イタチごっこ 青年からの手紙

昨日の午前中、老僧が…


「アライグマを捕まえたので引き取りにきてほしい」


と農林課に電話しているのが聞えた。



若干得意気である…




見に行ったら…







どうみてもイタチである


アライグマは伽藍にとって非常に害を及ぼすが



イタチはどうなのだろうか?



庫裏の屋根裏にイタチが入って糞尿で汚損したといった被害は聞いたことがあるが



被害はアライグマほどではないのではないか?



つい数日前に関西野生生物研究所からの依頼で野生動物の慰霊祭をおこなったばかりである。




慰霊をしているから殺していいというのは人間の勝手な理屈である。





捕まえたイタチは60センチくらい。
どこか幼げで人間なら思春期くらいだろうか。



もっともイタチは獰猛といっていい動物である



近寄ると見事な素早さで攻撃をしかけてくる。





だが



じっと見ていると暗褐色の顔の中に黒目がクリクリしてまことに可愛いのである。



いろいろ逡巡の末に



逃がしてやることにした



檻を空けるとイタチは一目散に走って逃げていった。



「あっ!逃げた!」


と老僧の悔しそうな声が聞えた。


後から老僧にだいぶブーイング&お叱りを頂いた。



今度捕まえたら遠くの山に逃がしてやろうかと考えるが




イタチは「最後っ屁」といって猛烈な悪臭の液体を敵に浴びせるという




うっかり車にのせて最終兵器でも使われたら眼もあてられない。




自然との共存というのはなかなか難しいのである。








昨日は若い友人が訪ねてきてくれた。



檀家さんのお孫さんにあたる20代の青年である。



起業するという志をもっておられて



キーワードは<自然><里山><農業><癒し>




気がつくと何時間も話し込んでいた。





起業というとITとかゲームなどに偏っている気がするし、最近のビジネスモデルは自分が利益を得ることが至上課題である。



世界全体でも終わりのない富の追求が行われているように感じる



世界の上位62人の保有している財産と下位にいる30億人の財産は等しいとも言われている。







利益の追求以外にも文化や精神的価値の追求といったものが拮抗すればバランスがとれるように思うが、日本ではそれらは益々希薄になり、利益の追求だけががどんどん先鋭になっている気がする。




仏教もその波に飲み込まれようとしている観がある




自然界では(結果的にしろ)お互いに与え合う(生かし合う)という関係性が構築されていることがすくなくない。



それゆえに自然界は循環し、持続していくが、



人間界においてはお互いに奪い合い、1人勝ちを目指すシステムの独走によって早晩破綻を迎えるのではないかという意がする。




では人間自身が<お互いに与え合う>とか<持続的で循環的>なシステムをどのように構築していけばよいのだろうか




若い友人との会話に刺激されてそんなことを考えていた。




別れ際に手紙を頂いた。



いつの間に書いたのか小さな紙片に感謝のメッセージが綴られていた。



私と一緒に旅をしたいと書かれてあった。



旅とはこれから一緒に人生を歩みたいという意味なのだろう。



新緑の風のように爽やかな手紙に心が洗われるような心地がした。




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