キャロサンプの日記

2012-11-04 センチメンタルテールズ 〜in memory of Luc Ferrari〜

callithump2012-11-04

近年は、以前とはすっかり生活のパターンが変わってしまって、自主企画をやる暇も、またやりたい気持ちも、なかなか持てないでいるが、久しぶりにライヴイベントを企画したので、ブログを更新してみることにする。

ライヴ企画をやるのは約1年3カ月ぶり、ブログ更新にいたっては1年6カ月ぶりだー!(やり方、いろいろと忘れています)


2003年の再来日時の国内ツアーに同行させてもらい、その際に企画した東京でのコンサートの録音をDisc Callithumpの記念すべき1枚目としてリリース(『Les archives sauvées des eaux / Luc Ferrari avec Otomo Yoshihide』CPCD-001、2008年12月1日発売)もさせてもらったフランス作曲家、リュック・フェラーリ現代音楽史に大きくその名前を残す大御所にもかかわらず、とても気さくでお茶目な人柄で、滞在中は楽しく充実した時間をともに過ごさせてもらったが、再会と再恊働を約束した3回目の来日を果たせぬまま2005年にイタリアで客死した彼の思い出に寄せ、またフェラーリ夫人ブリュンヒルドの来日を受けて、フェラーリのメモリアル・コンサートを企画した。会場は前述のライヴCDで大友良英と共演した西麻布SuperDeluxe。他にも東京滞在中にDJ Oliveとの再会もあったりで、フェラーリ夫妻もたいそうお気に入りの思い出の場所である。


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今回のイベントは3つのプログラムで構成される。

第1部は、フェラーリに関連した映像作品の上映。フェラーリの親友でもあるジャクリーヌ・コー監督による2本の映画、『リュック・フェラーリと ほとんど何もない(Presque Rien avec Luc Ferrari)』(2003年)と、一昨年製作された新作『引き裂かれた交響曲の物語(Contes de Symphonie Déchirée)』を上映する。

『リュック・フェラーリと ほとんど何もない』は同名のフェラーリの自伝に基づき、彼の仕事(演奏風景やリハーサルなど)を交えてフェラーリ像を追ったドキュメンタリー的作品。今となっては亡きフェラーリの創作風景や人柄がうかがえる貴重な映像資料でもある。今回は初の日本語字幕付きでの上映なので、フランス語がまったくわからないという人でも大丈夫。

『引き裂かれた交響曲の物語』は、フェラーリが2004年から2008年にかけて作曲した作品《引き裂かれた交響曲》(2008年)を引用してのフィクション的映像化。監督の言葉を借りれば「非常に個人的なやり方で、リュックの持っていた遊びや官能性への好み、また同時に深刻さや重要問題への関心などを表現しようとした。そしてまた、私たちを取り囲んでいる戦争や暴力を前にして私たち全員が感じるであろう引き裂かれるような感情をも。この作品を聴く時に私の目の前に現れるこれらの映像は、この音楽の単なる解説ではないことを意図している。しかし、それが音楽をよりよく理解する助けになることを期待している」とのこと。数人の女性ダンサーをパフォーマーに迎え、美しく、かつ、ひと癖もふた癖もあるファンタジーに仕上がっている。こちらは日本語字幕付きではないが、イマジネーション豊かな映像は言葉がわからなくても十分に楽しめる。

第2部は、前述のライヴCDでの演奏で、フェラーリに指名を受けて初共演を果たした大友良英によるソロ演奏。フェラーリへのオマージュとして作曲した新作「救出することの出来なかったアーカイヴたちへ」の世界初演を行う。このタイトルはもちろん、大友とフェラーリの共演曲《archives sauvées des eaux》(水から救出されたアーカイヴ)から派生したもので、果たせなかった再共演に代わる、そして、その延長線上に位置する作品になると推測される。

第3部は、8chのマルチスピーカーシステムを用いてフェラーリ夫妻のヘールシュピールラジオドラマ)作品を聴く試み。少女の吐息まじりのドイツ語の呟きのみで構築された小品「Unheimlich Schön(不気味に美しい)」と、自身の不整脈の発作を発端に制作された大作「Les Arythmiques(不整脈=非リズム的なもの)」の2つのリュック・フェラーリ作品と、彼の死後に、彼の最良のパートナーであり共同制作者でもあったブリュンヒルドフェラーリが、彼の遺した音源を再構成して作曲した作品「Quiet Impacience(じりじりした静寂)」の3曲を、ブリュンヒルドオペレーションで上演する。3作とも元々はステレオ音源として制作された作品だが、フェラーリの最大の理解者、ブリュンヒルドオペレーションによるマルチスピーカーシステムでの再生が、それぞれに異なった、新しい聴取体験を提供してくれるだろう。


〈タイムテーブル〉

16:30〜17:20 上映①『リュック・フェラーリと ほとんど何もない』

17:30〜18:25 上映②『引き裂かれた交響曲の物語』

19:00〜19:30 大友良英ソロ「救出することの出来なかったアーカイヴたちへ」

19:40〜21:00 8chマルチスピーカーで聴くフェラーリ作品

※演目や進行は都合により変更になる場合があります。あらかじめご了承下さい。


開場時と幕間には、ZERO GRAVITYの永田一直によるDJが披露される。今回はリュック・フェラーリを意識して、電子音響やミュージック・コンクレートを多用したプレイをというリクエストに応えてくれ、ライヴ演奏的でかなりダイナミックな展開もあるかもしれない。こちらも、乞うご期待!

