温暖化は止められない

 今年は桜が早く咲いたかと思えば散るのも早く、あっという間に新緑の季節を迎えました。例年だと5月中旬頃に最初の草刈りをおこなうのですが、今年はすでに草刈り機の音が響いています。今までは慌ただしい人間社会に追い立てられても、いつも変わらない自然界に癒されていました。花々や木々にそんなに急がなくてもいいんだよ、ありのままにのんびりいこうと教えられていたのが、今年は逆に追い立てられているかのような印象を受けることがあります。


 昨年は地球沸騰という言葉が登場しまたが、今年はさらに暑くなるのかもしれません。病気や問題でも最初のうちは症状も自覚もほとんどない状態なのですが、進行するほど雪だるま式に大きくなっていきます。もはや対処療法ではどうにもならず、大きな決断を迫られる事態となります。今のままの便利な生活を維持しながら温暖化を改善できるとは思えないのです。


 全世界の誰もが便利な生活や更なる発展を求めますが、日本でいえば江戸時代の生活に戻るくらいのことをしなければ温暖化を止められないと思うのです。もちろんそれができなかったからこそ地球が沸騰を始めたのですが、おそらく今の文明が崩壊しなければ温暖化は止められないのかもしれません。地球との共生ではなく、我慢比べを続けている現状にもっと真剣な議論が必要だと思うのです。

 

 

昭和からの脱却

 ある会議で若手からの意見が理解できないことがありました。本人は意地を張っているわけでも、嫌がらせをしているわけでもなく、真面目に素直に発言しているだけなのです。ですが、その意見は私とは正反対なのです。私が長年にわたり考え実践してきたこととは真逆なのです。時代が変わったといわれても、本当にそうなのか。いかに時代が変わっても物事の本質は変わらないと考えています。ですが、そのように考えることが時代遅れの価値観に執着しているとしたら、様々な意味で恐ろしいことです。


 協調とはお互いに1歩譲ることだと思うのですが、1歩2歩譲ったとしても到底近づけないとしたら、協調することは困難になります。こんなことなら会議など参加せず、1人でいたほうが楽だと思うこともあるのですが、それはそれで寂しいものなのです。今後ますます器量が求められる時代になりそうです。大きな溝を埋めるための器量です。この社会が発展してきたのは様々な価値観や信念があったからです。働きアリの世界でも新しい発見をするアリは周囲と同じような行動をしない、生産性や協調性がないように見えるアリなのです。みんなが同じことをして安心していた昭和の時代に別れを告げ、新たなる令和の時代に挑んでいきたいものです。

 

心に刻まれた

 様々な相談を受けることがありますが、一瞬で気が楽になったり、考え方を変えることはできないものです。目から鱗が落ちるという表現がありますが、現実的にはなかなかそうはいかないものです。私なども20年も前の失敗や店員の態度まで憶えているものです。どのようなものであれ心に刻まれたものは残るのです。ですが、体の古傷はたまに疼くことがあっても、いつも痛いわけではなく、完治しているのに思い出したかのように疼くものです。心もそのようなものだと思うのです。


 すぐに楽になりたい忘れたいと思うものですが簡単ではありません。長く付き合っていかなければなりません。それはシワのようなものかもしれません。深いシワは苦労や苦悩そして人生の深さを象徴しているように思うのです。簡単には消えない失敗・怒り・悲しみなどは心に刻まれるシワのようなものです。それが人生の深さにつながるのではないかと思うのです。きっとこの経験が自分を大きくしてくれる。そう信じて付き合っていきたいものです。

 

苦しい時の頑張り

 大谷選手は様々なことがありながらも順調に活躍されているようです。海外での生活であり頼みの綱でもあった通訳がいなくなり、それでも結果を求められるプロの世界で期待に応えるのは大変なことだと思います。メディアには出ない苦悩や努力があるのでしょうが、言い訳をせず今やるべきことに向き合う姿勢は素晴らしいと思います。


 誰しも万全の状態で日々の生活を送れるわけではありません。体の不調や家族の心配をはじめ長い人生においては何事もなく専念できる期間のほうが短いのかもしれません。ですが、様々な不安材料があるなかでも最善を尽くしていかなければなりません。今日は調子が悪いので明日から頑張るというのでは、いつまでも頑張るべき明日は訪れないかもしれません。


