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2009-10-22

宮本茂・独占インタビュー全文翻訳

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 総合情報誌Popular Mechanicsは任天堂宮本茂氏独占インタビュー記事を掲載。ビデオで話の一部が聞けますが、それに気づかなかったのでサラッと全文翻訳(※二重翻訳となります)。

Q: まずスーパーマリオ最新作についてお話を伺いたいと思います。

A: DSからはじまった新しいスーパーマリオシリーズの最新作です。New Super Mario Bros.のそもそものアイデアは、いくつかの異なる層のゲームプレイヤーに心から受け入れられるだろうマリオゲームを作り上げたかったということです。ゲームの楽しさも知らない人たちにも、あるいはもうゲームをしなくなってしまった人たちにも何かを与えられるものが、それでいてアクティブなゲーマーにも満足してもらえるものが欲しかったのです。それをWiiに持って行くにはこれまでと異なる点に気を配らねばなりませんでした。Wiiはリビングルームに置かれるのでDSより幅広い層の人たちにもプレイしてもらえるチャンスが出るだけでなく、複数人で遊ぶデバイスでもあるので同時にプレイすることが異なったゲーム体験をもたらすかもしれません。Wii版のコンセプトはまず複数人プレイのゲームにすること、そして私たちがもう一つ頭を使ったのはゲームの腕前が異なる全ての人に受け入れられ満足してもらうには、コースの難易度をどうするのかということでした。とても難しい課題でした。でも私たちが目を付けたのはマルチプレイヤー機能でした。上級者が初心者を次のエリアまで連れて行ってくれます。


Q: 宮本さんが作ったキャラクターの中ではマリオあまりにも有名です。一番好きなキャラクターは?

A: マリオということになると思いますがクリボーも大好きです。


Q: マリオはどのようにして生まれたのでしょうか?

A: ドンキーコング時代にさかのぼります。あの頃はキャラクターを描くパレットが非常に小さかった。オリジナルマリオの顔はたった7つのピクセルだけでできています。当時の私の目標は可能な限りはっきり見えるキャラクターを作り上げることでした。マリオの鼻が大きいといった特徴もそのためのものです。


Q: マリオを配管工にしようと思ったのはいつのことですか?

A: ドンキーコングの時は通念的なおどけ者と思っていました。ゲームの舞台は建設現場で、その設定に合うことを考えてマリオ大工としました。マリオブラザーズの時は、あのゲームは始めてパイプが登場するゲームですが、設定がニューヨーク下水道を思わせました。ニューヨーク下水道というアイデアとパイプから、マリオは配管工だろうと思ったのです。というか、マリオは配管工というよりも、ゲームの中の彼の役割が何であるか、ゲームの設定がどうあるか、職業がどうあるかということだと思います。


Q: 初期のゲームでは、例えばクッパドンキーコングワリオのように悪役で出ていたキャラクターが多いですが、最近の彼らは角が丸くなっています。何か意図するものがあるのでしょうか?

A: ゼルダシリーズという例外を除き、私はヒーロー的なキャラクターも悪役のキャラクターも作るのが下手というのがあります。マリオのシリーズにシリアスなものはありませんが中間のゲームもあります。


Q: ゼルダといえば世界でとても人気ですが、同シリーズはギリシャ神話やあなたがご存知であろう古代の叙事詩などに似た、ほとんど神話といってもいいストーリのものがほとんどです。ゼルダに取り入れた日本文化日本神話の中でアメリカ人が好きそうなものはありますか?

A: 私はそうした覚えはないですし、文化の違いを意識してはいません。例えば、アメリカ映画のコスチュームでも映画によっていろんなタイプの鎧や服装があるでしょう。中国映画もそうです。風のオカリナのビジュアルは西洋のファンタジー様式とアートデザインを強く意識させるかもしれません。でも私は特定の国の特定の文化要素を意図して再現していません。


Q: キャラクターについて、ゲームには表れない非公開のバックグラウンドストーリーというものはあるのでしょうか?

