「夢」と「友」―『ベルセルク 黄金時代篇1 覇王の卵』

ベルセルク 黄金時代篇1 覇王の卵』(原作:三浦建太郎、監督:窪岡俊之)を観た。
原作に於ける「黄金時代」篇を長編三部作で描き、本作ではガッツとグリフィスの出会いからユリウス卿暗殺までが描かれる。
物語は、舞う烏と城攻めに放たれる火球を見上げる主人公ガッツの視線と走り出す傭兵団が城に群がるシーンから始まる。

原作である漫画版『ベルセルク』を読み始めたのは高校生の時だったと思う。部活を終えた後、どういった理由か忘れたが教室に行き、ガラクタの入れられた段ボール箱に単行本を見つけ、帰宅する為に乗った電車の中で熱心に読んだ事を憶えている。その単行本は「断罪篇」で、戦争難民や魔女狩りと呼ばれる異教徒に対する弾圧が描かれていた。その頃、既に『ベルセルク』は面白いと評判を得ていた。単行本を読んで以来、部活の帰りに古本屋で立ち読みをしたり、単行本を買って帰りの電車で物語を読み進めたり、掲載誌の連載をチェックするようになった。
ベルセルク』の魅力は、ガッツやその仲間たち魅せるアクションと―それに伴う建前―正義だとか信仰を単純に是としない、激烈な感情や性の本音、を描き、人間の単純で複雑な原理と、その原理を覆う建前の仕組みをあぶり出しているところだろうか?

本作では主人公ガッツと傭兵団「鷹の団」の長であるグリフィスとの出会いから、グリフィスがシャルロット王女に語る「夢」と「友」を聴いたガッツがある決意を固めるというシークエンスで終わりを告げる。
グリフィスの語る夢は、少年の頃から抱いた「自分の国を持つ」事だ。
そして「友」とは、他人の夢の一部とならない「夢」なり「信念」を持った者であるという。
その言葉の剣先は、ガッツだけでなくその視聴者の間合いも捉えて離さない―しかもその矛先は最後の最後まで鞘に収められる事なく未だに物語の支柱となり、グリフィスが体現し続けている。
同時に、ガッツは御せない感情の化物と人間性の間で煩悶しながらも「友」である事を辛うじて体現している事でもあるのだが…

冒頭の城攻めや騎馬戦は3DCGにより描かれ、兵士たちアクションの動きに独特な重みとアニメ独自の軽快さを上手く表している*1
特にガッツが視線を動かしながら静的に剣を構えている間は非常に新鮮。ゾッドの変身シーンも圧倒的な迫力で震える事になった。
3DCGによる演出は、暴力と残酷描写を抑える為なのか、登場人物や世界をのっぺりと綺麗に描き過ぎているような気もした。
しかしこれは今後おどろおどろしい演出の為の布石なのだろうと考えている。
音楽も平沢進の主題曲「Aria」を含め、非常に格好良く『ベルセルク』の世界観を伝えてくれる。
第二部「黄金時代篇2 ドルドレイ攻略』が楽しみである。

ベルセルク 36 (ジェッツコミックス)

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Aria

Aria


映画「ベルセルク 黄金時代篇? 覇王の卵」オリジナル・サウンドトラック

映画「ベルセルク 黄金時代篇? 覇王の卵」オリジナル・サウンドトラック

*1:ちなみにアニメ版「剣風伝奇ベルセルク」は未見。