Hatena::ブログ(Diary)

甲子大黒天本山のブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-05-21 ご案内

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。諸般の事情により来週は更新をお休みさせていただきます。次回は5月30日からを予定しておりますので、よろしくお願いいたします。


応援クイックお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/buddhist/20160521

2016-05-20 思い通りにはならなくて

 雨は自然の摂理によって降りますから、人間の都合など考慮してくれません。そんな雨を自分の都合で歓迎したり非難するのが人間です。しばらく雨が降らず庭木が乾燥していれば恵みの雨となり、運動会などのイベント日に雨が降れば嘆かれます。さらには晴男や雨男をつくっては称賛や非難されるというのも面白いことだと思います。人間は自然をコントールできませんから、天気に合わせていくしかありません。


 思い通りにならないことを、思い通りにしようとして苦しむのが人間です。埋蔵金が眠っていると信じ込んで何も出てこない地面をけしてあきらめずに掘り続けれているようなものです。できないことはできないのに、あきらめきれずに苦しむのです。自分の力が及ぶものについては努力すれば成果が得られます。ですが、中途半端に関わったり、言うだけで何もしなければ、かえって事態を悪化させてしまいます。


 多くの人は最小限の行動で最大限の成果を求めます。そして成果が得られずに社会や相手に対して失望したり憎しみを抱えてしまいます。最近、新入社員への愚痴を聞く機会がありましたが、18年間かけて作られてきたものを直すには同じくらいの時間をかける覚悟が必要です。数回小言を言ったくらいで変わることはありません。自分も相手も社会も変えていくためには時間がかかります。思い通りにならない世界で暮らしていることを考えてみたいものです。




応援クイックお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

メグライアンメグライアン 2016/05/20 13:18 こんにちは
いつもブログ楽しみにしています。ありがとうございます。

「思い通り」って何なのでしょうね。「思い」があるから行動を起こすわけで、「思いを叶えるため」に頑張る事と「思い通り」にしようとすることは全く違う事なのに、、、と思います。そういう自分もその間違いに気が付いたのはかなり人生を経験してからですがね。気づけたのはやはり回りの人達のおかげだと感じます。思い通りにしてあげるのが親の役目だと思っている親が増えたのだなぁと感じる事が多いです。人より得をしたいと思う心からなのか、「自分の思い通りになることが人間に与えられた権利だとでも思うのでしょうか?」と感じる事があります。大人の責任ですね。仰る通り時間がかかりますね。でも諦めてはいけませんね。

ねこ8ねこ8 2016/05/20 19:57 >18年間かけて作られてきたものを直すには同じくらいの時間をかける覚悟が必要です。
そうかもしれませんが、状況によるのではないでしょうか。周りがある人を恐れ、その人のことを絶対として従うようなところでは、10回以内で直るような気がします。一方、やたら、理解ある人を気取るような人がいて、こちらがある事を新入社員に言っても、「まあまあ、まだ若いんだし」「そのうちできるよ」などと言っていると、相手はいち早く人間関係の力学を計算し、より仲間がいる方(群れている方)、より人付き合いが多い方などに従います。そういう風潮が幅を利かせるとどういうことになるのか、考えていないと思います。私は、別に相手の親でもないし親友でもないので、数回言って、聞くどころか屁理屈を言うような人は、「その程度の人」とみなして距離をおきます。馬鹿を相手にするには人生は短いと思いませんか。反抗する人でも、その人なりに根拠があるならまだみどころがありますが、そこまでしっかり考えているような人間にはあまり出会いません。ただし、思い通りにならないのが世の中と思うので、静観する習慣を身につけていきたいなとは思いますが。

buddhistbuddhist 2016/05/21 07:50 メグライアンさん、コメントありがとうございます。夢や目標を達成しようとすれば、たくさんの苦悩の先にようやく得ることができます。楽をして自分のワガママを叶えようとすることは道理に反しています。自分勝手なワガママが横行している時代ですが、苦の先にこそ本当の楽があることを知らなければなりません。苦労を知らず育った人は不幸だと思います。苦労は買ってでもしろと言いますが、そこまでいかなくても目の前の苦労からは逃げたくないですね。

buddhistbuddhist 2016/05/21 07:50 ねこ8さん、コメントありがとうございます。力関係のなかで強制的に押しつけることもできるかもしれません。ただ、その人がいるときだけの表面的な行動になるかもしれません。環境によって人が大きく変わることは事実だと思います。楽な環境ではなく、成長できる環境に身を置きたいと思うことが大切です。主流や楽なほうに流されてばかりでは大切なことには気づけません。自分なりの考えを持ち目を輝かせている人が少なくなりました。そういう人が増えないと日本の政治も経済も変わらないと思います。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/buddhist/20160520

2016-05-17 問題の根っ子

 商売でもSNSによる情報発信が必須だとされます。チラシは1000枚印刷しても、1000人にしか情報を届けられません。テレビで取りあげられても一瞬のことであり、すぐに記憶から抜け落ち効果は限定的です。SNSであれば広く世界に発信でき、その情報を留めておくことができます。ですが、いかにSNSで発信しても良いものでなければ意味がありません。SNSは手段であり、すべてではないのです。


