かぶとむしアル中 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-04-23

[]斉彬の「ナレ死」と白い椿/「西郷どん」第十五話 21:31

第十五回「殿の死」|NHK大河ドラマ『西郷どん』

京での西郷吉之助・橋本左内らの一橋慶喜擁立工作成功したかに見えましたが、病に倒れた将軍・家定により(?)井伊直弼大老就任したことで、一転徳川慶福が次期将軍に決まりました。家定は間もなく死去。島津斉彬は失意のうちにありながらも、吉之助の献策で薩摩藩兵を大挙上洛させることとし、そのための訓練に励みます。しかしその最中、斉彬は急病を発してそのまま死去するのでした。

ドラマでは、家定は篤姫の説得もあり一橋慶喜後継を支持したことになっていましたが、自分より美形(だと家定が考えた)の慶喜大奥入りすることや妻の実家が後継問題に口出ししてくることへの反感、年長の後継者を選ぶことは自分子供を生む能力がないことを認めることになる―などから、むしろ家定は「南紀派寄り」であったとの見方があるようです。そして大奥については、(確か)作中にもあったように、慶喜の父・水戸斉昭の「大奥粛正」論への反発が大きかったようで、恐らく全体として*1ドラマ表現されていた感覚よりは一橋派は劣勢だったのではないかと感じます。

そして上洛前の斉彬の急死で須賀、これにはやはり毒殺説があるようです。放送での扱いも所謂ナレ死」っぽいというのでネット上でも反響があるようで須賀、確かに西郷隆盛を語る上での島津斉彬であり、役者渡辺謙だったわけで、セクスィー部長赤山靭負の時と比べてもかなりあっさりというかあっけないというか、そういう形だったのは印象的ではありました。この先も多くの人が非業の死を遂げることになるので生姜、それぞれどういう演出になるのか気になるところです。そういえば京で、白い椿*2が落ちるシーンがありましたが、椿の花が落ちるのは斬首に似ていると言うそうですね。

*1:家定本人の意向がどれほど決定的だったかは議論余地がありま生姜

*2:だったと思います

2018-04-18

[]「分かる人には分かる」でいいの?/『プロ秘書だけが知っている永田町秘密』(畠山宏一) 06:29

国会議員秘書歴30年以上という著者が、ペンネーム国会議員やその秘書の「生態」を記した本です。

議員秘書の方々とは現場記者時代を中心に関わることがありましたけれども、選挙と特にお金の話は興味深かったです。いわゆる「政治改革」前の中選挙区時代から業界にいる方だそうで、実感に基づく新旧の制度比較論みたいな話もいくつかありましたが、中選挙区公募に対する批判はやや論理性に欠ける印象がありましたかね。

個人的に気になったのは、バレバレのイニシャルトークが多かったところでしょうか。実名でいけるものは実名で、ちょっと大っぴらにできないものはABC順のアルファベットで表記されているので須賀、その中間ということなのか、属性をにおわせつつイニシャルで登場する(元)議員たちも複数いました。ただ公開された情報からそれが誰であるか断定・強く推定できるものも多く、「そこまでにおわすんだったら稲田朋美ってはっきり書けよ」と思わなくもありませんでした。一方で、自分が長年仕えた代議士もこのカテゴリーで紹介しており、既に鬼籍に入られたという「H先生」が誰で、「畠山宏一」はどこの事務所の誰なのか、分かる人には分かることがある程度意図された本であるとは言えそうです。

この「分かる人には分かる」感じ、永田町界隈の人は楽しいんだろうけどそうでない読者は疎外感を持ちかねないんじゃないかと思うけどなあ…

2018-04-17

[]「沖縄デマ論駁本」に見る日本の言説環境/『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』(沖縄タイムス社編集局編) 06:53

これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地

これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地

「新基地反対運動費用中国からのカネで賄っている」「普天間周辺の住民は、基地ができてからわざと周辺に住み始めた」―。いわゆる「ニュース女子」の一件や、百田尚樹氏の毎度おなじみの発言により、沖縄に対する陰謀論めいたデマが注目を浴びることが増えました。そうした言説は、ネットを覗けば以前からあったものだそうで須賀、昨今それがテレビで流され、政権に近い言論デマゴーグ発言として新聞紙面を飾るようにまでなっているのです。発信が容易なネットで蓄積された言説が溢れだし、(良し悪しはともかく)特定人間編集権を握るオールドメディアにまで流れてきている。ここでネットオールドメディアの優劣について論じる気はありませんが、ネット社会という新興の、しかし今や巨大な空間において一定の「市民権」を得たればこそ、かつての建前的・権威的な言説の場でも(賛否は別として)無視できなくなっているのでしょうか。

