信じることから

 毎月、本山より月刊誌のようなものが届きます。今月号には修行道場の卒業生のコメントが掲載されていました。一年間の修行を終えた卒業生はそれぞれに素晴らしい想いを書いていました。私が卒業してからずいぶん月日が流れましたが、私も卒業するときにはたいしたことを書きましたが、事実でも本心でもなくずいぶん脚色も加えていたように思い出します。家族をはじめ全国の関係者が読むとなれば、それなりの作文も必要になります。こんなことを書くのは、卒業生の文章を邪推してしまった反省と、信じるということについて考えてみたいと思ったからです。


 私が卒業するときは、卒業の喜びは大きかったと思いますが、卒業できることへの自覚や感謝は乏しかったと思います。ですが、今は亡きお世話になった院長先生は和やかに私達を送り出してくださいました。現状よりも私達の未来を信じてくださっていたのかもしれません。自分が自分を信じられないのに、そんな私を信じてくれていた院長先生はありがたい存在です。意識していなくとも、私を信じてくれているという想いが、今まで私を支えてくれていたのかもしれません。


 本人の正偽とは別に人を信じるということも大切だと思えます。誰かが私を信じてくれているという想いは、その人を支える大きな力となります。完璧ではなく弱い人間だからこそ、お互いを信じて支えていかなければなりません。相手に対して信じるに足るものを求めるのではなく、まず信じてあげることからはじめることも大切ではないかと思うのです。信じることが力となり、すぐとはいかなくとも、やがて大きな成長につながっていくのかもしれません。



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