2012-05-26 将来の日本を探るなら「田舎のアラフォー」に注目せよ

先日、とある会で以下の資料を広げてあれこれと好き勝手会話していたのだが、バランスの取れたレポートという評価で参加者が一致したために掲げておく。ちなみにレポートのリリースは2011年10月7日である。
J-INSIGHT 日本は経常赤字に転じるか? - Morgan Stanley MUFG
http://www.morganstanleymufg.com/economicforum/jaew/docs/jaew_111007.pdf
タイトルはいまなお議論が繰り返されるポイントであり、レポートの論点は豊富なのだが、個人的には本筋からは少し離れて、この資料中のとあるグラフに注目してしまった。なので、今回は下のグラフをネタに書いてみることにした。

上記のグラフを端的に表現するならば、「年金もらってるヤツらは意外にカネ貯めている」。
「意外に」と述べたのは、これがトレンドであるならば、この点は多くの識者らが当然のように語ってきたことが、ある意味では裏切られているということを示すからである。
長期的に見れば、さらなる高齢化の進展により家計貯蓄率が低下していくことは避けられない。団塊の世代の先頭が65歳を迎えて「高齢者」となる2012年以降、高齢化が加速することにより貯蓄率は再び急低下していき、日本経済はいずれ家計からの潤沢な資金供給を期待できなくなると考えられる。
(櫨浩一 『貯蓄率ゼロ経済』 日本経済新聞出版社 p.115 より)
公的年金をフルで受給する前の60-64歳のレベルでは確かに、退職一時金を受け取った後の貯蓄率がマイナス域に突入するという状況ではあるのだが、フル受給世代の65歳以上では意外にもダウントレンドにあるとは(この資料からは)指摘しにくい。
これは何を意味するのだろうか。
この資料が示唆するのは「日本株式会社」のキャッシュ・フローの頑健性だ。
つまり国全体で見ると、現在は政府が浪費し、その分を家計が貯め、企業も貯めて(貯めてどうする)というバランスのもとにあるわけだが、先ほどの「日本経済はいずれ家計からの潤沢な資金供給を期待できなくなると考えられる。」という文章の「いずれ」が想定する将来が、少しずつ遠ざかっている可能性がある。

( 資金循環の日米欧比較(2012年3月23日) - 日本銀行調査統計局 より)
これをもう少しだけ、ローカルに眺めてみたい。
平成17〜22年の間に人口が減少した都道府県の数は38道府県であるが、中でもワーストは秋田県であった。
以下は秋田県の人口と秋田銀行の総預金量の推移である。(下のグラフは前年比変化率)

長崎県についても同様のものを眺めてみよう。

高齢化が進み、実際に5年以上も人口減少トレンドにある県とはいえ、消費者のマインドも反映してか、当地の銀行への預金は減るどころか、むしろ順調に集まっている。
ここまでを総括すると、現在の日本は高齢世帯の年金受け取りに、現役世代からの仕送り、さらに高齢者自身も以前より労働によって稼ぐようになり、表面上は高齢世帯の貯蓄率までプラスとなっている。
また、利子率が低いのにもかかわらず、預金量は(人口動態に関係なく)増える状況が継続し、投資意欲が(主体を問わず)涌く環境下にないことが、皮肉にも「日本株式会社」のキャッシュ・フローの頑健性を高めている。
さて、それではここで上で眺めた「ローカル」の先を少し考えてみよう。
団塊世代をメインにシナリオを立てると、以下を想定できそうだ。
(1)団塊世代の年金フル受給〔当該地域の貯蓄率プラス要因〕→(2)団塊世代の老衰〔当該地域の貯蓄率マイナス要因〕→(3)相続〔当該地域の貯蓄率プラス要因〕
その後(あるいはその過程中)は〔各地の高齢世代増加>生産年齢人口増加〕のトレンドにしたがって当該地域の貯蓄率は減っていくということになろうが、(3)の相続については1つのスパイラルを想起させる。