A: ほとんどの場合、各キャラクターに関して掘り下げたストーリは作っていません。具体的にゼルダシリーズと時のオカリナはそういう観点からやや外れているかもしれないと思うのですが、ゲームを作る時に自分自身で相関関係は書きませんけれども、オカリナを作ったときは各キャラクターとその相関関係、行動特徴に頭をひねったと思います。しかし、スーパーマリオのようなゲームでは、インタラクティブなゲームプレイの世界における機能を中心にキャラクターをデザインするのが通例です。例えば、とげのあるキャラは踏めないとか。そうした意味でキャラクターをデザインするというよりはゲーム世界での役割からキャラクターを作っています。


Q: ビデオゲームに非常に熱心な人たちがたくさんいます。「The King of Kong」は(ダイハードな)ドンキーコングのプレイヤーの競い合いを記録したドキュメンタリー映画なのですが、ご覧になったことはありますか。あるいはこうしたハードコアなプレイヤーとお会いになったことはありますか?

A: そうした人たちのもっとも面白いところはゲームプレイとゲームデザイン、ゲームの持つ価値に関する彼らなりの理解、そして尊敬の念だと思いますが、本当に印象深いです。残念ながらまだ見ていませんが、通訳のBillが持って来てくれるというので次の機会にお話しできるかもしれません。


Q: 「The Wizard」というスーパーマリオ3に関する映画もありますが?

A: 知りませんのでBillに持って来てもらいます。


Q: ビデオゲームはより多くの人に受け入れられ人気を広げて来ています。特に最近、ビデオゲームを世間に広めたことであなたを非難する人はいますか?

A: そうされたことはないように思います。私がこの仕事を始めたころ、たとえば小学校のPTAに呼ばれて人前で話すような時はとても緊張しました。ほとんどの場合、何かに呼んでくれる人は私の話を喜んで聞いてくれるとてもポジティブな人ばかりだったと思いますが、それでもいつも少しは緊張しました。DSWiiを発売してからのここ4、5年に気づいたことですが、かなりたくさんの人たちがビデオゲームに接するようになりました。私はゲームが日常生活の大きな部分を占めるようになっていること、そしてゲームが与えてくれるものに関するより深い理解がそこにあると思っています。そしてもう一つ、これは私たちにとってありがたいことだと思いますが、ビデオゲームをして育った子供たちが親になっていることがあります。子供たちがプレイしているものが何であるかを理解できる親たちの存在は、ビデオゲームのより良き理解につながると思います。


Q: 漠然とした質問になりますが、ビデオゲームの将来はどこにあると思いますか?

A: ビデオゲームシステムは元々おもちゃと見られていたと思います。ビデオゲームシステムの中身が基本的にはコンピューターであるのに対し、私たちはビデオゲームが日常生活の他の娯楽を超えていることをだんだんと理解しています。ビデオゲームのもたらしてくれる恩恵はわかりやすい直感的なインターフェースだと思います。コントローラーは典型的なコンピューターのインターフェースよりもちょっと親しみやすく扱いが簡単です。時が経つにつれ、ゲーム機とそのインタラクティブインターフェースが、たとえば家電や日常生活といった他の要素に次第と流れ込んで行くのを見るようになると思います。例えば、日本ではWiiダウンロードできるテレビ番組表がありますが、日本のWii所有者の多くにとっては普通のテレビガイドサービスより便利で使いやすいものになっています。


Q: ほこりをかぶった昔のファミコンのカセットが起動しない時はどうしていますか?息を吹きかけたり押し付けたりなんかするおまじないがあると思いますが。

A: 中には効くものがあるみたいです。でも叩いたら直ったというのと同じかも知れません。叩けば接続不良が直るかもしれませんから。しかし直るわけを理解するのが重要だと思います。たとえば、何かに息を吹けばその中に湿気が溜まり、湿気が接続を良くするかもしれません。でもオフィシャルなクリーニングキットを使ったほうがいいとは言っておきましょう。


Q: Wiiのコントローラーはモーションセンシング機能を使っています。任天堂の未来のゲーム機にもモーションセンシングのコントローラーが不可分な要素として永く残って行くと思いますか?

A: WiiリモートとWii Motion Plusで私たちに出来るものは何かといえば、幅広い人たちにとって魅力的であることと、価格が適正であることを両立したインターフェースです。将来のハードウェアで何をするのかという具体的計画は何も固まってはいませんが、私が言えることは、よりコンパクトでより費用効率を高く設定したとしても、私はこのインターフェースがとても面白いと思っているので、それと同じ機能のものを作ろうとするだろうということです。


Q: Wii-moteの利点を活用したゲームとしてはどのようなものが理想ですか?

