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2012-02-10

[] 三瀧川 純米酒 21:52  三瀧川 純米酒を含むブックマーク

寒い日、それに明日は祝日。。。

となると、今日は少し飲みたくなります。

次男のお迎えにいった帰りに、次男と立ち寄ったお店で目につきました。

f:id:caesarkazuhito:20120210212734j:image

「三瀧川 純米酒

清酒 三瀧川・初響醸造元 株式会社ナカムラ


帰り道だったので、ホンの一刻の間どうしようかと迷ったのですが、値段もお手頃(なんと1,000円未満でした)夜に備えて購入しました。


そして久しぶりの日本酒

とりあえず今夜は「冷や」で楽しんでみることにします。


グラスに注いだ色合いはスッキリとした透明、粘度は少し高そう。

グラスに鼻を近づける、鼻腔に届く香りは甘くフワッと広がる感じ。

口に含むと、やはりサラっとした感じはなく、口腔内にアルコールが吸い付くような感じで広がるが、後味はスッキリとした辛口だった。そしてそこから鼻腔にかえってくる香りもヨカッタ。


美味しく、お手頃な一本ですね。

これに合わす肴を思うとまた楽しくなります ^^

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2012-02-09

[]イスラム教とテロリズム 00:00 イスラム教とテロリズムを含むブックマーク



佐藤:イスラム教に「原罪」意識がないことが重要だと思います。たしかにキリスト教の中でにもテロリズムはあります。北アイルランド紛争がそうですね。しかし自分の行いや考えは正しいんだと思っていても、「原罪」意識が破滅的な地点にまで到達することを止めてくれます。それは自問して気付く場合もあれば、周囲の人間が、あなたのやっていることは「罪」ではないかと、引き戻してくれることもあるでしょう。「原罪」というドクトリン(教義)から離れて、キリスト教徒でいることは不可能ですから。


魚住:イスラム教にはテロを押しとどめるような内在的な論理がないと?


佐藤:そう思います。イスラム教は、人間が楽園から追放される前に神様と和解してますから。「自分の考えや行為は神様に由来している」と信じた時点で、「正義」に転化しやすい。ですから第三者にはそれが過ちに思えても、もはや正しいと思い込んだ人を止められないでしょう。


P.47ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)

補足:イスラム教の正統スンニー派⇒学派の一つハンバリー派(サウジアラビアの主流)⇒そこからの派生がワッハーブ派(厳格なハンバリー派の中でも特に厳格 ビン・ラディンもワッハーブ派)

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2012-02-08

[]イスラム教にとっての罪 00:37 イスラム教にとっての罪を含むブックマーク

ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)より

佐藤:構造的にはキリスト教と似ていますが、イスラム教は性善説に立ちます。

魚住:ということは「原罪」意識がない?


佐藤:罪はあるんですが、穢れくらいなんですよ。イスラム教における人間のでき方は、旧約聖書の記述とほぼ同じです。神の言いつけに背いて楽園から追放されてしまうところも同じ。ところが追放されるときの事情が旧約聖書と違います。実は、追放される前にアダムは神と和解しているんですね。

〈しかし(その後)アーダムは主から(特別の)御言葉を頂戴し、主は御心を直して彼に向い給うた。まことに主はよく思い直して給うお方。主は限りなく慈悲ぶかいお方 (コーラン「二 牝牛」35)〉

ですからその罪は彼らの子どもたちには及ぶことはありませんでした。その子どもたちは「いやしい水」からできています。

〈その後裔をばいやしい水(精液)の精から創り出し (コーラン「三二 跪拝」7)〉

そこにはある種の穢れを意識を見て取ることはできても、それは洗えばとれてしまう程度のものだといえるでしょう。やり直しが可能だということなんです。


魚住:日本人の「水に流す」という感覚に近いんですか。


佐藤:そうです。神道の考え方に近いと思います。この感覚は世俗化された現代の日本人にも残っています。大晦日のNHKを思い浮かべてください。紅白歌合戦でバカ騒ぎしていたかと思ったら、十一時四十五分、急に静かな山寺の映像に変わり、「ゆく年くる年」が始まる。これは、一年の終わりに、人為的にカオス(混沌)をつくりだしたあと、静かなコスモス(秩序ある世界)のもとで生まれ直す、ということです。穢れを祓ってしまえば「なかったこと」にできるということです。反中国、反韓国的感情を抱く国会議員や識者がいう、日本は侵略や植民地支配について「謝罪したからいいじゃないか」論に代表される歴史認識の問題の中でも重要な点のひとつがここだと思います。


魚住:そうですね。しかし、キリスト教も懺悔すれば許してもらえるのでは?


佐藤:キリスト教の場合は、悪いことを「忘れない」けど「許す」か、「忘れない」し「許さない」なのです。いずれにしろ悪いことは「忘れない」のです。そこがイスラム教や神道との違いです。

P.44-P.45

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