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菅野康太Blog 輪るPh.D戦略

2015-08-19 『狂気の科学』を正気で読んでいる このエントリーを含むブックマーク

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狂気の科学 真面目な科学者たちの奇態な実験』を読んでいる。

というのも、翻訳者の一人が大学院時代の指導教員である石浦章一先生なのである。とはいえ、タイトル自体にも魅かれ、手にしたのだが。「狂気の科学」と聞いた時、なんとなく、池上高志先生を思い出し「読んでます」と伝えてしまった。彼は、石浦先生のことを「男気のある人」と慕う。

さておき、この本は、石浦先生が英国を旅行中に書店でみつけ、企画を出版社に持ち込んだそうだ(訳者 前書き による)。さすが、そのへんの嗅覚が鋭い。

ちなみに、この本にまつわる石浦先生のトークイベントが八重洲ブックセンター開催される #とのこと 。私は合わす顔がないので、いかないが、行ってみたい気もする。

2015年9/10(木) 八重洲ブックセンター

石浦章一先生講演会 〜本当にあった狂気の科学〜

東京化学同人刊『狂気の科学』刊行記念

http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/7187/

本書は、1600年から2002年までの「狂気の科学」実験を紹介しているもので(現在、1950年くらいまで読んだところ)、ある種、科学史上のエポックメイキングな実験を紹介していることになり、様々な分野のターニングポイントが描かれている格好になる。面白いのは、先の実験に触発されて行われた後の実験が違う章で登場し、裏話や科学者為人までも、あの手この手で取材して書かれた本であるため、非常に臨場感がある。古い時代のものほど、時代背景として、人種差別的な社会風土なども描かれており、様々な形で科学が社会に影響されていることも、ジワっと伝わってくる。

ネタバレになるのであまり書かないが、一つ触れると、ドップラー効果実証実験は、狂気というよりも「お疲れ様」としか言いようがなく、実験者たちに一杯おごってやりたくなる感じで面白かった。

恥ずかしながら、ドップラー効果が元々は「星の光が様々な色に見える理由」の説明として提唱されたということは知らなかった。詳細は省くが、簡単に言うと「高速運動をする天体から発せられる光は、地球に近づいてくるときと遠ざかるときでは違う色に見える」という仮説である。当時の技術では天体に関してこの仮説を実験的に調べることは難しかったのだが、光と同じく「波」である音でも、理論的には同様の現象(近づいたり遠ざかったりすれば違う音に感じる)が観察されるはずである。とすれば、移動する蒸気機関車からトランペットを吹き、それを線路脇から聞けば、機関車の移動に伴い一定であるはずの音が違う音に感じられるに違いない(救急車のサイレン音のアレである)。そう思い立ち、1845年、28歳の物理学者クリストフ・ボイス・バロットは実験を行ったのであった。しかし、現実には、機関車の音がうるさくてトランペットの音が聞こえづらい、奏者が一定の音を上手に出せないなど、鈍臭い苦労が重なるのである。苦労の末、仮説は(なんとか?なんとなく?)定性的に実証されたのであった。のちにボイス・バロットは科学雑誌上で、実験を再現したい人たちに対し「よく訓練された人」を使うように、とアドバイスした #とのこと 。

現在では、このドップラー効果は音に関しては上述の仮説通りであるとわかっているが、光に関しては間違えであったことも分かっている。間違えではあったのだが、その理論の発表によって触発された若き科学者が、これを見事実証したことになる。近年は、実験系が精緻化したので、あまり不用意で杜撰な発表を行うべきではないが、理論や仮説に関しては、現代でも、もうちょっと大胆なものがあった方が、いろいろ萌芽するのではないかと思った。実際、ドップラー効果はその後、様々な医療機器や航空システムに用いられているのであるし。

ただし、実験を成功させたボイス・バロット自身は「いつの日かより良い楽器を作るのに役立つかもしれない」としか言わなかったそうだが…(この章のオチ、各章にいちいち皮肉っぽいオチがあって面白い)。

