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菅野康太Blog 輪るPh.D戦略

2015-08-19 『狂気の科学』を正気で読んでいる このエントリーを含むブックマーク

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狂気の科学 真面目な科学者たちの奇態な実験』を読んでいる。

というのも、翻訳者の一人が大学院時代の指導教員である石浦章一先生なのである。とはいえ、タイトル自体にも魅かれ、手にしたのだが。「狂気の科学」と聞いた時、なんとなく、池上高志先生を思い出し「読んでます」と伝えてしまった。彼は、石浦先生のことを「男気のある人」と慕う。

さておき、この本は、石浦先生が英国を旅行中に書店でみつけ、企画を出版社に持ち込んだそうだ(訳者 前書き による)。さすが、そのへんの嗅覚が鋭い。

ちなみに、この本にまつわる石浦先生のトークイベントが八重洲ブックセンター開催される #とのこと 。私は合わす顔がないので、いかないが、行ってみたい気もする。

2015年9/10(木) 八重洲ブックセンター

石浦章一先生講演会 〜本当にあった狂気の科学〜

東京化学同人刊『狂気の科学』刊行記念

http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/7187/

本書は、1600年から2002年までの「狂気の科学」実験を紹介しているもので(現在、1950年くらいまで読んだところ)、ある種、科学史上のエポックメイキングな実験を紹介していることになり、様々な分野のターニングポイントが描かれている格好になる。面白いのは、先の実験に触発されて行われた後の実験が違う章で登場し、裏話や科学者為人までも、あの手この手で取材して書かれた本であるため、非常に臨場感がある。古い時代のものほど、時代背景として、人種差別的な社会風土なども描かれており、様々な形で科学が社会に影響されていることも、ジワっと伝わってくる。

ネタバレになるのであまり書かないが、一つ触れると、ドップラー効果実証実験は、狂気というよりも「お疲れ様」としか言いようがなく、実験者たちに一杯おごってやりたくなる感じで面白かった。

恥ずかしながら、ドップラー効果が元々は「星の光が様々な色に見える理由」の説明として提唱されたということは知らなかった。詳細は省くが、簡単に言うと「高速運動をする天体から発せられる光は、地球に近づいてくるときと遠ざかるときでは違う色に見える」という仮説である。当時の技術では天体に関してこの仮説を実験的に調べることは難しかったのだが、光と同じく「波」である音でも、理論的には同様の現象(近づいたり遠ざかったりすれば違う音に感じる)が観察されるはずである。とすれば、移動する蒸気機関車からトランペットを吹き、それを線路脇から聞けば、機関車の移動に伴い一定であるはずの音が違う音に感じられるに違いない(救急車のサイレン音のアレである)。そう思い立ち、1845年、28歳の物理学者クリストフ・ボイス・バロットは実験を行ったのであった。しかし、現実には、機関車の音がうるさくてトランペットの音が聞こえづらい、奏者が一定の音を上手に出せないなど、鈍臭い苦労が重なるのである。苦労の末、仮説は(なんとか?なんとなく?)定性的に実証されたのであった。のちにボイス・バロットは科学雑誌上で、実験を再現したい人たちに対し「よく訓練された人」を使うように、とアドバイスした #とのこと 。

現在では、このドップラー効果は音に関しては上述の仮説通りであるとわかっているが、光に関しては間違えであったことも分かっている。間違えではあったのだが、その理論の発表によって触発された若き科学者が、これを見事実証したことになる。近年は、実験系が精緻化したので、あまり不用意で杜撰な発表を行うべきではないが、理論や仮説に関しては、現代でも、もうちょっと大胆なものがあった方が、いろいろ萌芽するのではないかと思った。実際、ドップラー効果はその後、様々な医療機器や航空システムに用いられているのであるし。

ただし、実験を成功させたボイス・バロット自身は「いつの日かより良い楽器を作るのに役立つかもしれない」としか言わなかったそうだが…(この章のオチ、各章にいちいち皮肉っぽいオチがあって面白い)。

わたし自身は、マウスを用いた性の研究、雌雄間コミュニケーション脳科学的研究を行う生物学領域の人間なのだが、性に関するきわどい実験も数多く、読み進めるのが楽しみである。

行動神経科学心理学を学んだ人なら誰でも知っているパブロフの犬スキナー箱、アイアンマザー、チンパンジーと共に育てられた子供の話など、そこに関わった人たちのドラマも描かれており、教科書では味わえないリアルな姿を思い浮かべることができる。

