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2008-01-13 またのどがいがらっぽいや

[][]おシャシャのシャン!

http://www.nhk.or.jp/drama/

先日見た国立劇場での歌舞伎公演のパンフレットで、尾上松也が出演者のことばの欄を使って宣伝していたドラマ。歌舞伎公演のパンフレットなのに、その歌舞伎には一切触れずに、初出演のテレビドラマのことばかりしゃべるなんてなんかなぁ、と思いつつ、長野県大鹿村伝統芸能、大鹿歌舞伎が題材のドラマであるゆえに関心を持った。松也はこの田舎歌舞伎の舞台に急きょ出演することになった大歌舞伎の役者の役を演じる。

主人公は田畑智子が演じるこの村の観光課の職員。父親が座頭を務め、200年以上の歴史を持つ田舎歌舞伎が、父親のぎっくりごしのために上演中止の危機に陥る。観光課の職員である田畑智子は、東京の大歌舞伎の役者を代役として急きょ手配する。運良く役者を捉まえることができたが、村にやって来たのは、とある名門の家に生まれた花形役者の兄ではなく、兄の陰でくすぶっていた弟のほうだった。

自分が兄と間違えられて呼ばれたこと、村で上演する演目が、その家のお家芸である『弁天小僧』であったことが、この若い役者をいらだたせる。村人たちの期待を背負った田畑智子演じる観光課職員は、講演実現のために奔走し、この役者の説得を試みるのだが。

というお話。

お話の展開、登場人物の性格づけとも類型的ではあるし、45分の時間では心理の掘り下げも不十分に感じられたけれど、清新な魅力を放つ主演の田畑智子をはじめ、各俳優の個性をうまくい生かした配役、演出になっていて、見た後はさわやかな気分になる。最後のクライマックスはもちろん田舎歌舞伎の上演の場面である。屈折した心を持つ若い歌舞伎役者が、村歌舞伎に住民たちが抱く思いを汲んで、村歌舞伎版『弁天小僧』を演じる場面、そしてそこで彼が放つアドリブの台詞、そしてその場面の演出は、視聴者の期待の地平に気持ちよく応えるものだった。

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