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2017-10-20

[]介護はよろしく!?/長男言行録(3歳3カ月) 11:31

  • 「52さいになったら、にきにくいずぼんもはけるようになる!」

最近は服を着たり脱いだりということもおおむねできるようになってきたので須賀、本人として履きやすいズボンとそうでないものがあるようです。このセリフは、その履きにくい(「にきにくい」)ズボンを上手く履けなかった時の弁解です。

52という数字は好きですね(笑) 高いビルなどを見ると「あれは52階?」などとよく聞いてくるので、「百家争鳴」とか言う時の「百」が数字の100ではなく数が多いことを意味するように、長男にとっての「52」は非常に大きい数字の象徴なのかもしれません。ちなみに月をまたいでからは「54」が増えました。それはともかく、「自分は時を経るごとに身体が大きくなり、一人で出来ることも増えていく」という基本認識を最近強く持っているようで、同趣旨のことはお風呂でも登園中でも、口にしない日はないように思います。

 

最後にオチみたいな話で恐縮でもあるので須賀、冒頭のセリフを吐いた長男に、私はこう返しておきました。

「あなたが52歳になったらパパは80過ぎのおじいさんだから、パパのズボンも履かせてね」

2017-10-19

[]親子の2017年9月読書「月間賞」 01:14

深夜の帰宅タクシーで、思い出したように書いてみます。

私はこれですかね。質・量ともに重厚記述に感心させられます。

長男はこれだそうです。このシリーズは長嶋茂雄みたいに(?)オノマトペて終わってしまう文が多いので、個人的にはあまり日本語として好きではないんですけどね。

この作品は、意図的ナンセンスな展開にしているみたいです。果たしてどんな話として理解しているのか、一度長男に尋ねてみたので須賀、満足な答えは得られませんでした。

2017-10-10

[]公示日に思う・山県有朋安倍晋三/『山県有朋』(伊藤之雄) 11:50

山県有朋―愚直な権力者の生涯 (文春新書)

山県有朋―愚直な権力者の生涯 (文春新書)

私は、明治憲法下の政治過程の特徴はアクター多元性にあると考えています。日本国憲法下では、首相国会議員の中から選び、衆議院が不信任案を可決すれば解散総辞職しかない―というように、三権を中心としたアクター役割比較的明確になっていま須賀、戦前はそうではありませんでした。憲法規定のない存在である元老が慣例的に首相人事に大きな役割を担い、また直接的には民主的根拠を持たない枢密院が力を持つなど、(後年の軍部は言うまでもなく)さまざまな勢力政治に参加し、その結果として人事や政策が出力されてきた側面が強くありました(その辺の経過は『昭和戦前期の政党政治』などからも垣間見えます)。

そうした勢力を体現する人物とみなされ続けてきたのが、この山県有朋です。西郷隆盛大久保利通の死後、藩閥内で最大の勢力を誇った*1長州閥にあり、陽気な性格で政党政治にも自らの歩みを進めた伊藤博文と双璧をなした彼は、陸軍官僚枢密院宮中に隠然たる影響力を持ち、陰険な手段を以て政党政治妨害し続けた―と当時も今もみなされています。この本では、豊富一次資料をもとにその「陰険な藩閥権力者」の実像に迫っています。

興味深い発見は多かったので須賀、まず印象的だったのは、彼は若いころから病弱で、しかも逆境や重圧のかかる局面に体調を崩すことが多かったということです。特に維新初期ほど、生真面目な性格が災いしてか心身ともに打たれ弱かったようで、西郷や伊藤・かおるちゃん井上馨の助けを得て政治的に立ち直る過程を何度か繰り返しています。これは後年の彼のイメージとは大きく異なる点で須賀、健康管理の面で言えば、小田原に避寒地を構えるなど「一病息災」的な留意もあったことが結果的に80歳を超える長寿をもたらしたのかもしれません。長生きをしたということは、元老のような慣例的な制度に拠って立つ政治家にとっては、馬鹿にならない重要なポイントです。

もう一点は、先ほど触れたような伊藤との関係です。まさに陰と陽の2人は仲も悪かった…と私も思っていましたが、年下ながらも大久保後継者として明治政府を主導した伊藤は、山県の政治的危機に幾度も手を差し伸べました。政党政治に対する見方で大きな溝ができた後も、山県が自ら日清戦争に出征することに感激した伊藤が彼を見送るなど、決して袂を分かったわけではなかった。その辺の交流を見ていると、一概に「山県は陰険だ」と言えないような気がしてきます。

ただ一方で、ジャーナリズム世論が彼を陰険と見た理由もよくわかります。陸軍最大の権力者軍部大臣現役武官制を敷く―陸軍陸軍大臣を辞任させ、内部から後継者を出さなければ内閣を倒すことができるような仕組みを作る―というのは、外から見れば時の首相を従わせ、場合によっては挿げ替える*2ためのいかにも陰湿な手口に見えるでしょう。陸相人事を自分長州閥の後輩*3実質的に決めていく仕組みを作りあげたように、非公式で厳しく言えば非立憲的な*4慣例を重視する点も、同様の批判は免れません。

こうした政治手法について著者は、維新の成果たる明治国家を守り、究極的には幕末に散っていった戦友たちに報いるためにやむを得ないと考えていたのであり、ただ老いて自らの権力に恋々としていたわけではない、と述べているので須賀、私が読む限り特に後半部分に関する論拠はあまり見当たりませんでした。さらに言えば、国家のため、道を誤らないためには自分の力が必要だとの信念に基づく行動であったとしても(多分心からそう思っていたのだと想像しま須賀)、そうであれば多少陰険な手段を用いてもいいのだ、とはならないと私は思います。自分権力を握るのが国家のためになるのだから手段は問わない、というのはどう見ても身勝手な論理ですし、まさに今日公示された総選挙のため衆院解散した安倍首相のそれと大差ないように思えます。

 

