バレーボール観戦

昨日、12月5日の国際ボランティアデーに向けたイベントの一環で、
男子はサッカー、女子はバレーボールの大会を開くから参加しませんか?とさそわれたので、
なんとなく行ってみようかなぁと思って参加することにした。


白人女性のボランティアが集まっているのを想像しながら会場に行くと
日本人3人と、いかにもスポーツをしているかんじのブルキナ人が何人かいた。


自然発生的にパス回しが始まり、いっしょに混ざってしていると
「ここに名前を書け」とのこと。
紙には名前が二列に並んでおり、それがチーム分けだった。



私のチームには日本人の野球隊員(男性)と4人の筋肉ムキムキブルキナ人。
もう一方のチームには日本人のバレーボール隊員(女性)とアメリカ人が1人、そして4人のムキムキ。


女性は2人しかいないんですか、ととまどう暇もなく試合が容赦なく始まる。


上からの強烈なジャンピングサーブ、
低い姿勢からのレシーブと精確なトス、
そして2メートル(推定)の巨体が50センチ(推定)上空から放つスパイク


私はコートの中の観客になりました。



スパイクも強烈ながら、それを拾うのもすごい。
ときにタイミングをずらしたり、ブロックがきまったり、
フェイントを入れて別の人がスパイクしたりと、
相手チームが点を決めても思わず拍手をしてしまう。


8人のムキムキが繰り広げるハイレベルな試合に魅了され
ときに邪魔をしつつ、ときどき回ってくるサーブの順番におびえつつ、
試合中の彼らのやり取りに耳を傾けていると
良かったプレーには「ナイスプレー!」
失敗した人に対しては「OK、OK」
私のサーブにもミスしたら「いいよいいよ、よくやった」とフォローしてくれ、
サーブが入ったら「ナイス!俺らも彼女から学んだ方がいいくらいだ!」とほめてくれ、
本当によく声をかけあっており、いかにもスポーツマン然としていてさわやかだ。


自分のプレーに対し「今のどこが悪かったんだ?」「問題はなんだ?」
と周りに聞いたりしていて、試合中だから答えは返ってこないにしろ、
問題を明らかにして改善しようという姿勢に感動してしまった。
スポーツはプレーをするとすぐに結果が表れるから
Plan→Do→Seeのサイクルが早い。
だから、というのはあるにしても、
こういうブルキナ人もいるのか、と思って驚いた。



結局私はコートチェンジをはさんで2セットして、
その後は外から写真を撮ったりゆっくり観戦をしていた。


ブルキナ人の太った女性が1人、私よりも下手なぐらいの人だったけど
途中から参加して最後までしていた。あっけらかんとした笑顔が素敵だった。
あともう1人、いかにもバレーボール経験者のブルキナ人の女性も途中から参加していた。



案内のメールやプログラムを見返してみると
「スポーツを通じた交流」
「バレーボールの試合 ボランティアの女性対学生」と明記してある。
女性は日本人2人とブルキナ人2人しかおらず
私を含めた非ムキムキは前列中央のポジションの順が来ると
「サーブが終わったらすぐコートの端に行くんだ」といわれて追いやられ、
「交流」にしては本気度合いがすごかった。



試合が終わって後片付けをし、記念撮影をしたあと
スポーツマンたちは「次は何曜日」という練習日の相談をしていた。
彼らは大学で練習しているチームと郵便局にあるコートで練習しているチームで
チーム名に「ナショナル」とついていたのが気になった。
私たちボランティアは国際ボランティアデーに向けたイベントということで来たけど
今日は彼らにとってはただの練習日じゃなかったのか?
一体なんだったんだろう。
おそらくはたくさんの誤解と思いやりが生み出したのであろう
わけがわからないけどおもしろい日だった。


ブルキナの教育

ある日、アンケートの準備をしていたらたまたまオフィスにいたおじさんがその内容に興味を持ち、
教育に関する話がしたいというので、今日昼ごはんにさそって行ってみた。


その人は社会学と法学の学士を持っていて農業の学校でも勉強をしたといい、
15年教員をした経験を持つベテランで、
教育区事務所で試験を管理する部署と文化やスポーツを担当する部署の二つで働きつつ、
毎日5時に仕事を終えてからもう一つ別の職場に行って
夜9時くらいまで農作物の品種改良などの仕事をしているらしい。
土曜も働いているそうだが、その話しぶりからお金のために働いているわけではない熱意が伝わってくる。



