ファシズムと、やさしさと、救貧政策


ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき (朝日文庫)」より

佐藤:スターリン=ディミトロフ型のファシズムの定義が部分的に参考になるでしょうね。ディミトロフはブルガリア人のコミンテルン活動家で、第二次世界大戦前夜のスターリン共産主義陣営のファシズム観の形成に大きな役割を果たしました。その論を大きく整理すると四つになります。
1.ファシズムの典型はドイツでヒトラーが展開するナチズムである。
2.ファシズムは資本主義の最高段階である帝国主義の一変種に過ぎない。帝国主義の担い手は金融資本であり、その中の最も悪質な形態がファシズムだ。
3.ファシズムデマゴギーと暴力を巧みに使い分けて政治権力の独裁を図る。
4.ファシズムは国民大衆に「清潔な政府」というスローガンを掲げ、正義感に訴え、革命や改革を実現する政治勢力であるとイメージつける。


(中略)この後郵政選挙当時の小泉首相と連関して話をしている。

佐藤:どの国家も本質的に暴力的要素を内包しています。ただし、社会には暴力が顕在化する一定の水準がある。その水準は時代によって変化します。学校で教師が生徒を殴る蹴るが常態化していた戦前戦中の日本では、それが平均的暴力だったので、特高警察に捕まったりするとプラスαの相当激しい拷問が加えられました。現在の日本では日常的な暴力の水準が低くなっていますが、国家の本質が変わったわけではない。たとえば二〇〇四年の立川反戦ビラまき事件。地裁では無罪判決がでましたが(高裁で逆転有罪)、国家にとって好ましからざる人物をビラをまいただけで逮捕し、保釈後の生計が成り立たなくなるほど長期間勾留する。市民運動に対する牽制ですね。これも国家による暴力なんです。構造的には戦前の特高警察の拷問と同じです。国家が目的達成のために合理的に必要最小限の暴力を行使しているのです。


魚住:デマゴギーの方は?


佐藤:トートロジー(同義反復)の多用です。イラク戦争で自衛隊の派遣先のサマワが戦闘地域か非戦闘地域かをめぐる小泉さんの国会答弁がその典型です。“非戦闘地域とは何か。自衛隊が展開しているところだ。自衛隊が展開しているところが非戦闘地域だ”あるいは、“改革とは何だ?郵政民営化だ。郵政民営化とは何か。改革だ”。この論理は決して崩れないんですよ。でも考えてみてください。“明日の天気は雨か、それ以外だ”と言っているのと同じですよ。この言い方だと天気予報は一〇〇パーセント当たるんです。


魚住:つまり、何か言っているようで実は何も言っていないということですね。


佐藤:そう。この場合、明日の天気に関する新しい情報は何もない。こうした意味・内容のないメッセージを「改革」だと称し、自民党こそがその実現に邁進する政党だとして国民にアピールしたというわけです。しかも小泉さんには私腹を肥やしているイメージがない。これがファシズムの四番目の定義、「清潔な政府」「改革を実現する政治勢力」に重なる部分ですね。


魚住:それで佐藤さん、トートロジーで訴えても大多数の国民の支持を得ることができ、衆議院の三分の二以上を与党で占めることができた小泉首相が、ファシズムを完成させるのに欠けているものって何なんですか。


佐藤:「やさしさ」です。
P.86-P.89

(中略)


魚住:新自由主義では貧富の差が非常に広がって二極化していきますよね。加えて利潤追求のためには国家の規制、場合によっては国家という枠組みさえ邪魔になりますよね。ということは、ファシズム、つまり全体主義とは逆方向に進んでいるということではありませんか。


佐藤:そのとおりです。


魚住すると「やさしさ」とは、本来ならば相反する新自由主義ファシズムとの橋渡し役ということ?


佐藤:このまま新自由主義が進むとどうなるのか。社会的弱者に視点を置くと、大きく二つのシナリオが考えられます。ひとつは、資本主義のシステムが機能しなくなるほど弱者層が荒廃する。経済的困窮や将来への不安などから、治安が激しく乱れたり、少子化傾向に拍車がかかって、労働力が十分に「再生産」されなくなるでしょう。ふたつめは、そこまで荒廃が進行する前に社会的弱者が横の連帯を模索し、強者との間で階層間対立が起きる


魚住:どちらのシナリオも国や社会的強者にとっては厄介ですね。


佐藤:支配層や富裕層にとっては、社会的弱者はバラバラで、かつ従順な労働力であってくれるのが最も都合がいい。そのために国は「やさしさ」を発揮します。


魚住:具体的には?


佐藤:資本主義システムをギリギリ維持できる救貧政策的な“生活保障”でしょうね。


魚住:それは従来の福祉政策とは違う?


佐藤:まったく違います。資本主義国家における生活保護や年金制度、医療保険、義務教育の無償化、税制面での優遇などはそもそも社会主義の発想でしょ。


魚住:ああ、そうか。


佐藤:社会主義陣営に対抗するための施策という面があります。極言すれば革命と起こさせないための国民に配る飴ですよ。しかし東西冷戦が終わり、共産主義の脅威はなくなりましたね。もはや資本主義社会において手厚い福祉政策はやめたっていいわけです。


魚住:たしかに日本では配偶者控除廃止の方向ですし、所得税の累進課税率が緩められる一方で、課税最低ラインが引き下げられている。義務教育の国庫負担額も削減されますね。


佐藤:国家は国民に自助努力を求めています。落伍者に対しては「今日生きていくだけの食べ物だけは与えてあげるよ」程度の施し。エンゲルスが十九世紀半ばに著した『イギリスにおける労働者階級の状態』で描かれる救貧政策を私はイメージしています。救貧院という収容施設がつくられ、〈食物は極貧の就業労働者のものよりも粗末であるが、労働はそれよりもはげしい。そうしないと、極貧の就業労働者は、そとでの悲惨な生存よりも救貧院に滞在しているほうをえらぶだろうからである〉(『マルクスエンゲルス選集 第二巻』新潮社版所収、一九六〇年)


魚住:そんな酷い状態になるんだったら、資本主義システムは機能しないのでは?


佐藤:ですから、救貧政策は困窮者への「いたわり」の衣をまとって出てくるでしょう。それに時々、国家は社会的強者・資本家や企業の不正を“暴いて”血祭りに上げ、弱者に対して「清潔な政府」をアピールしてきます。そうしたイメージ操作に成功すれば、社会的弱者は「いたわってくれる」国家と直接つながり、包摂されているんだという国家への「帰属意識」を抱くでしょう。実際は階層間は大きく断絶しているのに、どういうわけかまとまってしまうのではないでしょうか。そうしてファシズムが完成するというわけです。
P.90-P.93