半分くらいは、マジで狂気でしかないものもあるのだが、少なからず、これら実験は、証明するための妥当な方法を論理的に考えたらこうなった、と感じられるものも多い。倫理的にも感情面での生理的にも、現代ではやりたくないものも多いのではあるが。

ところで、ふと、思う。今のアカデミア、もしくは社会にこのような「狂気」を受け入れる寛容さと自由、クリエイティビティみたいなものは、どれくらいあるのだろうか。

二十歳になる直前だった私が研究の世界に足を踏み入れることを後押しし、駆り立てるように知的好奇心を刺激した、そんな研究があったことを、いま思い出している。そんな研究が詰まった本。

2015-02-28

世界との接点とも言える色の情報は、どちらも確かに残されてはいるようだ

19:50 | 世界との接点とも言える色の情報は、どちらも確かに残されてはいるようだ - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

話題になった「ドレスが白金に見えるか、青黒に見えるか」問題は、僕には結構重要な問題だった。

色は、僕にとって非常に大事な、世界との接点だからだ。

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ことの次第がよくまとまっているかなぁと思える記事はこちら。リンクも豊富。

http://www.softantenna.com/wp/unknown/dress-color/

SNSで知人の反応をみてみると、「白金に見える人」と「青黒に見える人」の両方が、それぞれ結構な割合でいるようだ。はじめはどちらかに見えていたけど後で見たら別の色にも見えた、という人も多い印象。

ちなみに、僕にはどうあがいても白金にしか見えていない。

色調情報としては、薄い青というか、うすい紫に分類されるであろうとは理解しているが、経験的には光沢のある白いシルクのようなものに影かかったときの見え方のように思う(と僕の脳が処理しているのか)。

このようなことがなぜ起きるのか、その認知科学的考察としてはこちらが丁寧で分かりやすく面白かった。

なぜドレスの色の錯覚はおきたか?-色の恒常性-

上記考察にも載っているが、AとBの色が実は同じ、という色の恒常性を示す有名なこの絵は、何度見ても面白い。

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この考察でも示されているように「ドレスと光源の位置関係をどのように認識しているか」がこの色の認知問題のポイントだということで、ドレスの部分だけを自分でトリミングした画像を見てみたのだが、どうも、白金にしか見えない。色調を冷静に判断しても「薄い紫と黄土色」が良いところだろう。。。

経験上、色の認識の錯視問題は、周辺情報を切り落とすと納得が出来る(例えば、上記のタイルと柱の絵でAとBの色が同じであると感じる)のだが、どうも、このドレスの問題は納得出来ない。どうして、青黒に見える人がいるのだろう。。。

web上のツールで、トリミングした画像を解析した結果がこちら。

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やはり「薄い紫と黄土色」である。

しかし、友人はtwitter上で僕が紫と言うこの色を「青だ」というので、この時点で既に個人差があるのかもしれない。

僕は色の心理学的・認知神経科学的理論については詳しくないのだが、日頃、色は意識しているつもりで、エクセルなんかにデータを打ち込むときもカテゴリごとに色分けしたりしているので、毎日カラーパレットを何度も見てる。ので、やはり、紫系に思う。今、カラーパレットで色を確かめてみてもなお... 。 顕微鏡も頻繁に使うので波長のことも普段から考えているし。

むかしやってみたこちらのテストでもかなり成績がよかったので、僕の色の弁別域があいまい、ということはないように思う。寧ろ、良い方だろう。暖色系の弁別は少し弱いように思う。

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Online Color Challenge


昔、母とした口論を思い出した。

母に「そこの黄色い湯呑みとって」と言われ「そんなものは無いが」と答え、「そこにあれでしょう!それ!!」と指を指され「コレはどう見ても緑じゃないか。百歩譲っても黄緑...」、「黄色でしょ!!」

これは、認知の個人差ではなく、どの色を黄色と命名するかの経験(学習)の違いによるかもしれないが、色以外のことでも、僕の人生には結構この手の口論は耐えなくて、しばしば「強情だ」「頑固だ」「神経質だ」「融通がきかない」などと罵られるのだが、しょうがないだろう。色調は青と黒を示していないし、僕には白金(もしくは湯呑みなら緑から黄緑)にしか見えないし、色調としても薄紫と黄土色なのだから。