団塊世代の相続先となる団塊ジュニアは現在アラフォーと呼ばれる40歳前後。
彼らが親元をさほど離れないのであれば、その相続は減少する地域の貯蓄率を引き戻してくれるが、彼らが県外に流出するようであるならば、進む「マネーの高齢化」に抗う力とはならない。
したがって、地域経済が老衰し、アラフォー世代を惹きつける魅力がない人口減少地域は、その地域のキャッシュ・フローを一時的に支えるであろう将来の(3)によるマネーのUターン機能までをも失うことになる。
こうして経済のみならず政治も老衰し、人口の社会減をも容認するような地域の衰弱スピードは加速しやすいと考えられる。
預金量の縮小とは同時に貸金量、地域経済の収縮でもあり、国債消化余力の減衰である。
日本国の将来の財政余地を探るにあたって、「田舎のアラフォー」動向は今後、より多くのヒントをくれるのではないだろうか。*1
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2012-03-05 国民が紙幣に利息を求めない4つの理由

紙幣が「負債」となる機関
この概論は読み飛ばしていただいて構わない。
ご存知の通り、あなたが日常的に保有する紙幣には「日本銀行券」の文字がある。
あなたも、一般的な市中銀行も、どこの株式会社であっても、彼らがもつ紙幣すなわち日本銀行券は、すべてバランスシートの左側「現金」勘定に現れる。たとえば、あなたがATMでカードローンによる借り入れを行ったならば、あなたのバランスシートの資産の部に「現金 10,000円」と負債の部に「借入金 10,000円」が同時に計上される。
しかし、当然ながらこの日本銀行券が「負債の部」、バランスシートの右側に現れる主体がただ1つ存在する。日本銀行だ。
あなたの給与がみずほ銀行に振り込まれると、あなたのバランスシート上は「預金」が左側「資産の部」に現れるが、みずほ銀行のバランスシート上は右側の負債の部に現れる。これと同じ構図である。
ざっくり言って、みずほ銀行のディスクロージャー等によると、H.22/4〜h33/3の1年間に、75.8兆円の預金(平残)に対し、534億円の利息(ここに掲げた数値はすべて譲渡性預金を含む)が支払われた。翻って日銀を見てみると、h34/2では約80兆円の通貨を発行している状況だ(月中平残)。
そしてこのわざとらしい書き方とタイトルでお分かりのように、この発行された通貨に対して日本銀行は何ら利息を支払っていない。
こうした記述に違和感を覚える方も多くいるだろう。
我々は日本銀行に預金した覚えもないし、おそらく多くの人はそこに預けたいという欲求すらない。
しかしながら、日本銀行のバランスシートの右側には「発行銀行券」と「預金(もっぱら当座)」という勘定があり、この資金調達により買ったものや民間に貸したものなどが左側に書かれている。
その左側では、日銀は国債はもちろんのこと、いまではCP・社債、ETFにREITまでお買い上げだ。
ここで1つだけ引用させていただき、タイトルに掲げたテーマに入ろう。
紙幣のない世界の物価と金融政策 - 投資の消費性について
http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20101018/p1
そもそも日銀が職員に給料を払い、国庫に釣りまで返す*1ことができるのは、預貸利鞘があるからだ。つまり日銀は、金を安く借りて高く貸すことで、利益を得ている。「安く借りて」の部分は、要するに紙幣の発行のことで、「高く貸す」の部分は、要するに国債の購入のことだが、ちょっとピンと来ない方も居るかもしれない。紙幣の発行が、なぜ「安く借りて」いることになるのかと。こう考えてみていただきたい。我々が紙幣を持つ代わりに銀行にお金を預けておけば、今はとても小さいが、しかし利息がつく。そのあきらめた利息は、得べかりし利息は、我々が日銀に寄付しているようなものだと。紙幣でしか買い物ができないからといって、あるはずだった利息をあきらめるのは、決して当然のことではない。
