09月26日(土)
■[私的翻訳][映画]「男と女の不都合な真実」ニューヨークタイムズ紙
http://movies.nytimes.com/2009/07/24/movies/24ugly.html
July 24, 2009
Girl Meets Ape, and Complications Ensue
By MANOHLA DARGIS
トントントン。ロマンティック・コメディの棺にまた一本、釘が打ち付けられている音が聞こえてこないだろうか?柔軟でしぶといこのジャンルは、有名なところでは、20世紀前半の女性参政権運動、そして20世紀後半の女性の権利運動といった、文化的、社会的大変革を何年も生き延びてきた。解放された女性達は、ピルやお手軽になった離婚、夫婦交換、多様化された家族、そして家庭内及び家庭外における戦争とともに、このジャンルを変容させてきたかもしれないが、ロマンティック・コメディは耐え忍び、うまく時代に適応してきた。いまやその物語は(「ショートバス*1」のように)男と男と男の出会いや、(「セックス・アンド・ザ・シティ」のように)テレビでの成功に依存する時代となってしまってはいるが。
しかし、メジャーの映画会社による昔ながらのストレートの男とストレートの女が出会う構図となると、忘却の彼方に遠ざかっているかもしれない。あなたが女性ならばなおさらだ。大人になりきれない男たちが大人としての異性との関係を模索する、可笑しくて、猥褻、しかし誠実な、隙間的ジャンルを掘り当てたジャド・アパトー*2を除いては、ロマンティック・コメディはメグ・ライアンのキャリアと同じくらい死に体である。それらの中での最高のものであっても、女性は対等どころかロマンティックな引き立て役ですらない。(都合の良い)あばずれか、(もっと都合の良い)妻のいずれかであり、月面の影と同じくらいミステリアスで不可知的なものに描かれている。最も計算高いものであっても(「ザ・ハングオーバー*3」)、彼女達は黄金のオッパイのストリッパーか、ガミガミ女のいずれかである。
そこで、「男と女の不都合な真実」の登場である。シニカルでぎこちないが、的確な題名がつけられたこの映画は、女性向けロマンティック・コメディと男性向けのお下劣コメディを融合させる試みであり、映画とは全く関係の無いいくつかの面で興味深いものである。キャサリン・ハイグルは、サクラメントのテレビプロデューサー、アビーを演じている。彼女は、空疎な笑顔とお料理コーナー、そしてお天気に特化した、視聴率が振るわない朝のワイドショーの担当だ。彼女は独身であり、従って、現代のハリウッドのヒエラルキーにおいては、不幸せということになる。彼女の人生は、上司が類人猿のようなマイク(ジェラルド・バトラー)を採用したときから崩壊しはじめる。マイクはセックスについての乱暴な格言をカメラに向かって披露する。それは要約するとこうだ。「男性にはペニスがある。だから女性はあらゆる手段を使ってでもそれを格納するべきだ。寄せて上げるブラや遠隔操作のバイブ・パンティを身につけてならば尚望ましい。」
幻想的な黄金の光の中に浸されて、ハニー・ローストされたような肌、かがり火のように光輝く歯の主演の二人は、ほんとうにセクシーに見える。ハイグルの生意気な演技には全く説得力が無いが、下着姿で木から逆さ吊りされたりといったしばしば登場する馬鹿馬鹿しいことをさせられているシーンでも、笑顔を絶やさず威厳を保っている。アビーが会社のオーナーたちとの夕食会の最中に、痙攣したように身悶えするときでさえも。アビーはバイブ・パンティを穿いていて、隣のテーブルの男の子がそのリモートコントロールを持っていたからだ。女性の悦楽シーンほど可笑しい(そして恐ろしい)ものはないでしょってこと。ウーム、これは「恋人たちの予感」ではうまく効いていたのだが。
(訳注:「恋人たちの予感」の有名なイッたフリのシーン。世界中の男性が絶望のどん底に突き落とされた。)
「キューティ・ブロンド」ではもっとずっと良かった監督のロバート・ルケティックは俳優達に、目や耳が遠い人のために大げさに演じるように指導したかのようだ。その結果全編一貫して、しかめっ面で手足をドタバタはためかながらの、大声での台詞の朗読会になってしまっている。スクリーン上での存在感があるバトラーには、もっと良い役と、やり手のキャリア・カウンセラーが必要だろう。彼は、魅力の無い、理解不能なキャラクター(もちろん、分厚い面の皮の下には傷ついたハートを隠している)を見事なニヤニヤ顔で演じている。助けてあげたくなるような愛すべき下劣な男は、ロマンティック・ファンタジーの世界では好まれてきたが、本作の脚本家ニコール・イーストマン、カレン・マックラー・ラッツ、そしてキルスティン・スミスは、それを恥ずかしげも無く大盤振る舞いしている。
このガラクタをひねり出した三人の女性達は、この映画がソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントの共同会長であるエイミー・パスカル*4の指揮下にあるコロンビア・ピクチャーズによって公開されることになったときには驚いたはずだ。「男と女の不都合な真実」から得られる教訓のひとつは(魅力的な、そして野心のある女性が、現代のハリウッドにおいて、幸せでセクシーな独身でいることは、絶対に不可能である、というあからさまなものよりも)、やっと勝ち取った理想を守り抜くことなど無意味である、少なくとも追い掛け回すべき男がいるならば、というものである。マイクが現れたとき、アビーは彼の真の姿を見抜いていたから、彼に抵抗した。すなわち、「一般大衆」である。しかし結局は、彼の下卑た振る舞いに屈服し、彼の下品な喋り方の真似さえするようになる。なぜなら、それこそ大衆が欲するものだからである。
それでいいんですかね、パスカルさん?
記事以上
無断転載禁
*1:訳注:2006年作。ジョン・キャメロン・ミッチェル監督。http://shortbus.jp/
*2:訳注:映画監督。「40歳の童貞男」、「無ケーカクの命中男/ノックトアップ」http://d.hatena.ne.jp/cameracamera/20090921
*3:訳注:2009年の大ヒット作となったアメリカのコメディ映画。9月21日、第2回 したまちコメディ映画祭in台東で上映されたが、公開は未定。
*4:訳注:独立系プロダクションKestral Filmsからキャリアをスタートさせ、1986年〜87年に20世紀フォックス映画の副社長、1987年〜94年にはコロンビア・ピクチャーズのスタジオ・エグゼクティブ、1994年〜96年はTurner Pictures社社長となる。1996年にコロンビア・ピクチャーズに戻り、2006年からソニー・ピクチャーズの副社長。ソニー・ピクチャーズは、彼女の元で45のナンバー1作品をリリースし、2002年、2004年、2006年と北米マーケット・シェア ナンバー1スタジオとなった


