ほっこり 訃報 モゾモゾ 武術の“根理”
本日は、友人が市内で雑貨のお店をやっておられるので覗きにいって少しお話してほっこりさせて頂いた。
既製品だけでなく、地元の方の作られた雑貨や小物が沢山置かれていた。
こうしたお店が単に物を売るというだけでなく、人々の交流の場になったり、いろいろな作品の作り手方の創造性を刺激する場になれば素晴らしいと思う。
【あれもこれもほしくなる雑貨屋さん ほっこりto雑貨 nanaironoki】
http://ameblo.jp/nanaironoki15115/entry-12206193694.html
車のことは全く無知なのだが地元で時々気になる車で出会う。
一台は萌えキャラみやたいな女子がドカッと全面に書かれている車。
もう一台はワゴン車。紫とエンジの中間のような車色で車体に突起部分が出ていて
イメージ的には“紫のドラゴン”。
地元にも面白い趣味の方がおられるとちょっと気になっている。
最近、やたらとディノスのカタログが届くが、お寺に必要なものが見当たらない。
MONOQLO誌などでもIKEAの家具・雑貨を見ていいな…と思うのだが。
和風の庫裏にはミスマッチとしかいいようない。
お寺でも畳に正座ではなく、椅子に座ることが主流になりつつある。
日常生活で椅子に座ることが当たり前になり、今後さらに高齢化も進めば椅子の利用は増える一方だろう。
若い人など正座が出来ない人が多いらしい。
先日も若い施主さんが正座して5秒もしないうちに
「痛い」
といい始めたのでおかしかった。
中にはニコニコして…
「正座ってできないんですよね」
みたいに言われる若い方もあってこれはこれで眼が点になる。
法事のときは足を崩してください…と念を押すのだが、檀家さんは真面目なのか正座される方が多い。
座る位置によって読経中に檀家さんの姿が眼にはいることがあるが、しばらくするとモゾ…モゾ…と動かれる方がある。
読経しながら思わず「無理しないで!」と心のなかでつぶやく住職…
あまりモゾモゾされとお経に集中できなくなりそうで怖い。
無理に正座して足が痛いとか痺れたといったところに気持ちがいってしまってはもったいない。
穏やかな気持ちでお経に耳を傾け、故人に思いを向けてもらえばと思うだが。
「魔笛」の序曲が好きで時々繰り返して聴いている。
不思議なワクワク感がたまらない。
新聞の訃報欄に英国の世界的指揮者であるネビル・マリナー氏が2日の夜死去されたという記事を見つけた。モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」を担当されたことが記憶に残っている。
- 作者: 中野由哲
- 出版社/メーカー: BABジャパン
- 発売日: 2016/06/02
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
古伝体術心水会の代表である 中野由哲氏の「武術の“根理”」(BABジャパン)を読む。
剣術、空手、中国武術の共通する法則性があるのではないか?というのがテーマで、中野氏の指摘しているのは
○ 胸をゆるめる
○ 股関節に体重を乗せる
○ 肘の抜く
この3つがキモの部分なのだがこれらのポイントは別個ではなく、連動しているようなのである。
長年、テーマにしているのが中国武術の立禅というトレーニング。
かれこれ20年近く前から考えている。
20年考えているといっても物凄く熱心に探求しているわけではなく、思い出したように考えていることではあるのだが。
立禅は腰を落とし、腕を前に伸ばして立つという一見簡単なトレーニングなのだが
武術的な能力の向上だけでなく、心身を強化する保健的な効能があるとされる。
なぜ一見簡易に見える鍛錬法が心身を向上させるのかということを長年考えているのだが
立禅においても中野氏の指摘する3つのポイントは全て当てはまっていることに気がついた。
武術の“根理”(根本のエッセンス、法則性)は単なる武術のパフォーマンスを向上させるだけでなくおよそ人間の動くという動作全てを改善させる可能性があるという指摘な気宇壮大にして興味深い。
<強くなる>というのはいろいろなものを加え、積み重ねられた結果ではなく、
余分なもの、不要なものを取り去った結果生まれるのではないか…
仏教においても
精神の高い境涯というのは外からいろいろなものが加えられるのではなく、
取り除かれるというプロセスの結果として導かれるのではないか
『すでにそこにある』
『そのことに気づく』
そもそも立禅というただ立ち続けるという行為は
座禅において座り続けるという行為と類似性がある。
武道と仏道がどこかでクロスオーバーしているのか…興味は尽きない。
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)
.