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2014-06-11

ダンス2000


何年ぶりかの大打撃に、梅雨の雨音と曇天が追い打ちをかけてくる。

さらにこのタイミングで仕事がちょっと暇なものだからいよいよ持て余してる。

文章吐き出す。みじめさよ。叶わなくて良いから呪われたままでよかったのに。煙草は身体によくないよ



フジファブリックについて。

フジファブリックを一番聴いていた時期は中3〜高2、

それ以前の音楽への興味は非常に浅く、疎かった。

母親のお陰で幼稚舎からヤマハピアノ教室に通っていたのでピアノ曲は好きだった(エレクトーンは嫌いだった)合唱コンクールとかで伴奏させてもらうのも好きだった。中学高校と吹奏楽部に所属していて、全く音楽を聴かなかったわけではないけれど、それでもCDをかって聴く、というのはUA椎名林檎くらい。UAはお世話になっていたピアノの先生(イケメン)が香純ちゃんはなんか好きそうだからってCD焼いてくれた。うれしかった。カラオケは昔から苦手。

中3の頃は男女共学の高校が嫌で嫌で、女子校に行きたかった。

県内、家から通える女子高は偏差値のなかなか高い前橋女子ととても頭の悪いギャルしかいないイメージの残念な女子校の2択。プライドが高かったので当然前橋女子を志望校とし、偏差値をあげることに尽力した。塾通いと夜更かしを覚えた。(田舎のわりに夜遊びはしなかった。夜に1人でコンビニに行くのさえ、ちょっとした悪いことだと思ってた)

夜更かしに身を委ねるなかで、勉強の傍ら、深夜の音楽番組、深夜の映画を流し見するのが何よりの楽しみだった。

バラエティとかドラマも見ていた。濱マイクとか、怪奇大家族とか、ブラックワイドショーとか大好きだったな。。

そこで突然目に入った短いCM、カラーバーが割れるとこから始まって、グレーのトレーナーで表情無く歌うとても健康には見えない男の人が現れて、ボサッとした黒い前髪が目にかかっていて、細くて、、。やたらにカラフルな背景、全力で走る女の子、裏打ちの鍵盤、奇妙な歌い方、声、歌詞、全部がぶわっと一気に入ってきて、。15秒とかかな、CM映像だからたぶんそのくらい。最後にシンプルな細い文字で片仮名で「フジファブリック」 って出て、、 「なんだいまの?」って。当時はすぐに検索できなかったからとにかく心にひっかかったままもう一回さっきの流れないかなって待つしかできない。幸運にも日を跨いで3回くらいそのCMと出会うことはできた。ので、テレビに食いつき気味に小さな文字をちゃんと呼んだら、1st Album now on sale みたいなことが書いてあった。ああこれは神の啓示とかそういったあれだ、私はこの人たちと出会ってしまったんだ。と思ってCDを買った。はじめて自分のお金で、親のいないところで、親の知らないCDを買った。それが1stの「フジファブリック」。バンド名と同名のアルバム。2004年の冬。そうだ、そうだった。2004年だ。10年前か。

とにかく何度も聴いたし、CDデッキのスピカーに耳を押し付けたり、イヤホンも買ってみたり、歌詞カードも隅々まで読んだし、なんというか、夢中。そのころの興味の全部だった。こっそり親のPCを拝借してフジファブリックの公式サイトばかりを眺めて。BBSも書き込んでたな。

TSUTAYAとか新星堂で赤富士通信をごっそり取ってきてた。本当にごっそり。

妄信的にシングル4枚を揃えて、スピーカーで聴いてヘッドホンで聴いて、親もあきれていた。が、受験で無事志望校に合格したのでそこは黙っていただいた。笑

高校に入学して間もなくしてフジファブリックが5枚目のシングルを出した。「虹」カップリングはダンス2000のリメイク

この曲ではじめて「生で聴いてみたい」っていう気になった。1stは部屋で聴いているだけで満足度が高かったし、あと1STにはインターネットラジオURLくらいしか載ってなかったのに対し、虹にはCDの歌詞カードの間にツアーの詳細(TOUR RAINBOW OF SUMMER2005)の紙が入っていたのだ。(今考えるとそんな紙一枚で心動かされてしかも行動に至るってすごいこと・・・)  そうかバンドって人前でも演奏するのか。それがライブか。みたいにいちいち感動していた。ライブハウスなんて存在も名前もこのときはひとつも知らなかった。