わたし自身は、マウスを用いた性の研究、雌雄間コミュニケーション脳科学的研究を行う生物学領域の人間なのだが、性に関するきわどい実験も数多く、読み進めるのが楽しみである。

行動神経科学心理学を学んだ人なら誰でも知っているパブロフの犬スキナー箱、アイアンマザー、チンパンジーと共に育てられた子供の話など、そこに関わった人たちのドラマも描かれており、教科書では味わえないリアルな姿を思い浮かべることができる。

半分くらいは、マジで狂気でしかないものもあるのだが、少なからず、これら実験は、証明するための妥当な方法を論理的に考えたらこうなった、と感じられるものも多い。倫理的にも感情面での生理的にも、現代ではやりたくないものも多いのではあるが。

ところで、ふと、思う。今のアカデミア、もしくは社会にこのような「狂気」を受け入れる寛容さと自由、クリエイティビティみたいなものは、どれくらいあるのだろうか。

二十歳になる直前だった私が研究の世界に足を踏み入れることを後押しし、駆り立てるように知的好奇心を刺激した、そんな研究があったことを、いま思い出している。そんな研究が詰まった本。

2015-04-16 マウスの音声受容とLaterality このエントリーを含むブックマーク

マウスの声(超音波)の文法性に関しては懐疑的なあたしだが、他の部分ではヒトにも共通な機構がある気はしていて、こんなのが出ましたね。元の論文はリンク中のリンクにある nature 誌。ScienceのNews記事中ではEmory大学のLarry YoungさんとRobert Liuさんもコメントしてる。

’Love hormone’ turns mothers into moms

母になるとマウスも仔どもの声への感受性が高まるが、その一つの要因として、聴覚野にオキシトシン受容体があり(この発見、初らしい)、しかも左脳側の方が多いと。母になるとオキシトシン分泌が高まるので(これは既知)、オキシトシン受容体を介して仔の声への聴覚野の反応性が高まるのではないか、と。

マウス超音波発声の受容が左脳優位だというのは昔から知られていて

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3808021

最近でも外科的処置(結索による虚血?)は左側の方が発声を減弱させるという報告があり、

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25644653

発声も受容も左優位であると思われる。

今回は受容が左脳優位であることの理由として、オキシトシンによる促進効果の局在(受容体の局在)が左側だからだ、と提唱したことになる。

まぁ、こんなにもオキシトシンで何でも説明できるのか?という気もするし、"Love Hormone"としてのオキシトシン信仰は安易にしたくないが、現在はマウス超音波のemotionalな側面を研究してる僕も、任期も今年で終りだし、次のステージとして言語とまでは言わないまでも、「音声コミュニケーションにおける哺乳類一般の共通性」みたいなことには関心を広げてみたいと思う。

2011-10-26

「大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査 」について

05:58 | 「大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査 」について - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

日経新聞の記事

大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査

に対して、思うままに、書き残す。



わらわは、

大学の組織の改革も無く、新卒一括採用が無くなる様な社会の側の変化もないまま、この制度が適用されることは、研究推進上は確実に失策になると思う。

余剰博士問題、学生と指導教員のミスマッチ、労働基準法や最近の労災認定基準からすれば明らかに過剰労働なコアタイムを強いるラボ、

これらを回避するための社会政策としてん、ある程度成功するかもしれない。

しかし、研究力の面では、

短期的にも長期的にも、良いことは無いと考える。

学生に課すだけで、組織が変わらないなら。

アメリカ式の評価は、アメリカ式の組織がある上で、成功する。


修論の有る無し、以上に、

とくに、日本の学生が、22歳過ぎてもなお、

試験で評価され続けると思うと、ぞっとする。

東大生なんて、ただでさえ、

受験戦争、進学振り分け、と、

試験試験で、来ているのに。。。

(因に私は、早稲田出身だぐぁ)


じっくり、実験・研究もできなくなるとは、

これ以上、世界と業績でどう戦えば良いのだろうか。


絶対失策、もしくは、形骸化必至。

あんとなく、理系では形骸化に向かう気がする。

東大は、形骸化という策を取りそうな気がする。

じゃなきゃ、やってられん。



僕の疑問は、ゆったり研究に専念したらいろんな研究会に顔を出し、たまに授業に潜ったりしながら外と交流を持ち、自分で研究進められる資質がある院生まで「厳しい筆記試験」を課すというリスクとコストを払って、これまで以上に日本から世界topクラスのジャーナルに載ることが増えるのかということ。

