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	<title>白い象　-Caesar Blanca（カエサルブランカ）-</title>
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	<description>白い象　-Caesar Blanca（カエサルブランカ）-</description>
	
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<item rdf:about="http://d.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090525/p1">
	<title>[演劇]水族館劇場新作公演「メランコリア 死の舞踏」始まる。〜引用の織物〜</title>
	<link>http://d.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090525/p1</link>
	<description> 天使と骨〜トリノのカタコンベ、丹沢の鹿の下顎〜　（於）カエサルブランカ 年に一度、水族館劇場の歌舞音曲の季節が巡ってきた。 例によって、ディレッタントな引用から始める。 「神が年に一回の祭りを要求するのは、そのあまりの寂しさからだ」（吟遊詩人の歌　出典：支</description>

	<content:encoded><![CDATA[
		<div class="section">
			<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090423173444" class="hatena-fotolife" target="_blank"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/caesar-blanca/20090423/20090423173444.jpg" alt="f:id:caesar-blanca:20090423173444j:image" title="f:id:caesar-blanca:20090423173444j:image" class="hatena-fotolife"></a></p>
			<p>天使と骨〜トリノのカタコンベ、丹沢の鹿の下顎〜　（於）カエサルブランカ</p>
			<br>

			<p>年に一度、水族館劇場の歌舞音曲の季節が巡ってきた。</p>
			<p>例によって、ディレッタントな引用から始める。</p>
			<p>「神が年に一回の祭りを要求するのは、そのあまりの寂しさからだ」（吟遊詩人の歌　出典：支倉凍砂「狼と香辛料 」電撃文庫　P179）</p>
			<p>「人間は、ただ神の遊びの具（玩具）になるように、というので創られたのです。これこそが人間の最良の部分ですね。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊びを遊びながら、いままで考えていたのとは正反対の考えで生きてゆかなければいけません」（プラトーン対話編「法律」の一節　出典：ヨハネス・ホイジンガー「ホモルーデンス」中公文庫　P54より）</p>
			<p>演劇界の絶滅危惧種、現代日本の無形文化遺産、洗練や完成度と無縁のミミクリ（模倣）とイリンクス（眩暈）の永遠の誘惑。祝祭のスペクタクル、水族館劇場の新作「メランコリア・死の舞踏」が、5月23日（土曜日）、駒込大観音境内特設蜃気楼劇場「異神の森」で始まった。<a href="http://www.suizokukangekijou.com/information/" target="_blank">http://www.suizokukangekijou.com/information/</a></p>
			<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090525193501" class="hatena-fotolife" target="_blank"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/caesar-blanca/20090525/20090525193501.jpg" alt="f:id:caesar-blanca:20090525193501j:image" title="f:id:caesar-blanca:20090525193501j:image" class="hatena-fotolife"></a></p>
