問われる年代

 知り合いの若いカップルと話をする機会がありました。私にとってはとうに過ぎてしまった20代の楽しい時間を謳歌する2人がうらやましくもありました。人の生き方にはだんだん楽しくなっていく生き方と、だんだんつまらなくなっていく生き方があると思っています。10代の自分を悲観して死を選択する人もいますが、けして現在の自分が生涯にわたり続いていくわけではありません。人生のピークをどこに設定するのか、それをいかにして維持するのか、その高さと中身は自分で決めることができます。


 ある人にとっての頂上は、別な人にとっては通過点でしかないかもしれません。頂上だと思えばそこから先はありません。ですが、頂上を求めながら遭難しても困ります。満足と努力のバランスが大切になります。ガンジーの言葉に「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい」というものがあります。たとえ明日死んだとして悔いが残らないよう日々を大切に生き、そして感謝し満足する。しかし、学ぶべきことや求めるべきことについては、中途半端にせず徹底して続ける。この見極めが大事なのです。


 年齢を重ねるほど表面的なものは役に立たなくなります。退職してまで学歴や職業を誇っても虚しいものです。問われるのは、その人の人間力です。家族というだけで、いつまでも世話をしてくれるとは限りません。問われるのは、家族とどういう関係を築いてきたかです。お金がいくらあっても、尊敬されることはありません。問われるのは、その使い方なのです。自分が使っている杖が、いつまでも自分を支えてくれるとは限りません。何を支えとするかを考えなければなりません。



応援クイックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村