鹿原公園の紅葉 「人は死なない」VS立花隆

 














境内のむかいにある鹿原公園の紅葉が早くも盛りになりつつある。





夕方、人気の無くなった公園を散策するのは気持ちいい。




やはりオススメは奥の堰堤の上からの景色だろうか。






人は死なない?ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索?

人は死なない?ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索?



「文藝春秋」(2014年10月号)の立花隆さんのコラムを読んでいたら矢作直樹さんの「人は死なない」をかなりケチョンケチョンに書いてあった。




「人は死なない」の結論は寿命が来れば肉体は朽ちるという意味では人は死ぬが霊魂が行き続けるという意味では人は死なないという「昔ながらの心身二元論」でしかない…とバッサリ






私の年代だと



「僕はしにましぇ〜〜ん」



というのがありましたが…



閑話休題



確かに「昔ながらの心身二元論」ではあるがそれを現代医学の現場にいる医師が認めたというのは改めて評価していいのではないだろうかと私は思うのだが…



文章は稚拙かもしれないが、矢作氏は実感として「死後の世界」はある…と感じられたのではないだろうかと弁護したくなる。




矢作氏は東大医学部付属病院の救急部・集中治療部長だが死後の世界の存在を確信して「人は死なない」「おかげさまで生きる」などの著作を上梓されている。




「本の中身は羊頭狗肉もいいところだ。」「総じて文章は低レベル」「世の中にこれほど中身がスカスカの本があるのかと唖然とするほどの内容がない」などなど立花氏はかなり怒っておられる(笑)





しばらく前に立花隆氏の関わられたNHKスペシャル「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」を見たが、どうやら立花氏は私達が一般に言うところの「死後の世界」は認めておられないようだ。





臨死体験という不思議な現象は確かに存在するし、それを真剣に科学的に研究している学者もいることを認めたうえで「しかし、それはいかなる意味でも死後の世界と結びつくものではないし、怪しげなオカルト理論と結びつくものではなかった」とキッパリ断言される。




立花隆氏にとって臨死体験は脳と意識の探求のための切り口でしかなく、「死後の世界」の入り口には決してならないのである。




密林のレビューを読むと、出版社が売らんかなの粗製濫造的な本作りをしたことにも多いに原因はあるらしい(悪名高い○冬社だし)




「死後の世界」というとかなり手垢のついたイメージが付きまとうので単純に「死後の世界はある」とは言いがたいが、それでもやはり人間は死んでそれで終るわけではないと実感している。





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