2012-05-22 布石を考える
正直 あまり好きではないが日本経済新聞で掲載している池上彰氏の必修教養講座
中国の世界地図が北方領土に塗った色 現代世界の歩き方(会員限定)
は必見である
これは北方領土についての地図から見る考察の事実を提示している、ここは
さすがジャーナリストと評価したいところです。
池上氏の記述について私的な見解を備忘しておきます。
池上氏のコラムはかなり広範囲な広がりを見せているので、北方領土に限って考察してみます。
中国の地図 北方領土は日本
ロシアの地図当然 北方領土はロシア
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まずは池上氏の論じている事実
・中国の地図は北方領土を日本の領土としている
・中国は中ソ国境紛争で核戦争を想定
・中ソ共に包囲網を構築
・中国はインドと対立
・中国はパキスタンと国交
と書かれている
1971年にキッシンジャーと北ベトナム政府と秘密和平交渉を行い
つまり中国はソ連との敵対関係の中そして対米関係の狭間で、地政学的に
北方領土を日本の領土として認める必要があったのである
当に三すくみの均衡の上に北方領土問題が存在している。
しかし領土返還の当事者はただただこの中米ソの濁流の中で北方領土問題を握らなければならない。そしてロシアとの領土返還交渉を継続していかなければならないジレンマの中にある。
ここにきて G8の動き等をみているとこの北方領土の均衡が崩れ始めている。
つまり日本はこの中国 米国 ロシアの関係の難しさの中 どのように日本の領土の有効性を主張していくことができるか、極めて難しい判断を攻められている。
ただこのバランスを政治家をきちんと理解しているのかといえば、答えはNOである
また多くの国民もそうであるように、極めて慎重に考えていかなければならない。
その中で 尖閣諸島の問題をどう取り扱うのか考えていかなければならないと考えています
坂入 譲
2012-05-20 八幡様の日曜御庭番
本日の稽古は木漏れ日あびる中の蒸し暑い稽古であった
いや蚊の大群が最大の的でした 袴の下の太腿何箇所もさされて痒いです
さて稽古前の日課、境内の掃除
これが一番好きです。 境内を掃除していると思わぬ事を教えてくれます
今日感じた事、 七十二候では竹笋生 陽気盛万物稍満足すという時候では
新緑の力を感じる季節ですが、それだけではないのです。
境内の階段を掃除していると、桜の実 梅の実が落ちているんですね
命の種が落ちてまたその命をつなぐ季節なんだなと感じました。
万物の息吹を改めて感じました。
しかし、今日稽古は蚊にも苦しめられたが膝がガクガクです 「柄先応」という型稽古デビュー 内足と膝がガクガクです でも 型が綺麗にできた時は本当にうれしね 兄弟子たちにも褒められ やる気上昇 ヤバイのは身につけなければならなトレーニングを調子こいて自稽古でやりすぎて次の稽古と日々の仕事に支障をきたす悪循環パターン!!
2012-05-07 つぶやき
2012-04-23 SCORE ―時は流れて―
【スコア】
作曲家によって設計され 指揮者によって解釈され 演奏者によってその藝術を再現するために最も重要な設計図
音楽というものは演奏者と聴く人たちの空間に作曲者の精神、意図を音楽という空間構造を留める事のできない時間軸の中で一回限りに二度と再現できない空間構造を振動として伝えるものである。
スコアというものは作曲家が楽譜に書き込んだ 個々のパートの音列を作曲者の意図を論理的、構造的に構築して記述した設計図なのである。
しかし、感覚的で感情的な表現をすべて楽譜というもに表現することはできない。また優れた演奏者がどれだけ研究しても完全に作曲者の
意図、作曲が想像した響きは完全には再現することはできない。しかし、少なくとも構造は理解できる
建築物やアプリケーションは言語や記号を駆使し、仕様にあった材料と示された精度を忠実に再現すればいわゆる 設計者のコピーは再現できるのである。つまり 設計思想と成果物の関係は1:1の関係として対象となる事が想定される。
だが音楽はそうはならない 同じスコアを共有しながらも その解釈、演奏技術により 作曲者の意図するものとは違うものになりうる可能性があります。そして、想定と違う表現となっても聞き手はある程度の許容と新鮮な出会いを味わうわけである、そうでない異質なものにもなりうる恣意的なもの 技術的な問題 解釈の問題で大きく変化するわけである。
つまり 構造は共有しつつも、その形、色合いは大きく異なってしまうとても脆弱な構造体が音楽という藝術なのです。
しかし、最近私が思う事はオーケストラの都合なのか スキルの問題なのかは知らないが、設計図として、仕様書としてのスコアが
あまりにも無様なスコアやパート譜を配布して演奏する団体が存在しています。
楽器の並び 和音の過ち、音符の長さの間違い、アーティキュレーションの表記の過ち 惨憺たる譜面と総譜を、さー演奏してくださいと平然と渡される。
そして、その楽譜で合奏をして、「OK」素晴らしいと自画自賛する空間が存在する
私は音楽にとってこれ程の冒涜はないと思いました。
総譜や楽譜の構造や記法が誤っていては、それはもう音楽ではないのです。 演奏のスキル以前の問題なのです。
坂入 譲
2012-04-14 違うんだって 今回は矛先が!