さて、我々がこの「得べかりし利息」を「日銀に寄付」し続ける理由は何だろうか。
そして、この状況は今後も続くのかについても少しだけ検討してみようと思う。
我々が「日本銀行券」に利息の支払いを求めない理由
1.日銀に「貸している」という認識がない
一言で言ってしまうと、「紙幣に利息がつくはずがない」という常識があるからだ。
小中学校の先生は銀行にお金を預けると利息がもらえることは教えてくれるが、大企業が必死に管理してきた「紙幣を保有するコスト」については教えてくれない。
もちろん前世紀とは違い、我々が紙幣を持って日銀に怒鳴りこんでも、彼らは何とも交換してくれない。
とはいえ、中央銀行のバランスシートが普通の金融機関のそれに次第に少しずつ近づいている中で、「なぜ預金を引き出すと突然無利息になるんだろう」という意識は高まってもいいのかもしれない。ものすごく長い目で見れば。
2.そもそも利息を支払う手段がない
これでは大きすぎると怒られそうだが、仮に国内銀行平均の半分、0.01%くらいの金利で発行銀行券と補助貨幣に対して日銀が利息を支払うとすると、1年に80億円前後の利息が通貨利用者に支払われることになる。
だが残念なことにミクロで見てしまうと、これは大変なことになる。
あなたの財布に平均的に存在する1万円札に、どうやって1円を届けたらいいだろうか。
あなたが今年度に持っていた現金は平均的にはいくらだろうか。
我々は日銀に口座を持っていないのだから、あなたが日銀にどれだけお金を貸しているかを、日銀は捕捉しないし、したいとも思わない。
銀行券には番号が割り当てられているから、利息の受け渡しは実務的に不可能と断言まではできないのだろうけど、可能だからといって現実にこれで得をする人は寡少と言わざるを得ない。
もちろん技術の進歩につれ、この言い訳は通用しなくなる余地があるのも事実だろう。
とはいえ、これが言い訳となる次元にすら至っていないのが現状でもある。
3.紙幣を過剰に多く持つ動機が「紙幣の匿名性」にある
国税庁は毎年ドヤ顔で報道機関に対し「土の中から現金掘り起こしましたよ画像」を提供するが、最も紙幣に利息を求めてもいいような層は同時に、「最も紙幣を持っていることを隠したい層」であることが往々にしてある。
つまり、これは紙幣の大量保有者が「あるはずだった利息をあきらめたい」人であることを意味する。
4.利息をあきらめてでも、守りたいものがある
「日銀へ利息を求めてもおかしくはないのでは」
こういう認識が共有されても、それを放棄してまで守りたいものがあるという人は少なくはないだろう。
「はした金はいらんから、きちんとやってくれればそれでいいんだよ」
こんな日本的な言葉がどこかから聞こえてきそうだ。
将来無料になるはずであった高速道路の通行料金が払われ続けるように、紙幣保有者が薄く広く決済インフラの維持管理費を負担し、かつ、政策の余地を提供している構図は、私にとっては割と現状を表しているように思える。
最後に
これ以上その理由ばかり述べてもキリがないから、まとめに入ろう。
これまで見てきたように、今後も技術は進展するし、決済の手段も増えるし、日本銀行に対して利息の支払いを求める人が今後出てくる可能性は否定出来ない。
だが、4つの理由を掲げたように、日本銀行が存続する間に、それが1つの政治的な運動になるような気はやっぱりしない。
そういうことにはなるのだが、ただここで無視できないのは、日本銀行の運営上や人々の日々の決済の上に何らかの異常が発生した場合である。
そうなると、大分先のことではあるかもしれないが、ここで述べてきたような平時の理屈がどこまで通用するかは分からない、かもしれない。
現行の中央銀行の体制は100年として続いているわけではないし、英語では紙幣も手形もどちらも「bill」だ。
そして日銀が国民の声から独立ではないことは、日銀の中の人が自覚するところだ。