しかし「どちらにも見える」という人が結構いるので、そういう「認知機構の柔軟性」みたいなものがあるのだろうなぁと思うし、主観的な色というのは客観的に定義されえないものなのだから、そう見えることを否定するつもりもなく、ただ、やはり僕は認知のシモのレベルから「強情」で「頑固」で「神経質」で「融通がきかない」のかもしれないなと、色々諦めみたいなものがついた気もするし、話し合いとかの以前のレベルでの断絶があることを受け入れて、やはりひっそり生きていった方が良いのかもしれないな、と、自分について思うのである。


自分についての戯言はともかく、世界をどのように認識しているか、というのは非常に重要な問題で、実は我々SYNAPSEでも何度か取り上げて来た。

SYNAPSE Vol.2 のテーマは「光」で、「ニュートンゲーテの色彩論」およびその神経科学的解釈を飯島さんが、動物やヒトにおける色覚の違いの生物学的解釈を僕が書いた。

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*中央見開きに見える図の、上段が色弱の人とそうでない人の色の見え方の違い。下段が人間が見てる世界(普通の写真)と紫外線撮影(昆虫とかには「こう見える?」的な写真)。昆虫が見ているであろう世界の撮影については福岡教育大学の福原達人先生のHPに詳しい。SYNAPSE vol.2でも福原先生から写真をご提供頂きました。

もう残部がないし、web公開もしてないので、残念である。アートディレクションを担当してくれたNOSIGNERさんが、コチラで少し内容に言及してくれいる。

神経科学的背景は、こちらのブログ

「色は眼ではなく脳が見ている?」- スウィングしなけりゃ脳がない!

10年も前からこういうことを書いてらして、偉いなぁ。


とあるイベントに参加した際に共感覚写真家さんと話したのも、他人とジブンの認識世界の差異を考える上で、非常に大事な経験だった。

誰かの視点を想うこと

共感覚関連本のレビュー


色弱の人なんて、特に男性だととても沢山いて(たぶん全国の「鈴木さん」と同じくらい)、社会的に考慮すべき課題。実際、色んな機械の電源が「充電中→完了」に変わったかどうか色では弁別出来なかったり、地下鉄の路線図の色分けが分からなかったりという問題があって、それらは結構改善された。そのへんは、伊藤啓先生のHPに詳しい。

色覚バリアフリー

SYNAPSE vol.2でも写真を使わせてもらいました。


色のシミュレータというアプリがあって、コレを使うとモノが色弱の人にどう見えるかを画像化してくれる。プレゼン資料をつくっているときなど、僕もよく使う。

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Photoshopにも、色弱の人にどのように見えるかをチェックする機能が、実は付いている。色覚バリアフリー・カラーユニバーサルデザインは是非広まって欲しい。10年くらい前に、プレゼン用のポインターに緑が登場したのも、そういう経緯なはず。



科学的な考え方というのは、無味乾燥としていて冷たいものと、とらえられることもあるけれど、科学的であるために必要なものとして客観性があり、客観的に考えるということは、自分以外の何ものかの視点から考えるということなので、感情的なエモい共感とかよりも、案外(いや、絶対)「他者」に対して優しい。共感はともすれば自分と似たものにばかりしてしまうので。

その辺は、この辺を読んでもらいたい。結構現代に必要な考え方だと想う。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)




だいぶ話がそれたが、やはり、青黒に感じられない自分が気持ち悪い。一番最初に紹介した記事で、このドレスがAmazonに載っているとのことだったので、見てみた。

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見える!見えるぞ!!!青黒に!!!!(良かった)

確かに、ドレスの色は青黒らしい。だとしたら、認知的な問題の他に、もう一つの謎が立ち上る。この、明らかに(めっちゃ濃い)青と黒が、なぜ、画像解析からしてもかけ離れた白と金になったのだろうか???

これはこれで、信号処理の問題として、なかなか面白いように思う。直感的に、めっちゃつよい白熱灯の近くだと、黒も黄色みがかって黄土色っぽくなるだろうか。周辺環境と、スマホカメラのある種の質の低さによって可能になった写真では無いだろうか。かなり、特殊な撮影で、普通の状況ではありえなそうにも、未だに思えてしまうのだが。

「ありえなそうなことだけど、ありえること」として、飯島さんからペンローズの三角形について、昨夜教えてもらった。



ともかく、だ。

今後、神経科学・認知科学の授業や講演でこの写真を題材に多くの先生達が色覚についての話しをするだろうし、今回のことで自分と他者の違い、とくに言語で語り合う以前の知覚・認識世界の違いについて、人々が語り合ったのは良いことだと思う。SNSによってそのための題材がつくられたのも面白い。この思考を拡大解釈していくと、少し世界の平和に近付くと思う(とても希望的アレだが)。