■
前回の失敗を受けて
結局飾りにしかすぎない
抗議をするべき所は 米軍にではないのだろうか?
航空総隊司令部
アメリカ軍との防空・ミサイル防衛の情報共有・連携強化を目的として、平成24年3月26日に在日米軍横田基地内 に設けられた
航空総隊司令部
http://www.mod.go.jp/asdf/adc/butaisyoukai/000shireibus-1/butaisyoukai.html
航空総隊司令官は弾道ミサイル防衛の統合任務部隊指揮官として弾道ミサイルに効果的に対応するための多層防衛を基本とした態勢をとっています。
平成24年3月27日には弾道ミサイル等に対する破壊措置等の準備に関する自衛隊一般命令を発令し 航空総隊と連携を開始し
2012/3/30日に
自衛隊は、日米間で連携を図りつつ、自衛隊法第82条の3第3項の規定により、我が国に向けて弾道ミサイル等が飛来する場合における人命及び財産への被害を防止するため、我が国領域に落下することが確認された弾道ミサイル等に対する破壊措置等の必要な措置を実施する。
<命令の期間>4月16日まで
<破壊措置の対象>北朝鮮から発射されたと考えられる弾道ミサイル等で、我が国の弾道ミサイル防衛システムにより我が国領域に落下することが確認されたもの
<破壊方法>海上配備型迎撃ミサイル(SM3)または地上配備型迎撃ミサイル(PAC3)を発射し、我が国領域または周辺の公海の上空で破壊
<行動範囲>(1)SM3搭載護衛艦=日本海、東シナ海において、首都圏とミサイル予想飛翔経路下周辺を含む領域を防護できる位置(2)PAC3部隊=陸上自衛隊朝霞訓練場・習志野演習場、航空自衛隊市ケ谷基地・習志野分屯基地・那覇基地・知念分屯基地、宮古島、石垣島
との運用である
重要な事は <破壊措置の対象>我が国の弾道ミサイル防衛システムにより我が国領域に落下することが確認されたもの。。。
明記されている事にあるのです。
つまり 我が国の我が国の弾道ミサイル防衛システムは北朝鮮の飛翔体の発射を探知できない
しかも肝いりで作った 米国大目付の運用する航空総隊司令部はなんも日本には連携してくれなかったという事実
日米航空総司令部は米軍の情報とリアルタイムでリンクしているのではなかったのでしょうか
普通 この場合航空総隊司令部司令官の記者会見等あったりしていいのではないだろうか?
我が国の航空防衛は装備はあるが運用はできないという最悪の事実を世界に発信したことになる
つまり 我が国に向けて弾道ミサイル等が飛来する場合における人命及び財産への被害を防止することはできませんと断言した形になっているこの状況を同説明してくれるのだろうか?
