パリのカナダ人
このブログを読んでいる若い友人が、「なんで記事のタイトルが、そんなに長く、ワカリニクイのだ」、と言うので、
そのときは、返事しなかったけど、その点について、ここで、返事をしてやろうじゃないか。
それは・・・・・僕がピンポイントの記事を書けないからです、すんません。ヾ(_ _*)
なので、短くした。が、ワカリニクイことには変わりない。はは。
さて、ジョージ・ジャクソン、矢吹丈、アロンと来て、今度は同じ世代の女性について書いてみたい。
「カリフォルニア」へ、「カリフォルニア」から
あしたのジョーとファイアー!の物語の基本は、<主人公(になるはずの)の片割れが、物語の最初に死んでしまう>、ということである。
この基本は大ヒット作あだち充さんの「タッチ」に継承されてゆく。
他方「あしたのジョー」に無くて「ファイアー!」にある特徴。
それはホトンド最初から「居ないもの」を作品のタイトルにしている、というところだ。
「あしたのアロン」とか「アロン!」じゃなくて、登場した途端に死んじゃうウルフの代名詞「ファイアー!」なのである。
すでに存在しないものタイトルに据え、それが物語の展開枠を決めるというのは一つの「方法」である。
この方法は、ヒッピー以後の時代、つまりは「ファイアー!」以後のアメリカを描いた吉田秋生さんの出世作「カリフォルニア物語」に継承されてゆく。
作品の主人公はヒースとイーブという男の子二人である。
しかし「カリフォルニア」と「ビッグアップル」(ニューヨーク)という二つの都市が、もう一つの主人公だと僕は考えている。
「カリフォルニア物語」なのに、なぜかカリフォルニアから出て行くところから物語ははじまる。
主要なストーリーはニューヨーク物語として展開して、最後にカリフォルニアに戻るところでお話が終わる。
これを読んだとき僕は「吉田秋生!」と思ったものだ。
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遅れてきた「ホテル・カリフォルニア」
カリフォルニア物語にあるように西海岸のヒッピーの挫折が語られるとき、しばしば言及されるのがイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』である。
「そんな(あこがれめいた自由みたいな)ものは1969年以来ありません」。
この歌の背景については、素晴らしかったイーグルスのコンサートというトムサトウさんの記事が簡潔で要領を得ている。
ドラッグを媒介とした「夢」のカリフォルニア、ヒッピームーブメントの欺瞞、七〇年代半ばのアメリカ社会の疲弊の象徴を考えるには「便利」なので、若い人はとりあえずこのイーグルスの曲を歌詞を片手に聞くといいとは思う。
ただし、その手のムーブメントの欺瞞は、前に書いた水野英子さんのような慧眼の同時代人にはわかってたわけで、別に何年も後になってキャッチーな音で大ヒットした<ラリッた>奴ら=イーグルスには言われたくなかろうw*1。
ジョニ・ミッチェルにとっての「カリフォルニア」
以下、水野英子さんと同世代の女性、ジョニ・ミッチェルさんについて書いてみたい。
彼女は1969年8月のウッドストックの直後、その名もWoodstock というウッドストック賛歌を作った。
その歌の邦訳や時代の雰囲気についてはWalk On The Backstreetsというサイトの記述が意を尽くしているのでそちらをごらんあれ。
そのページの中で、ナイーブな歌詞という評価があるが、その通りである。Woodstockに出演しなかった(出来なかった)彼女のあこがれみたいなものが漂っている。
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それから一年ちょっと後、彼女は「カリフォルニア」という曲を書く。Blueというアルバムの六番目の曲だ。この曲についてはバルカローレさんの名訳がある。
Woodstockに見られた<ナイーブ>さは消え、「ホテル・カリフォルニア」の暗鬱さが既に語られている。
歌はパリから始まる。
ここはフランス、パリ
公園のベンチに座って新聞を読んでいる
この「ふるさとは遠くにあって想うもの」的アプローチは、吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」と同型である。
そしてヨーロッパで出会った物、人々を描写しながら、
カリフォルニア
素敵なロックンロールバンドのような気分にさせて
いいこと
私はあなたの最良最大のファンなんだから
カリフォルニア あなたのもとに帰る
というカリフォルニアへの思慕を綴られる。
でも、
新聞に書いてある故郷のニュースがあなたにもたらすものは
憂鬱(ブルーズ)
そう ブルーズだけだ
カリフォルニアはすでにblueなのだ。
それでも、
カリフォルニアよ
どうか何も言わずに私を受けとめて
あなたじゃない別の男にさんざんのぼせ上がった私だけど
カリフォルニア 私は故郷に帰る
なのである。
もはやWoodstockのような<ナイーブ>さは、影を潜め、ブルー blueなところに自分は戻っていくんだという決意が示されている。
ただし、変な男に捕まったぁ〜ん、でもあたいは付いていくのよぅん♪みたいな感じではない。
彼女は、なにものかにきっぱり別れを告げに、いや、カリフォルニアを「慰安」するために「戻る」のだ。
この「慰安」するための帰還というテーマは、同曲の一つ前つまり五番目に収められているアルバムタイトル曲「ブルー」blueに示されている。この時期のジョニ・ミッチェルの名曲中の名曲である(僕的にはすくなくともそうだ)。
難解な彼女の詞の中でも難しい部類の歌詞である。恥ずかしげもなく試訳してみる。原詞はこれ*2。
ブルー。歌は、入れ墨みたいなもの
あなたは、むかし、わたしが海にいったのを覚えてるはず
