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山寺のんびり日記

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2010-11-20 山寺の超常現象

本日は素晴らしい好天。

人出も絶えることがない。

団体が来られると引率して三重塔まで行って簡単な境内の説明や簡単な法話(雑談?)をするのが常である。

3時ころ頃神戸から来られたもみじ狩の一団を率いて三重塔に行こうとした。

すると…境内の空気が変わっていることに気がついた。三重塔の手前50メートルほど手前から境内が一望できるのだが、穏やかな日差しが本堂に続く石段にも、三重塔にも射している。何だろうかこの美しさは…。八木重吉の詩のようである。

その場で立ち止まって団体の方々にじっくりとその光景を観て頂いた。

皆さん言葉少なげに紅葉に午後の日差しが照り映えるのを観ておられた。

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ところがその15分後に別の団体が来られた。

この団体さんにも喜んで頂けるな…と思っていたのだが、塔のそばまで来ると、日差しはもう斜面の上のほうにしか当っていなくて、塔周辺は陰り始めていた。本当に僅かな時間の邂逅だったのだと思うと一層貴重な気がした。




多くの神社仏閣がアライグマの侵入や破損により大きな被害を受けている。

この山寺にもあちこちにアライグマの侵入している痕跡があり、その対策に頭を痛めている。

お金をかけず、手間をかけず、できればアライグマを殺さずに被害を防ぐ方法は無いものか…と考えている。

いろいろアドバイスを頂いている獣害対策の専門家の方から新しい獣害防止装置のモニターを依頼された。

こちらの金銭的負担は無いとのことなので即承諾した。現金なものである。

手始めに被害状況を確認するためにアライグマの侵入状況をカメラで撮影したいという。

専門のスタッフ3名が来寺してかなり本格的な夜間撮影のカメラを本堂の周辺に何台も設置。

撮影は2日間行われた。

第1日の夜間撮影をチェックされた技術者の方に成果をお尋ねすると残念ながらアライグマは撮影できなかったとのこと。

以前もカナダから撮影チームが舞鶴にやってきて、何カ寺かで夜間の撮影を試みて失敗した経緯がある。夜間に行動するアライグマを撮影するのは至難のようである。

この技術者の方によれば夜間に何回か光るものが映っているとこと。

夜の本堂に明かりを持ってくると言えば賽銭泥棒しかいない。あるいはもっと本格的な侵入に備えた下見か…

警戒しなければということで、昨日は本堂に通じるセンサーや警報機のレベルを上げて、万全の警戒。

一度境内に不審な車両が入ってきた。車から降りた2名の後をつけたのだがライトアップの期日を間違えてやってきた観光客と判明。

人騒がせな…

夜間撮影2日目が終わって技術者の方がカメラを撤収に来られた。

やはり2日目もアライグマは映っていなかったとのこと。

獣害対策の専門家によればアライグマは冬季になってから家屋に浸入して越冬する可能性もあるという。

この時期、アライグマはまだ家屋への侵入は行っていないのかもしれない。

ところが…

技術者の方が神妙な表情で

「ご住職、ちよっと見て頂きたいのですが」

と言ってノートパソコンに収めた夜間の映像を見せて下さった。

画面は4分割されていていろんな角度から撮影されているのが分かった。

暫くしてそのうちひとつの画面に光の球が現れた、ふらふらと漂いながら本堂の屋根の庇(ひさし)近くを漂っている。

球体でありながら形を変えて移動し消えていく。大きさははっきり分からないが子供の頭くらいか、それとも掌くらいか…

これって…

「人魂でしょうか?…」

技術者の方も興奮とも当惑ともとれる表情。

 

人魂か、それに類するものとしかいようがない…

第1日目に映っていた光るものの正体もこのことらしい

カメラはいろんな角度から本堂を撮影しているが人影は全くない。

山の中腹にある本堂に光源は無い。

最新の撮影機材を専門家が操作しているのである。

悪戯や錯覚とも考えにくい…

純粋に光学的な現象として説明できる可能性は否定できないが、2日連続

で映っていたものは一体何なのか…

秋も深まるなかちょっとゾクゾクするような楽しい体験だった。

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ManiniManini 2010/11/20 23:13 超常現象は霊の世界の証明であり、やがて行くべき世界がある安堵感だと思います 南無

burogubouburogubou 2010/11/21 22:48 Manini様いつもコメントありがとうございます!
超常の現象が常なるものであることがいつか証明されるのでしょうか…
多分、人間にはその根底にこの世を超えたものへの欲求があると思うのですが、欲や知性の低さによって誤った方向に行ってしまいがちです。残念なことですね。