			<p>アルブレヒト・デューラーの「メランコリア?」</p>
			<p>途中平日休演日もあるが、6月8日（火曜日）までの長丁場。時間との競争（アゴン）、台本の上梓という偶然＝賭け（アレア）の僥倖を呼び込むぎりぎりのせめぎあいの中で迎えた初日だ。最後の大量の水の落下へ向けた高揚感の積み重ねと必然性がもっと欲しいとか、シークエンスの繋がりが弱く物語がわかりにくいなどといった細かい指摘や感想を記してもむなしいからやめておく。あらすじは上記アドレスをクリックして、ご覧になっていただきたい。なにしろ、座長兼座付き戯作者兼演出の桃っち（桃山邑のことを親しみを込めてこう呼ぶことをお許し願いたい）自らが表白しているように、演出も台詞も構成も演技も「日々是新也（四書五経の四書の一つ・大学の一節から）」、どんどん変化していってしまうので・・・、ということで話は突然「北京の秋」に跳ぶ。</p>
			<p>ボリス・ヴィアンは、岡崎京子さんも漫画にした、肺に睡蓮の花が咲いてしまうという摩訶不思議な不治の病に冒された少女の切ない恋愛と荒唐無稽な美しさが際立った「日々の泡（うたかたの日々）」が良く知られている。しかし、「北京の秋」もこれまた前代未聞の怪作だ。まず、内容的にも比喩的にも「北京」にも「秋」にも全く関係が無い。物語の展開もあってないようなもので、設定もたんなる口実に過ぎない。ヴィアンの卓抜した感覚と才能のきらめく耽美的描写が延々と続く一編の長編抒情詩のようなもの。その乾いた抒情の世界に浸って楽しめる豊かさが心の襞にあるかどうかが、評価の分かれ目だ。</p>
			<p>一方、「水族館劇場」もその名のとおり乾いてはいないが、時空を超えて「いつかどこか」を自在に往還する壮大な叙事詩の振りをした抒情詩だと私は思う。物語の突然の中断と、ヒロイン、ヒーロー、敵役、狂 言回し、脇役の関係なく、すべからく異形の登場人物・全員で歌われる歌はセンチメンタルな感動に観客を引き込む。まさにこの「遠くまでゆくものたち症候群（私が勝手につけた名称）」の希望の歌は抒情の真髄だ。「世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば（山上憶良）」の観客は、彦坂裕さん言うところの人間の根源的な欲望を構成する重要な要素「移動」と「変身」、そして「承認」のカタルシスへと導かれる。</p>
			<p>そして、ボリス・ヴィアンの「北京」とも「秋」とも無縁な「北京の秋」のタイトルと作品の乖離や意味の宙吊り状態とまではいかないが、水族館劇場の芝居のタイトルもしばしば、内容との照応関係に頓着していないように思える。新作「メランコリア・死の舞踏」も「メランコリア」な雰囲気は横溢しつつも「メランコリア」は単なる飛行船の名前だし、「死の舞踏」という台詞は何回か出てくるが芝居の内容は直接は何の関係もなく、それぞれの登場人物のそれぞれの事情が開陳され物語は錯綜していく。ヒロインの弟らしい魔術道士の居城・夕凪城一階の壁にかけられていたジョン・エヴァレット・ミレーの水に沈み行く「オフィーリア」も水つながりなのかもしれないが、私には謎であった。（追記：その後、何回か足を運び、それなりのつながりがあることはわかった。しかしそれは瑣末なことに過ぎない）</p>
			<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090523160603" class="hatena-fotolife" target="_blank"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/caesar-blanca/20090523/20090523160603.jpg" alt="f:id:caesar-blanca:20090523160603j:image" title="f:id:caesar-blanca:20090523160603j:image" class="hatena-fotolife"></a></p>
			<p>アダム・スミスが考え出し心理学や認知科学の知識を援用した行動経済学という小ざかしい手法で強化されたホモ・エコノミクスに仕立てられ、死を見えなくすることで生の輝きも喪失した現代社会の日常では顧みられることのない、想像の海原を水族館劇場のクルーたちはやぶれ舟で流浪する。桃っち（桃山邑）好みの神話的思考の引用を経糸（たていと）とし、その間を、これもまた忘れさられた古今東西のかそけき創造物のありとあらゆる引用の緯糸 （よこいと）が行きかう杼（シャトル）から繰り出され綴られていく物語という織物は、加速・撹拌されながら序・破・急々とカタストロフィーへと向かっていく。</p>