参考人招致すべきではないのか?航空総隊司令部司令官
2012-04-03 夏みかんに教えられた人間のエゴ
■
この間 地元の市ヶ谷亀岡八幡宮様から 境内に凛となっていた、夏みかんを分けて頂きました、それを、ネット上でシェアしたら 、「4月なのに 夏か。。。」というツッコミが入り 45歳になって始めて夏みかんの収穫時期を調べて知ることになりました。
夏みかんの収穫期は2月から6月で意外にもこの4月が旬でおいしい食べごろだということを知りました。
興味を持ち園芸サイトや生産者の智慧を覗くと 冬に果実を実らせて越冬するので、カナブンやヒヨドリやカラスに傷をつけれて、防鳥網を設置しないと難しい。と記載されている記事を多く見かけました。
たしかに人間のために出荷するために考えたら 綺麗で病気の無い夏みかんがありがたいと思います。
だけど 果実というのは人間のだけのものではない 海の幸 山の幸 川の幸 野になる野草も決して人間だけのものではない。
冬に実を実らせている夏みかんの木 人間のために成っているためではない 鳥や虫たちが寒い冬にこの夏みかんのような果実を食べて
生き延びるために そして鳥や虫達が受粉のお手伝いをしてくれて 成り立っている
冬から春にかけての生命のエネルギー循環のために夏みかんは冬に実を実らせる 多くの生命が命を分かち合っている事実を始めて知りました。
人間が食する食べ物は決して人間だけのものにあらず。
もしかしたら人間はここで大きな過ちを起こしているのではないだろうか 人間のエゴだけのために果実を生産し過ぎていないか
自然界そのものを維持する すべての生き物ための 果実を人間は奪っていないだろうか?
自然の生態系の中の人間ということを忘れていないか?
とても罪を犯しているような気になります。
2012-03-21 今この日本で“ワンピース”的思想が拡大するならば

先月2月9日に放映された、クローズアップ現代 漫画“ワンピース” メガヒットの秘密をみて私は恐ろさを感じました。
2011年3月11日の大震災と復興の中から 「ワンピース」のいう所の仲間と絆という拠り所が現に溢れているというのなら、恐怖を覚えます。
端的にいうと仲間というセクト化がはじまるのではないのだろうかと感じるのです
一人の生きるための欲求や価値観のために仲間が構成される。
一人のカリスマ性に追従し、その仲間社会の構成員としてその仲間社会を守備し攻撃性を持つ
つまり、新興宗教や思春期に達するまでに自然発生的におきる 狭義な社会性を持つということである。
かのマックスウェーバーは「セクト」とは「社会に対し、強硬的かつ断絶的な姿勢を持つ過激主義的宗教グループ」であると定義している。 つまり本来多様性のある見識、見解に対して、未成熟で狭義な価値観をもち それを自ら保守し続ける。その意義が詭弁であり論理破綻をきたしたとしても 仲間という社会に保護され、その仲間社会に守護されたカリスマ性が強硬的かつ断絶的な姿勢を持つ過激主義を生み出す危険がある。
仲間という社会性は個人にとって時系列存在する一過性の社会派性にしかすぎない、一過性であれば、自らの精神的成長、見識性の成長
その現在における立場による必要性により、テンポラリーに構成されるものである。そして、その一過性の仲間社会には成功もあれば失敗も存在するのである。そして、時がすぎて、成功、失敗に問わずその体験を共有し分かち合える事ができる状態が同窓社会というものになる、そして その時にその仲間同士にニーズがあれば、仲間社会は再生される。
「ワンピース」のいう所の仲間と絆は「永遠の仲間」という踏み絵を背景にもち、そしてその仲間社会を永続的に守護する事に忠誠を近い
その狭義な思想と方向性を保守し続ける事を課せらる、状態へと発展しかねない。
最終的には忠誠か滅亡かを選択を強要する攻撃的な社会体制を派生させるのではないだろうか
もちろん今に日本には助けあいが必要であり一時的な連帯は必要であろう、しかし そこで得た社会性を他社会とのと価値観を比較する
社会性をもっってしまったら 攻撃性を持たざるえなくなってしまう。可能性も高まるのである。
仲間意識というものはその有り様によっては危険な社会性を潜在的に持っているということを認識しておいたほうが良いと私は思っています。
かつて描かれたドラマは決して永続的な仲間社会はもたなかった
スパイ大作戦はテンポラリーで信頼の上になった仲間構成
七人の侍もそうであった。
ルパン三世も原則的にはそれぞれの行き方の上にある
つまり 直面する危機に必要なスキルを持ち合わせたものがあつまり、そして最後は必ず解散する。
しかし社会が拡大し、社会という共同体がうまれ共通の利益の上に成り立つ社会になると国家という独裁制を生む危険もはらんでくるのである、 宇宙戦艦ヤマトのような玉砕心が生まれたりするわけです。
これは本能的に人間誰もが持っている、特に家族であるならば身代わりという犠牲心も持っているのであり
その価値観が共同体の正義となるわけです。
正義というものもそれぞれの社会共同体の思想の上に形成されるもであるから、正義のユニオンはありえないわけである
日本の正義もありますし
北朝鮮の正義もあり 中国 ロシア シリア 等それぞれに正義は存在し、各々、正義の行使を行なっているのわけです