A: 今は次のゼルダの創作に注力しているところです。


Q: 新作に関して何かお話しいただけますか?

A: 今日はだめです!

 他ならないマリオの生みの親であり、世界から常に注目を浴びる宮本氏のビジョンの一端を垣間見ることが出来た。特に「ビデオゲームの将来」に関する発言は興味深かった。大多数の人たちはゲームが今後も末永くそのようにあり続けると思うだろう。しかし、それとはあまりにもかけ離れたビジョンを抱いている私にとっては物足りない内容だった。第一線を走り続ける世界的パイオニアにはもっと夢のあることを考えてもらいたいと思う。

Shigeru Miyamoto - We Interview (and Play Nintendo With) Video Game Legend Shigeru Miyamoto - Popular Mechanics

「ビデオゲーム最大の弱点」を克服するとゲームの姿はこう変わる

 相当久しぶりにGoogle Statsを調べると当サイトの平均滞在時間は約1.5分となっており、わたくし入魂の長文は単なるお飾りであることが判明しました。だれも読んでないなら好き勝手なことを好きに書きます。でも本当に読んでくれているありがたい方々には心からお礼申し上げます。私のものの考え方をじっくり吟味して読んで下さい。言っていることが理解されなければ単なる狂人でしかないからです。それではいきます!

●時間について考えるとわかる「ビデオゲーム最大の弱点」とそのメカニズム

 物事は何でもそうだが、何か型を作ってうまく行くとそれをずっと使いたくなるのが人情。成功した型にはなるべく手を加えずにおきたくなる。しかし、世の中は毎日少しずつではあるが着実に変化しているため、型はやがてうまく機能しなくなる。はかばかしくなくなるとますます型に固執して停滞を招き、それ以上の発展が難しくなる。最もわかりやすい失敗例はこつ然と姿を消すお笑い芸人。継続的な成功のためには型をこまめに変えていく努力を続けるか、あるいは最初から紋切り型を作らない別の方法を考える必要がある。しかし、芸人にはまだ将来にチャンスが残されている一方、ゲームソフトは発売されると同時に将来のチャンスがゼロになるという厳しい宿命を背負っている。

 ゲームも芸人も飽きたら終わり・・・。かつての熱心なプレイヤーがビデオゲームをしなくなる理由は明々白々で、それはゲーム自体が飽きたら「終わり」のはかない存在であることを思い知ったからに他ならない。たいていの人はゲーム以外にもいろんな趣味を持っており、ゲームに飽きた後、限られる範囲内のお金と時間を再び新しいゲームに振り向けるとは限らない。飽きたら「終わり」になるだけで必ずしも次に繋がらないという点を、他の趣味とは異なるビデオゲーム最大の弱点と指摘したい。

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Campfire on Kaamanen road

 ゲーム以外のたいていの趣味では、簡単に言えば、技能・技術の向上が自分自身だけでなく周囲の人間関係や実生活にも反映され、それがその人らしさを作り上げるといううれしさと喜びがある。他愛ないお絵描きや読書、スポーツでさえその範に漏れないし、そこで得たものは自身の身として末長く活用されて行くだろう。一方、ビデオゲームの中で得た技能・技術は実生活に反映しがたいものがあるし、その寿命も飽きたら「終わり」のはかない運命にある。自分らしさを作り上げる大きな喜びを知った人間は、はかないゲームにお金と時間の多くをつぎ込もうとはしなくなるし、ゲームをしなくても平気になる。その点をビデオゲーム最大の弱点のメカニズムとして指摘したい。

 つまりビデオゲームは、実世界の趣味の与えてくれる豊かさや喜びや感動に勝つことの出来ない宿命をもつ。今の任天堂はそれになんとか打ち勝とうと孤軍奮闘しているように見える。Wii fitも現実世界の一部を見事に切り取っている。しかし、ゲームが現実世界の楽しさを上回れないという宿命を変えることは相当に困難と言わざるを得ないだろう。現実的には、ゲーム産業はコアなゲーマーを中心層にビッグタイトルを軸とした従来型のビジネスモデルを、ゲームはゲームと割り切って続けざるを得ないと言える。