			<p>膨大な引用の織物としての芝居に様々なシンボルを召還し、象徴の王国の崩壊にあらがう果てに、ラカン的に言えば現実界（空虚で無根拠な、けっして人間が触れたり所有したりすることのできない世界、つまり世界の終末や死など非常に不条理な認識不能の世界）のカオスの裂け目が、不可避的にポッカリと口をあけている。</p>
			<p>今回の芝居の惹句「神は細部にやどりたもう」も、その予兆を漲らせている。</p>
			<p>この言葉の出典は、多分息も詰まりそうなほど強迫的なあの一神教の戒めだろうが、水族館劇場と対極にあるスティール&グラスのモダンアーキテクチャー、インターナショナルスタイルの巨匠、建築家ルートヴィヒ・ミース・ ファン・デル・ローエのお気に入りだ。一般的には、細部まで手を抜くことなく、こだわりつづけて作り込むことで全体の完成度は決まるというようなことなのだろうが、水族館劇場の場合は違う。桃っち（桃山邑）の頭の中にある作品の全体像を、芝居が成立していくあらゆる局面で徹底的に解体し、その過程で生み出されていく無数の断片＝ディテールに執着し続けることで、作品=コスモスとしての全体を把握したうえでの評価を不能のものとし、複数化しまた覆しカオスへと投企していく賭け （アレア）としての「神は細部にやどりたもう」であろう。まさに「覆された宝石（おもちゃ箱）のような芝居」だ。</p>
			<p>ちなみにミース・ファン・デル・ローエは「“Less is more.” 少ないほど豊かである」という、これまた水族館劇場の過剰さとは真逆の名台詞でも有名だが、桃っち（桃山邑）に言わせれば「“Less is bore.”少ないと退屈じゃん」というところだろう（これまた、建築家ロバート・ベンチュリからの借句）。</p>
			<p>桃っち（桃山邑）のような慈愛に満ちた美しくもおぞましい引用の織物は紡げないことを承知で、宮川淳、支倉凍砂、ホイジンガー、カイヨワ、ヴィアン、アダム・スミス、山上憶良、ラカン、世阿弥、ミース・ファン・デル・ローエなどなどなど、水族館劇場の新作をめぐるこの断想も引用に終始した。水族館劇場と道化や「人びとを茶化すいたずら神」の水かぶり、水浸しの関連や、ミミクリ（模倣）とイリンクス（眩暈）との共犯関係など興味深い考察はまだまだあるがまた別の機会に譲る。最後に私が学生時代に多大な影響を受け、舞踏や・演劇への傾斜を深めるきっかけとなった現象学者の市川浩氏の「精神としての身体」の冒頭の言葉を結句として、過去に水族館劇場について記した拙文まで引用しておく。</p>
			<p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拙文「紅旗征戎、吾が事に非ず？」より・・・・・・・・・・・・・</p>
			<p>私が今素直に感動する桃山の言葉、「極端に言うと水族館劇場はまず発声練習をしません。肉体訓練もやりません。だからすごい下手な人と、すごい上手な人がいるわけです」は、表現の潔さと希望だ。プロフェッショナルな表現技術の向上のための小ざかしいメソッドや、スキル&アビリティの伸張によってえられる完成度や成熟など、水族館劇場は無縁である。</p>
			<p>彼らの芝居は、人々が忘却している、様々なものが生まれ弔われていく豊饒の縁（ふち）を常に流転し続けていく。水族館劇場の名前の由来ともなっている天が破けたかと思われるほどの大量の水の落下・洪水により世間や日常の残滓が洗われ、役者ひとりひとりの今を生きる裸形が表れる。それ はとりもなおさず、観客として足を運ぶ私たちひとりひとりの裸形でもある。そして、演じられる役との役者自身の裸形の、毎回毎回の、しかしそのつど一回限りの必死の格闘と「ずれ」こそが重要であり、深く心をゆり動かす。</p>
			<p>それは、何度絶望しても、そのつど蘇り力強く羽ばたいていく希望だ。</p>
			<p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拙文よりの引用ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・</p>
			<p>そして「存在は裸形をおそれて幻影をまとうのだ」（市川浩）ということを、今一度自覚しに、また水族館劇場に足を運ぶ。</p>
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      <li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span> <a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%d4%c0%ee%b9%c0" class="keyword">市川浩</a></li>
      