※最後に1つだけ補足しておくと、引用したequilibristaさんのエントリを読めば分かるように、彼が紙幣には利息が付されるべきだと考える理由はまた別のところにある。
参考資料
会計・決算 :日本銀行 Bank of Japan
http://www.boj.or.jp/about/account/index.htm/
みずほ銀行:株主・投資家のみなさま
http://www.mizuhobank.co.jp/company/investors/index.html
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2012-01-29 「起業家」なんて消えればいい

また新しくサイトを運営することになりました。
そこでは担当者が持ち回りで記事を書くことにしておりまして、今回はスタートということもあって私が担当いたしました。
このエントリは、そこで書いたものを再構成したものです。
「起業家」なんて消えればいい
ステキだな、と思える方と出会ったら、この人と何か面白いことできないかな?と、いつもそう考えている。
だから自分が接する相手が、心の中で(密かに)思っている「これやってみたいな」を言葉にしてもらうことはこの上ない喜びであるし、ましてや、それを何らかのカタチにしてもらえたら、自分のことのようにうれしい。
なぜなら、自分はその人のことをステキだと思っていて、そのステキだと思っている人のアクションもまたステキだからだ。
だけれども、「起業家」なんてのは消えればいいと思う。そんな概念が消えてくれるとステキだな、と思う。
確かに起業して成功するヤツも失敗するヤツもどこかカッコイイし、実際に尊敬する局面は山ほどある。
だが、「起業を増やそう」というような取り組みには、自分はさほど乗り気ではない。
第一、「起業家」と語ったところで何なんすかそれはという感覚は「経済評論家」や「ジャーナリスト」のそれとあまり変わらない。
それはまだ、「片付けコンサルタント」と名乗る方が誠実に聞こえてしまうほどだ(これも1つのサクセスストーリーにすぎないわけだが)。
「個人の時代」という概念が少しずつ語られてくるにつれ、最近では「自己ブランディング」なる言葉を見かけるようになった。
それは自分をよく見せる方法を確立して、周囲からみた自分のイメージ(主にWeb上でのイメージ)をよくしましょうというもので、昨今のソーシャルツールの認知度の高まりに沿って語られる回数が増えてきた単語である。
そして、その概念は「起業家」以上に気持ち悪い。
その気持ち悪さといえば、悪い評価が一切ないクチコミサイトを見たときのそれと、ひょっとしたら同じで、そもそも何のためにブランド化するのかといえば、ブランド化するためにブランド化するんだと言っているようにしか私には聞こえなくなってしまったほどだ。
だが、「社会」に対する「個人」という概念は想像していたよりも難しく、誤解を生みやすく、理解しにくい。
それは、「個人」という単語があまりにもあふれているからでもある。
F.A.ハイエクは「個人主義と経済秩序」の中でこのように述べている。
A・ファーガソンが述べているように、「諸国家は偶然に誕生したのであって、それは人間の行為の結果ではあるが、人間の設計の結果ではない」のである。そして自由な人間の自然発生的な協力は、個々人の知性が完全には理解しえないような偉大なものをしばしば創造するということである。
本当に「個人の時代」が来ている、あるいは、来ようとしているのならば、「自己ブランディング」とやらが実現するものは「履歴書のソーシャル化」くらいに過ぎない。
そんなのはそういうものが趣味な人だけがやればいいと思う。
改めて、冒頭の話に戻ろう。
「起業家」なんてのは消えればいい。
だが、より正確には「起業」という言葉自体に消えて欲しいと思っている。
起業したことそのものが何らかの尊敬や自負の対象になることが、起業することが何らかのハードルであることが、いったい誰の幸せになるのだろう。
