また久しぶり…って

前回が2月2日で今日が3月20日春分?…て1ヶ月以上たっちゃってるじゃんお粗末。このかんシゴトやシゴトと遊びの中間のコトで非常に忙しく…ホント頭に何も浮かばんかった。起きてるんだか寝てるんだか、でもボチボチ本なぞ読む余裕も出て来始め、これも書く気になり始め…って昨日思ってたことは、女性はふるさとそのものなのかもナァってこととか、昔の同僚で今熊野にいる男のblog見て、そろそろ都会の幻想もナァってこととか、『食糧争奪』という本ナナメ読みしてるとどうも気が滅入るというか、昔は世紀末とかノストラダムスとかなんとかで、世も末の表現にもキリがいい節目もあったんだが世紀始まったばっか10年足らずで石油が食糧が中国が魚資源が温暖化がいっぱい噴出してて、これだけ先行き見えないのに国会は政争に明け暮れてるしいったい何なんだと怒るより身の振り方考えたほうがよさそうであり、今日もシゴト先の立ち話では、こうなったら社会のメカニズムからどれだけはずれとくかが懸命なんだヨなぁといったら、そうとは限らないですヨと返され、あそうか、今儲かる流れにいるヤツらは乗っとけばいいんだヨナと気付きじゃあそいつら何すんのと自分で想像めぐらすと、直接間接に、今の破壊的な世の流れに加担することで生きながらえるんだとまた気付き幻滅する。…と考えていて、ああ女性はふるさとそのものなんだヨナと思ったのは、このつまらない都会にいて一向にイナカ志向にならないからだ。僕がシゴト先から家に帰ると、トシのせいもあるがむちゃくちゃホッとする、味噌汁もうまい、酒も最高に癒される感じがするんだが、女房にとっちゃいつもの普段の当たり前の日常を繰り返しているだけのようで何の感慨もないようでそのギャップがなんでかなんでかず〜っと引っかかっていたその答えが、女性はイナカそのものなのではないか、だからイナカ志向に陥らないのではないか、に行き着いたのだった。でもイナカ志向の女性もいるではないか世の中にはと否定を試みるも、いやそういう女性たちは男性的な女性なのであって本来女性的な女性はその中にイナカを包み込んでいるのでどこにいてもイナカなので、そういう女性はイナカにいても都会にいても同じ日常を持っているのでより便利な都会がいいと極めて現実的にかんがえるものなのではないかと思ったのだ。った。
都会って、ねぇ…