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菅野康太Blog 輪るPh.D戦略

2015-04-16 母マウスの音声受容とLaterality このエントリーを含むブックマーク

マウスの声(超音波)の文法性に関しては懐疑的なあたしだが、他の部分ではヒトにも共通な機構がある気はしていて、こんなのが出ましたね。元の論文はリンク中のリンクにある nature 誌。ScienceのNews記事中ではEmory大学のLarry YoungさんとRobert Liuさんもコメントしてる。

’Love hormone’ turns mothers into moms

母になるとマウスも仔どもの声への感受性が高まるが、その一つの要因として、聴覚野にオキシトシン受容体があり(この発見、初らしい)、しかも左脳側の方が多いと。母になるとオキシトシン分泌が高まるので(これは既知)、オキシトシン受容体を介して仔の声への聴覚野の反応性が高まるのではないか、と。

マウス超音波発声の受容が左脳優位だというのは昔から知られていて

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3808021

最近でも外科的処置(結索による虚血?)は左側の方が発声を減弱させるという報告があり、

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25644653

発声も受容も左優位であると思われる。

今回は受容が左脳優位であることの理由として、オキシトシンによる促進効果の局在(受容体の局在)が左側だからだ、と提唱したことになる。

まぁ、こんなにもオキシトシンで何でも説明できるのか?という気もするし、"Love Hormone"としてのオキシトシン信仰は安易にしたくないが、現在はマウス超音波のemotionalな側面を研究してる僕も、任期も今年で終りだし、次のステージとして言語とまでは言わないまでも、「音声コミュニケーションにおける哺乳類一般の共通性」みたいなことには関心を広げてみたいと思う。

2015-02-17

今、空前の孤独ブーム

01:43 | 今、空前の孤独ブーム - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

たいした実験ではなかった筈なのに、今日はなんだか疲れた。

実験の合間もほとんど、この先の仕込み作業をしていたせいかもしれないが。

データを足したところ、僕の神経データは概ねホンモノらしくて安心してるんだが、亜核レベルでの細かい解剖になると、チト自信がない。個体差なのかもしれないし、僕の「眼」が洗練されてないのかもしれない。なんらかのマーカー遺伝子と一緒に染めないと不安。

奥深いなぁ。局所and/or機能解剖学

貼り付けて割と直ぐ顕微鏡覗いたから、封入したらまた違うランドスケープが見えるかもしれない。

今日は、特に夜になってから、21時過ぎくらいからだろうか、没頭した感じがあるのは、振り返ってみると気持ちが良い。



ところで、

「研究に没頭する」という言葉、よく聞くのだが、研究にも色々な作業があるし、1日の中でも色々あるから、皆んなが何をさして没頭すると言ってるのか、実はよく分からない。

脳の切片貼り付けてるときと、顕微鏡覗いてるときと、統計ソフトでデータ掘ってるときと、調べ物の読み物は、没頭してると思える。切片は、筆を使ってるのが職人ぽくて好きなのかも。ウェスタンブロットも、染物職人みたいで好き。あと、あんまり疲れない

なんだか、実験大好きな人みたいな感じのこと言ってるが、基本的には疲れるからキライで、最近では超音波解析とかちょーキライ。はやく機械がやって欲しい。


没頭しているとき、これは没入感を伴った作業をしているとき、ということだと思っているのだが、後から振り返るとそう思えるが、ただ中にいるときには気付かない。没頭しているときは、感性や感覚が研ぎ澄まされるし、頭の回転が異様に速い感じがする。視力すら良くなったような気がする(もちろん、没頭しているときはだいたい凝視しているので、我に返ると視力は明らかに落ちているように感じるが)。

この感じを持てるとき、もしくは、持つことが多いときに僕は「あぁ、研究してるなぁ」と思える。

じゃあ、没頭していれば良いじゃないかという話しだが、没頭という言葉に僕が違和感を持ってしまうのは、人から「没頭しなさい」と言われることがあるからだ。おそらく、若い人がより年上から言われることが多いのではないだろうか。

そう言う場合の「研究に没頭しなさい」に含意されるものは、おそらく、「研究だけしなさい」「余計なことはするな(博士のキャリアパスとかサイエンスコミュニケーションとか考えるな)」「自分の言うことをきけ」「私生活を犠牲にしろ」等だと感じている。ときおり、現代では研究者の活動のうちとして推奨、あるいは認められていることをしている場合でも、ジェネレーションギャップが主な原因で「あいつはよそ見をしている、気が多い、研究に身が入っていない」と見なされることがある。


そもそも、没頭する、ということは、しようと思って出来るものでは無い気がする。繰り返しになるが、後から振り返ったとき、ふと気付くとそういう時間帯が存在したということだと思う。では、どういうときに没頭していたかを振り返ると、僕の場合は圧倒的に夜が多い。人が皆帰った後の、静かなラボ。この光景を圧倒的に思い出す。早稲田東大麻布。これまで所属したどの場所でも鮮明に思い出せる。

