壇蜜の続き お釈迦様の4つの<苦>とは

 


さて壇蜜の続きですが(笑)、もう少し調べたらこんな記事がみつかりました。



【関連記事】http://www.news-postseven.com/archives/20121126_155551.html

○ やはり葬儀会社に勤めていたことがある
○ 「壇」は机で「蜜」はお供えもの。


そして…

自分自身が『お供え物』…


「蜜」という字から般若心経を連想したのですが、全然違う結論になりました。


恐るべし壇蜜


でもこのタレントさんは多分、かなり知的な面をもっておられるのではないかという印象を受けました。本当のところはどうなんでしょうか…



池上彰と考える、仏教って何ですか?

池上彰と考える、仏教って何ですか?


先日、池上彰さんの仏教論を読んで実に明快に仏教の論点を整理されていることに感心した。


ただ、当り前のことだが…


池上さんの本がどんなに優れていても、仏教に関心の無い方はこの本を手に取ることはないのである。


一方、自分の親しい人の死を通じて深い悲しみを経験される方は多い。


仏教に触れることが死という苦しみから抜け出る力にならないだろうか…と考えることがある。


そう考えておられる御住職は多分、多いと思う。


お寺や仏教の存在や活動が人生を逞しく生き抜くことと深い悲しみや苦しみを癒す力にならないだろうか…





お釈迦様の基本的な人生観は人間(人生)には「苦」が存在するというものである。



但し、仏教用語としての「苦」は日本語の<苦しみ>ではなく<思い通りにならない>といった意味である。(←ここはすごく大切なポイント)



お釈迦様が「人生皆苦」を説かれてことを<人生は全て苦しみである>と解釈してしまう方が多いのだが、これは間違いということになる。



「人生とは思いどおりにいかないものである」


と捉えるのが正しいわけである。


これは多分、大勢の方に納得して頂けるのではないだろうか。



お釈迦様の説く人生における<苦>の基本は4つである。


生老病死」という4つの苦をお釈迦様は人生最大の<苦>であると説かれた。


昨日、ぼんやりと考えていたのだが


生→老→病→苦


の順序を逆にしたら分かりやすいのではないかと思ったのである。


つまり

死→病→老→生


である。


というのは、まずいきなり「生」きることが<苦>であると示されても戸惑う人が大半なのではないだろうか。


「人生が<苦>だって?人生にはいろんな愉しいことが在る筈じゃないか」という反論もおきるにちがいない。



では順序を逆にするとどうなるか。


自分や親しい存在の死が人生最大の<苦>であることは誰もが認めるところであろう。


そして死の直接の原因となるのは多くの場合<病>である。


そして<病>の直接間接の原因は<老>である。
年をとれば必ず病に悩まされ、やがて重篤な病から死へと至る。


そして人生にどんなに楽しいことがあるにせよ、時間は一刻も留まることなく流れている。


生き続けるということはその先にある<老><病><死>に向かうことに他ならない…



そう考えるとお釈迦様の説かれた4つの<苦>というものが少しすっきりと理解できるのではないだろうか。



やはり人生最大の<苦>は死である。



死は誰にも訪れる。


だがその死をただ<苦>=思い通りにならないことと捉えても悲しみはなくならないかもしれない。


私達は死をどうとらえるべきか…


池上さんの本にダライ・ラマ法王が死について語っておられる部分があるのだが、長くなるそうなので明日に続くとさせて下さいませ。



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