つまり仲間という意識のコントロールを間違えてしまうと その仲間社会はが強硬的かつ断絶的な姿勢を持つ過激主義を保有するということということを認識しておく必要があるのではないかと考えます。
2011-12-04 歴史と照らし合わせて音楽を楽しむ試み
若干破綻気味
ジュリオ・カッチーニ 1545年頃 - 1618年12月10日 室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。
クラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ 1567年5月15日洗礼 - 1643年11月29) 室町幕府将軍は足利義輝から 江戸幕府家光
ふーん面白い 一休や卜伝の時代 戦国時代 信長 関ヶ原 慶安の変あたりまでか
アントニオ・ヴィヴァルディ 1678年-1741年 江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 1685年3月21日 - 1750年7月28日 徳川綱吉
ということは 赤穂浪士をみながら、ヴィヴァルディ、バッハを聞くといい感じかな
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年1月27日 - 1791年12月5日
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年12月16日ごろ- 1827年3月26日
徳川家斉の時代かもう幕末じゃん!! 感覚的には理解しているんだけど
でもってブラームス交響曲第3番初演(ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)のあたりだもんね
ブルックナー4番なんかも マーラーなんかは日露戦争のあたりだもんな
そう考えると 昔のニュース映像なんかに流れているの見ると 今の私たちの感覚からすれば 現代音楽を演奏しているわけで
現代音楽を聴衆は楽しんでるんだよね。
現代人にとって911を映画化するようなもんだよね
だってプッチーニなんて考えたら 蝶々夫人 ほとんどリアルタイムでオペラにしているわけなんだよね
歴史の話からそれます。
ヒットラーがワーグナーに心酔するのも頷ける
ワーグナーの反ユダヤ主義 (メンデルスゾーンへの妬みから引き金になった説に一票 メンデルスゾーンは悪気一切なしなんですが。。)
ヒットラーのワグナーへの心酔ぶりは異常なまでといってもだれも否定をしない
フルトベングラーの著書にいろいろかいてありますし。
ヒットラーが党大会でフルトヴェングラーに「『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を心からお祝いします。」とヒトラーは述べ『ニーベルンゲン・マーチ』と『リエンツィ序曲』で締めくくり
ワーグナーの強烈な反ユダヤ主義の体現として、ユダヤ教会の破壊を、命じたわけである
ワーグナーの反ユダヤ主義がヒトラーを化物のしたと考えることもできる
バレンボイムが2001年7月にイスラエルで演奏してから彼への批判と憎悪は
計り知れないものがあった。バレンボイムのように命をかけて演奏するのなら別だが それをやることは並大抵なことではない。彼は演奏をもってこの巨大な民族的 宗教的な解決に挑んだのであろうが
未だに彼に対しての憎悪はぬぎされていないようである。
音楽というのはもしかしたら最大の狂気と凶器になりうるのかもしれない。
音楽は平和 音楽に国境はない。とのたまう人がいるが、
音楽は民族や宗教にとってはとてつもない武器になるのだと考えるのです。
演奏するものはその楽曲や思想背景を分析して 演奏場所や聴取対象者 そして演奏者にも細心の注意を払わなければならないものかもしれない。
私は意図するしないにおいて 自らが演奏する音楽で 人を傷つけることがあるならば それをしったならば その演奏をすることはない。
なぜならばは*追記で一言だけ書かせていただく。
ワーグナーの楽曲を愛して、私は博愛無国籍主義者ですという人はワーグナーの楽劇を理解していないわけである。
そうやって考えると 現代のアーティストやクリエイター 感覚が遅いよような気がする
なんか二元的の話になってしまった。 徒然とゆるしてください。
若い頃カラオケで十八番だったのが坂本九ちゃんのものまねでした。
私はいつもの通り、当時知り合った仲間の前で、九ちゃんの見上げてごらん夜の星をモノマネで自慢気に披露したのでした。
そしたら 今まで一緒に楽しく飲んで語り合っていた仲間の一人が身体を震わせ
大きな涙を流し 呼吸困難になり倒れてしまいました。
彼を知っている仲間に聞いたら 彼の彼女はあのJAL123便にのっていたのとの事
数年過ぎたとはいえ とても耐えられなかったのでしょう。
その日依頼 彼は現れなくなった。謝罪もできないまま。。。。
本当に辛かった、 知らずとはいえ。。。だから 藝術という人の様々な思想が入り込み人の心の良くも悪くも感動与える曲を扱うときはいろいろ考えてしまうのです。
2011-11-04 丸谷才一さん に今叫んでもらいたい!!