つまるところ、没頭することの前提条件には「孤独」が必要なのではないだろうか。

だから、僕は夜が好きなのかもしれない。何かが「降ってくる」のは、圧倒的に夜だ。

没頭することで、クリエイティブなものは生まれると思うが、その没頭に必要なのは「孤独」であり、それによって生まれるものが「個の創発」だろう。

だから、他人に対して、クリエイティブな何かに没頭して欲しければ「放っておけば?」「 放っておいて下さい」と思う。


*最近は、繋がりの時代、ソーシャルな時代なわけだが、そもそも「個」がなければ、何も生まれないわけで、その辺のことも考えてみたい。

2010-11-11

進化神経行動学

| 03:36 | 進化神経行動学 - 菅野康太Blog 輪るPh.D戦略 を含むブックマーク

夏に岩波書店の方から頂いた、科学六月号を、最近読んでいる。

特集は「進化神経行動学」。

昔は、学部生にしてはこの手の話に詳しかった筈だが、

最近では全くアップデート出来ていなかった。恥ずかしい。

ヒトの疾患モデルとしての培養細胞、マウスに関する論文

読んでばかりいたからかもしれないが。

本特集の冒頭、ロナルド・R・ホイ氏のエッセイによると、

進化集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは

「進化的な見方を排した生物学は生物学ではない」と

過去に言い切っているらしい。

それは、私も同意している。

生物学の「なぜ?」に答えるには、

大きくは二つの答え方が有る(厳密には4つらしい)。

至近要因的な答え方と、究極要因的な答え方だ。

前者は主にメカニズムの説明をし、後者は適応的な答え方をする。

(なので、厳密には前者は「Why」に答えるというより「How」だ)

例えば、なぜ色が存在するのか、という問いに対してはこうだ。

ある波長に反応する視細胞が眼に何種類か有り、その細胞から

脳の視覚野に神経が伸びて、情報が処理されるから。

コレが至近要因。

もうひとつは、色を識別出来た方が、

果物などの状態を判別するのに都合がいいため、

採取をする生物に取っては進化的に有利・適応的だったから、

という答え方。究極要因。


まだまだ素朴だった高校生・学部生の頃の私には、

この二つが揃っていた方が腑に落ちるし、今もそうだ。


私が信頼するある研究者が、現在の科研費のあり方等を話しながら

研究会の飲みの席でこういった。

「疾患から学ぶこともある。でもそれだけでは生物は理解出来ない」



生物医学の発展のためには、

つかいやすく、ゲノム情報が揃っているモデル生物やヒトを

主たる対象として研究することは理にかなっているし、

否定はしない。

しかし、生物とは何か、生命とは何か、

生物に行動を起こさせている「心」や「意識」、

「情動」のようなものは何なのか。

これらに答えるためには、ドブジャンスキーの言う

「生物学」がなくてはならいない気がする。

我々ヒトが認識している世界など、この世界の一部に過ぎない。

それは、比較生物学的な知覚の研究を見れば明らかだ。


以下、twitterでの私のつぶやきから。


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ものすごい、不勉強だった。分子のことはそこそこ詳しくなったのかもしれないが、それだけで理解出来るものの幅等狭い。応用可能性は高いが、個体レベルでの専門性にはほど遠い。

昔の方が、知識の得方の質が高かったように感じる。学部生の頃。最近はモデルとしてのマウスや疾患に特化し過ぎ。

動物は、人間からしたら恐ろしい感覚、知覚をする。それでもってコミュニケーションもする。世界とは何なのかを、あらためて考えさせられる。つまり、我々の人間の脳で構成されてる「世界」など、この世界のほんの一部に過ぎないだろう。

比較生物学、進化生物学の観点を持つと、動物ごとの世界の取り入れ方の違いに注目することになる。神経系が可能にしている「認識世界」や「意識世界」が同じ物理空間に存在していても我々と違うことになる。これは、意識や心とは何かという本質的な問いに繋がる気がしている。生きることとは?にも。

同様の意味で、池上先生の様な複雑系を用いた理論的研究にも、最近実は比較生物学的な意味合いを、僕の中では勝手に感じている。

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SYNAPSE Vol. 2の編集を始めた関係で、

光とは何なのか、から動物の視覚世界を調べているので、

こんなつぶやき。


脳の分野もサルやヒトの心理実験の話はやはり主流で、

とても興味深い。


普段、分子の実験をしていて、学部生の頃のような

個体レベル、行動レベルの実験から離れている私にとって、


サルやヒトの研究をしている人達の議論はとてもエキサイティングだ。

今の自分が惨めになるくらい。うらやましい。


しかし、いまさらモデル動物を離れる気も、そんなにない

というのが、私の現状。

分子のツールを得た私に、何が出来るか。

そのヒントも、進化神経行動学の論考にある気がしている。


神経科学、脳科学分野には、医者もいれば心理学者もいる。

近年では、経済学者もいる。

そんななかで、やはり私の立ち位置は

「生物学」だと、最近強く感じている。

進化神経行動学の視点をもちつつ、

モデル生物で研究する。比較対象には、ヒトもはいる。


もやもやっとした感じで、最後の方は

ロジックが整っていないが、明日は朝からゼミなのでこの辺で。


やはり最近興味深いのは、

コミュニケーションにおいても嗅覚系、フェロモンの

影響が大きいマウスにおいても超音波域での

音声コミュニケーションやLove songを使っているということが

わかり(解ったのはかなり前)、近年は研究の環境が整っているということ。

モデル動物としてのマウスは、生物学の対象としても、

まだまだ侮れない存在かもしれない。