忘れられない「夏祭り」

ところで土曜日、セレサポのみなさんが大変腹立たしい思いをされていたであろう時間、非常に申し訳ないのですが、私はひとり幸せに浸っておりました。あ、単純な「幸せ」とは違うな。それはいわば季節外れの「卒業式」であって、別れを伴ったものでもあったから。


私が彼女のファンになったのは1987年の終わりごろだったと記憶しているので、モリシですらまだ普通の中学生だった頃。つまり私にとっては、セレサポとしての時間をはるかに超える年月を、彼女の音楽と共有してきた。

「その場所」を初めて訪れたのは92年。これまた「セレッソ」というチームが誕生するよりも前の話*1。以来、どんなことがあっても、年に1度「その場所」に帰るのが私の習慣となっていた。厳密に言うところの「田舎」を持たない私にとって、いわばそれは「祭り」の時期に合わせた「里帰り」のようなものでした。

その「帰るべき場所」での「祭り」が、今年をもって幕を閉じる。その日が「2005年8月6日」であるということは、実は1年前には既に発表されていました。だから、この日は、この日だけはどんなことがあっても、そこに行かなければならなかった。セレッソにとってもまた大切な日であることは、十分にわかっていたのだけど、それでも。

私にとって、世界中のあらゆるサッカーチームの中で「セレッソ」が特別であるように、世界中のあらゆる音楽の中で彼女の音楽は特別であり、その中でも「その場所」でのライブは特別でした。いわば自転車の前輪と後輪のようなもので、どちらが欠けても私は前に進めない。

みなさんが長居でどんな思いをされていたのかということを思えば、正直申し訳なさも感じます。が、私にとっては、「その場所」に行くこと、そして「別れ」を告げることは、絶対に必要な儀式だったのだと思う。

彼女の音楽に出会えて、それを通じてたくさんの友人たちと出会うことができて、本当によかった。いまはただ、感謝の思いでいっぱいです。友人の中にはレッズサポやジェフサポもいたりするので(笑)場合によっては敵になったりもしますが・・・これからも、仲良く楽しくケンカしましょうぜ。

What's next?
Where's next?
See you Next Summer.
Anyway, Anywhere.

          ─ライブ後のテロップより




でもライブの途中、ガンバ5番のユニを見つけて若干ブルーになっていたことはここだけの秘密(笑)しかもアリーナ席のけっこういいとこにいたので悔しさ倍増・・・orz

*1:ヤンマーディーゼルサッカー部」が「大阪サッカークラブ株式会社」として独立し、「セレッソ大阪」というチーム名になったのは93年のことです。http://www.cerezo.co.jp/profile/history.html を参照。