このように、リュック・フェラーリ自身やそのパートナー、友人、そして彼を敬愛する次世代のアーティストたちによる雑多とも言える作品や解釈の提示により、観客一人一人の中に(リュック自身がまさにそうであったように)多様なフェラーリ像を投射することができればと、企画者としては願っている。


公演情報の詳細はこちら>>>http://www.callithump.info

ご予約はこちら>>>https://www.super-deluxe.com/room/351/


最後に、今回の企画を実現するにあたり、惜しみない協力や助言をいただいたブリュンヒルドフェラーリ女史とジャクリーヌ・コー女史、多くの助力をいただいたセンチメンタルテールズ上演委員会のみなさんに、この場を借りて感謝を申し上げたい。どうもありがとうございました。

2011-04-21 追記(さらなる自戒を込めて)

ひとつ前のブログ、書き方がやや後ろ向きに過ぎたかと少し反省している。当然の話だが、悲嘆に暮れることが目的ではない。単純な二項対立みたいな話ではないことも承知の上だし、いまだに福島県でも原発に反対か賛成かをおいそれと表明できないという現実があることを、現地在住のマダムギター長見順さんのブログで読んだ。それでも、未来がマシな方向に進むように、微力なながらも自分にできることはやっていかなければと思う。先日の都知事選の蹉跌を二度と踏みたくはない。デモでも署名でも、できることは極力やっていこうと思う。

先日19日は、近所のダンススタジオで行なわれていた、ぴかちゅう主催の「ぴかりあ超女の☆ポジティブ人間だよ!全員集合!☆僕らのニッポン考えよう会!=東京編=」という討論会に参加した。ひと仕事終えてビールを開けたときに覗いたPCで開催を知ったのが開始30分前。大急ぎで食べかけの夕食をかっこんで、自宅から徒歩10分の会場へ。出席者は約40人。2、3日前に急遽決まったにしては素晴らしい集まり具合ではなかろうか。中にはすんなりとは理解できない意見(でも、面白い!)もあったけれど、おそらく出席者中最年長(!)の俺にとっては、何より若い人々と意見を交わす貴重な機会だった。

明後日の日曜はまた、代々木公園で行なわれるグリーンピース主催のデモに参加する予定。グリーンピースの主張すべてに賛同することはできないが(例えば、俺は「アンチ反捕鯨派」)、「原発反対」という一点に関してなら、行動をともにするに十分だ。先日の高円寺のデモでは、日の丸を掲げる参加者を見かけて暫し理解に苦しんだ(反原発を訴える際に、日の丸はいわば敵の旗印ではないか?という先入観)が、後で右翼にも反原発派がいることを知り、多様性の大事さにあらためて気づかされた次第。多少浮いてたって構うもんか。「原発反対!」の一点において、ともに主張させてもらいたいと思う。

兎に角、今、この国がマシな未来へと舵を切れるよう、自分にできることは片っ端からやっていきたい。闘いはまだ始まったばかりだ。

2011-04-13 都知事選と南北問題

 10日の高円寺原発反対デモに参加した。デモ初参加で不慣れなながらも、そこはかとない高揚感と、実際の行動で意思表示をしたという充足感を感じたりもしたが、それも束の間、都知事選開票開始数分後にもう当確予報が報じられ、一転してげんなり。その後、ずっと自分の中のもやもやした気持ちを見つめ続けていて、下記のような考えに至った。こんなちゃらけたブログには似つかわしくないかもしれないが、何より自分への楔として、ここに掲載しておくことにする。

 この期に及んでの投票率の低さからうかがえる人々の無関心さには、失望という言葉以上の感情を禁じ得ないが、それはさておき、マスコミが評するように「都民は安定を選んだ」「改革を望まなかった」ということがこの結果の最大の要因であるとするなら、その短絡思考は都民の未来に暗く大きな影を落としていると思う。民主党の「政権交代」が甚だ期待外れなものであったことに対する失望感を差し引いても、目先の安心・安定ばかりに心を奪われ過ぎてはいないだろうか? もっと重大な選択の時ではなかったのか?