 たとえベストではなくても、今できることは今やらなければなりません。その積み重ねが大事なのです。部活だけではなく、何事においても苦しい時に頑張ったことが自分を支えてくれるのです。できな言い訳は無限にあります。言い訳に負けず一歩すすむということが、その人を強くしてくれるのです。どこか遠い世界の偉人だけではなく、誰もが日々自分と戦っているのです。

 

枯渇の時代に

 住職になれば御堂や境内地を所有することになりますが、それだけではなくそれまでの借金や評判や人間関係も継承することになります。先代の評判が悪かったりすると、そのしわ寄せが新住職にくることがあります。今までの不満が若い新住職に向けられるのも、人の世というものです。これに対して先代を責めたくなりますし、文句を言う人間への怒りもわきますが、じっと堪えて自らの覚悟を磨くしかありません。


 ゼロからはじめる苦労もありますが、負債や不評を引き継ぐマイナスからの苦労もあります。自分の責任ではない苦労や苦悩は大変ですが、それを投げ出すことなく、逆に自らの信用や信頼に変えていかなければならないのです。そうして初めて継承したいといえるのかもしれません。ますます家業や事業を継承するのが大変な時代になりますが、それはさらに覚悟を求められるということです。


 覚悟さえあれば必要なものは後からついてきます。多くの人が覚悟ならあるといいますが、すぐに揺らぐような覚悟では意味がありません。相当な覚悟があってこそ、相当なことができるのです。何を言われようが、恥をかこうが失敗しようが、やり遂げるという覚悟は想いの強さによるものです。人の想いが枯渇している現代にあって、より強き想いが求められているのです。

 

腐敗政治の原因

 政治の世界では様々な問題や不祥事が起こっています。この原因は二大政党になっていないことにあると思うのです。もし与党が国民の信頼を失った時、それに代わる野党がなければ与党がそののまま国政を運営し、同じような不祥事が続くのです。野党に転落するかもしれないという危機感や緊張感がないため、自らを律するとか正すといった自浄作用が失われているのが現状なのです。


 物事が拮抗した状態はストレスともなりますが必要なことだと思っています。何事においてもライバルがいるから頑張れるということがあります。お互いに高め合うという関係が政治の世界にもあれば、日本はもっと発展していくことでしょう。人間は安定してしまうと停滞や衰退がはじまります。楽ができない安心できない環境も必要なのです。


 自分を律するとか高めるということは一人では難しいこともあります。仲間やライバルがいたり、追い込まれた状況にあれば、自然と頑張ることができるのです。スポーツの常勝校は選ばれた選手がしのぎを削り、また優秀な監督やコーチ陣がおり、さらには寮生活などで没頭できる環境があるからこその常勝なのです。切磋琢磨の環境が一人では到達できない世界へと導いてくれるのかもしれません。

 

胸に刻む生活

 【刻石流水】かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻めという言葉があります。相手に対してはいつまでも恩着せがましくならないように忘れてしまえということ。逆に相手から受けた恩はけして忘れることなく恩返しに励めということでしょうか。人の世にあっては逆になることが多いための格言です。人間の徳とは報恩感謝の気持ちから生まれるものであり、大切な言葉ではないかと思うのです。


 昔は大切なことは石に刻めといわれました。燃えることなく、腐ることもない石は後世に伝える格好の素材だっのでしょう。当山の境内地にも3基の碑文があり、歴史や当時の願いを今に伝えています。私は日々の生活を胸に刻んでいくことも大切だと思うのです。慌ただしく過ぎてしまう日々にあっては、意識しないと何も残らない一日になってしまいます。


 今日はどんな一日だったのか。何を学んだのか、何に感動したのか、何に感謝したのか、何を反省したのか。今日一日を確かなものにしていくためには、日記や帳簿だけではなく、人として得たものや失ったものについても考えてみることです。信用を得たのか失ったのか。失敗から学んだのか、自信を失っただけなのか。こういった反省が成長の糧となり、より良き明日につながっていくのではないでしょうか。