メモ(考えてしまった)
友人や家族の無事が確認できた後、正直言って出先から帰る気力がなくなった。
動かない山手線とバスを待つ行列、駅の混乱した様子、道端でうずくまる人、コンビニの行列。
ただ、そばにいる友人と暖かい場所に行きたいと、それだけしか頭になかったような。
翌日は実家ではなく独り暮らしの部屋へ。
実家では停電・断水。人が増えると迷惑なのではないかと思った(いま考えたら、自分が不自由な環境に身を置くのを避けたかっただけのように思えてきた)。
実際、帰省する手段はほぼなかったのだけど。
心休まる友人と夜を明かした(分明ってすごいな!)。
一人は心細すぎた。
帰ってこいと言われても、よく知りもしない駅で立ち往生するのが怖くて、だったらここ(東京周囲)にいたいと思った。
なにがなんでも家族のもとへとはちょっと・・・・・
家族のためならなんでもできると思っていたけど、やっぱり自分が1番だったのか、私。幻滅だぜ。
大げさかな。
いまは実家。
家族と自分のため、できることを少しずつこなしている。
周りを囲んでくれる人が増えたという意味での安心感。
両親の料理や祖父の寝顔、弟のくだらない話は癒し。
けれど、家族の視野の狭さと情報収集能力の低さを改めて感じて、そこはやや不安感。
駆けつけられる距離にはいたいけれど、難しいなぁ。
いろいろをみた私は、どうやら昔と違う。
あとさ、これは地震とは無関係なのだけど、自分信じて歩いて、結果がついてきたらOKっていうシステムを導入することにした。
自分を見失わないために。
(他人の意見無視とは違うけど。)
まだ余震が続く夜。