安倍首相の名前が出てきたので、最後にこの話を。私が購入した時の帯には、こう書かれていました。「安倍晋三まで続く『長州閥』を作った男 不人気なのに権力を保ち続けた、その秘訣とは?」。現職首相との共通点をさらった上手いコピーだと思いま須賀、その「秘訣」がそれぞれ異なるのは明らかでしょう。山県は藩閥に支えられながら生真面目に政治家としての鍛錬を積み、そして長生したことが大きかったので生姜安倍首相の場合は「他にいい人がいないから」であることが明らかになってきました。しかし一方で「安倍首相に代わる一見よさそうな人」もここ数日で世間的にどんどん馬脚が現れていると言うべきで、果たしてどこまで首相が「不人気なのに権力を保ち続け」るのか予測しづらい状況にはなってきました。しかし、山県の時代とは異なり、衆院選の結果が次の首相指名に結びつくことは制度的に保障されているわけで、当時の藩閥批判勢力のように「陰険な手法を弄する隠然たる権力者」に隔靴掻痒する必要はないはずです。

*1:要するに薩摩閥を凌駕した

*2:しかもこの人は元老として、後継首相選びにも影響力を持っている!

*3桂太郎ないし寺内正毅

*4元老制度がその極致生姜

2017-09-26

[]二つの「虚像」と対峙して/『翔ぶが如く』(司馬遼太郎) 18:05

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

      

新装版 翔ぶが如く (10) (文春文庫)

新装版 翔ぶが如く (10) (文春文庫)

小学生の頃から、西郷隆盛司馬遼太郎に対してなんとなく苦手意識がありました。

どちらについても憎たらしいとか嫌いだという気持ちを持ったこともないので須賀、特に西郷隆盛は、私が好きになるには存在感というか声望が大きすぎたのです。そもそも彼が未だに「西郷隆盛」ではなく「西郷さん」であることが表すように、その圧倒的な存在感からは(この作品に描かれた彼の人柄とは対照的に)近寄りがたい雰囲気すら感じられ、それが幕末維新という歴史好きなら舌なめずりをするような時代から、私の関心を遠ざけたようにも思えます。

作者についてもそうでした。「歴史好きなら読んで当然」と言われると逆に反発心めいた気持ちまで芽生え、「歴史小説フィクションじゃないか。作り話を読むくらいなら、史実で構成された専門書を読んだ方がましだ」と心のどこかでずっと考えてきました。しかし、そんな予断を打ち砕くのに、全十巻のうちの一つを読む必要もありませんでした。どのくらいの労力をかけたのかと思うくらいの史料をふんだんに用い、驚くほど多くの人物を登場させ、彼らの多彩なバックグラウンドと立ち居振る舞いを描いていく。また、何度足を運んだのか、各地の地形や風情までもがありありと浮かび上がってくるにつけて、小説としての情景と史料取材に裏打ちされた史実*1を混同しないように気をつけさえすれば、一個の優れた歴史書と呼んでも差し支えないような気がしてくるのです。

そんな作品でありますので、結末を伏せる意味はないでしょう。この物語は、明治維新の三傑であり、幼少時からの親友であった西郷隆盛大久保利通が如何にして袂を分かち、一年の間にともに非命に斃れるに至ったかを描いた大河小説です。2人は言うまでもなく薩摩出身で須賀、ここに絡んでくるのが西郷隆盛が登用した川路利良*2桐野利秋*3の両名です。それぞれが西郷大久保方の重要人物として立ち回り、最後に川路が死んで、4人が歴史の表舞台から退場するところまでが本編となっています。

文庫本で3000ページを超える大長編なのでこまごました感想を述べることはしませんしできませんが、この小説だけを読んでいると、西郷隆盛という人が本当に気の毒に思えてしまいます。恐らく彼のもっとも生き生きとした姿というのは、薩摩藩士として討幕を推し進めた時のそれであり、究極的には勝海舟と対坐して、江戸城無血開城を成し遂げた姿であったので生姜、この小説では、彼は冒頭から、討幕の大業を成し遂げて言わば歴史的役割を終えつつありながらも、万天下を覆わんばかりの声望を得てしまっているという状態にあります。そのことを自分自身でも分かっていながらも、彼を良くも悪くも放っておかなかった川路・桐野らが結果として作り上げた事態に抗えず、結局は私学校徒らの暴発*4の「錦の御旗」にされてしまうわけです。そのことの一因に、著者が指摘するような「西郷の人望好み」*5があるかどうかはともかく、明治政府樹立後にこそその本領を発揮した盟友・大久保利通とのコントラストはあまりに克明でした。また、究極的に言ってしまえば、著者が言うほどに「維新最大の功労者西郷隆盛」という虚像が大きくなりすぎてしまえば、真の意味下野する―政治的影響力の一切を放棄するためには、実際にそうなったように、彼は死ぬしかなかったのではないかとまで思えてきます。ただ天下における彼の評判がどうであったのかを史実(に近いもの)として述べるのは、事柄性質としてかなり難しいと思われるため、その点は留保が必要でしょうか。ともかく、「維新最大の功労者であり、鹿児島象徴する大人物」の声望による圧力を受け続けてきた人間としては、その言わば抜け殻のような西郷像は衝撃的ですらありました。

ついでに言っておくと、一つ読み進めていて興ざめだったのは、このように維新後に「陰画的な」存在になったのは、明治初年に大隅半島での狩りの最中に転んで頭を強打したからではないか、という示唆が物語の終盤に入ってから挿入されるようになったことで、本当にそう思うんだったら新聞に4年半以上にもわたって書き連ねる必要はなかったんじゃないかと思ってしまいます。

最後に、これもケチをつけるような話なので須賀一つ。この作品では特にさまざまなバックグラウンドを持つ人物が登場する、というのは先述の通りなので須賀、どうにも出身地とその人間性質を結び付ける議論が多かったのは気になりました。確かに幕藩体制崩壊した直後の時期の話である以上、今あるような浅薄県民性論よりは議論としてはマシだとは思いますし、個人的な経験としても、亡祖父から「卑怯と言ったり言われたりしない人間になりなさい」とか「(特に目上の人間に対して)議を言うな」と言われたことはありますけれども、薩摩出身の両雄の相克めいたドラマ主題としながら、「薩摩人はこういう性質だ」という手法を多用するのはやや危うい気がしなくもありませんし、この時期の薩摩出身者で個人的に一番興味のある森有礼がほぼ出てこないのは、そうしたやり方で説明しづらいところがあるからなのかと邪推したくもなってしまいます。