冠を頂戴。私をつなぎ止めて
でなければ、私の舫いを解いてよ
ねえブルー そこには、あなたのための歌があるの
それは、針に付けた墨で
皮膚の下の空間を
埋めるためのもの。
そう。そこには、いま、多くのものが、海に沈んでしまってるのsinking
あなたは、ホントは考え続けなければthinkingならなかったはず
そうすれば、いくつもの波もやりすごせたのに
LSD、アルコール、お馬鹿な人
注射、銃、マリファナ
そして、たくさんのたくさんの嘲笑
みんなは、乱痴気地獄こそが最高の道だ hell's the hippest way、っていう
もちろん、私はそうは思わない。けど、
私は、それをなにもせずに眺めてる
だって、ブルー。わたしはあなたを愛してるから
ブルー。ここにHere、あなたのための貝殻があるの
その中から、ため息が聞こえるはず
くぐもった子守歌が聞こえるはず
それが、あなたに向けた、私の歌
試訳が失敗していることを気にかけず、さらに話を続けよう。
1970年のジョニ・ミッチェルにとって、もはや「カリフォルニア」は憂鬱なもの=ブルーでしかなかった。
LSDや銃や薬注射、「ヒッピー」の乱痴気騒ぎは、彼女が愛するカリフォルニアを病ませた。彼女は、カリフォルニアを、自分の子守歌で慰めたいと思ったのである。
このBlueを発表するまでの五年の間に、たくさんの出来事があった。
シングルマザーとなり、直後に別の男性と結婚し、娘と離別し、カナダを離れアメリカに渡り、夫と別れ、カリフォルニアに住み、恋をし、たくさんの恋をし、Woodstockの喧噪と出会った。
1970年のワイト島コンサートでは観客の騒乱に巻き込まれ、傷心をかかえたまま欧州に滞在し、それまで愛してきた人やものたちを見つめ直し、結果生まれたのがこのアルバムである。
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アルバム冒頭曲、ALL I WANT(私が欲しい物全部)では、今の彼女が欲しいものが列挙される。
それは、旅することであり、歌うことであり、自由であることであり、あなたの髪の毛を洗うことであり、ラブレターを書くことであり、そういうすべてのことだ。
二曲目では、一転して、過去が語られる(わたしのむかしの人 MY OLD MAN)。彼は歌う人であり働く人であり、闇の中で踊るひとであり、そして憂鬱blueからわたしを引き離してくれる人であった*3。
三曲目は、里子に出して離別したままの娘のことが語られる(Little Green)。
この曲と里子をめぐる物語については、Joni Mitchell's Secretを参照。
なおこの曲については、三友花☆さんのすばらしい訳詞がある。
四曲目は、「アフリカからの風」の感じるギリシャの地の一夜が語られる(Carey)。五曲目のBlue,六曲目のカリフォルニア、この三曲は、欧州に滞在している彼女が、アメリカのblueを考える、という設定になる。
七曲目は、欧州からの帰国機上での愛の追憶であり(Thie Flight Tonight)、残りの三曲はカナダ時代からカリフォルニアにいたる過程で出会った愛と喪失についてだ(River/A Case of You/The Last Time I Saw Richard)。
確かにアルバムの基調をなす色は「ブルー」だ。
しかし決して世界を否定する色ではない。
ポスト・ヒッピーの時代をいち早く感じ、次に踏み出そうとする彼女のカンバスの色だ。
だからその暗鬱なカンバスには、最初に「今、私の欲しいものすべて ALL I WANT」が描かれる。
その一年半後に発表された五枚目のアルバムのタイトルは、ブルーから一転、『バラのために』 For The Roses、となる。そこからシングルカットされたのは好戦的な、「スイッチ入れてよ。私はラジオ」You Turn Me On,I'm A Radio だった。
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ドライブしてて、暗い雲がかかってたら、、、、ダイアルあわせてよ。私はラジオ。。。。。。あんたを揺り動かしてあげるわ。。
なのである。あるいは、
あんたが、弱い女が好きじゃないのは知ってるよ。すぐに萎えるからでしょ。強い女を好きじゃないのは知ってるよ。あんたの卑劣さを見抜くからでしょ?。最低中の最低。完璧最低。でも、あんたが誰かを愛していてマジメな奴なら、口笛吹けば、来てあげるよ。わかってるでしょ。
あああ、姐さん。一生ついて行きます。
OKOK、みたいな気力を感じる。この時期のジョニ・ミッチェルはまだBlueに始まる陰鬱な「青の時代」と呼ばれていたけど、すでに一歩踏み出しているのだ。
最後に、アメグラ方式で、その後について書こう。
ジョニは、娘と30年たって再会し、和解し、交流が生まれた。彼女はおばあちゃんとなった。娘さん、孫と一緒に映っているフィルムを見るたびに、僕は少しほっとする。
水野英子さんは、ファイアー!の連載を終えた後、当時の日本では珍しかったシングルマザーとして子どもを生むことをカミングアウトし子どもを生み育てた。今もタフに活動している。
というわけで、彼女たちにとって何年も後に出たイーグルスの歌は、はいはい坊やみたいなカンジかもしれん。
なお別にジョニさんがイーグルスメンバーと仲がワルイとかそういうことではありませんw。
1977年のアルバム「ドンファンのじゃじゃ馬娘」では、ホテルカリフォルニア大ヒット真っ最中のグレン・フライさん呼んでますし*4、そもそも彼女自身「カリフォルニア」以後も、機会があればコカインをキメてた。
「ドンファンのじゃじゃ馬娘」にもキメて作った唄もある。ホドホドに、ってところでしょうか。はは。
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