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THQ's booth - Jiggalo3000

●「ビデオゲーム最大の弱点」を克服すると全く新しいゲームの世界が拓かれる

 克服不可能な弱点を克服するには・・・ゲームが実世界のたのしみに勝てないものと最初から割り切ったところにゲームの新世界が眠っている。ゲームをプレイすると誰しもその仮想世界に没入してしまう。その仮想世界への没入度合いが大きければ大きいほどゲームは面白いということになるのかもしれないし、そこにPS3のような超高性能マシンが必要になってくるのだろう。しかしその没入こそがゲームを現実世界から引き離し、実世界の与えてくれる豊かさや喜びや感動とのコントラストを生み出し、やがてプレイヤーにゲームのはかなさを認識させる正体にほかならない。

 したがって、これまでにない全く新しいゲームの世界とは、プレイヤーをゲーム世界に没入させることなく、プレイヤーと現実世界とが調和できる未知のゲームに求められると考えられる。それがどのようなものであるかは自らの直感に求めるしかないが、少なくとも現在の据え置き型や携帯型ゲーム機とは趣がだいぶ異なるものになるだろうし、少なくともディスプレイをじっと見つめるようなものにはならないだろう。それは遊ぶものというより使うものに近いかもしれないし、ゲーム機というよりはアート装置に近いものかもしれない。

 ようやく頭が整理できたところでその具体像を考えたい。

 第一の着想は「ディスプレイ札」。花札を例にした場合、花札の一枚一枚が小型ディスプレイになっていて、状況に応じてグラフィックの変化や音や文字で役・ルールを知らせる。花札だけでなくトランプや百人一首など他のいろいろなカードゲームにもなる。横一列に組むと鍵盤、タイル状に組むと将棋盤や碁盤、楕円形に並べて車ゲームのサーキットや横スクロールゲームのコースなど、各カードの位置関係によってふさわしい用途が起動する。立体的に積み上げるとその山をマリオが登って行ったり頂上から玉を落とすなどの楽しい遊びが起動する。

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 一枚をホストカードとして重力や座標軸の変更、あるいはコントローラーに使っても面白いだろう。ゲームでなければならないという先入観を外せば、種々様々なインタラクティブアートの再生装置としても十分機能する。複数ソフトの融合というこれまでにないゲームの遊び方も可能だろう。ゲーム会社は遊びのルールとキャラクターをセットにして販売できるだけでなく、動きのあるアートをソフトとして販売するという新領域に踏み出すことも出来る。また複数ソフトの融合機能により、過去タイトルも市場から姿を消しにくくなる。一人一台が限界だったハードウェアメーカーには、ユーザーによるカードの追加購入も期待できる。カードを固定するマウンターも面白いだろう。マウンターの構造によってクリスマスツリーのようなオブジェや、壁をディスプレイで飾っておしゃれなインテリアにしてもいいかもしれない。

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 第二の着想は「箱ディスプレイ」。6枚のディスプレイでキューブ(または立方体)を作ったもの。それにより3Dの表現が直感的にできるようになる。箱を動かしたり傾けたりして操作する。複数の箱ディスプレイを並べたり重ねたり位置を変えたりなどすると箱同士の画面が繋がるとか、箱同士の相互作用が楽しめるとか、重ねた奥行きの分だけ深い3D映像が見られるなど、アイデアには枚挙にいとまがない。適当に並べて3Dのマリオなどゲームにも十分使えるし、隙間なく並べてアクアリウムのようなバーチャル飼育環境も面白そう。ゲームでなければならないという先入観を外せば、種々様々なインタラクティブアートの再生装置やインテリアとしても十分機能する。「ディスプレイ札」と同様、ゲーム会社は遊びのルールとキャラクターの販売に加えインタラクティブアートの販売、複数タイトル融合によるシナジー、一人一台が限界だったハードメーカーはユーザーによるキューブの追加購入も期待できる。

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 第三の着想は「ラジコン・ディスプレイ」。上述のディスプレイを乗せて自由に操作できるようにしたもの。たとえば戦車同士の対戦など、本物のラジコンでは不可能だった射撃や爆発の表現が可能になる。自動運転にすれば横スクロールゲームの穴や障害物にもなるし、アート作品にも動きをつけることが出来る。