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    </ul>
  </div>
  <div class="hatena-asin-detail-foot"></div>
</div>

			<p>追記１：「それにしても台本が上がるのが遅い。遅すぎる。年々ひどくなっていくんじゃないか」という役者やスタッフ全員の桃っち（桃山邑）への不満の声はもっともだが、断言します。残念ながら改善は望めません。なぜなら「パラディグマ」という魔に憑かれているからです。パラディグ魔に憑かれると一つの言葉を思い浮かべたとたん、その何倍もの取替え可能な言葉が頭の中に押し寄せてきます。もちろんそれらの言葉は本人のアーカイブにあるものなのですが、どれも新鮮ですばらしく思えてしまい、選択ができなくなります。大勢の絶世の美女に囲まれて誰かひとりを選べというようなものです。「これも、あれも、それも、どれも」と収拾がつかなくなり、まさに「快楽の漸進的横滑り」状態。こんなパラディグ魔の誘惑と必死で戦いながら書くのですから、すべからく遅筆で、極端なことを言うと未完、永遠の現在進行形です。私もパラディグ魔にとりつかれているので良くわかります。一方「サンタグマ」という魔もこの世には存在しています。サンタグ魔に憑かれると、選んだ言葉をどのように並べていくか、いくとおりもの順列が浮かんでしまい、これまたどれも素敵なのです。言葉を紡ぐという行為は、パラディグ魔やサンタグ魔との永遠の戦いなのです。さらに付け加えると、言葉を紡ぐ行為を邪魔すものはこれだけではありません。「シニフィエ（死にフィエ）」と「シニフィアン（死にフィアン）」という言葉そのものにとり憑き、意味（魂）と表現（肉体）を引き裂く二人の死神姉妹もいるのです・・・と、ちょっと演劇的な言い訳を作ってみました。</p>
			<p>追記２：水族館劇場のテント小屋芝居も、長年続けていると毎度毎度の予定調和とマンネリズムの影がないわけではない。原初のエネルギーやラディカリズムが定型化し飼いならされてしまう危惧は感じる。もちろんそんなことは本人たちがいちばんわかっているわけだが、岡目八目ということもある。果てまで行く憧憬、遠くまで行く希望、より激しいものへの情熱を失わずに、弱者や小さきもの、マイノリティに開かれたあたりまえの心根をより強く感じさせてくれる舞台を願う。例えば、今回、役者で出演している宇賀神寿一さんは、様々な差別と企業や国家の理不尽な（犯罪的）所業に断固抗する信念のもとに、かつて東アジア反日武装戦線の「さそり」班の主要メンバーとして、連続企業爆破事件に関与し、懲役１８年の判決を受けた経歴の持ち主である。善悪の彼岸で、彼の生き様や原初の志がどう舞台に表出されていくのか。なにしろ憂世は「一つ人の世の生血をすすり、二つ不埒な悪行三昧、三つ未来の大物だ」などと嘯くやからのパンデミックだから・・・。</p>
			<p>追記３：水族館劇場の別ユニット「さすらい姉妹」０９→１０は、国民栄誉賞役者・森光子の舞台であまりにも有名な林芙美子の「放浪記」をやるそうだ。さすらい姉妹版「放浪記」がどのようなものになるか今から楽しみだが、もしかしたら、「赤いスリッパ」（齋藤なずな「千年の夢―文士たちの愛と死　上巻」小学館文庫　所収）が、参考になるかもしれない。</p>
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      <li><span class="hatena-asin-detail-label">発売日:</span> 2002/02</li>
                                                      <li><span class="hatena-asin-detail-label">メディア:</span> 文庫</li>
      
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    </ul>
  </div>
  <div class="hatena-asin-detail-foot"></div>
</div>

		</div>
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	<dc:creator>caesar-blanca</dc:creator>
	<dc:date>2009-05-25</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://d.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090308/1236519902">
	<title>[ミューズ][演劇]紅旗征戎、吾が事に非ず？　「やぶれ船で流浪する水夫たち　水族館劇場20年の軌跡」</title>
	<link>http://d.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090308/1236519902</link>
	<description> The Flower in a cartridge(花と薬莢)〜横須賀駐留米軍の使用済み薬莢を花器に見立てて〜 最後のアングラ劇団の二つ名を持つ水族館劇場の展覧会が始まった。近々、是非見に行こう。 http://www.waseda.jp/enpaku/special/2009suizokukan.html 今日は、昨年彼らの機関紙「fis</description>

	<content:encoded><![CDATA[
		<div class="section">
			<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/caesar-blanca/20090314095150" class="hatena-fotolife" target="_blank"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/caesar-blanca/20090314/20090314095150.jpg" alt="f:id:caesar-blanca:20090314095150j:image" title="f:id:caesar-blanca:20090314095150j:image" class="hatena-fotolife"></a></p>
			<p>The Flower in a cartridge(花と薬莢)〜横須賀駐留米軍の使用済み薬莢を花器に見立てて〜</p>
			<br>

