2011-01-04 御本尊はビートたけし
数日ぶりに山寺に帰ってきました。
雪はまだ少し残っていますが、大晦日から元旦にかけての雪の被害が生々しい…
もみじの木も…
梅の木も…
その他の雑木も…
一番の被害は本堂の横にある弁天堂。
大銀杏の7、8メートルはある枝が折れて屋根に当たり、瓦が破損していた。
もっとも屋根を突き破らなかっただけ良かった気もする。
天気が回復したら復旧作業にかかる予定。やれやれ…
お正月は中身の薄いテレビ番組が多い。
もっと芸術性の高いもの、宗教性の香り高いものを放映して清々しいお正月にしてほしいものである。
あまりに俗悪な番組が多い。
昨日は妻の実家に泊めて頂いたのだが、夜にビートたけし氏が仏教をテーマにした番組をやっていた。
子供を寝かせる時間まで1時間ほど見たが、いろいろと勉強になった。
ベースはバラエティなのでつまらないお笑いもあったが、仏教をテーマにするだけ良しとすべきかもしれない。
ただセットの中央にビートたけし氏をモデルにしたとしか考えられない仏像(らしきもの)が作ってあって少し気になった。
ある意味ビートたけし氏はテレビ界のご本尊の一人といえなくもないが。
出演者の柳原某女子のコメントも仏様に向かってタメ口みたいなのもあっていかがなものかと。
イスラム圏で同様のことをやったら間違いなく暴動ものである(笑)
日本は宗教に寛容な国なのである。いいんだかわるいんだか…
番組の後半は見ていないがビートたけし氏が高野山に行く映像が流れたようである。
奥の院というのは今でも弘法大師が入定されている聖地である。
普段は撮影禁止であるが、番組の前半でこの奥の院を撮影したと告知されていた。
真面目な参拝者には撮影禁止を謳っているのに、バラエティ番組には撮影を許しているとしたら少々問題であるように思うが、いかがだろうか。ビートたけし氏は才人であり尊敬に値する人物だと思うが少々ひっかかる点が幾つかあった。
仏教の言葉も諸説あるもが多くて、番組ではいちいち取り上げていられないというのも理解できるが、かなり端折った説明がされていた。
例えば如来以外の菩薩、明王、天部の仏は「悟りを開いていない」と解説されていたが、ここらへんはもう少し説明が必要な気がする。これでは観音菩薩様も悟りを開いていないことになるからである。
仏教の雑学的な部分は初めて聞いた話も多かっし、面白かった。
建てつけが悪くて「ガタピシ」するというのも仏教用語とか。
「ガタピシ」はオノマトペではなくて「我他彼此」なのだという。
我と他、彼(彼岸)と此(此岸)の対立からきている…とか。
「ウロウロ」するという言葉も「有漏有漏」からきているという。
有漏とは煩悩のある状態なのだという。
…なかなか面白い。
楽しく、分かりやすく、仏教を説いた番組がもっとあっていいと思うのだが、面白さと真面目さの両立というのはなかなか難しい。
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入定の目的が柳原某女子を含む一切衆生救済のためとわかれば感謝の念もわくのかも。。。
撮影については事前了解があってのTV撮影なのでしかたがないのかもしれませんが、「撮影禁止」とあちこちに書いてある奥の院で 素人のカメラマンがお食事をお運びする僧侶様から厳しく注意されてもくいさがってまで撮影を続ける行為をよく見かけるのですが、「みんなの想いを踏みにじってまでおこなうその行為の目的は何なの???個人的な満足??のみ??」と、かなりイライラさせられます。 こっちは心をしずめる目的でのお参りなんですけど。。
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
私はその番組を最後まで見ました。私たちのような一般人で、だけど仏さまを心の支えにしている者にとってはなかなかありがたいお話や、高野山の奥の院の光景などは絶対見ることがなかっただけに大変嬉しく思いました。ですが『え?入っていいの?』とは確かに思いました。
副住職の日記を読んで、仏さまの曼陀羅の解説や、位の説明なども『どこかの教授』ではなく、最初から最後まで高野山の住職にお願いされたら良かったのにと思いました。
悟りを開いていないわけではないのですね。
また個人的に教えてもらいたいです!☆
不動明王様はなぜ怒っているのか。大日如来様の化身である。などなど、『へぇ〜』と感心するばかりでますます興味深くなったきっかけにはなりました☆
カメラを持つと珍しいものを記録したいとか、いい写真を撮りたいという気持ちが先行をしてしまう人はいますね。
その結果、周りが目に入らないというのは困ったことです。
「犀の角…」というのは素晴らしい言葉ですね。
現代の日本では宗教に制約はありませんし、膨大な資料を目にすることもできます。独学も素晴らしいかと思います。
手塚「ブッダ」が映画化…主人公はやっぱりキムタクでしょうか(笑)?
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
私はかの番組を全部見られませんでしたが、仏教がテーマといのは十分殊勝なことで、立派なもんだと思います。
仏教の知識というのは膨大で、住職の実務をこなしながら、膨大な
知識をマスターするというのはなかなか難しいです。やはり学者さんの頼らざるを得ないのっでしょう。
疑問質問はこれからもお気軽にどうぞ!
私見ですが、お大師様はその御体から離れてしまい如来になってしまうことを避けて(菩薩にとどまって)現世の救済を続けていらっしゃるのだと思っています。 そんなことを考えながら通勤電車の中で涙が出そうになってました。(かなりの老化現象。。。。)
もうひとつ、菩薩はじめ、明王、天人は宇宙の真理(如来)の一側面であって個ではないということ ピラミッド形式で表すので上下関係があるようにとらえてしまうけれども曼荼羅を分子式と考えると 水素(H)は水(H2O)ですか?といわれても ちがうといわれれば違うし、水は水素抜きでは成り立たないし とか そんな感じで捉えております。
間違っておりませんか?
それから もうひとつ 今朝 浄土真宗のWiKiを発見しました!!
http://labo.wikidharma.org/
http://www.wikidharma.org/
余計なことを書いてしまいましたね(笑)…
修行の階梯としては菩薩は如来=悟りの手前ですが、悟りというのが段階的なもので初期の悟りは菩薩でも開かれているのではないかと思います。
また明王は大日如来の化身といわれるように、本尊としてまつられている観音様などは如来の衆生を救うという心の現れ(方便)と私は思っています。
厳密に悟りを開いていないとすると転生することになります。観音様がどんどん転性されるとは考えにくです。
ただ天部の仏様はインド系の方々で厳密なところはよくわかりません。
おっしゃることはよくわかります。肉体を持った私たちにとって「個」であることは絶対ですが、神仏にとって個であることは必ずしも絶対ではありません。もちろん人間側の誤解もあると思いますが。
ネットには本当にいろんな情報がありますね。そのうちネットの守護する仏様が現れるかもしれませんね(笑)
一応、ブックマークしておきましたが。。