 これらデバイスの総称は現実の出来事に親和性のあるという意味で「PR(Pro-Reality)デバイス」としたい。従来のビデオゲームは飽きたら「終わり」のはかない宿命を抱える一方、これらPRデバイスのゲームやアートはその性質上、予期しない発見に満ちあふれ、各人各様の遊び方が考え出されるはず。ソフトとデバイスの販売台数の増加に伴い、遊び方の組み合わせは幾何級数的に拡大して行く。そこには飽きたら「終わり」となる現在のビデオゲーム最大の弱点が克服された世界が広がっている。もちろん「PRデバイス」のアイデアはこれだけではないはず。

 このように、PRデバイスというコンセプトは現在のゲーム産業の進み得る将来の一つの道を指し示していると思う。私の頭の中はPRデバイスのアイデアでいっぱいに膨らんでいる。

ゲームの基本要素からゲームの将来を考える

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Achilles and Ajax at Draughts, Black Figure Ware Amphora, Greek, 540 BCE

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Xiangqi game board in the old Merchant's house - j0rune

 原初のゲームをチェス将棋のようなものだと考えれば、ゲームとは世界の現象を抽象化し、それを自在に操って相手と競い合うことで楽しむ行為と言えるだろう。だとすれば、チェス将棋は敵・味方の戦闘を、盤面と駒とルールとで抽象化したものと考えられる。つまり、ゲームは盤・駒・ルールのそれぞれに相当するバックグラウンド・キャラクター・ルールの三つで成り立つと言える。逆に言えばそのどれか一つが欠けてもゲームは成立しない。つまりバックグラウンド・キャラクター・ルールはゲームを構成するために必要な基本三要素であると言える。

 チェス将棋のように、古来から現在に至るまで延々と人々に愛され続けるゲームは、盤・駒・ルールのバランスが至高であるからこそ愛され続けるのだろう。それらは各地域・各時代にわたって各様のバリエーションが存在するが、それらが現在の形になったのは各地域・各時代で盤・駒・ルールが洗練され続けたからであり、その長い過程がそれらのバランスを至高の領域に押し上げたと言えよう。

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Shogi game in the tea ceremony room - sbszine

 一方、現代のビデオゲーム抽象化とは逆に具象化の道をたどって来た。画面の中のゲーム世界で現実世界をリアルに再現するゲームが多いが、バックグラウンド・キャラクター・ルールのゲーム三要素は高度に複雑化し、それぞれの調和が困難となる悪循環が指摘できる。画期的な新時代のゲームを今一度作り上げるためには、これらゲーム三要素を考え直してみる必要がある。

 将棋の時代もビデオゲームの時代も、ゲーム三要素のうち「キャラクター」を操作する以外にプレイ方法はなかった。したがって、新時代のゲームは「バックグラウンド」を操作するゲーム、あるいは「ルール」を操作するゲームということになる。

 ルールを操作するということは、実際的には複数の変数を変更する作業を意味する。バックグランドとキャラクターのアピアランスや挙動の変化を眺めるという点で、ルールを操作するゲームというのはアート作品に等しいと言えよう。テレビの大画面化が進み、ゲーム会社はゲームだけでなくアートをソフトとして販売するチャンスがあるように思う。見るだけで楽しくなるような超美麗CGが自分の手で動いたら最高。

MTV International / Jewels and Oil from Universal Everything on Vimeo.

MTV International / Sweetheart from Universal Everything on Vimeo.

 一方、「バックグラウンド」を操作するということに関しては容易に想像できないが、直感することは出来る。それはゲーム画面の中だけがゲームではなく、画面を含むゲーム機全体でゲームをプレイするというものになるはず。それは図らずも、上述の「PRデバイス」と同一の結論を導き出す。

 まとめると、ゲームは一般に「バックグラウンド、キャラクター、ルール」のゲーム三要素で構成され、「キャラクター」の操作に重点が置かれると現在のビデオゲームに、「ルール」の操作に重点が置かれるとアートに、「バックグラウンド」の操作に重点が置かれると「PRデバイス」となる。ゲーム産業がその市場をさらに拡大させ成長を続けるためには、現在のビデオゲームだけでなくアートをソフトとして販売する試みと、未踏の「PRデバイス」分野の開拓が必要になると言えるだろう。