 何事においても表面と本質は違います。親子ケンカでも子供の成績が悪いことが原因かといえば、それは口実であり親子関係そのものに問題があります。テストの点数は表面的なことであり、深いところを見ないと解決することはありません。これは人間関係すべてにいえることで、信頼関係の欠如やストレスの発散など様々な問題が潜んでいるものです。


 木を見るときには青々と茂っている枝葉よりも、それを支える根っ子のほうが大切です。表面的なところに翻弄されずに、根底を見るようにしなければなりません。テレビのチャンネル争いをする夫婦に、テレビを2台にすればいいわけではありません。2人で同じ番組を楽しめるようになってこそ解決したといいます。実際は難しいわけですが、まずは深いところを感じられるようになりたいのです。




応援クイックお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/buddhist/20160517

2016-05-16 「やんわり」の心

 私のところでは参道の途中に駐車場があり、そこからは徒歩で参拝いただいています。のぼり坂を徒歩3分程度で本堂に到着しますから、健康な人であればすぐに着きます。狭い参道で事故がないよう案内看板も設置していますが反応は様々です。多くの人は看板を見て歩いてのぼってこられます。他に車でそのままのぼってくる人、歩くのは嫌だと帰っていく人、足の不自由な人がいるからと許可をとってから車でのぼってくる人もいます。


 あくまで依頼であり強制ではありませんが、健康そうな人が看板を見ないふりして車でのぼってくるのは残念です。「事故がないように」と「少しでも楽をしたい」という相反する思いが衝突すると心のうねりが大きくなることもあります。立場が違えば考え方も見え方も違うのはあたりまえなのかもしれませんが、お互いに配慮がないと違いが争いへと発展してしまいます。


 私が怒鳴れば相手は萎縮するか反発します。そしてどちらの反応であっても、嫌な思いをすればもう来なくなることでしょう。せっかくの一期一会が台無しになっしまいます。ルールの遵守と相手への配慮は矛盾するものでもあり、バランスが難しいものです。正しいことを押しつけられ、自分の誤りを非難されれば、誰でもイラッとくるものです。そういった心情に配慮できなければ、ルールや正しさがかえって憎しみを作り出してしまいます。何事も「やんわり」が大切です。相手を思うやさしい態度と言葉があってはじめて、正しいことが通るのかもしれませんね。




応援クイックお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

メグライアンメグライアン 2016/05/16 12:43 こんにちは
いつもありがとうございます。
おっしゃる通り「やんわり」は大切です。ただ・・・やんわりは「嫌味」にも聞こえます。もともとの「やんわり」を理解出来ない人が増えているのかな。と感じます。はっきりと言われたら怒る。キレる。「やんわり」と言われたら理解できない。日本語の言葉の奥にあるものを読み取る力が足りない人が増えてきたのかもしれませんね。そういう私は若かりし頃「やんわり」がわからず苦労しました。意地悪だなぁ〜って思った事も多々ありました。だからかな、今ではよかれと思っての言動をしている人と受けている人のやりとりを、第三者でみていると、それ今の人にはきっと伝わらないね。って感じる事があります。さてそんな場合どうしたものか?と考えるのが大切だと感じています。日々精進ですね。

buddhistbuddhist 2016/05/16 14:17 メグライアンさん、コメントありがとうございます。「やんわり」が伝わらない場合もありますね。難しいですね。意図や行間を読み取る術を身につかなくなっているのかもしれませんね。ますますコミュニケーションが難しくなりますね。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/buddhist/20160516

2016-05-13 比べない心

 せっかく生きているのですから、楽しく暮らしたいと思っています。ところが、人間はすべてを楽しもうとはせずに、楽しいことと嫌なことを作り出しては区別してしまいます。人により割合は様々ですが、楽しいことよりも辛いことや悲しいことのほうが多い現実が主流なのかもしれません。ですが、その生活とは自らが作り出しているものなのです。嫌だと思っていることや辛いと信じていることを楽しむことはできません。まずは、その思いから離れなければ楽しいことは増えないのです。楽しいこととは他所からもたらされるものではなく、自分が楽しもうとしなければ生まれないのです。


 私達は何事も比べてしまいます。好きと嫌い、楽しいとつまらない、善と悪、自分と他人、理想と現実、勝ちと負け、敵と味方など、すべて比べては仕分けをしてしまいます。この比べる物差しが勝手な順位をつけては、一喜一憂を誘い私達を苦しめるのです。「これは良いけど、あれは嫌」という考えでは、半分以上は嫌なものになってしまいます。比べずに、ありのまま、そのままに満足することができれば、どれだけ心は安まることでしょうか。


 現在の社会も順番を決めようとします。受験もそうですし、会社でも順位をつけてはふるいにかけます。競争が努力を誘発し成長へとつながりますが、いきすぎれば疲れて虚しくなるばかりです。人間関係でも優先順位がありますが、それに囚われれば新しい出会いはなくなり、自分の世界が狭くなってしまいます。自分でも区別しては順位をつけ、社会からも順位をつけられるというのでは疲れてしまいます。これからますます比べない心が大切になるのではないかと思います。


応援クイックお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/buddhist/20160513