 

これだけ長い小説(司馬遼太郎作品の中でも最長だそうです)を読んでいると、途中からこの次に何を読むかという思案も徐々に脳裏にもたげてくるので須賀、今度はこの話にも出てきた、戦前日本最大のキーマンではないかと最近思っている長州人の伝記を紐解くことに今決めました。

*1:と、少なくとも著者が信じたもの

*2:「川路大警視」と言った方が通りがいいかもしれません

*3:間違いなく異名「人斬り半次郎」の方が有名でしょう

*4:実際にこの軍事行動が、戦略へったくれもない「暴発」であったことも縷々書かれています

*5乱暴に言えば「人に好かれたい」と考え、行動する性質

2017-09-19

[]親子の2017年8月読書「月間賞」 00:10

最近あまり人に向けて胸を張って言いたいこともないので須賀、やめる勇気もないので定期投稿します。

長男はこれです。細君の家族旅行した時、よくせがまれました。

私は該当なしです。

[]一緒に寝たくても…/長男言行録(3歳2カ月) 00:25

  • 「めつぶってっていわれるから、ぱぱによまさせてやらない」

珍しく家族3人で布団に入った日のことでした。大体絵本を読みながら寝かせるので須賀、「パパとママ、どっちに読んでもらう?」と聞くとこんな答えが返ってきました。要するに、パパは絵本を読む時に「横になって、目を瞑ってね。途中で目を開けたら読むのやめちゃうよ!」と脅かすことがあるので、だったらそんな奴に読んでもらわなくていいわーという趣旨ですね(笑)

それでも、パパと一緒に寝られる日というのを楽しみにしてくれているのは事実のようで、それが滅多に叶わないのは専ら仕事のせいなのだという風に理解しているみたいです。

「ぱぱはいつしごとがかわるの?」

何と答えればいいのか、気持ちの整理がつかないことが多いです。

2017-08-21

[]親子の2017年7月読書「月間賞」 12:06

8月も終わろうとしている時期に、7月を振り返ろうとしています。

私はこれ。登場人物たちの機微をしっかり描いていることで、お話として面白いものになっていると思います。

長男はこれだそうです。最近、たまに一緒に寝ることがあると、昔話を聞かせてくれと頼まれるようになりました。いつもはおぼろげな記憶アドリブを交えてやってしまうので須賀*1、これがまた意外と難しくて、何度かこの本を読み聞かせながらおさらいしました。

私が幼い頃、枕元で話をしてくれたのは亡祖父でした。暗闇の中で語る源平合戦は真に迫るものがあって、帰省中は毎晩のように聞かせてもらったのを覚えています。この浦島太郎もその真似事のつもりなので須賀、そう言えば祖父は、一体何を下敷きにして話をしてくれていたのでしょうか。

[]あいうえお かきくけこうたろう長男言行録(3歳1カ月) 12:27

そろそろひらがなを読めるようになってほしくて*2風呂場に表を貼ったりして興味を持ってもらえるような環境づくりをしています。「ひらがなが読めれば一人で絵本を読めるようになるんだよ」とけしかけていて、徐々に読めるひらがなも増えてきてはいるので須賀、ここに来て感じるのは、読めることと意味がわかることがどのくらい違うのだろうかということです。

例えば彼は数字を読むことはできるので須賀、それが単に「イチ、ニ」といった特定の音に対応する記号なのではなく、数量を表しているということをどのくらい理解しているでしょうか。それと同様に「えほん」という記号が「エホン」という音を表すことがわかるようになったとしても、それが彼の大好きな絵本意味するということにすぐ気付いてくれるでしょうか? 杞憂かもしれませんが、これまで日本語の音と意味を結び付けてきた彼が、文字意味を結び付けることにどうやって慣れていくのか、ちょっと興味を持っています。

 

ちなみに「かきくけこうたろう」は私だったか細君だったかが、加計孝太郎氏について言ったことが印象に残っていたものと思われます。あまり政治についての価値判断が滲むような発言は、子供にはしないようにしているつもりなんですけど。

*1:そういうことをするとこの絵本の再話者に怒られそうで須賀

*2:彼と2人で黙々と本を読みながら電車旅をするのがちょっとした夢だったりします

2017-08-07

[]『日本政治史』(北岡伸一) 12:24

日本政治史 -- 外交と権力

日本政治史 -- 外交と権力

こちらも再読です。前回のレビューにもあるように、あっさりした「骨と皮のような」(筆者)本なので、おさらいのつもりで読みました。なので長々と書くつもりもないので須賀、所々に見られるリアリストっぽい書きぶりはちょっと気になりました。

保護国化を進める日本への「韓国の抵抗は裏目裏目と出て、かえって日本植民地化を促進することとなってしまった」とか、「二十一カ条要求は、今日でこそ日本帝国主義代表する侵略的な政策のように言われているが、その頃の世界常識では、特に侵略的な政策というわけではなかった」というような物言いは、一見パワーポリティクスに則った冷徹記述であるように思えま須賀、そもそも朝鮮半島植民地化や中国大陸での権益拡大をめぐって、日本韓国中国とパワーゲームを演じる対等な倫理的資格があるとは私には思えません。「倫理的資格」などという言葉リアリズム用語らしくないように見えま須賀、そうしたものに突き動かされ、時には命をかける(人もいる)のが人間である以上、ソフトパワーまで土俵を広げて論じなければリアル分析とは言えないのではないでしょうか。私が冒頭でリアリズムっぽいと言ったのはその意味でして、表層的な駆け引きや展開のみで話をすればするほど、議論の射程も狭まるのではないかと懸念しました。