ゲームに再チャンスを与える「時間」という考え方

 振り出しに戻りますが、何か型を作ってうまく行くとそれをずっと使いたくなるのが人情。成功した型にはなるべく手を加えずにおきたくなる。しかし、世の中は毎日少しずつではあるが着実に変化しているため、型はやがてうまく機能しなくなる。はかばかしくなくなるとますます型に固執して停滞を招き、それ以上の発展が難しくなる。最もわかりやすい失敗例はこつ然と姿を消すお笑い芸人。継続的な成功のためには型をこまめに変えていく努力を続けるか、あるいは最初から紋切り型を作らない別の方法を考える必要がある。しかし、芸人にはまだ将来にチャンスが残されている一方、ゲームソフトは発売されると同時に将来のチャンスがゼロになるという厳しい宿命を背負っている。

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HG - digitalbear

 ゲームソフトにはその内容を適宜修正できる方法がないため、たとえどんなヒット作でも続編を出す以外にその資産継承ないし有効利用する方法がないし、失敗作は失敗作として忘れ去られるまま完全な無駄になってしまう。お金を出したプレイヤーの喜びをより大きなものとするためには、失敗作にお金を出したプレイヤーを失望させないためには、ゲームにさらなる輝きを加えるためのゲーム内容変更手段が必要になると思う。それは発売以後、一切の変化が止まってしまうゲーム世界に本当の意味での「時間」を加え、適宜適切に変化させて行くという未知の試みを意味する。

 だからといって必ずしもオンラインゲームのような大掛かりなアプローチが必要になるとは限らない。失敗作には失敗要素のフォローを、ヒット作にはファンを喜ばせるイースターエッグないし小さな新要素を、不定期に密かに小さく加えていくだけでもプレイヤーをさらに夢中にさせられるだろう。ゲームに飽きたら終わりではなく、いつの間にか誰にもわからない新しいことが起きるとしたら、飽きが来てゲームから去る人は少なくなるはずだし、ゲームそのものの寿命も延びるはず。

 確かにゲーム会社には負担になる。しかし、プレイヤーを含めたゲーム産業全体を盛り上げ市場を拡大させるためには有効なファンサービスだと思う。

 それは何も最新ゲームに限ったことではなく、バーチャルコンソールに出るようなレトロゲームでも十分に効果を発揮する。例えばスーパーマリオの背景を秋なら秋らしく、春なら春らしく季節感を持たせたものに変えるだけでも新鮮だし、雪の日は雪が降るとか息が白くなるとかの小技もあり。ほかにも現実のイベントに合わせて元日しかプレイできないお正月バージョンとか、ハロウィンの日しかプレイできないコスプレバージョンとか、13日の金曜日に超ムズエリアが挿入されるとか、世界陸上の開催期間だけプレイ時間と他プレイヤーのシルエットが表示されるスピードランモードになるとか、マリオの誕生日はキノコがケーキになるとか、7のつく日はいつもワープでスルーされるワールド7に何かが起こるとか、ちょっとした変化でもファンには衝撃的にうれしいものだし、たとえ隅から隅までプレイし尽くしていてもまるで新作に接するようにすばらしく新鮮に感じられるだろう。

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 それは発売以後、一切の変化が止まってしまうゲーム世界に本当の意味での「時間」を加え、適宜変化させて行くという未知の試みを意味する。確かにゲーム会社には負担になる。しかし、上述のスーパーマリオのように、いつまでもプレイヤーを驚かせ続けることが出来ればゲームの人気がその分だけ持続するわけだから、必ずしも負担ではなくチャンスとなる場合もあるはず。また、当初は全く売れなかったタイトルも適切な変化を重ねて行くうちに不評が挽回され、一躍ヒット作に上り詰める可能性さえ開かれる。

 そのように、ゲーム内容を適宜適切に変化させ手入れを続けることにより、発売されると同時に座して死を待つ以外になくなるというゲームの厳しい宿命を乗り越えることが出来るし、過去に発売され休眠資産となっているゲームでさえ新たな輝きを取り戻す道が開かれる。それは失敗作にお金を出したプレイヤーを失望させないための礼儀でもあるし、ヒット作を手にしたプレイヤーをもっと喜ばせる魔法でもあるだろう。プレイヤーを失望させずに喜ばせ続けることが出来れば、ゲーム市場も自ずと拡大するに違いない。ゲーム会社にはゲームの発売後にも気を配って欲しいと思う。