私の持論に多大な影響を与えた人
[文化勲章:「これまで通り励む」 丸谷さんらに授与:title=文化勲章:「これまで通り励む」 丸谷さんらに授与]
20歳を過ぎた頃だったのだろうかこの人の
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その頃から古典を貪るようになった。
内容は「子どもに詩をつくらせるな」とか、「子どもの文章はのせるな」とか、「小学生にも文語文を」とか、「中学で漢文の初歩を」とか、「文部省にへつらふな」とか。
基本姿勢は、「子どもにはとにかく名文を読ませろ、下手な詩や文章を作文させるな」
桜もさよならも日本語では国語改革といふ国家的愚行を廃棄することがそれである。」「このことを断行しない限り、破局はいつの日か、確実に襲ひかかるであらう。」
とか
あと文書読本なんかよんだな。
私は、この人の攻撃的な日本語愛が大好きです。
私は、日本人が日本人であるべき原点は日本語であると思う
勿論、時代時代を反映した言葉の発展は必要だと思いますが、ある程度継承すべき歴史と文化を継承していく守るべき国語の防波堤が必要だと思います。
だから、「子どもにはとにかく名文を読ませろ、下手な詩や文章を作文させるな」に強く賛同するのです。
現在のシンガーソングライターとのたまう、ブログの延長のような歌詞が日本語化していくのはとても嫌なのです
私は45歳なので 阿久悠や阿木燿子。さだまさし、谷村新司やアニメソングなら
ガンバの冒険の「冒険者達のバラード」ルバン三世(71)年エンディングテーマ
どちらも 作詞は共に東京ムービ企画部 すくなくとも こういった人たちの日本語の流行歌で育った私としては、今の日本語30年前 40年前でともかなり違うなと思うのです。
2011-10-16 とにかく 必要なのは「いろは」
スタンダードをショートカットしてきた今を反省すべき
先日 長文日記を書くと断言したのだが
あまりにも長大でまとまりがつかなかったので 挫折しました。
しかし やはり 公言しておきたいことがあるので 短めに主張しておきます。
温故知新 無無明 亦無無明と無知の知の狭間をどうコントロールしたらようのだろうか?
