中国における反日デモ

ご無沙汰していて、申し訳ない。

ここしばらく色々と失望することが多く、すっかり書く気を失っていたが、いつまで経っても訪れてくれる読者がいるようなので、気を取り直して、徒然なるままに思うことを書いていきたい。

中国で反日デモが高まっている。報道によれば、反日デモの背後には、中国政府や共産党がいるという。日本企業への焼き打ちや略奪行為を容認しているとすれば、「他に打つ手がない」ことを暴露しているようなものだ。反日デモの発端となった尖閣列島問題では、まず、日本が実効支配している、次に、米国が尖閣列島日米安保条約の対象だと明言している(言い換えれば、尖閣列島に対して武力行使すれば、アメリカが中国に武力行使すると言っている)ことで、勝負はついている。つまり、誰が見ても、日本の勝ちなのである。それなのに、石原都知事の動きに引きずられて、尖閣列島を国有化したものだから、いわば、「add an insult to injury」(傷口に塩を塗る、あるいは、傷つけたうえに侮辱した)結果になって、誇り高き中国政府としては、何らかの対応を取らざるを得ない。本当ならば、海軍を派遣するなど軍事力を行使したいところだが、日中間の武力対立どころか、中国としては最も避けたい米中間の武力対立の恐れがあるので、とてもそんなリスクは取れない。仕方なく、反日デモを容認することで「不快感」を示しているのだろう。

もう一つは、たまりにたまった格差に対する国民の不満のガス抜きを狙っているという側面もあるのだろう。グローバリゼーションが生み出す格差問題は世界中で起きているが、一人当たり国民所得がかなりの水準まで達している先進国よりも、一人当たり国民所得がまだまだ低い新興国の方がずっと深刻である。日本の高度経済成長期には、累進所得税に加えて、東京で稼いだお金を地方にばら撒く「55年体制」がうまく機能して、一億総中流社会が実現した。しかも、企業トップの収入もそれほど高くなかったし、一部の政治家を除いて、権力側の腐敗もそれほどではなかった。しかし、現在の中国では、一部の企業トップは日本人の感覚からしても信じられないほどの高収入を得ているうえに、政治家や官僚の腐敗は目に余るものがあると伝えられる。簿熙来の失脚事件の取り扱いが難しいのは、下手をすれば格差に対する国民の不満が権力側に対して向けられる恐れがあるからだ。内憂による不満のはけ口を外患に求めるのは政治の常套手段だが、インターネットの発達した時代に、どこまで政府がデモを「反日デモ」に留めておくことができるか分からない。現に、デモの参加者の多くが毛沢東の肖像を掲げているという。

つまり、反日デモは、尖閣列島問題で打つ手がない中国政府があえて不作為で選んでいる危険な賭けである。このまま放置すれば、害は日本よりもむしろ中国に及ぶ恐れがある。中国政府には一刻も早く冷静さを取り戻してもらいたいものだ。