もちろん、そのことが誰かしらの幸せになっていることも事実だろうが、そんなものはやっぱり別の何かの実現が遠のくという不幸せでオフセットされていると信じている。
だから、起業家という言葉は自己ブランディングだ。
だから、その言葉は気持ち悪い。心からそう思う。
だから、「起業」という言葉がない社会が少しでも早く実現すればいいな、と思っている。
2011-10-31 円売り介入、そして加登住さんが伝説となった日 #かとずみ

日銀の基金5兆円増額から週明け、月末の今日。
安住さんが吠えた。
財務相“納得いくまで介入” - NHKニュース
安住財務大臣は、31日午前、臨時の記者会見を行って円売りドル買いの市場介入に踏み切ったことを明らかにするとともに、「市場がどう思おうと、私としては納得いくまで介入する」と述べ、介入は大規模になるという見通しを示しました。
この直後に歴史的な出来事が起きた(誇張済)ので説明しておこう。
10/31 早朝
円が戦後最高値更新、一時1ドル=75円32銭
10:25
政府・日銀の円売り介入のうわさ
10:30
1ドル=78円台に突入
10:32
介入実施と市場筋
10:46
安住財務相、黙ってりゃいいのに「単独」で「介入した」ことを明かす
10:49
同じ記者会見で安住さんが「納得のいくまで介入する」という斬新なフレーズを用いていたことが伝わる
10:51
「納得のいくまで」ってどこまでやねん、誰が納得したらやねんといったツッコミが入る
10:53
@kt2m
七十九.一九(な・っと・く・い・く)まで RT @nag2moo: 納得の水準は80円ですか?
10:55
介入の勢いが落ち始める
11:35
しかし安住さんは納得していなかった
1ドル=79.5円近辺へ
そして・・・
金融クラスタ内でbuzzる「かとずみライン」、この瞬間、加登住氏はレジェンドとなった…。
思えば初めて加登住先生にお会いしてから早5ヶ月。
ここまで遠い存在となればもう2度とお目にかかれないことがこれで確定的に。
ありがとう、かとずみさん*1!
その笑顔を忘れない!
2011-09-26 「1社員1PCが日本を停滞させたかも」と仰るお爺様について

山陰合同銀行の元融資部長でいらっしゃる周藤巌氏の書いた失われた20年/パソコン全時代も素因というコラムだか説教だか分からない文章が先日からいい具合に炎上しているわけですが、すべてを「団塊の戯言」と切り捨てる前にちょっと書いてみます。
「失われた20年」の一因はパソコン全員配布にあり?
このあたりが最大の炎上ポイントと思います。
周藤氏の文章から引用します。
官民を問わず、職場の風景、特に事務系職場において、この二十数年間で最も大きい革命的変化は、パソコンが職員一人一人に配布されたという事実だと思う。各社の社長はすべて、IT時代の到来の流れとはいえ事務系管理部門の生産性向上をもくろみ、業績向上を願って決断されたに違いない。果たして、もくろみ通り業績向上に寄与したのであろうか。
ひょっとすると、「失われた20年」の何かの素因が、ここらに潜んでいはしないか、と素朴に思うのである。
本文は「ひょっとすると」や「偶然だろうか」といった文言が柔らかく挿入されていますが、おそらくOBとして銀行員に語るときはもっと断定に近いんじゃないだろうかと思うくらいに全体に「1社員1パソコン時代」への嘆きが綴られている文章です。
周藤氏は「事務系管理部門の生産性向上をもくろみ、業績向上を願って決断されたに違いない。果たして、もくろみ通り業績向上に寄与したのであろうか。」と疑問を呈していらっしゃいますが、今回中心に語られている地域金融機関を取り巻く環境を見るに、疑問を放り投げる前にもう少しだけ考えてみてもよいことがあるのではないでしょうか。
残業可能時間の減少
思い返せばこの失われた何年とやらは、金融機関に限らず、利益が上がらず、人を減らせない*1時代でありました。