人類が二足歩行を始めて人類の分類の始祖は七〇〇万年前に遡るとされている
この時間の流れの中で人類は幾世代にもかけて、過ちを犯しながら そして真実を探求しながら、智慧を蓄積してきた 成功の経験 失敗の経験、突然変異な発想
により人類の智慧は形成されてきた その伝え方は宗教的な神話 経文、哲学、教育により様々な価値観をもちそれぞれ体系を持ってる。
しかし 近年において 時代は加速的に変化をしている。
経済の金融システムにおいても ITの革新的な進歩もそうであるように、過去というデータベースからは目の前にある危機を解決することは非常に難しいと感じています。
例えば、民主主義とシステムというのは 冷戦構造崩壊後のグローバルな濁流の中では対立を生む大きな要因に成っている。
またグローバルな意思決定においても、民主主義による手続きでは意思決定のスピード感を担保できていない。
例えば、震災復興の施策を即時立案し実行をすることができない。
税の歳入 歳出 財政問題について抜本的な改革をうちだせない。
アイディアはたくさん転がっているが・・・
これはITの進化によるよる 情報共有のスピードの速さと民主義手続きのスピード感によるギャップが歪を作っている。
しかし 猛烈な濁流と化した情報の真贋を確かめるすべもない
この濁流の渦の中から無知の知を期待するのか それでも温故知新データベースを巧く活用していくことができるのかが悩みどころなのです。
しかし 現在において最も我が国が犯した過ちは教育の舵取りにあったと思います。
そして誤った舵の船の上で育てられた国民が今リーダーとなってこの国の舵をとっている。
勘違いされるとこまるのだが、例へば、「ゆとり教育」を被教育された世代を否定しているわけではない。それを醸成し形成した時代と思想過程を見つめ治さなくてはならない。
私がここで一番大切だと信じている事は 問題に対しての解決の仕方の基本を強固に学ぶことであると考えています。
一般社会の現場でこういう話を聞きます
セオリー通りの仕事は巧くいかない。
私はこのやり方で成功してきた、だから過ちではないという「詭弁」を弄する社会のリーダーが多いのではないだろうか?
セオリーをどれだけ理解しているのか セオリーの構造 プロセスをどこまで検証してそのセオリーが失敗にいたったのか?
原発の問題もそう、結局リスクと時代をを読み間違えた結果が今の目の前に顕在化しているのです つまり 学んだり検証すべき論点を端しおったということです
いいかえれば 自分の経験論を基調に論ずる人は学ぶべき知識技術をないがしろにしている人なのです。 たまたま偶然の結果にしかすぎなく たまたまそのやり方が成り立っているだけなのです
またこの成功論者はこの成功体験をスタンダードにしようと努力をする傾向にあります それが根本から誤っていてもです。
誤りがスタンダードになると人類は長い過ちのループに陥るのです
曽野綾子さん三浦朱門さん事件にみる問題解決の放棄について
あまりにも有名な話ですが、作家の曽野綾子さんが
「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」
この翌年 教育課程審議会会長の旦那様の三浦朱門さんが教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなり
その他の円周率等の小数点以下の削除などが行われ 数学的解決能力の欠如を
この国に蔓延させた
たしかに二次方程式単体で取れば社会に役にたたないとおもうだろうが
二次方程式の平方根の求め方、二次の判別式 の重要性は 数学 経済 物理の世界でその考え方は絶対必要なのです。
二次方程式 は平方を求めるわけだから二点の面積を求める重要な要素になります 建築設計にはとっても必要なものです
また2次方程式は放物線を描く方程式なので 当然、砲術にも必要ですし 宇宙工学 重力を考える当てはめ式として応用できます
経済予測でもそうです 経済を工学的に考えたアプローチの論文をよめば
この二次方程式の解 判別式の形がたくさん出てきます。
実社会でなく 藝術的完成 哲学 時間や空間 宇宙の創世記を考える上にも必要なのです。
例えば杉本博司の数学的形体で示している時間の概念
ビッグバーンの膨張も二次方程式の公式が基本になって表される
そしてこの宇宙の現象を考えた時に
こんな壮大な思考を展開するのに必要な公式のシンプルな解き方を消失させることは、人類の文化の喪失につながる事だと考えています
世の中にはとっても必要なエッセンスなのです
これを理解させる機会を失わせてしまった事は取り返しのつかない過ちと考えます
2次方程式を理解させるというより 二次方程式の解き明かすプロセスの重要性は必修させるべき事なのです このプロセスの匂いを感じるか否かでその解決の選択 幅は違ってくるのですから。
つまり大切なプロセスを省略して答えだけを早く求める国民が増加してしまっているということです
そのためにリスクをないがしろにし、必要なプロセスを省き 結果失敗におわるのです
日本経済のデフレもこの金融政策で最適解を導くために必要なプロセスをどれだけ考えたのか
結果不必要な損失コストを増大させ結果大きなトラブルを発生させる ここ二十年この繰り返しではないのだろうか
今、我が国に必要な事は事の「いろは」を学び治す事ではないのだろうか?
坂入 譲