2017-07-30

[]『近現代日本史料で読む』(御厨貴編著) 01:14

大久保利通原敬徳富蘇峰らの日記から、昭和天皇靖国参拝しなくなった理由を自ら述べた内容を含むいわゆる「富田メモ」まで、多彩な史料から日本の近現代を読み解こうとした本です。

一つ一つの章はあまり長くないので、日記の中の耳目を引くエピソードが満載されているかというと必ずしもそうではないので須賀、どういう経緯で残された史料であって、故に読む際にはどういう点に気をつけるべきか*1、といった史料を読み解く上でのリテラシーのようなものについてはしっかり書かれていたように思います。

ですので(私のように)読み物としての楽しさを期待する人より、実際に紹介された日記の一つに挑戦しようとする人にとって有益な本であるかもしれません。それはともかく、こうした様々な史料を突き合わせて、一つの出来事や一人の人物について掘り下げる迂遠にも見える仕事の上に、歴史研究というものが成り立っているのだなあと実感しました。

*1:例えば公開を前提に書かれた原敬日記の全てを鵜呑みにしてはいけない、など

2017-07-22

[]『古代日本外交史』(廣瀬憲雄) 14:52

再読しました。自分で言うのも変なのかもしれませんが、前回のレビューで結構しっかり書き込んでいたので、若干戦意喪失してしまいました(笑)

一つだけ付け加えるなら、よく言われる「東アジア世界」の「冊封体制」を相対化する意図というのは今回もよくわかったので須賀、ある解釈可能だということとその解釈をこそ採るべきだということとは求められる論証のレベルがかなり違うわけで、前者で読めば非常に面白い観点ながら、果たして後者まで言えているのか、という疑問は所々ありました。通史たらんとするなら、論理性・妥当性においていわゆる通説に勝っていかないといけない。これは容易なことではないでしょう。

なんだかケチをつけているようで須賀、日本を取り巻く東部ユーラシアの国際環境を複合的に読み解いていくという意味において、非常に刺激的な本だと思います(そうでなければ二度読みませんw)。

2017-07-12

[]『応仁の乱』(呉座勇一) 01:47

ほぼ書き終えたレビューが一瞬にして消えてしまい、もはや再現する気力と能力がないので手短に失礼します。

応仁の乱を大真面目に解説していながら、ベストセラーになったと話題になった本です。登場人物人間関係はかなり錯綜しているんで須賀、彼らを内在的に理解しようとする記述が面白さを生んでいるのだと思います。

例えば畠山義就がどちら側かはむしろどうでもよくて、その時代や各登場人物価値観とか、彼らの人間関係機微といったものによって大乱の過程説明されている点が、読者にストーリーとしての満足感を与えるのかなと感じました。

著者は第一次世界大戦との対比についても述べているので須賀、その点も興味深かったです。両陣営とも大戦を予想していなかった、軍事技術的な理由からこちらも予想に反して長期戦となった、そのためか補給の差が勝敗と一致した、というあたりは共通しているんですよね。そう考えると、この本が片方の軸足を置いた大和というのは第一次世界大戦におけるバルカン半島と似た役割を果たしたとも言えるわけで、そこが筋を追っていて純粋に面白い話としてのこの本の価値を高めているような気もします。

小難しい本ではないです。日本史勉強であるとか人名を覚えるとかという意識ではなく、純粋にお話として楽しむのがよいのではないかと私は思います。

2017-07-08

[]親子の2017年6月読書「月間賞」 00:12

私はこれにします。『ポピュリズムとは何か』(水島治郎)も面白かったので迷ったので須賀、日頃思いが至らないようなことについて考えさせてくれた点を重視しました。

長男はこれ。図書館で何度か借りてきている本なので須賀、本人に聞いたらこれが良さそうなことを言っていたので。彼ももう3歳ですので、これからは本人の意見も取り入れていこうと思います。

[]長男言行録(3歳0カ月) 00:24

  • うみのこえをききたくないわ♫

D

これですね(笑)

どうやら保育園で習っているようです。本人曰く、保育園では替え歌はせずにちゃんと歌っているんだとか。

替え歌は割と好きかもしれません。父親が家でよくやっているからでしょうかね(笑) ものによってはママが嫌がるものもあるので須賀、それも面白がってたまに歌っています。

個人的には、替え歌言葉の面白さとか語呂合わせの楽しさを感じられるいい遊びだと思っています。私もそうやって育ってきたので…

2017-07-03 中朝国境旅行記四日目・帰国

朝靄がかかった鴨緑江(再掲)

[][]写真で綴る中朝国境旅行記四日目・帰国 12:42

帰りの大連空港

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いやいや、全然大きな空港でしたね。行きに鹿児○空港みたいとか言ってごめんなさい。2枚目の看板は興味深いですね。「国際線香港マカオ台湾はこちら」というのは、香港マカオ台湾外国ではないことになっている*1ので「国際線」の一言ではまとめられない半面、北京上海などとは一緒にできない実際上の事情がある、ということを奇しくも示しているわけです。それにしても、マカオ特別扱いされる理由ってなんでしょうね?