特に、多くの金融機関は*2営業間に設置された監視カメラ等により、従業員の(本部を除く行内での)実際の勤務時間の検証が外部から実施しやすい環境にもあり、銀行の中で残業にて仕事が出来る時間が次第に限られていくことになりました。
そんな中、周藤氏は「タテのライン<社長↓経営陣↓部長↓課長↓係長↓職員>が希薄になり」と指摘されていますが、逆にここが厚いと、ただでさえ行内で仕事が出来る時間がなくなってくるわけです。
もちろん、銀行の外から内部の情報にアクセスできるはずもなく、顧客情報の管理も厳格になり、末端の営業をやる社員が持ち帰って出来る仕事の総量も減っていきます。
強化されたガバナンス
不良債権がボロボロ出てきた時代を経験し、企業の不祥事が相次ぎ、また国際的にも企業経営や従業員などの統治へのニーズが増すにつれ、銀行の「各支店の営業を本部がいかに管理していくか」という点も一緒に、日増しに重要になってきました。
周藤氏は現在の営業を「画一思想もまん延している」と非難していますが、これを「パソコン全時代」の観点から指摘するのは難しいように思えます。
また、かつては預金獲得と貸出がメインであった銀行の営業も、利益を稼げるような新しい金融商品の販売やらをやっていく必要性が出てきます。
これに伴って顧客から訴えられるリスクも増え、お客さんと銀行員がどういった交渉をやってきたかを、後から修正のできない形式で残していく必要性が増してきます。
こうなってくると、従業員の営業記録を紙に残すということはもはや許されなくなってくるのです。
また、不正防止の観点からも、各々の従業員に固有のログインIDを渡すしかありません。
各人がそれを使って銀行の中でパソコンにログインして、日々の営業の成果や顧客との交渉経緯などを入力しなければならないのですが、ここでも普段の業務をやった上で、銀行の中で仕事が出来る時間も限られてくるとなると、1人1パソコンくらいまでやらないとなかなか対応できなくなってきます。
「パソコン全時代」を周藤氏の立場から否定するとなると、これは大変なことだと思います。
預金勧誘は「当然の原点」
周藤氏の疑問はパソコンによる日本停滞論に留まらず、「例えば、銀行など金融機関なら、ボーナス時期ともなれば、行員が預金勧誘をするのは当然の原点行為のはずだが、最近はどうか。」とまた疑問を投げかけられるわけですが、ここはまぁ*3微妙なところです。
預金を集めるだけで儲かっていた頃の名残で「預金を売る」という言い回しをされる方もいらっしゃいますが、今では預ったお金にこれだけの利息を支払い、これだけの預金保険料*4を支払ってとか*5やってると総資金利鞘は0.21%なんですって。
もちろんこの預金と貸金の利鞘なんて、都市に行けば行くほど競争が働いて縮まっていくわけで、メガバンクとかだともう単なる預金集めなんてやっててもという感じ。(まぁ普通の銀行はだいたいそうなんだけど。)
…なのですが、地方の金融機関にとっては、一理あるかもよと思うわけです。
山陰合銀さんはこれから「預金の出来る長期国債ファンド」 *6を目指すことになるわけですから、まぁこの時代のボーナス時期に現金集めに行くという普通ならスーサイディックとしか思えない行為は置いておいて、このあたり、言いたいことは分からなくもありません。
特に「新たな収益機会の創出」を課題に掲げられる合銀さんの元融資部長がセミナーを「丸投げでなく、自分でやれ」という気持ちも分かるといえば分かります。*7
周藤氏はこれらを総括して「”パソコン全時代”が複合的な負の素因の中の一つを担っているような気配が感じられて仕方がない」と述べていらっしゃいますが、現場の方もさぞかし大変だろうなぁと思うに至った次第です。
…とまぁ、簡単に周藤ちゃん「お前なあ、」的なことを書いてみたですが、高齢化フェーズから人口減フェーズへと移りゆく(or移った)地域の金融機関に関わる方こそ、彼の言葉を最後まで読んでみる意義は皆無とは言えないかもしれませんよ。