さて、個人的に最後に残された問題は「なぜ僕には白金にしか見えないのか」だ。この個人差はどこからくるのだろうか。強情なまでのロジカルさが、認知までも変えてしまっているのか。どうなのかしら。

Photoshopのポスタリゼイションの機能を使って、しかも諧調を「2」にして、色調をexaggerateな感じにしてみた。

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確かに、画像の情報としては、黒も青も、白も金も、水色も紫も黄土色も、なにがしかの連続したグラデーションとして含まれているようだ。思ったほど、断絶は無いのかもしれない。もしくは、断絶の壁は越えられるのかもしれない。



ところで、勝手に言及してごめんなさい、ですが、SNSで知人が件のドレスについて「絶対買わないからどっちでも良い」と言ってたのが、なんだか救われるなぁ。

2010-11-11

進化神経行動学

| 03:36 | 進化神経行動学 - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

夏に岩波書店の方から頂いた、科学六月号を、最近読んでいる。

特集は「進化神経行動学」。

昔は、学部生にしてはこの手の話に詳しかった筈だが、

最近では全くアップデート出来ていなかった。恥ずかしい。

ヒトの疾患モデルとしての培養細胞、マウスに関する論文を

読んでばかりいたからかもしれないが。

本特集の冒頭、ロナルド・R・ホイ氏のエッセイによると、

進化集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは

「進化的な見方を排した生物学は生物学ではない」と

過去に言い切っているらしい。

それは、私も同意している。

生物学の「なぜ?」に答えるには、

大きくは二つの答え方が有る(厳密には4つらしい)。

至近要因的な答え方と、究極要因的な答え方だ。

前者は主にメカニズムの説明をし、後者は適応的な答え方をする。

(なので、厳密には前者は「Why」に答えるというより「How」だ)

例えば、なぜ色が存在するのか、という問いに対してはこうだ。

ある波長に反応する視細胞が眼に何種類か有り、その細胞から

脳の視覚野に神経が伸びて、情報が処理されるから。

コレが至近要因。

もうひとつは、色を識別出来た方が、

果物などの状態を判別するのに都合がいいため、

採取をする生物に取っては進化的に有利・適応的だったから、

という答え方。究極要因。


まだまだ素朴だった高校生・学部生の頃の私には、

この二つが揃っていた方が腑に落ちるし、今もそうだ。


私が信頼するある研究者が、現在の科研費のあり方等を話しながら

研究会の飲みの席でこういった。

「疾患から学ぶこともある。でもそれだけでは生物は理解出来ない」



生物医学の発展のためには、

つかいやすく、ゲノム情報が揃っているモデル生物やヒトを

主たる対象として研究することは理にかなっているし、

否定はしない。

しかし、生物とは何か、生命とは何か、

生物に行動を起こさせている「心」や「意識」、

「情動」のようなものは何なのか。

これらに答えるためには、ドブジャンスキーの言う

「生物学」がなくてはならいない気がする。

我々ヒトが認識している世界など、この世界の一部に過ぎない。

それは、比較生物学的な知覚の研究を見れば明らかだ。


以下、twitterでの私のつぶやきから。


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ものすごい、不勉強だった。分子のことはそこそこ詳しくなったのかもしれないが、それだけで理解出来るものの幅等狭い。応用可能性は高いが、個体レベルでの専門性にはほど遠い。

昔の方が、知識の得方の質が高かったように感じる。学部生の頃。最近はモデルとしてのマウスや疾患に特化し過ぎ。

動物は、人間からしたら恐ろしい感覚、知覚をする。それでもってコミュニケーションもする。世界とは何なのかを、あらためて考えさせられる。つまり、我々の人間の脳で構成されてる「世界」など、この世界のほんの一部に過ぎないだろう。

比較生物学、進化生物学の観点を持つと、動物ごとの世界の取り入れ方の違いに注目することになる。神経系が可能にしている「認識世界」や「意識世界」が同じ物理空間に存在していても我々と違うことになる。これは、意識や心とは何かという本質的な問いに繋がる気がしている。生きることとは?にも。

