能ある鷹 団扇の風

  





朝方、鏡を観たら眼の下にくまモンならぬクマが…



お盆の疲れがはっきり顔に出ていて苦笑。







お盆の前半は棚経で後半は5つの施餓鬼法要に出仕する。







雨の前だからか本日は朝から蒸し暑かった。



朝は9時から兼務寺院の施餓鬼法要があり準備するだけで大汗をかく。



11時半からは西国札所松尾寺の施餓鬼法要に出仕。



輪をかけて蒸し暑い…



松尾寺の御住職はチベット仏教に造詣が深く興味深い法話をされていたので大いに勉強になった。




松尾寺の施餓鬼法要中に僅かに雨が振ったらしく、その雨がより一層暑さを増す…




松尾寺を退出して最後に山寺の施餓鬼法要へ。



施餓鬼の準備すら十分でなく、山寺に帰ってから椅子を並べたり、お供物を供えたりと走り回る。毎年のジタバタである。毎年同じようにジタバタしている。多分、学習能力が無いのだろう。









施餓鬼法要に来られた方に妻が冷茶を接待。



法要に参加された女性から



「お茶が美味しゅう御座いました」



とお褒めの言葉を頂いたが



台所に「綾鷹」のペットボトルが置いてあった…


最近のペット飲料のお茶は美味しいのである。








午後3時40分にお盆の法務が終了。



それと前後して待望の雨が降り始めた。およそ3週間ぶりの本格的な雨である。












棚経が終ったのは一昨日だが、随分前のように思いだす。



棚経で読経中にスマホで撮影する音が聞えたので、帰ってからその檀家さんのSNSをチェックしたら私の後姿がしっかりアップさあれていた。




SNSのネタにされる住職って…



初めて棚経に回ったのは小学生の時だが、考えてみるとそれから40年以上が経っていることに気がついた。



年配の檀家さんに招き入れられ、温かく、親切にもてなして頂いた。





その時の優しさ、穏やかさを忘れずにいる。




子供の頃は仏教についても、お寺についても何も知らなかった。





棚経に出かけて読経するのがお寺の勤めだが、その時の穏やかな、温かなもてなしによって自分は仏教やお寺というものを肌で感じ、そして教えられていたのだと今にして思う。






子供の頃は夏といっても30度くらいしか気温があがらなかったが、それでも暑い最中の棚行で私の後ろから団扇であおいでくださるお宅が少なからずあった。





私をもてなしてくださった方の御名前も御顔も今となっては定かではないが、40年の歳月の流れのなかで少なからぬ方が鬼籍に入られているにちがいない。




そう気づくとなんともいえない寂しさや哀しさを感じる。



生老病死という人生の定めの中で僅かな時間触れ合った人々が今はなく、自分もいつかこの世を去らねばならない。




それは全く当たり前のことだが、そこに有情の悲しみのようなものがあり、いつかその悲しみを大切にしながらも、仏教というものの力を借りて正しい形で乗り越えたいと思う。



哀しさの奥に、或いはその先にとても大切なものがあるのだと。 




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