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最後の写真はこちら。富強、民主文明、和諧、自由平等、公正、法治…。多くのスローガンが並んでいま須賀、そのうちいくつ実現しているといえるでしょうか。搭乗手続きを待ちながら、そして既に余命幾許もないことが伝わっていた劉暁波*2のことに思いを巡らせながら指折り数えてみるのでした。

あとがき

悪趣味な覗き見の記録を、写真を中心にご覧いただきました。それでも見てみたいものは見てみたいわけで、川を隔てた北朝鮮雰囲気を、そして北朝鮮との「表玄関」の雰囲気を感じられて興味深かったです。

ただここから見えたのは、あくまでも中朝国境の「表の顔」です。建物張りぼてかどうかまでは分かりませんでしたが、まさに中朝友誼橋のたもとに遊園地があり、いくつもの建物川の向こう側に向かって体制礼讃の政治スローガンが掲げられていたことからも分かるように、このエリアがショーウィンドウ的な意味合い*3も持たされていることは否定できないと思います。そもそもを言えば、対岸の新義州市は30万人以上の人口を擁する、北朝鮮第4の都市です。その意味でも、丹東だけを見て中朝国境地帯のことが分かったように語るのは100年早いわけで、また近いうちに延辺あたりもゆっくり訪ねてみたいと思いました。

あと中国自体も10年ぶりでしたね。前回は上海から北京までバス在来線で行き来するというコンセプトだったこともあって、旅行というよりちょっとした冒険のような感覚でしたが、今回は(座れれば)快適な高速鉄道にも乗ることができ、旅行先としてのイメージもだいぶ更新されたような気がします。またいろいろ、回ってみても楽しいかもしれません。

 

同じ日付に投稿したブックレビューでも触れましたが、やはりこの旅を通じて一番印象的だったのは、朝靄がかかった鴨緑江の光景でした。

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すぐ近くにあるのに、靄がかかったように実態がつかめない国。実際に訪ねる、国境から眺める、専門家やその国から出てきた人の話を聞く、政府が発信する主張を分析する…。それぞれの手段に一長一短あるで生姜、粘り強く観察し、分析していきたい。真似事レベルであっても、その一手段を試せたのは有益だったと思っています。

毎度ながらご覧いただいた方に御礼申し上げ、いつもとはちょっとスタイルが違いましたが、これにて筆を擱きたいと思います。

(2017年7月18日午後0時半、自宅書斎にて)

[]『粛清王朝北朝鮮』(羅鐘一) 14:04

粛清の王朝・北朝鮮

粛清の王朝・北朝鮮

駐日韓国大使などを務めた著者が、独自の取材網などを通じて張成沢の生い立ちから粛清までの歩みを描いた本です。原題通り『張成沢の道』を辿る一冊です。

張成沢がいわゆる「苦難の行軍」の時期、海外を訪れる度に深酒して体制批判的にも聞こえる内容を口走っていたとか、韓国訪問中の彼に既に亡命していた黄長�惷が亡命を勧めたとか、金正日との間に金正男を産んだ成恵琳の、最初の夫との子供*4張成沢夫婦が世話していたとか、あるいは張成沢粛清後、彼の妻であり金正日の妹である金慶喜のもとに金正恩が報告に訪れたところ、彼女は金正恩拳銃銃口を向けた…といったエピソード豊富で、興味深く読むことができました。

一方で著者はこの張成沢悲劇を、改革開放への姿勢以前に、「権力継承制度の不在」という切り口で解釈しようとしています。それはもちろんその通りなんだと思いま須賀、議論の射程が長すぎて、いくつかの権威主義全体主義国家比較しながら論じるのならともかく、一国の実質ナンバー2の粛清理由を語るのには道具立てとして大きすぎるような気がします*5

あと、張成沢夫婦と(俺たちの)金正男との関係が最低限しか触れられていなかったのも印象的でした。「国家運営が立ち行かなくなれば、中国金正恩を『廃位』して金正男を据え、張成沢宰相役として改革開放を進める」というシナリオが囁かれた時期もありましたし、少なくともそれが脅しの意味機能していた可能性は十分あり得ると個人的には思う*6ので須賀、そうしたファクター考慮する必要はない、という判断なのでしょうか。

今、中国丹東鴨緑江沿いのホテルで、対岸を眺めながらこれを書いています*7。曇り空の靄の向こうは北朝鮮新義州市。遊覧船などに乗れば、両岸の賑わいの差は一目瞭然です。あの向こうで、この格差を埋めようとした男の命運は悲劇的に尽きたわけで須賀、では今、対岸を統べる最高権力者自国の経済発展についてどう考えているのか。アメリカまで届く核ミサイルを作って世界脅迫したいのはよく伝わって来ま須賀、そちらの方は靄がかかったようによく見えません。

*1:特に台湾

*2執筆中に亡くなりました。末期がんの報道が出た時点から、劉少奇彭徳懐最期のことが頭から離れませんでした。ご冥福をお祈り申し上げます

*3一般的には平壌に対して使われる言葉ではありま須賀

*4:お察しのような事情です

*5乱暴に例えれば、子ども砂遊びに本物のショベルカーを動員するようなものでしょうか

*6:二人とも既に金正恩に殺されていることも裏打ちしているように思う

*7:書き終わった途端にホテルWi-Fiが繋がらなくなり(笑)投稿時点では日本に帰って来ていますすみません

2017-07-02 中朝国境旅行記三日目・旅順

旅順の二〇三高地

[][]写真で綴る中朝国境旅行記三日目・大連から旅順13:06

大連に舞い戻る

朝靄のかかる鴨緑江

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写真は午前5時に、ホテルの部屋から撮ったものです。前日の夕方くらいから急性副鼻腔炎のような症状が出て*1、あまり眠れず早起きしてしまいました。風船をつけた車列は何かのお祝いのためだったようです。

北朝鮮エリカ様

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ホテル近くのカフェで朝食バイキング。隣接する別のホテルの客がほとんどのようでした。たまたま日本語ができる女性客がいて、その辺の事情を把握するのを助けてくれました。ちなみに、それぞれの写真通路を歩いている女性北朝鮮国旗が付いたネームプレート型のバッジをつけていたので、恐らく北朝鮮から公的に働きに来ている女性なのでしょう。ただここはいわゆる北朝鮮レストランではなく、たまたま写り込んでいた写真を見ても、外見もさほど特徴的であるとは思えません。

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外貨稼ぎのためにこういう店にも進出しているということなのか、もしかしたら昼・夜の北レス店員と朝のカフェ店員を掛け持ちしているさせられている、ということなのか…。店内では、本物と思しき金日成バッジをつけた宿泊客が固まって食事をする光景も見られましたので、北朝鮮としても利用したり人を送り込んだりしても問題ない店なのだろうということは最低限推察できます。