同様の意味で、池上先生の様な複雑系を用いた理論的研究にも、最近実は比較生物学的な意味合いを、僕の中では勝手に感じている。

ーーーーーーーーーー



SYNAPSE Vol. 2の編集を始めた関係で、

光とは何なのか、から動物の視覚世界を調べているので、

こんなつぶやき。


脳の分野もサルやヒトの心理実験の話はやはり主流で、

とても興味深い。


普段、分子の実験をしていて、学部生の頃のような

個体レベル、行動レベルの実験から離れている私にとって、


サルやヒトの研究をしている人達の議論はとてもエキサイティングだ。

今の自分が惨めになるくらい。うらやましい。


しかし、いまさらモデル動物を離れる気も、そんなにない

というのが、私の現状。

分子のツールを得た私に、何が出来るか。

そのヒントも、進化神経行動学の論考にある気がしている。


神経科学脳科学分野には、医者もいれば心理学者もいる。

近年では、経済学者もいる。

そんななかで、やはり私の立ち位置は

「生物学」だと、最近強く感じている。

進化神経行動学の視点をもちつつ、

モデル生物で研究する。比較対象には、ヒトもはいる。


もやもやっとした感じで、最後の方は

ロジックが整っていないが、明日は朝からゼミなのでこの辺で。


やはり最近興味深いのは、

コミュニケーションにおいても嗅覚系、フェロモンの

影響が大きいマウスにおいても超音波域での

音声コミュニケーションやLove songを使っているということが

わかり(解ったのはかなり前)、近年は研究の環境が整っているということ。

モデル動物としてのマウスは、生物学の対象としても、

まだまだ侮れない存在かもしれない。

2010-05-30

コミュニケーション、プレゼンテーションにこだわるわけ

| 02:34 | コミュニケーション、プレゼンテーションにこだわるわけ - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

近年、サイエンスコミュニケーションは科学界では盛り上がってるわけだが、

僕自身も伝えることはとても重視している。

一つの理由には、単に、僕が人と話すのが好きだからということもあるけれど、

他にもいろいろ理由はある。


伝えることで一番難しいのは、前提を共有しない人達に伝える場合。

学会などの研究発表のイントロダクションはとても簡単。

みんな学問は重要だと思っているから。

学問の枠組みの中で、自分の研究がいかに面白いかを伝えるなんてことは、実は

だいぶ楽なこと。

楽と言うか、一番大きな前提はセッティングされているので、

それすら出来ないと、だいぶ問題なようにすら思える。


オープンキャンパスや授業で学生や高校生に話をするのも大分、楽。

彼らは既に席についているし、大学に行きたいという欲求があるから。

それどころか、学生は単位を取らなければいけないし、高校生は入試で

通してもらわなければいけないので、寧ろ、

こういう場は話し手の側に有利ですらある。


やはり、一番難しいのは、「席に着いてすらいない人」に席についてもらい、

前提を共有していない人達に伝えること。

前提を共有していない人にとって、自分が属さないコミュニティでだけ有名な

「偉い人」なんていうのは、なんの影響力も持たない。


もしくは、前提を共有しないどころか、敵対する関係にある人達とは

話し合っても物別れに終わる。


このような構図は、学問のみならず社会のあちこちに見られると思う。


宗教や文化、国家の対立。消え行きそうな伝統。

社会的に認知すらされていない弱者、誰もがなりうる可能性があるが知られていない重大な病気。

それぞれの当事者達は重大なことだと認識して、活動をしているが、

きっと報道されて社会的に認知されるものはわずかなのではないだろうか。

これらの問題を解決するために必要な第一歩は、やはり「伝えること」、

そして「伝わること」。


学際研究というものはそもそも、そうのような課題に取り組むためのものである。

サイエンスコミュニケーションに限らす、「伝える」ということや「知を越境」する

分野の交流は現代に必須のことだと思うから、僕はプレゼンテーションにこだわっている。


そして、「伝える」ということがもし、

自分がやっていることの重要性を伝えるだけのもだとしたら、

おそらくそれは「伝わらない」。

我田引水的なものの言い方では、それは己の牙城を守っているに過ぎず、

他者の理解を伴っていない。それはコミュニケーションではないと思っている。

僕が研究の専門としている神経科学、脳研究は行動や感情、社会性すら扱っている。

これらは明らかに分野横断的な研究で、生物学者、心理学者、社会学者、哲学者など、

多くの異分野での共同研究が無ければ、真に価値ある研究は難しい。

しかし、研究者も人間なので、今まで立場が違った人間達が一緒に研究をしようとしても、対立や物別れに終わることもある。



本当に面白く、新しいものは分野間の境界にあるのに!!