日本でこういうことやって、博士論文が、J.Neurosci.やPNASに載るのが、

スタンダーとになるとか、少なくとも、今よりもよくなるのかということ。


ちなみに、現在駒場に、マウスやラットの行動神経科学に(僕より)詳しい教員がいるとも思えないが、そこでどうやってこのような教育をやるのかと。篩にかけたければそもそも定員減らせば良い。


アメリカではPh.Dがあれば社会にもあるていど認められるし、その「専門性が買われ」、(日本よりは)企業でも職がある。そもそも人材の流動性が高い。

故に、大学側が厳しい査定で質の保証をすることは、学生にとっても人材市場での価値が上がっていいことかもしれない。

しかし、日本にそのような構造は無い。

したがって、研究に割ける時間を、座学や筆記試験のタメに当てることになる。

ただでさえ、テクニシャンが少ない日本のラボで、より効率的な実験をしないと、海外には勝てないことになる。

そもそも実験は、経験量が最後はモノを言う。

優秀な学生でも、修士なんて一つの方法に習熟して、その手法だけでデータをだすのが精一杯なコトも多いのに。

視野を広げるため、であれば、学際研究体制作りに成功しているとはとても言い難い日本で、どこに、そのような広い分野の教育をなし得る教員がいるのか、組織があるのか。オムニバス以上の何が出来るのか。

ただのオムニバスな知識だけ増やして、軸足の無い研究者に、将来だれが共同研究を持ちかけたいと思うのか。

きっと何ものにもなれない。


アメリカでは必修の単位厳しいけど、オーソドックスな分野、例えば、生化学や遺伝学など、単位を持っていれば他の大学に移ってもその習熟度が認められ、単位認定される。院であってもされるらしい。逆に、他大から院を移って、移った先の学部生の必修にあたるものを履修した経験が無ければ、学部生に混ざって授業を受けさせられる。

しかし、今回の制度にそのようなものがあるのか、不明。印象としては、なさそう。

しかし、このような制度も、教員と大学の側に、これだけの教育をする準備があるからできることで、

組織の側に変革と準備が無く、研究の効率化もされず、

学生の側だけにあらたな措置をするのは、

意味不明としか、思えない。

日本の大学の研究の担い手なんて、実際院生なんだから、

8年後くらいの業績が、落ちるのではないかと思う。


僕は、一過性の筆記試験でそんなことさせるより外部に副指導教員みたいなのをおいた方が、良いと思う。

逆に、研究する気のある院生にとっては、

そこそこ研究以外の経験もしつつ(例えば近年のサイエンスコミュニケーションなど)、ゆったり自由に研究出来て、まぁ、自由なら、悪くもないとも、思うこともあったけど、中途半端にその自由さも無くなるなら、

これは、研究したければ、いよいよ、日本なんかいないで、海外行くしか無くなると思う。

それに、論文の形式自体が、科学的思考の体現であって、例えば結果と考察を明確に分けるなどの実践の場で有り、修論を書かなくていいと言うことは、そのような実践の場も減少することになる。

じゃあ、修士の間なにやってんだと。まとめることも念頭に置かずに、なんの研究するのかと。落とし込む力とか、どこで着けるのかと。

まぁ、修論の有無は、各研究科にゆだねられるようですが。


僕は、学生にとっても、日本の研究力の成長戦略としても、

全てにおいて価値が無い愚作としか、思えません。


実力の無い院生を、博士に上げないように篩にかけたいなら、

修士の定員も減らせば良い。まぁ、育て上げる気もないなら、

院生という研究戦力すら、日本の大学から減るコトになるが。


と、書きなぐってしまいましたが。。。




ちなみに、この政策への印象は、

twitterを見る限り、理系と文系の人で、違う。

can-nocan-no 2011/10/27 06:01 まぁ、きっと形骸化という結末です。
可哀想ですね。僕の、数年下の世代っていつも。
教師とか、学校組織が変わること無く、御上のアレで制度にだけいつも振り回されて。