とはいえ群馬から出たことのない、曲がりなりにも箱入り娘だった私は1人で東京に行くなんて、想像もつかなくて、学校もあるし、どうしよう・・・?と思っていたら、なんとその年(2005)の夏休みのちょうど真ん中にROCK IN JAPAN FESTIVAL2005にフジファブリックが出るという。ひたちなか茨城県、は東京に行くよりもずっと敷居が低く感じたのでしょう。幼なじみのくみちゃんを無理矢理言いくるめて誘い出し、親も「ミスチルが出るんだよ」と言いくるめて、あたかも「くみちゃんとミスチルを見に茨城の海沿いのミュージックフェスに行く」という健全極まりない夏休みの思い出であるかのようにごまかしてお母さんに車を出してもらってRIJに乗り込むことに成功。私の頭は大好きなフジファブリックのことでいっぱいだった。車でライブに行ったのも親公認のうちにライブに行ったのも後にも先にもこの時だけだなあ。

GOING UNDER GROUNDってこのとき売れてたのかな?ハートビートは知ってたし良い曲だと思っていたので一番最初にみたのはGOING UNDER GROUNDだった。そのあとがフジファブリック。レイクステージ、LAKE STAGE。とか意外に覚えてていま驚いてる。初体験だものね。頑張って前のほうにいこうとして、けっこう前のほうで見れた。ぎゅうぎゅうだし周りの人もみんな汗だくでぬるぬるしてたけど、でもライブってこんな感じなんだなあと思った。フジファブリックは、もう眩しくて眩しくて、、あんまり多く語れない。とにかくはじめてフジファブリックを生で見たぞ、っていうのが強い快感だった。人生ではじめて自分の意思で自分のやりたいこと、見たいものを実現させたっていう大きい感動があった。このとき買ったTシャツは今でもとても大事にしてる。

あとはband apartビークル(すっごい楽しかった)、シンガーソンガー(cocco細すぎて妖精みたいだった、くるりの岸田さん素敵だった)、ミスチル(裏でZAZENBOYSがやってて、当時はまだZAZEN知らなかったからこれはあとですこし後悔してる。でもミスチルもかっこよかった) などを観た。芝生で座ってken yokoyamaも観た。そのあと一瞬ピザオブデスも聴いたりしてたな。くみちゃんとは今も仲良し。


そんなこんなで。

rokinonjapanとか買うようになっていわゆるロキノン好き女子高校生、アジカンとかエルレガーデンとかストレイテナーとか聴くようになって、そういった音楽が好きな友達もできて、でもだんだん人と同じものを好んでちゃダサイみたいなもやもやにもやもやしてるうちマイナーな方へ、誰も聴いていない私だけが好きなバンドを掘るほうへ、フェスよりも暗くて狭い地下ライブハウスへ、と道を踏み外していき。。多感期まっしぐら、尖っているほうがかっこいい期、そしてART-SCHOOLにドはまる、恋愛にうつつをぬかしだす、ライブハウスばっかり行くようになる、グループイノウ、ネハンベースにはまる、、など。

そうやって歳を取るなかでもフジファブリックは勿論ずっと好きで、2ndの「FAB FOX」が出たときの興奮なんて今でも手に取るように覚えてるし、夜中に親の目を盗んで親のPCを借りて、極寒かつ電気もついてない真っ暗な部屋の中で震えながらネットラジオを聴いていたことも覚えている。

ジョンレノントリビュートに参加していればそのCDを買ったし、「スクラップヘブン」の主題歌をやったとあれば映画館まで見に行ったし、蜃気楼めちゃめちゃ良かったからそのシングルも買ったし、「悪夢探偵」のCDが生産限定だと知れば買ったし、東京炎上、大好き。

ライブはそんなに数は行けなかったけれど、それでも、時間とお金の許しがあれば、足を運んだ。交通費も痛いしグッズも馬鹿みたいに買うからお金かかってた。最低賃金650円の高校生アルバイトの給料なんてすぐ消える。懐かしき夏のツアー〜KANAZAWA DAISUKE AID〜 やら日比谷野音ワンマン、新宿LOFTでの遠藤賢司2マン、とか。どんなにいろんなバンドを知っていろんな音楽を聴いてもフジファブリックが一番好きだった。




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