それにしても、赤い制服の方の女性、機嫌悪そうですね。実はずっとあんな感じだったので、途中からふてくされた時の沢尻エリカに見えてきてしまいました。最近は「浪速のエリカ様」というのもいるそうですから、ここでは「北朝鮮エリカ様」と呼ばせてもらうことにしましょう(と言ってももう登場しないけど)。

大連再び

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戻りの丹東駅で見かけた列車平壌北京の往復だそうです。

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大連に戻りまして、かつて「日本橋」と呼ばれた勝利橋周辺の光景です。2枚目の写真の奥は旧ロシア人街です。

旅順へショートトリップ

日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱」

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一気に飛びまして、こちらは旅順二〇三高地。有名な日露戦争の激戦地ですね。高台であるこの地の戦略的重要性はさることながら、この日本語案内が非常に印象的でありました。まあ人の家に上がり込んでドンパチやることが喜ばれるはずはないので須賀、文化財としての史跡の紹介には相応しくないと思います。

ちなみにここまではタクシーで来てしまったので須賀、帰りの値段交渉でかなり吹っかけてきた*2ので断ったところ、たまたまモニュメントの近くにいた日本人駐在員の2人が市内まで別のタクシーを呼んでくれました。断ったはいいものの、ちょっと他に足はなさそうな場所だったのでかなり助かりました。

旅順刑務所―絞首台の上の「繁栄

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続きまして旧旅順刑務所です。当初ロシアが建てたものを、日本増築して使用していました。

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ここが境目です。

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3枚目は、伊藤博文暗殺した安重根独房です。見ての通り明らかな特別扱いで、日本人看守らとも交流があったそうです。

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放射線状に伸びる監獄らしい造りです。

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処刑場です。中の絞首台にはカメラを向ける気になりませんでした。戦前日本の「発展」がこういう装置に支えられていたことも一面の事実です。

 

またタクシー大連に戻り、初めて中華らしい中華を食べて宿へ。翌朝が早いのでさっさと寝まする。

*1自分の中では大気汚染のせいということになっています

*2:また日本語のできるおじさんとの電話に代わらされて「ここで30分待つなら200元かかるよ、大丈夫?」とか言ってきた

2017-07-01 中朝国境旅行記二日目・丹東から見る北朝鮮

右が中国・丹東。左が北朝鮮・新義州

[][]写真で綴る中朝国境旅行記二日目・丹東から見る北朝鮮 14:26

北朝鮮が見えるホテル」へ

この日は大連から丹大高速鉄道に乗り、中朝国境の表玄関丹東を訪ねます。

大連北駅

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丹東大連を結ぶ丹大高速鉄道の始点・大連北駅は、大連駅周辺から車で20〜30分ほどの郊外にあります。ご覧の通り自動券売機も整備されていま須賀、外国人パスポート提示が必要なためこちらでは買えず、結局窓口に並んで買いました。事前に多少調べたり、詳しい災いの人に聞いたりしたところによると、日本で予約をしていても当日現地で並ぶ必要があるそうで、だったら時間の逆算ができない中で乗る便を決めてしまうのは逆にリスキーだよね、ということで予約せずに臨みました。まあその結果、立ち席*1だったんですけどねwww

ちなみに 10年前と比べれば、みんな列に並ぶようになったなあというのがこの旅行全体を通じた印象でもあるので須賀、急いでいるらしい人が最前列に並んでいる人に頼んで、一番前に入れてもらうという光景は目にしました。最前列に人が入ってきて不利益を蒙るのはその列に並んでいる全員なんだけどなあ…と苦々しく思っていたら、私が最前列にいるときにも男の人がやってきて、身分証だかを示しながら何やら中国語で掛け合ってきます。そもそも中国語ができない私にはまったく聞き取れませんでしたし、先述したような違和感もあったので欧米人がよくやる「ハァ?」のジェスチャー*2で聞き流したところ、彼は言葉を荒げて何らかの捨て台詞らしきものを吐いて去っていきました。たとえ意味が分かっても(こちらも急いでいたので)譲るつもりはありませんでしたけども、中国に来ているのに中国語が分からないことを殊更に示すようなジェスチャーを取ってしまったことに関しては、今思えばかなり悪趣味だったと反省しています。

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一見、大連空港より巨大にも思えるターミナル。車の展示やスーパー大連ならではのロシアグッズ*3屋もありました。

高速鉄道

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乗り込んだのは「和諧号」。ただし既述のように乗車は許されるが座席のない「无坐」だったため、2時間ちょっとの乗車時間のうちほとんどをデッキなどで過ごす羽目になりました。逆に言うと、席が空けばおおっぴらに座ることができますし、後になってその席の指定券を持っている人が乗ってきても、明け渡しさえすれば特に問題になりません。日本新幹線などとは感覚が違うように思えま須賀、私はこちらの方が合理的だと思います。

初めて乗る「和諧号」も結構でしたが、個人的には2枚目に写り込んだ在来線と思しき車両が懐かしかったです。

丹東

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无坐の二の轍は踏むまいと、早速翌日の大連行きの切符を求めます。駅を出た途端どなたかいらっしゃって戦慄しましたが、毛主席でした。さすがに国境の方を向いてはいなかったww

丹東駅から南へ

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何といっても特筆すべきは朝鮮半島絡みの文物の多さでしょう。標識で隠れてしまっていま須賀、1枚目にあるように「朝韓百貨」を掲げる店は市内のあちこちで見られ、実際に韓国製品を含む朝鮮半島関係の品々が売られています。てかこの順番で国旗を並べて大丈夫なのか*4という気はしますね(笑)

3枚目のような中朝国境などへのツアー案内もちらほら。5枚目は「高麗街」となっていますね。総じてハングル表記も目立ちました。

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そんな街中にスタバがあったりもしたので須賀、メニューにハングルが併記されているのかどうか、ちょっとからかってくればよかったですかね。