ごはんを食べながらいろいろ質問をしてみた。
「ブルキナでは就学率が上がっているけど、退学者は相変わらず多いのはなぜか」


これには明確に3つの理由があると言っていた。
まずは親の問題。親が貧乏だったり、遊牧をするために定住できなかったり、
教育を受けたことがないために教育の価値を認めていなかったり、不仲であったりというもの。

次に教員の問題。教員の給料が少ないからモチベーションが低い、
教え方に工夫がない、叩くなどの体罰をする、という問題。

そして学校の問題。教える内容が現実に即していないという問題。


これらの問題の内、その人が最も重視しているように思えたのは3番目の問題だった。
教育内容を理論(学科)と実践(職業訓練)の二つの側面から見ると、
実践的な教育をしていないから親は子どもを退学させるのだそうだ。


たとえば、父親のバイクが壊れたとき、子どもが学校で習ったおかげで整備できたらその子どもを退学させるだろうか。
木工を習って椅子が作れるようになった子どもを退学させようと思うだろうか。
今の学校はフランス語がしゃべれる人を作っているだけで、何もできない、働き口がない人が大勢いる。
この現状を見ている親がどうして子どもに学校を続けさせようと思うだろうか。


だから、自分が考える理想的な教育は午前中に理論、午後に実践と二分し、
実践に関しては地域ごとの状況に即した内容の教育をする。
車やバイクの少ない地域で整備士を育てても意味がない。
建設の強い地域なら建設、農業なら農業、地域の現状に合ったカリキュラムにする。


教育とは何か。なんのためにするのか。
国の発展に寄与するというのは国のいい分で、
まずはその子どもや親のためにならなければならない。
子どもや親のことを考え、現状に合った教育をするために
カリキュラムだけでなく抜本的に教育システムを改革しなくてはならない。
そうしなければ国は決して発展しない。



具体的な例から大きな話まで、熱く語ってくれて非常にひきこまれた。
ブルキナで退学が多いことについて、
ガーナ、トーゴ、ベナンのデータと比較してみなさいというアドバイスももらった。
どれもブルキナの近隣の国で、ガーナは英語圏でイギリスの教育システム、
トーゴは仏語圏だけど教育システムはドイツのもの、
ベナンはイギリスの教育システムでフランス語を教えているから、
フランスのシステムを採用しているブルキナと比較するといい、とのこと。
こういうアドバイスをもらうとすごくうれしい。


最近読んだEFA(Education for All、万人のための教育)の報告書に
ブルキナファソでサテライト(カリキュラムに職業訓練を組み込んだ学校)や
バイリンガル(フランス語と現地語の両方で教育。5年で修了)の学校が成果を上げていると紹介されていた。
まだまだ数は少ないが、これからもっと増えていったらどうなるのか。
おじさんの話にもあるように、職業訓練を合わせたカリキュラムはどれくらいの効果があるのか興味深い。


ブルキナで考える教育は、まず生活できるようにする、生活を改善するということを重視する。
フランス語の活用を間違えても、割り算ができなくても、
農業をするときに肥料の袋に書いてあることがある程度理解できて、
野菜を売買するときにおつりの計算ができれば十分じゃないのか?
さらに効率的な農業方法を知っていたらすごいことじゃないか?
EFAといってすべての子どもに約6年の教育を受けさせることの意味は?
国のレベルが違う中でUPE(Universal Primary Education、初等教育の完全普及)という国際目標を立てたことで
教育水準の低い国は教育に対してより大きな努力をしなくてはならない。
達成の向こう側に何があるのか。
達成したらしたでまた別の目標・問題に置き換わるだけなら
達成しなくても、それぞれの国の人々が求めている教育をしていけばいいのでは。
だから、就学率も退学率も高い教育は人々が「ちがう」といっているような気がする。


EFAに関する教育指標でいうと128カ国中125位のブルキナファソは問題だらけだけど、
逆にいえばこれから上がるしかない。
どうなっていくのか本当に楽しみで、
ほんの少しでもいいからいつか自分がその一助となる仕事ができればと思う。