岸壁に立つ阿弥陀様

Youtube漂流記】

歌手の双葉百合子氏が引退された。
引き揚げの町舞鶴にとっては大変に深いご縁のある方である。

舞鶴引揚げ記念館】http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/hikiage_homepage/next.html

或る方のブログを拝見していたら坂本冬美さんが「岸壁の母」を歌うYoutubeの映像が貼ってあって。「岸壁の比丘」という詞が書いてあった。それを読んでいて、私はふと阿弥陀様と岸壁の母の姿がダブって見えた。(ちなみに石川さゆり藤あや子坂本冬美らは双葉百合子のお弟子さんである)


仏様というのはどういう存在か?という問は大変難しい。
ただ私は仏様の中に慈母という性格は間違いなくあるように思う。

仏様というのは私達一人一人を慈しんでくれる慈母のような存在である。
私たちは幾つになっても、心のどこかに自分の母親を求めている。
故郷を懐かしむ気持ち、自然の中にいるとホッとする感じ、母親に引かれる心…それらはドグマとしての宗教を超えて私たちの中に存在する。
それこそが宗教や信仰の土壌ではないかと思う。

母親とは…悲しいことがあった時、苛められて泣いて帰ったときに膝にすがってワンワン泣ける存在である。
泣いている私たちを大きく、優しく受け止めてくれる存在である。

仏様の中でも観音様や阿弥陀様は慈母としての性格が強いように思う。
私は特に阿弥陀様のお姿に母親の姿を強く感じる重ねることがある。


彼岸の反対は此岸(しがん)である。

此岸とは迷いの世界であり、彼岸は悟りの世界である。
仏様は彼岸の世界に居て、ただ傲然と迷える私たちを見下ろしておられるのではなく、常に私たち一人一人に心を砕き「早くこっちにおいで」といつも呼びか掛けてくださっている存在であると思う。

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読み返してドキっとしたことがある。

蜘蛛の糸が切れて地獄に真っ逆様に落ちていく主人公を見下ろすお釈迦様がとても冷たく感じたからである。それはこの作者がとても心の冷たい人間だったからではないか…という気がしたのである。

本当の仏様は決してあんなふうに蜘蛛の糸を垂らしはされはしないと思ったのである。
本当の仏様なら糸が切れたたらきっと涙して悲しんでくださるはずである。
「今度こそ、今度こそ、間違えずにここまで登ってくるんだよ!」と暖かく、励ましてくださる…私の中にある仏様とはそのような存在である。

阿弥陀様は彼岸の岸壁に立って今日も私たちに呼びかけて下さっているのかもしれない。

「迷いの世界を抜け出して一日も早くこっちに帰っておいで!」と。


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