			<p>最後のアングラ劇団の二つ名を持つ水族館劇場の展覧会が始まった。近々、是非見に行こう。</p>
			<p><a href="http://www.waseda.jp/enpaku/special/2009suizokukan.html" target="_blank">http://www.waseda.jp/enpaku/special/2009suizokukan.html</a></p>
			<p>今日は、昨年彼らの機関紙「fishbone」に寄稿した拙文を再録する。</p>
			<p>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p>
			<p>「水族館劇場」船長の桃山邑と私は、同世代だ。直接面識を持ったのは最近である。今まで何回も会う機会はあったのだが、私は避けてきた。その理由は・・・、そしてなぜ今、会う気になったのか。そのことを明確にしないと、水族館劇場に、どうも愉快に足を運べない。</p>
			<p>逗子の古刹の境内に引っ越してきた両者に共通の敬愛する友人であり、水族館劇場のプロデューサーでもある中原蒼二の家で、桃山を紹介されたのは最近のことだ。</p>
			<p>お互いの興味、友人、体験、考え方など多くの共通点があり、中原と三つ巴で、よく笑い、よく話し、酒を酌み交わし深夜に及び、すぐに意気投合した。まるで李白と杜甫のように愉しんだひと時だった。それから年の瀬の寄せ場芝居ユニット「さすらい姉妹」にも顔を出すようになり、しばしば酒席も共にするようになった。</p>
			<p>反事大主義、反コンフォルミストを内在論理とし、私はかつて、舞踏の制作や、フリースペースの運営、オルタナティブ・ミュージックユニットなどを手掛けていた。そのころから芝居・演劇一筋の桃山のことは知っていた。</p>
			<p>その後、私はセゾン系の広告代理店を経て、今は、企画・コンサルティングの会社をパートナーと手掛ける傍ら、大学でメディアリテラシーを教えている。</p>
			<p>桃山はいくつかの劇団を経て、87年に水族館劇場を立ち上げる。</p>
			<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
			<p>「紅旗征戎、吾が事に非ず（こうきせいじゅう、わがことにあらず）」は、和歌の完成と頽廃を一身に担った藤原定家の日記「明月記」の中の一節。プレテクストは白楽天の「白氏文集」。「紅旗」は朝廷の権勢を示す旗。「戎」は古代中国西方にいた遊牧民族を蔑称で、「征戎」は、鎌倉の源氏を征伐するという意味。平安末期から鎌倉時代へと価値観の大転換期、戦乱の耐えない大混乱の最中、19歳の定家は「世の中のことも朝廷の権勢も源氏征伐も知ったことではない」と決然と書き記している。</p>
			<p>見田宗介の日本戦後史の考察を継承・発展させた大澤真幸「理想の時代→虚構の次代→不可能性の時代」のスキームを借りれば、60年代から70年代初めという、「理想の時代」の末期から「虚構の時代」へといたる価値転換期に、桃山も私も思春期を過ごしている。</p>
			<p>定家の生きた時代とは比べるべくもないが、敗戦後のチープトリックのような理想は色褪せ、安保闘争、全共闘運動の閉塞、連合赤軍事件、三島由紀夫の割腹自殺・・・、時代は大きな転換を迎えていた。全共闘運動（学生運動など）は、社会変革や革命という理想とは裏腹に具体的な実効性に乏しく、既存の権威や理想をひたすら否定するのみ。その盲目的な情熱に突き動かされ、「果てまで行く、より激しいものに向かう、世界を獲得する」という、彼らが否定したはずのロマン主義的な観念の自家中毒、連合赤軍事件を引き起こし、全共闘世代に抜きがたい棘を残し、時代は虚構の中に滑り落ちていく。</p>
			<p>子供心にもそんな時代の変化を敏感に感じ取りながらも、何もできないことへの無力感ゆえの肥大した自意識や、世界への違和感と死の想念に苛まれていた。</p>
			<p>そんな思春期の私にとり、祖父から聞いた「紅旗征戎、吾が事に非ず」という言葉は強く印象に残った。</p>
			<p>大東亜戦争の敗戦後も戦地ベトナムに残りホーチミンのベトナム独立戦線に参加し、帰国後もベトナムの戦争終結と日本との友好のために尽力した祖父が、どんな気持ちでその言葉を私に教えたのか、今となっては知る由もない。</p>
			<p>私は、世界と距離をとり内面に沈潜していった。</p>
			<p>「地獄への道は善意で舗装されている」</p>
			<p>「いちばんの悪をなすのは、悪人ではなく無知な善人だ」</p>
			<p>「悪魔はいつも笑顔で耳障りの良い言葉を囁きながらやってくる」などと、ペダントリーを弄しながら・・・。実は今でも心の底ではそう思っている。</p>
			<p>この思春期に、桃山と私の内在論理形成に大きな隔たりがあったのだろうと、私は思っている。「三つ子の魂百まで」である。そのうち子供のころのことをゆっくり聴いてみたいと思っている。</p>