これは研究に限ったことではないはず。


既存の社会の情報も実は、あるコミュニティの中だけにとどまっている可能性すらある。

ネットで何でも検索出来るといっても、検索語を入力するのは個人。

その個人が入力をしなければ、新しいことは検索結果に何も引っかからない。


意図しなかったモノが引っかかってくるように仕掛けていった時、

個々人が新しいものを知るようになる。


異分野に何かを伝えたければ「引っかかる」ように仕掛けなければならない。

他者の文脈を知らなければいけない。


伝えるためには、他者を知ることが一番重要だと、考えている。

接点探し。


その接点をきっかけに、今まで出会わなかったものが出会って、

新しいものが生まれる。伝わらなかったものが伝わるようになる。

そこを目指している。


それにもともと科学は、自分以外の他者にも認められて初めて

「科学」となる。

つまり、客観性だ。


この客観性を担保する他者はあくまで専門家集団内での「他者」ではあるが、

新しいことしようとしたり、価値ある知を社会で共有するために、

もうちょっと他者の枠を広げたっていいじゃないか。

科学者は、自分以外の他者からも「正しそう」と思われるように実験してきたはず

なのに、いつからこんなに閉鎖的になったんだろう。




さて、まとまりも無く書いてきたけど、

そんな思いでサイエンスコミュニケーションをしていたら、意外と理解者も

現れたりするものです。


詳しくはまだ言えませんが

こちらのイベント「求愛のカタチ」

http://d.hatena.ne.jp/can-no/20100215/1266252273

でご一緒した方々が、自らサイエンスカフェ的な連載企画をしようとしているのです!

科学の業界以外で普段お仕事をしていらっしゃる方達です。

そんな人達がサイエンスカフェを企画するというのは、

今の段階では結構画期的なことだと思います。

そして、企画をした身としては、素直に

「伝わった」んだなぁ、ということが嬉しいです。

乞うご期待!


それと、前提の共有とか、価値の共有ということでは既に、

"Ideas worth spreading"

をテーマに活動していらっしゃる方達がいらっしゃいますね。

その関係のところでお話しする機会を、恐れ多くもいただいております。

伝えられるだろうか。

2010-02-15

求愛のカタチ - 巡り会い、すれ違う♀と♂の科学 -(サイエンスカフェ)

| 01:44 | 求愛のカタチ - 巡り会い、すれ違う♀と♂の科学 -(サイエンスカフェ) - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

私が脳科学若手の会として企画運営に携わるサイエンスカフェのお知らせです。

詳細・お申し込みは脳科学若手の会HPからどうぞ。

http://brainsci.jp/event/cafe

以前は脳の性差・性分化を研究しているラボにいたのと、

研究者としてはこの分野に知り合いが一番多く、

私自身今現在もとても関心があるので、一度取り上げたいテーマでした。


普段科学に触れていない方からの多くの参加をお待ちしています!

素敵なゲストの方々にお話しいただけることになりました。

お気軽に御申し込み下さい!!


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複雑化する社会で多様化する男女のあり方。

「女と男とはいったい何なのか?」

いつの「時代」も悩まされるこのテーマを社会・進化・脳の観点から考えてみたいと思います。

今回は3名のゲストをお招きしました。

あの婚活という言葉の生みの親の一人で『「婚活」時代(ディスカヴァー携書)』の著者、ジャーナリストの白河桃子さん。

進化心理学や内分泌の観点から男女の行動を研究している、『ナンパを科学する – ヒトの二つの性戦略(東京書籍)』の著者、坂口菊恵さん。

マウスのラブソングや母子関係などの個体間コミュニケーション、社会行動を制御する脳のメカニズムやその性差を研究している菊水健史さん。

3人のゲストのお話を聞きながら♀と♂の不思議、様々な求愛のカタチについて、café で楽しく語り合いませんか?


ゲスト:

白河桃子(ジャーナリスト)

坂口菊恵(お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員 PD)

菊水健史(麻布大学 獣医学部 動物応用科学科 伴侶動物学研究室 教授)

オーガナイザー:

佐々木拓哉(脳科学若手の会:東京大学大学院薬学系研究科)

菅野康太(脳科学若手の会:東京大学大学院理学系研究科)

日時:2010年3月13日(土)15:00〜17:30

場所:サロンド冨山房 Folio

http://folio.fc2web.com/frame.html

東京都千代田区神田神保町13冨山房ビルB1

料金:お一人様 一般 1,000円、学生 500円

*要事前申し込み(料金お支払いは当日ご来場時)

主催:日本生理学会若手の会・脳科学若手の会

協賛:

有限会社 K. T. Labs

株式会社 フィジオテック

株式会社 フューチャーラボラトリ

株式会社 ニコン

株式会社 三啓