その意味においては、近年こうした本がいくつか出版されるようになったのは、オールドメディアの場に出てきたその種の主張に対し、古きメディア本丸とも言うべき書籍という媒体反論しようという、極めて「自然」な反応と言えるのかもしれません。それはもちろん大切なこと生姜、先ほどのイメージを踏まえると、これらの本が世に問われた時点で、既に論駁すべき相手は一歩二歩先を行ってしまっている可能性が高い。新聞社が出すものらしく、平易に過去の歴史説明し、またちゃんと目の前の相手取材して編んだ本でありますので、どうかこの本の出版やそれに先立つ新聞連載だけを目指すのではなく、主にネット情報源とする人に訴求するような方法アピールしていってほしいと思います。特に沖縄は、観光地としても非常に強いソフトパワーを誇っています。何かそういう部分に絡めて、その美しい島々の歴史を知ってもらう仕掛けがあればいいんですけど。

2018-04-15

[]チープな二次創作っぽさが見ていられない/「西郷どん」十四話 07:30

第十四回「慶喜の本気」|NHK大河ドラマ『西郷どん』

熊本大久保正助と別れて江戸に戻った西郷吉之助は、橋本左内とともに本人の説得を含む一橋慶喜擁立工作を続けます。吉之助は井伊直弼による内応や(慶喜)暗殺といった工作をかわしながら、慶喜を「その気」にさせることに成功したのでした…

というのが今回の筋書きなので須賀、さすがにちょっと話に無理が多かったかなと思いますね。ドラマでは吉之助と井伊直弼は2度直接対面しており、初対面では何と、井伊家側への内応を薦められていましたね。そして最後には、一橋慶喜薩摩越前の志士を率いて、彦根藩邸に殴り込みをかけていました。

歴史ドラマ化している時点で、全く史実通りなんてことはあり得ないわけですけれども、ここまでやられてしまうと「武田信玄信長の野望をプレイしていたら信長秀吉家康を家臣にしたぞイエーイ」みたいな(例がちょっと違うけど)二次創作っぽさだけが表に出て、何を見せられているんだろうという気持ちになってしまいます。特にこの「西郷どん」は史実よりもストーリー重視なのは分かっているつもりで須賀、歴史ものを扱っている以上、限度はあると思っています。

ちなみにで須賀、史実では井伊直弼西郷吉之助の2人が相まみえたことはなかったろうとされています。ただ、井伊家側が「危険人物」の一人として吉之助の動向を追わせていた経緯はあるようです。ドラマでは井伊直弼が「世間の泥水をすすってもらう」と捨て台詞を吐いていましたが、吉之助や左内のような「危険人物」たちが辛酸をなめる時期が、物語の中でも近付いているようです。

2018-04-09

[]ストーリーに現れる吉之助の好き・嫌い/「西郷どん」第十三06:29

第十三回「変わらない友」|NHK大河ドラマ『西郷どん』

篤姫の輿入れを成功させ、京を経由して久々に薩摩に戻った西郷吉之助。しかし老中阿部正弘訃報を受けて、今度は大久保正助とともに江戸にとって返すことになりました。

今回は物語の展開よりは、今後につながる出会いや伏線に注目してみましょう。まずは京で出会った・月照清水寺に拠った尊王攘夷派の僧で、この後吉之助と深い間柄となっていきます。深い間柄というのは本当に深い間柄だった、というのが原作者解釈のようで、以下のインタビュー記事でも言及されています。

大河ドラマ原作『西郷どん!』なぜ林真理子は人間・西郷隆盛の執筆に挑んだのか?気鋭のジャーナリスト速水健朗が迫る - otoCoto

女性に対する「不犯の誓い」のすぐ後に出会いのシーンがあるので、まあ示唆的ではあったのかもしれませんけど(笑)、今後その辺をどう表現していく(いける)のかはちょっと興味があります。あと、今ふと思ったので須賀、既に登場した橋本左内といい、吉之助とどんな旗印の下に共鳴し合った仲間なのかについてちゃんと触れられていないんですよね。月照についてはこれから説明されるのかもしれませんが、「尊攘派の志士」みたいな概念ちゃん説明しないと、吉之助が人間的魅力でなんとなく人脈を広げていっただけのように見えてしまう点はちょっと懸念しています。