朝鮮焼肉店で韓国語を試す

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遅めの昼食はこちらの朝鮮焼肉店で。韓国語が通じるかどうか試してやろうと、最初にテーブルに来たお兄さんに片言の韓国語で注文してみたので須賀、あいにくさっぱりといった様子。ちょっとがっかりしていたら、若い女性店員がやってきて(確か朝鮮語で)「韓国からいらっしゃったんですか?」と、誇張ではなく本当に目を輝かせながら聞いてきてくれました。

しかしこちらもあいにくの日本人ですのでそう返答すると、彼女は誇張ではなく本当に期待外れだったという表情で去っていったのでした…と言うとちょっと感じの悪い店員のように読めてしまうかもしれませんが、中国語が全くできない私に朝鮮語であれこれと世話を焼いてくれたのは結構助かりました。朝鮮語だって特に聞き取りは全然ですし、自分の言いたいことをおかしな発音言い回しでわめいているだけにしか映らないはずなので須賀、全く分からないのと多少なりとも分かる可能性があるのとでは心理的にも実際的にも全然違いますね。

ちなみに言語問題で一つ興味深かったのは、私がトイレに立とうとした時、彼女が朝鮮語で「衛生室?」と聞いてきたことです。韓国ではトイレは「化粧室」で、「衛生室」と呼ぶのは北朝鮮流とされています。そこから推察するに、少なくとも彼女はいわゆる韓国語というより朝鮮語に近い言語を話しているのでしょう*5。これはもう少し後に出くわすので須賀、街中の案内板も「衛生室」となっていました。

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地理的(歴史的)・政治的近さを鑑みても自然なことではありま須賀、そのどちらがより多く作用しているのか*6は興味があるところですね。

そういえば、店のBGMはいわゆる「NKポップス」でしたよwww

鴨緑江を間近に望んで

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しばらく歩くと鴨緑江が見えてきます。何のことはない距離感ですけど、対岸は北朝鮮なんですよ!!

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こちらはホテルの部屋から。「リバーサイドホテル」どころか、「北朝鮮が見えるホテル」ですな。

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ちなみにホテルの1階では、こんなものが平然と売られていました。街中にも結構ありましたが、こういうものを扱っている人たちは、こちらが日本人だと知るや否や、決まってニヤニヤしながら金日成バッジの模造品を売りつけようとしてくるんですよね(笑) まぁ、丹東に来る日本人意図は大体似たり寄ったりだからなのでしょうけどね。

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近くにはこんなコンビニも。むしろネーミングとしては本家より自然かもしれませんw

遊覧船から見る北朝鮮

北朝鮮JK激写

ここからは鴨緑江の向こう側の写真を載せていきます。私が生半可な知識を振り回して過剰に取捨選択したり「解説」を加えても仕方ありませんので、ここは写真に語っていただきましょう。さすがにミスショットなどは除いてありま須賀、多少被写体が被っていても気にせず紹介していきます。

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この煙突はかつての王子製紙工場のものだそうです。

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右側の建物には「先軍路線太陽 金正恩将軍万歳!」というスローガン*7が掲げられています。拡大するまで気付かなかったので須賀、制服らしきものを着た女性が写っていますね。学校か何かでしょうか。

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遊園地観覧車は動かず?

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中朝友誼橋のたもとの遊園地バスが何台か停まっているのが確認できま須賀、少なくとも観覧車は動いていないように見えました。

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鴨緑江閣。レストランだそうです。

船と作業現場

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肉眼ではなかなか見えなかったので須賀、結構人がいたんですね。

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何らかの公的施設と思われま須賀、よくわかりませんでした。真ん中左の船乗り場のような建物には「節約」と大書されているんですけど…?

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「先軍朝鮮太陽 金正恩将軍万歳!」と書かれています。

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スローガンの嵐

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右から「朝鮮人民の不倶戴天の敵である米帝侵略者どもを消滅させろ!」「党中央の旗の下団結しまた団結しよう!」「自力自強の偉大な動力社会主義の(以下読めず)」「(切れて読めず)の訓練命令を徹底して貫徹しよう!」だそうです…(ちょっと疲れた)

今更言うことでもないかもしれませんが、これらのスローガン国民向けという以上に、川の向こう側(中国側)に向けたアピールなのでしょう。過去にも、中朝関係が微妙な時代には、北朝鮮側からの宣伝放送が繰り返されて問題となったことがあったそうです。

こっち見てる?

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船の縁に座っている男の人がこちらを見ています。まあこちらもあちらをガン見しているわけで(しかもわざわざ船にまで乗って)、お互い様ですね。

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長嶋茂雄

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「偉大なる金日成同志と金正日同志は永遠に我々と一緒に(以下読めず)」

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右から「全党、全軍、全民が朝鮮労働党第7次大会課業貫徹に総邁進して主体革命の最終勝利を繰り上げよう!」「先軍朝鮮太陽 金正恩将軍万歳!」。訳していて徒労感がありますね…。ちなみに中央の男性、裸足です。

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新しそうなバイク

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ピカピカのバイクですね。メンテナンスをしているのでしょうか。

いざ出航!

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奥の建物は倉庫でしょうか。

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ちょっとあの船に乗るのは嫌だなあ…(笑)

番外編・中国

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鴨緑江断橋(後述します)のたもとのこの辺でチケット(50元)を買って、遊覧船に乗り込みました。

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桟橋周辺。

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下流側です。

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こうして見るまでもなく、経済発展の度合いとして両岸の差は歴然です。もっと言うと、北朝鮮側に見えたいくつかの建物張りぼてのようなものだという説もあるそうですね。あとこれは推測で須賀、左岸側の林は国内の様子を見せないために北朝鮮側があえて残したor植えたものかもしれません。

まだまだ続く「国境観光

鴨緑江断橋

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中朝友誼橋のすぐ隣に残された、途中で折れた橋です。日本がこの地域植民地支配する過程建設したものの、朝鮮戦争中に米軍の爆撃を受けて壊されたそうです。

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現在は観光地化されており、列車バスの行き来のある友誼橋を横に見ながら折れたところまで進むことができます。