 東日本大震災福島第一原発の事故は、今まで露にされていなかったとても多くの事象を我々の眼前にあぶり出し、国内に「南北問題」が存在することも明らかになってきた。東京の消費する電力を調達するために、原子力推進勢力は東京から離れた福島新潟原発を建設してきた。地場産業の乏しい、経済基盤の弱い土地の窮状に目をつけ、土地の買収や雇用の拡大などで住民の目の前に札束をちらつかせ、最重要事項であるリスクに関しては十分な説明も対策もないまま、原発を造っては操業させ利益を上げる。中央の繁栄のために周縁が犠牲になるという構図。いわば東京植民地をつくってきたようなものだ。

 イシハラは震災発生直後に福島に赴き、ご丁寧にも「私は原発推進派です」と明言している(怪我人の見舞いに行って、傷口に塩をすり込むような行為)。でも、イシハラが東京原発を造ることに賛成することはないだろう。つまり、東京の繁栄のための「植民地政策」を今後も継続すると言っているようなものだ。都民もいくら喫緊の不安が大きいからといって、そのような人物を首長に選ぶということは、「誰かを犠牲にしても構わないから、自分たちは豊かで安定した生活を保証されたい」と表明しているようなものだ。今回の都知事選の結果は「都民の総意」としてそう言っているようなものだと思う。そういう意味では、我々にはもう福島県民に合わせる顔はない。

 前述の「私は原発推進派」発言の他にも、過去の「三国人」発言や「支那」発言から判る明らかな差別主義(ないしは差別に関しての無頓着)、震災直後の「天罰」発言での残虐なまでの無神経さ、自身の作品での性表現の露骨さを棚上げにしての「青少年健全育成条例」での締め付け強化、人心を無視したお門違いの「花見自粛」発言など、ちょっと思い返しても見識を疑うようなことだらけのこの人物に、「明るい未来」を託せると思う人々の気持ちが俺には理解できない。このような人物が謳う「日本人の連帯の美しさ」が、全体主義への回帰の号令のように聞こえるのは俺だけか?

 福島県民がプルサーマル推進派の知事を選んだことは、今にしてみれば誰にも愚行であったと言えるだろうが、今回の知事選の結果を見る限り、この事態になってもまだ目が覚めない都民のほうが遥かに愚かであろう。未来への重大な分岐点で「都民の総意」は取り返しのつかない誤った選択をしてしまったのではないかと思っている。国の希望的な未来への努力ではなく自分たちの目先の利益を優先させたツケは、いったいいつどこに回ってくるのだろうか?

 今回の知事選の結果を聞いて「もう都民やめたい」とも思ったが、今の自分の仕事や生活の基盤を考えると、それはおいそれと実行に移せる考えではないということにすぐに気づく。危険であることを承知で住み慣れた土地を離れられない福島第一原発周辺の住民の心中を、遅まきながら自分の感覚として理解した次第である。まったくもって申し訳ない。

2009-07-27 やっと咲いた

丈だけはひょろひょろと伸び続けていたゴーヤに、今朝ようやく花が咲いた。それも一度に4つ。蕾も多数待機中。今年の夏はゴーヤ三昧としゃれこめるか?

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ネコも日に日に成長中。やはり野良の仔、どうにも愛想に欠けるけれど、エサだけはよく食べる(苦笑)。

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2009-07-10 その後のターンテーブル、その後の仔ネコ

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去る4日に「without records」展は無事に予定通りオープン。翌日のオープニング・ライヴも盛況のうちに終了。展示は過去の京都仙台、山口のどれともまったく趣きを異にする作品に仕上がっていますよ。

その後もオープンまで、暇に任せてほぼ連日仕込みの手伝いに通っていたけれど、なにぶんメカには弱く、いちばんタイヘンな配線作業の日には仕事が入って行けなかったりで、不肖オイラはほとんど役に立たず終いでしたが、作品は素晴らしいので見に行ける人は是非! あ、でも「見に行く」というより「体験する」という方が正確かも。最低でも1時間くらいは展示の中でまったりと過ごしてみて下さい。いろんなシーンが体験できる筈。詳細はこちら→http://ensembles.jp/#exhibitions、ないしはこちらに→http://www.n0idea.com/vacant/menu.html


さてさて、その後もネコの額のような庭に野良仔ネコ軍団はたびたび来訪。濡れ縁にて我が家のごとくにリラックス。

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ほとんど同じ色・柄・背格好ながらも、一匹一匹のキャラクターの違いもだんだんハッキリしてきた。頭を撫でられると嬉しそうにお腹を見せるヤツから、目が合っただけで一目散に逃げ出すヤツまで、人間との距離の取り方も五匹五様。

しかし、菜園の中を走り回り、植えてある植物の蔓にじゃれついて被害を与えるのには困りもの。2本の朝顔は何度も添え木から引きずり下ろされてもはや壊滅的状況。折角ついた蕾も齧られて、花が咲いてもまるで破れ傘のよう。ゴーヤが1株枯れてしまったのも仔ネコのオイタのせいだろうか? サヤインゲンの蔓もぼろぼろに齧られるも、こちらは負けずに別の蔓を伸ばし花を咲かせている。作物が仔ネコに負けないよう、今朝は油かす追肥してドーピング。がんばれ、ウチの野菜たち!

一方で荒らされた作物の世話をしつつ、もう一方でそれに害をなしているケダモノたちにはエサを与えていて.....あれれ、これってマッチポンプでは?