試験の時期と、就活もかぶっちゃうだろうし。

can-nocan-no 2011/10/27 06:53 わらわの様な者の考えを、科学技術社会論やサイエンスコミュニケーションを含む人文・社会系の人は「やはり感情的に反対している。修論の話が一人歩きしている」と思うのであろう。しかしそれは、実験やってるものから言わせれば、従業員を蔑ろにした、経営者や株主の論理の様なもの。最近ずっとそうだ、3.11以降特に。

2010-11-11

進化神経行動学

| 03:36 | 進化神経行動学 - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

夏に岩波書店の方から頂いた、科学六月号を、最近読んでいる。

特集は「進化神経行動学」。

昔は、学部生にしてはこの手の話に詳しかった筈だが、

最近では全くアップデート出来ていなかった。恥ずかしい。

ヒトの疾患モデルとしての培養細胞、マウスに関する論文

読んでばかりいたからかもしれないが。

本特集の冒頭、ロナルド・R・ホイ氏のエッセイによると、

進化集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは

「進化的な見方を排した生物学は生物学ではない」と

過去に言い切っているらしい。

それは、私も同意している。

生物学の「なぜ?」に答えるには、

大きくは二つの答え方が有る(厳密には4つらしい)。

至近要因的な答え方と、究極要因的な答え方だ。

前者は主にメカニズムの説明をし、後者は適応的な答え方をする。

(なので、厳密には前者は「Why」に答えるというより「How」だ)

例えば、なぜ色が存在するのか、という問いに対してはこうだ。

ある波長に反応する視細胞が眼に何種類か有り、その細胞から

脳の視覚野に神経が伸びて、情報が処理されるから。

コレが至近要因。

もうひとつは、色を識別出来た方が、

果物などの状態を判別するのに都合がいいため、

採取をする生物に取っては進化的に有利・適応的だったから、

という答え方。究極要因。


まだまだ素朴だった高校生・学部生の頃の私には、

この二つが揃っていた方が腑に落ちるし、今もそうだ。


私が信頼するある研究者が、現在の科研費のあり方等を話しながら

研究会の飲みの席でこういった。

「疾患から学ぶこともある。でもそれだけでは生物は理解出来ない」



生物医学の発展のためには、

つかいやすく、ゲノム情報が揃っているモデル生物やヒトを

主たる対象として研究することは理にかなっているし、

否定はしない。

しかし、生物とは何か、生命とは何か、

生物に行動を起こさせている「心」や「意識」、

「情動」のようなものは何なのか。

これらに答えるためには、ドブジャンスキーの言う

「生物学」がなくてはならいない気がする。

我々ヒトが認識している世界など、この世界の一部に過ぎない。

それは、比較生物学的な知覚の研究を見れば明らかだ。


以下、twitterでの私のつぶやきから。


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ものすごい、不勉強だった。分子のことはそこそこ詳しくなったのかもしれないが、それだけで理解出来るものの幅等狭い。応用可能性は高いが、個体レベルでの専門性にはほど遠い。

昔の方が、知識の得方の質が高かったように感じる。学部生の頃。最近はモデルとしてのマウスや疾患に特化し過ぎ。

動物は、人間からしたら恐ろしい感覚、知覚をする。それでもってコミュニケーションもする。世界とは何なのかを、あらためて考えさせられる。つまり、我々の人間の脳で構成されてる「世界」など、この世界のほんの一部に過ぎないだろう。

比較生物学、進化生物学の観点を持つと、動物ごとの世界の取り入れ方の違いに注目することになる。神経系が可能にしている「認識世界」や「意識世界」が同じ物理空間に存在していても我々と違うことになる。これは、意識や心とは何かという本質的な問いに繋がる気がしている。生きることとは?にも。