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ここでポーズ取ってた人はめっちゃ怒られてましたw

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橋の歴史時間を追って説明されています。

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スクリーンも。

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ここから先は途絶え、橋桁だけが残されています。

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その先端は、まさに中朝国境地点。

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向こう側もよく見えますし、あちら側から何やら歌も聞こえてきました。

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さっき中国側に入ったバス北朝鮮側に戻っていくのも見えました。行きはたくさん人が乗っていましたが、帰りはガラガラですね。

北レスに再朝鮮

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バンコクで果たせなかった北朝鮮レストラン。従わない客も多かったで須賀、公演が撮影禁止だったりしたせいであまり写真がありません。ただ店員さんたちも感じのいい人達でしたよ。最初はコミュニケーション手段に困ったのか、彼女らの知人と思しき日本語が少しできるおじさんと電話で話をさせられたりもしてちょっと面白かったですけど*9、そうしたエピソードも公演の歌や踊りも、私の心の中のアルバムにはしっかりと残しておきました…というところで、旅行記としては先に進めていきたいと思います。

*1:いわゆる「无坐」

*2:肩をすくめる"shrug"ってやつですね

*3:「ソ連グッズ」と呼ぶべきものも多く並んでいましたが、踏みとどまりました

*4:その点2枚目は軟着陸している感じがします

*5:私もその点を踏まえて使い分けたつもりです

*6方言的な違いが地理的分布しているのか、北朝鮮中国(朝鮮族)が政治的に近かった故に共通の語彙を使うことになったのか

*7:拙いながらも、以後なるべく訳していこうと思います

*8:この写真は断橋から撮ったものです

*9:そのおじさんが電話口で私の話を聞き取り、それを中国語店員さんに話す方法通訳を試みたということでしょう。このやり方にはもう一回出くわしました

2017-06-30 中朝国境旅行記一日目・大連へ

大連・中山広場は市民の憩いの場

[][]写真で綴る中朝国境旅行記一日目・大連市内散策 12:48

3泊4日で中朝国境

6月30日から7月3日にかけて、中国大連と、北朝鮮に接する国境都市丹東旅行してきました。最大のお目当ては中朝国境丹東中朝友誼橋北朝鮮新義州と結ばれ、中朝貿易物流の7割以上を担うとされるなど、言わば「中朝国境の表玄関」のような役割を果たしています。一方で、中国居住する朝鮮族が多く住み、それがために脱北者も多いとされるのはさらに北東にある吉林省延辺朝鮮族自治州界隈であり*1、その喩えで言えばこちらが「裏の勝手口」と言えるのかもしれません。そうなれば「裏の勝手口」にも当然興味が湧きますし、その間には北朝鮮白頭山*2と呼ぶところの長白山がそびえてもいます。本来ならば、それらもあわせて周遊するのが「中朝国境旅行」の趣旨に適うので生姜、今回は特に日程的な制約が大きく、丹東だけでもと訪ねることにしました。

さて今回なんですけども、(腕には自信がないので須賀)写真を中心にして、興味深かったことをピックアップしてご紹介していければと思います。帰国翌日の4日にも北朝鮮ICBMと称するミサイルを発射するなど、彼の国を巡る情勢が日々変化する中、なるべく早く見聞きしてきたことをお見せしたいと思ったからです。丹東にちらっと行って来たくらいで何が「刻々と変化する北朝鮮情勢」だ、というご指摘もありま生姜、そこは甘んじて受けつつ、早速本編に入りたいと思います。

北方香港散策

大連周水国際空港

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約10年ぶりに中国に降り立ちました。大連周水国際空港です。到着ロビー周辺だけ見る限りでは、鹿○島空港を思わせるようなこじんまりとしたターミナルです。最近できたという地下鉄で市中心部と繋がっています。

労働公園北エリア*3

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労働公園北側にある、高層ビル大型商業施設が立ち並ぶエリアです。

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こちらの2枚はホテルの窓越しに撮ったもので、決して大気汚染の原因物質を捉えたわけではありません(笑)

連鎖街(日本人街)

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先ほどのエリアから街のメインストリート中山路を挟んだ北側にあるかつての日本人街です。細い路地ばかり歩いてしまったせいで、「ここが三船敏郎父親経営していた『スター写真館』の建物だよ」的な場所*4には行きつかなかった*5ので須賀、レンガ造りの背の低い建物が並ぶ様は周辺と比べても異彩を放っていたと感じます。木造ではないので、日本風景ともまた一味違ったのでしょうけど。

中山路周辺

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そのメインストリート東進します。

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おなじみの店もありますね。ちなみにケンタッキー建物はもともと教会だったそうです。感謝祭の日は鶏を放免したりするんでしょうかね?(笑)

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こちらは…ワクドナルド??

中山広場

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ここが言わば大連シンボルです。ロシア統治時代ニコラヤフ広場、日本時代大広場と呼ばれていたそうで、まさにこの街の発展の歴史象徴する証人だとも言えます。見ての通り、当時建てられた欧風建築物の後ろに高層ビルが立ち並んでいるのも特徴的ですね。金曜日の夕方とあってか、多くの人の憩いの場となっています。

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1909年に建てられた横浜正金銀行大連支店は、中国銀行大連分行として使われています。

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こちらの大連賓館は、1914年ヤマトホテルとして建てられました。

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現在、中国工商銀行大連分行として用いられている旧大連市役所(1920年建造)。真ん中の塔は祇園祭山車イメージしたものだそうです。

この日は近場で餃子を食べて退散。広場の夜景も見てみたかったで須賀、またの機会にとっておきましょう。

 

…今回は本当にこんなノリで書き進めてしまうつもりです。翌日がこの旅のハイライトでもありますので、ご興味を持っていただける方はどうかお付き合いくださいませ。

*1:その辺については 『北朝鮮難民』(石丸次郎)などに詳述されています

*2金正日が生まれた、と北朝鮮が主張している山です。

*3:私が勝手に命名しただけです

*4:実際に現存するそうです

*5:唯一、最後の写真は表通りあるいはその界隈のものです