2010-09-28
旬の季節
もう何度も書いているが、千葉県の高校野球は、強い学校が毎年移り変わる、群雄割拠の戦国時代となって久しい。昨年優勝したと思えば、その次の世代のチームはもう普通のチームになっているなんて事は日常茶飯事である。かつては甲子園に行った事も有る市立銚子や市立銚子西の少子化による統合劇などは、夏の優勝校同士の統合にも関わらず1+1が1以下になってしまったし、蒲原監督が率いて隆盛を極めた印旛(現・印旛明誠)は今では部員すら集まらず極めて苦しい状況が続いている。
県立高校の場合はいい監督が来てくれても指導期間のリミットが決まっており、その中で結果を出さなければならない。或いはその時の学校に対する生徒の人気が大いに左右する、いわば「旬」が存在する。近年、女子校であった学校が活躍するのは間違いなく生徒の学校に対する人気(共学になって男子生徒が通いやすい学校となり、多くの選手が集まる)によるものだ。長生地域であれば茂原高校がまさにその例である。またいい監督が来た例ならば、現在ベスト8に残っている成田国際がそうだろう。
対して私立高校はいい監督なら長く指導でき、比較的安定した戦力を維持できるが、それでもその監督自身の旬の時期というものがある。拓大紅陵の小枝監督ならば80年代から90年代前半('92選手権準優勝)が彼にとっての旬であったと思う。逆に今が旬と言えるのはギリギリのところではあるが木更津総合の五島監督、千葉経大附の松本監督、東海大望洋の相川監督あたりと言ったところだろう―。
長い前置きだったが、一宮商業の場合はどうだろうか。
一宮商業は、商業高校全盛の昭和40年代に最初の黄金期を迎えた。これも何度も書いているが昭和44・45年の夏連続ベスト4は未だ破られていない。その時は長谷川馨という良い指導者にも恵まれた。これが旬だったと言って間違いない。
その後、昭和50年代に入り徐々に陰り始める。これは世の中の中学生の「普通科高校を出て大学に進学する」意識が高くなったことが大きな原因だと思われる。また、銚子商業の様にその中でも良い成績を収め続ける様な、野球の名門校たる伝統を築く事が出来ず、次の世代へ繋げて行けなかったことも悲劇を生む要因であったと推測する。以降一宮商業は数年に1度、ゲリラ的にベスト16に食い込む事こそあれど、下手をすれば全くの下位校にすら足元をすくわれる暗黒時代が続いた。
ところで、私はこれまでずっと「旬」と言う言葉を使用している。それは何故かと言えば、「旬」は「ピーク」とは違い、いつかまたやって来るものだからだ。
そして、2000年代、再び一宮商業に旬の季節は訪れた―。
2002年、春の県大会で古豪・千葉敬愛に0−1と善戦。なお、この時の千葉敬愛は準優勝し関東大会にも出場している。その夏には3年前の優勝校・柏陵に延長11回の大接戦(結果は5−6)と古豪復活への胎動を見せると、その秋の新チームはいきなり県大会で東金(11−3)・西武台千葉(7−6)・成東(延10、2−1)を破りベスト8進出。準々決勝戦の拓大紅陵との試合も0−2と僅差だった。
以後、'03春・秋ベスト32、'04春ベスト16・夏ベスト32、'05夏3回戦で1−4と準優勝の紅陵に接戦、'06秋ベスト32、'07夏ベスト32、'08秋ベスト32、'09春ベスト16、'09秋ベスト32、そして'10秋ベスト16と、今まさに一宮商業は新しい歴史を作ろうとしている。前任石川監督からバトンを受けた我らが監督・向後孝憲、彼の野球指導人生の旬はまさにこれからだ。旬の食い物と言えば脂が乗り切ってイキの良い入梅イワシの様な、今のcoolな選手達を率いて、来年の夏こそ厚い雲を打ち破って甲子園へ行って欲しい!
入梅イワシは「タタキ」に限る。厳しい指導で連中を「タタキ=なめろう」の様に美味しく仕上げてくれ!イワシは時を誤ったらすぐ弱るぞ…。銚子商業に食われずに、逆に一宮伝統の地曳網で捕らえて喰ってやれ!