仏様は救ってくれるのか

 最近、お坊さんが出演する番組を見ました。番組のなかで芸能人の出演者から「本当に仏様は私達を救ってくれると信じていますか」と質問がありました。おそらく多くの日本人が仏様とは願いを叶えてくれる、苦しみを救ってくれる存在だと考えているのではないかと思います。この考えは仏教が現世利益を説くようになってから定着したもので、本来の純粋な仏教とはいえないところがあります。


 たとえるなら仏様は厳しい父親です。子供がゲームを買ってと言っても、買い与えることはありません。ゲームを買えば子供が勉強しなくなること、楽しみを創造しなくなること、外で元気に遊ばなくなることが分かっているからです。また、子供がプールの授業を嫌がっても休ませることはありません。たとえ怖くてもプールに入らなければ泳げるようにはならないからです。たとえ子供に嫌われようとも、子供のために本当に必要ことを考えるのです。必ずしも自分の願いが、本人を幸せにするとは限らないのです。 


 仏様は試練を与えてくれます。病気は健康のありがたみを教えてくれます。失敗は努力の積み重ねの大切さ、そして必ずしも自分の希望通りにはいかない世間の厳しさを教えてくれます。死はけして避けられないということを、その身をもって親しき人に伝えなさという教えなのです。仏様が試練をお与えになるのは、私達のさらなる向上を願ってのことなのです。安泰な暮らしではなく、逆境のなかでこそ人は目覚め道を求めるのです。


 では、お参りすることは無意味なのかといえば、そうではありません。お参りとはご利益を願うばかりではなく、仏様と向き合うなかで道理を受け入れることなのです。仏様はつねに道理を説いておられます。道理に反したことをお与えにはなりません。厳粛な本堂にあって静かに仏様と向き合うことで、迷いを払い道理に適った生き方を模索しなければなりません。仏様が救ってくださるのではなく、仏様の声によって気づきを得て、自分で自分を救ってあげなければならないのです。



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