			<p>反事大主義、反コンフォルミストという志向は一緒でも、現象形態や動機などは、私と桃山では大きく異なっているのではないかと思う。私が、桃山と会うことをためらっていた理由もその辺にあるのかもしれない。</p>
			<p>省察することは、たとえ事実検証のあいまいな仮設でも、自身が囚われている想念を対象化し、それから自由にする。</p>
			<p>人間が集団・組織として、正しいことや理想に動かされて行動するときの危うさには、相変わらず辟易していても、本質的に人間嫌いではない私は、歳とともに世界を肯定する知恵と力を身につけていった。</p>
			<p>私は今素直に感動する桃山の言葉、「極端に言うと水族館劇場はまず発声練習をしません。肉体訓練もやりません。だからすごい下手な人と、すごい上手な人がいるわけです」は、表現の潔さと希望だ。プロフェッショナルな表現技術の向上のための小ざかしいメソッドや、スキル&アビリティの伸張によってえられる完成度や成熟など、水族館劇場は無縁である。</p>
			<p>彼らの芝居は、日々の暮らしの中で人々が忘却している、様々なものが生まれ弔われていく豊饒の縁（ふち）を常に流転し続けていく。水族館劇場の名前の由来ともなっている大量の水の湧出により世間や日常の残滓が洗われ、役者ひとりひとりの今を生きる裸形が表れる。それはとりもなおさず、観客として足を運ぶ私たちひとりひとりの裸形でもある。そして、演じられる役との役者自身の裸形の、毎回毎回の、しかしそのつど一回限りの必死の格闘と「ずれ」こそが重要であり、深く心をゆり動かす。</p>
			<p>それは、何度絶望しても、そのつど蘇り力強く羽ばたいていく希望だ。</p>
			<p>基本的に「紅旗征戎、吾が事に非ず」という態度は変わらないが、私は今、素直に希望の生まれる場を感受するために、水族館劇場に足を運ぶ。</p>
			<div class="hatena-asin-detail">
  <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JA63ES/hatena-hamazou-22/"><img src="http://d.hatena.ne.jp/images/hatena_aws.gif" class="hatena-asin-detail-image" alt="ベトナム民話―民族の英雄と恋と知恵 (1968年) (三省堂新書)" title="ベトナム民話―民族の英雄と恋と知恵 (1968年) (三省堂新書)"></a>
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    <p class="hatena-asin-detail-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JA63ES/hatena-hamazou-22/">ベトナム民話―民族の英雄と恋と知恵 (1968年) (三省堂新書)</a></p>
    <ul>
      
      <li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span> <a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%d3%c5%c4%b2%c5%c9%c4" class="keyword">池田嘉苗</a></li>
      
      <li><span class="hatena-asin-detail-label">出版社/メーカー:</span> <a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%b0%be%ca%c6%b2" class="keyword">三省堂</a></li>
      
      <li><span class="hatena-asin-detail-label">発売日:</span> 1968</li>
                                                      <li><span class="hatena-asin-detail-label">メディア:</span> 新書</li>
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    </ul>
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	<dc:creator>caesar-blanca</dc:creator>
	<dc:date>2009-03-08T22:45:02+09:00</dc:date>
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