものです。


 もちろん難しいことであっても大切なことであり、習慣にしなければならないことです。意思があれば習慣を作ることができます。良き習慣が良き人生を作る秘訣でもあります。1日24時間、1年365日、何事においても否定的であったり、いつもイライラしていれば、とてもおだやかに暮らすことも幸福になることもできません。まるで不幸になるために暗示をかけているようなものです。人間の心というものは外界からの影響よりも、つねに一緒にいる自身の習慣から大きな影響を受けているものなのです。


 我々の感情も思考も習慣に支配されるようになっていきます。感情は様々あるなかでそれぞれの感情の強弱が決まっていきます。怒りの感情が強い人はいつもイライラいしています。思考も基本となるひとつ方向性を持つようになり、それが習慣となり考えることなく習慣で判断するようになります。否定が習慣となれば何事においても否定的になってしまいます。


 固定化してしまった自身を柔軟にするためには感情においてはおだやかさを心がけ、思考においては習慣に頼らず最善を考えなければなりません。また、いつもと違う言動や反応を試して新しいスタイルを模索することも必要です。固まったものを直すことは大変ですが、あきらめずに意思と時間によって改善していかなければなりません。



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2017-07-14 豊かな人生の体系化

 ある人が子供たちにお米が収穫できなかったら、どうするかと聞いたそうです。1人の子供が「コンビニがあるから大丈夫」と答えたそうです。便利な世の中で生まれ育ったゆえの答えといえます。物があふれる社会で生活していると、今の生活があたりまえとなり、感謝の心を持てなければ、今の生活を失うかもしれないという危機感も抱けないことでしょう。人類の歴史とは戦争や飢饉によって、あたりまえだと思われていた生活が失われてきた歴史でもあります。ことさら不安に苛まれることを勧めているわけではありませんが、現在の生活が豊かであればあるほど崩壊した反動は大きく、けして安住していていいわけではありません。


 現在の日本で生活していると空腹を知らずに生活できます。食べたいときに好きな物を食べられる社会で暮らしています。同じように苦労や努力を知らなくても家族に依存して生活できますし、孤独であることを我慢できれば礼儀や配慮を知らなくても生きていくことができます。何も知らないまま生活していれば、命の尊厳や人生の意義も分からず、無機質な物があふれ暇をつぶすことに苦労しない虚しい社会での日々が続きます。


 人生には知らなければならないことがたくさんあります。それは学校で教えてくれる国語や算数ということではなく、大人になって自分の人生を豊かにするための智慧を学ばなければなりません。同じような生活をしていても、感謝の心の有無で生活の豊かさは大きく違います。同じような不満を抱えていても、その不満に埋もれたままの人と、その不満を解消しようとする人では充実感が大きく違います。生きていくうえで、どういうことが大切なのか。まずはそれを知らなければ豊かな人生を得ることはできないのかもしれません。幸福な人と不幸な人は偶然そうなったわけではなく、決定的な違いがあるはずなのです。その違いが分からなければ幸福を実現することはできないわけなのです。




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ねこ8ねこ8 2017/07/15 01:30 最近、「何故毎日勉強するのか」という中学2年生の質問がネット掲示板にありました。土日だけの勉強でこれまで学年20位以内をキープしていた。中学2年になって模試で30位になったら、親がどうして毎日勉強しないのかと言ってくる、という相談です。をそれに対する(おそらく)大人の回答がいろいろありましたが、将来の受験のことを言う人、記憶のメカニズムにや学習ついて説明する人、頭の訓練であるということを言う人等々…。その回答を読みながら、どれも間違っていない(それだけ、いろんな見方ができる)と思うと同時に、頭を鍛えることばかりに注目して回答している気がしました。具体的ではありますが。それぞれの人生が透けて見える回答でした。自分は、どんな回答をするのだろうなあ〜と思いつつ、自分の人生を振り返って見ると、学ぶ意味をうまく言えない感じがしました。心やものの見方が豊かになって、それが自分の人生になんのプラスになるの?と言われたら、詰まってしまいます…。ものの見方が豊かになって、他と違う見方ができるようになると、感じることの一つは、孤独ではないでしょうか…。

buddhistbuddhist 2017/07/16 07:58 ねこ8さん、コメントありがとうございます。今の日本は目先に囚われすぎているように思います。テストや営業の成績よりも、将来どうなりたいのか、仕事の意義とは何か、ということにも思いをはせなくては頑張ることはできません。今の自分が進んでいる道の先を見据え、そこにどのような意義を見出すのか。目の前のことに囚われすぎると、自分の人生をひとつり物語として考えることができなくなります。大切なことは目の前の成績ではなく、どのように生きていくのかだと思うのです。物事に対する見方もそれぞれですが、その見方によって幸・不幸が分かれるものです。日々の生活から何をどのように感じ取っていけばいいのか。模索しているところです。

ねこ8ねこ8 2017/07/16 09:31 そうです、私がなんだか感じていた違和感は、「テストや営業の成績よりも、将来どうなりたいのか、仕事の意義とは何か、ということにも思いをはせる」ということが大人の回答にほとんどなかったことなのです! 今の世の中って、夢を持ちにくくなっているのでしょうか。…という私も、退職したら、どうこうしたいなあとぼんやり考えることはあっても、もっと大局的に見ることができないでいます。ネットで「退職したらしたいこと」とか見ても、習い事とか、海外旅行とかが多いです。日本人、哲学もなければ、信仰もなく、夢も小さい感じ…がします。でも、現実的なのかもしれません。先日某資格試験に行ってみると、大学生と思える人が多く受験していました。堅実なのだろうなと思いました。

buddhistbuddhist 2017/07/16 22:03 ねこ8さん、コメントありがとうございます。若くても夢や希望は抱きにくく停滞感に覆われているのが今の日本のように思います。ただ全体的にそうであっても、それに合わせる必要はありません。必ずしも仕事がすべてではなく、自己実現への道は仕事以外にもたくさんあります。自分がこれからどうしたいのかは、すぐに答えが見つかるわけではありません。日々いただくご縁を大切にしていくなかで見えてくるものではないかと思っています。

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