紅葉も褐葉も仏様

   




本日は寒風強く体感温度がかなり低い。



午後から兼務寺院にて京都府により2回目の文化財調査が行われたので同行。






車で走りながら山々を見ていると黄土色や濃い、枯れたようなオレンジ色に変化した葉の色が眼を引く。その割合は例年より多い印象を受ける。





「紅葉」というのは落葉に先立って木々の葉が色づくことを指す場合があるが、狭い意味では葉が赤くなることを言う。




赤くなる(狭い意味での)「紅葉」、黄色くなる「黄葉」に対して褐色になることや褐色になるのが早いことを指して「褐葉」(かつよう)という言葉もある…と「紅葉ハンドブック」という本に書かれてあった。


今年は全体に褐葉のイメージが強い。



紅葉ハンドブック

紅葉ハンドブック



「山色清浄身」とは蘇東坡の「贈東林総長老」の一節に由来する。禅宗ではしばしば用いられる言葉である。



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谷川に流れる水のせせらぎも山の緑も紅葉も全てが仏様の説法の声である…



この言葉から沸き起こる美しいイメージに感服してしまう。



今年は全国的に紅葉が不振だったが、人々が美しいと愛でる紅葉にも目立たぬ褐葉にも仏様の説法が宿っているに違いない。



道元禅師の有名な道歌に



峯の色 谷のひびきもみなながら わが釈迦牟尼の 声と姿と



というのがあるが、この歌は蘇東坡の先の一節に影響を受けたものなのだろうか。そんな気がしてならない。




禅宗が面白いのはこの美しい世界に留まらず、仏とは何ぞやと問われて「糞掻きベラ」と言い得たところである。



美しいもののなかだけに仏を見るのではなく、世間一般が汚いと蔑んでしまうものにも仏を見ることを良しとするのである。



そういえば…最近、駐車場にやたらとゴミが捨ててある。



閉口するのは、使用済みのティッシュ、コンドームの袋、破れたストッキング…といった類で、車で事に及んで「不用品」を捨てていくらしい。



こういうゴミにどうやって仏を探そうか…と思案してみることにした。





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