同様の意味で、池上先生の様な複雑系を用いた理論的研究にも、最近実は比較生物学的な意味合いを、僕の中では勝手に感じている。

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SYNAPSE Vol. 2の編集を始めた関係で、

光とは何なのか、から動物の視覚世界を調べているので、

こんなつぶやき。


脳の分野もサルやヒトの心理実験の話はやはり主流で、

とても興味深い。


普段、分子の実験をしていて、学部生の頃のような

個体レベル、行動レベルの実験から離れている私にとって、


サルやヒトの研究をしている人達の議論はとてもエキサイティングだ。

今の自分が惨めになるくらい。うらやましい。


しかし、いまさらモデル動物を離れる気も、そんなにない

というのが、私の現状。

分子のツールを得た私に、何が出来るか。

そのヒントも、進化神経行動学の論考にある気がしている。


神経科学脳科学分野には、医者もいれば心理学者もいる。

近年では、経済学者もいる。

そんななかで、やはり私の立ち位置は

「生物学」だと、最近強く感じている。

進化神経行動学の視点をもちつつ、

モデル生物で研究する。比較対象には、ヒトもはいる。


もやもやっとした感じで、最後の方は

ロジックが整っていないが、明日は朝からゼミなのでこの辺で。


やはり最近興味深いのは、

コミュニケーションにおいても嗅覚系、フェロモンの

影響が大きいマウスにおいても超音波域での

音声コミュニケーションやLove songを使っているということが

わかり(解ったのはかなり前)、近年は研究の環境が整っているということ。

モデル動物としてのマウスは、生物学の対象としても、

まだまだ侮れない存在かもしれない。

2010-02-15

求愛のカタチ - 巡り会い、すれ違う♀と♂の科学 -(サイエンスカフェ)

| 01:44 | 求愛のカタチ - 巡り会い、すれ違う♀と♂の科学 -(サイエンスカフェ) - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

私が脳科学若手の会として企画運営に携わるサイエンスカフェのお知らせです。

詳細・お申し込みは脳科学若手の会HPからどうぞ。

http://brainsci.jp/event/cafe

以前は脳の性差・性分化を研究しているラボにいたのと、

研究者としてはこの分野に知り合いが一番多く、

私自身今現在もとても関心があるので、一度取り上げたいテーマでした。


普段科学に触れていない方からの多くの参加をお待ちしています!

素敵なゲストの方々にお話しいただけることになりました。

お気軽に御申し込み下さい!!


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複雑化する社会で多様化する男女のあり方。

「女と男とはいったい何なのか?」

いつの「時代」も悩まされるこのテーマを社会・進化・脳の観点から考えてみたいと思います。

今回は3名のゲストをお招きしました。

あの婚活という言葉の生みの親の一人で『「婚活」時代(ディスカヴァー携書)』の著者、ジャーナリストの白河桃子さん。

進化心理学や内分泌の観点から男女の行動を研究している、『ナンパを科学する – ヒトの二つの性戦略(東京書籍)』の著者、坂口菊恵さん。

マウスのラブソングや母子関係などの個体間コミュニケーション、社会行動を制御する脳のメカニズムやその性差を研究している菊水健史さん。

3人のゲストのお話を聞きながら♀と♂の不思議、様々な求愛のカタチについて、café で楽しく語り合いませんか?


ゲスト:

白河桃子(ジャーナリスト)

坂口菊恵(お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員 PD)

菊水健史(麻布大学 獣医学部 動物応用科学科 伴侶動物学研究室 教授)

オーガナイザー:

佐々木拓哉(脳科学若手の会:東京大学大学院薬学系研究科)

菅野康太(脳科学若手の会:東京大学大学院理学系研究科)

日時:2010年3月13日(土)15:00〜17:30

場所:サロンド冨山房 Folio

http://folio.fc2web.com/frame.html

東京都千代田区神田神保町13冨山房ビルB1

料金:お一人様 一般 1,000円、学生 500円

*要事前申し込み(料金お支払いは当日ご来場時)

主催:日本生理学会若手の会・脳科学若手の会

協賛:

有限会社 K. T. Labs

株式会社 フィジオテック

株式会社 フューチャーラボラトリ

株式会社 ニコン

株式会社 三啓