生き方にも「らしさ」

 氾濫する情報量は年々増加しているのに関わらず、「生きる」ということについて学ぶ機会が少なくなっているように感じられます。小学校から大学まで知識の吸収はあっても、より善く生きるための、さらにいえば幸福になるための学びや実践というものが足りません。家庭においても厳格な父親による躾や家訓などもなく、躾といえば体罰と見なされる傾向もあります。もともと躾とは暴力ではなく、生きていくための指針や人に迷惑をかけないための礼儀などを教えるものでしたが、現在では子供の好きなようにさせることが親の愛情だと勘違いされているようです。ですが、どのように生きて良いのか分からない子供こそ可哀想というものです。与えられた指針をもとに、それを修正しながら自分なりの生き方を作っていくものです。どうも戦後から続く価値観を押しつけるべきではないという価値観がこの状況を作り出しているように思います。


 人間は動植物のように本能のみで生きることは許されません。そして人が生きるということには様々な制約や苦難も伴うものです。だからこそ生きていくためには知恵が必要なのです。知恵にも様々あり善く生きるための知恵、賢く(ズル賢く)生きるための知恵、楽しむための知恵、強く生きるための知恵、論理的・理知的に生きるための知恵などあります。こういったものを配合しながら自分が幸福なるための知恵を見つけていかなければなりません。以前であれば社会から画一的な指針を与えられ生きていましたが、現在は自分で知恵を磨いて幸せにならなければならない時代です。自分らしい生き方というものについて考えてみたいのです。




応援クイックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村