ManiniManini 2010/11/22 02:00 はやぶさがイトカワから戻ってこられたこと、三鈷が高野の松にとどいていたことなどなど何の証明が必要でしょうか? われわれはそこから来てそこへ帰る。また現在も肉体を借りていながらもそれ自身である。自力、他力の区別無くそれはそうであるしかないと思います。一応理科系なので応用物理も学びましたが、分子、原子より小さな部分では確率論になりそのバックボーンには霊的世界が存在すると前提としていたとしか思えず、それらを扱う偉人はすべてその存在を充分に意識していたと思います。

ManiniManini 2010/11/22 07:51 夜中に目が覚めて書き込みしたのであたまがぼんやりして書いておりましたが アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と言ったのは有名ですね。 難い話は終わりにしてこんなのもどうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=vCF3U-rqwlI

ManiniManini 2010/11/27 10:48 原子核のまわりを電子が飛んでいるのは高校のときに「太陽のまわりを惑星がまわっているのとおなじ」と教えられるのでゆっくりとまわってるイメージがありますが、本当はとてつもなく早くぐちゃぐちゃにまわっています。そのぐちゃぐちゃゆえに確率論がもちだされるわけです。つぎにその速度の速さとぐちゃぐちゃゆえにまるで原子が粒のように見えるわけです。 たとえば机の上に置いたケータイがバイブで震えていると、止まっているときより大きく見えるような感じで、その振動よりもっともっと速いのでまるでソリッドのように見えるのです。しかしその瞬間を見てきると原子核と電子しかない よってその粒は雲か霞か霧か? ということで色即是空が正しいという証明のおしまいです。

maninimanini 2010/11/27 10:59 色即是空が正しいならば 色には実体が無いのだから日常と超常の区別も無く超常を証明する必要も無い。 しかし、羯諦羯諦(あきらめるなーーーー)なのです? こっからさきはブログ坊様に証明していただくしかないです。

ishidaishida 2010/11/27 21:55 ぶろぐ坊さま、日光というのは雲の状況などで意外とうつろいやすいものです。わたしも写真何度撮りそびれた事か。待ってると同じ光が来る事があるので待つ事も有ります。

maniniさまのコメントについて書いてしまいますが、私は物理がチンプンカンプンですが、物理をやっていた友人が、「物理は哲学のようなもの」と言っていたのを思い出しました。

一休さんの歌、ありがとうございます。わたしはこういうアプローチもありかと思います。

burogubouburogubou 2010/11/28 00:26 Manini様いつもコメントありがとうございます!
量子力学の世界は摩訶不思議というか、ある種宗教的な感覚すら受けます。
原子の航跡をたどった写真が魂か何かのように見えて感動したことがあります。
神や魂が科学的に証明されない云々という方にとって科学とはニューートン力学までという気がします。
信仰と科学は別のものであり、もしかしたら科学が宗教を追いかけているのかもしれませんね。

burogubouburogubou 2010/11/28 00:29 ishida様いつもコメントありがとうございます!
宗教、哲学、科学は不離の関係ではないかという気がします。
ただ最近はこれらがばらばらになり、お互いを批判する関係ですらることが少々問題なのではないかという気がします。

maninimanini 2010/11/28 02:32 くどくなるのをお許しいただいて。
ニュートンは敬虔なクリスチャンであったこと。アインシュタインはニュートンを尊敬していたこと。e=mc**2はE=1/2mv**2から微分積分で導かれること。などなど
正法眼蔵の「人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば。。」は相対性理論のことそのもので、その感覚をもとにそれぞれ違った論理展開するものの結果として真理を導き出したという共通の結果になります。森毅先生は「質と霊がかけ離れていると思うのは近代的偏見」とおしゃっておられます。 宇宙にロケットを飛ばすのも日常の強度計算もニュートン力学とユークリッド幾何学でなんら問題がありません。それらすべては相反することなく宇宙の法のもと正しく動いておると思います。

burogubouburogubou 2010/11/29 00:47 Manini様いつもコメントありがとうございます!
ニュートンもアインシュタインも非常に信仰心が篤かったようですね。

老荘思想や中国の陰陽五行などには現代の宇宙観に通じるものがあり、湯川秀樹氏らもこうした東洋思想の影響を大きく受けていたようです。

宗教も科学も本来は融合的、、共存的であったのかもしれません。
ただ日本では特異な科学絶対主義や宗教否定思想のようなものが大きな地歩を占めていて、そうした政治的な力によって宗教と科学の共存が妨げられているように感じます。

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