残りの二つは吉之助の「嫌いなもの」にまつわる伏線です。有名どころでいえば写真でしょう。彼の写真は現存しないとされ、よく出てくる肖像画も弟(西郷従道)と従弟(大山巌)を参考にして描いたものです。ドラマにあったように、主君・斉彬は写真好き(というより新技術好き)で、日本で最も早く被写体になった大名だともされていま須賀、その点吉之助は好対照なリアクションでしたね。むしろそんな「凸凹コンビ」ぶりが波長の合った理由なのかもしれません。もう一つは島津久光。彼に取り入った大久保正助とはこちらも対照的に、吉之助とは犬猿の仲となっていくので須賀、明らかに久光が吉之助に好感を持たなかっただろうシーンも描かれていました。この三人の関係性は最後の最後まで効いてきそうです。

2018-04-01

[]『人工知能人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(松尾豊) 06:17

昨今随一のマジックワードである「人工知能」の入門書です。もう3年前に出された本ですので、人工知能の「古典」と言っていいのかもしれません。

人工知能に関する研究史と、その中で大きなブレイクスルーとなったディープラーニング、さらにはその後の技術的・社会的展開について平明に書かれています。要するにディープラーニングとは「どこがミソなのか自分で見つけ出す」ことなので須賀、それこそが人工知能研究における長年のネックでした。人間が持つ知識を全部教えれば、人間を超える人工知能なんてすぐにできてしまうような気がするものの、実は人間知識を網羅的に記述することは非常に難しかった―。そうした試行錯誤は、著者もどこかで指摘していたように、単に人工知能だけでなく人間の知そのものをめぐるものであることが浮かび上がってくるのです。そもそも自分たちはどんな能力に拠って立っているのか。人工知能研究が、脳や認知に関する領域親和性が高いのは、言われてみれば当然のことなのかもしれません。

あと、個人的に興味を持ったのは、俗っぽいかもしれませんが「人工知能人類支配する」的な議論を著者が検証批判している部分です。著者が挙げるようなケースへの反論としては大体分かったつもりなので須賀、「支配する」という言葉をもうちょっと広く理解してもいいのではないかという気がしました。例えばですけど、コンサル金融などの分野で強みを発揮する悪意的な(?)人工知能が、人間から仮想通貨で高額な「コンサル料」を要求し、経済的主体として人間に対する優位を広げていくようなことがもしあれば、それも人工知能による人類への経済的支配と言えなくないと思うんですよね。まあ当然、そもそものところで人工知能お金を欲しがるような仕組みが必要でしょうし、この例とて空想の類でしかないで生姜、胸糞の悪い感じはします。

それはともかく、この流行語にかかっている魔法を分かりやすく解いてくれているという意味では、日進月歩のこの分野において「まだ」読む価値のある本ではないでしょうか。

2018-03-26

[]徳川家定こそ健康優良児?/「西郷どん」第十二話 12:32

第十二回「運の強き姫君」|NHK大河ドラマ『西郷どん』*1

江戸入り後、なかなか将軍徳川家定との婚儀が決まらなかった篤姫で須賀、将軍生母・本寿院(泉ピン子)への幾島の働きかけなどが奏功し、ついに輿入れすることに。家定との間に子供が望めないことを知り動揺するも、安政の大地震被災も経て、御台所となる決意を固めたのでした…

今回も篤姫の回でしたね。この辺は女性視聴者を重視するという意味合いなのでしょう*2。その篤姫の振る舞いで須賀、幾島による規律訓練によって駆化された「オン」モード(姫様言葉)と、大地震の後に西郷吉之助に見せた「オフ」モード(薩摩弁)がかなりはっきり表現されていて、その中間的な描写がなくていいのかとちょっと心配になりました。

ドラマでは、本寿院が息子のために健康な御台所を望んていることになっていま須賀、(ここは本作で描かれないと思いますけど)篤姫はこの本寿院より先に、50歳を迎えずに亡くなってしまうんですよね。まあこの場合はむしろ、80歳近くまで生きた本寿院が長寿だったと言うべきなのかもしれませんが。

そしてこちらは本当に先走りで須賀、結果として家定と篤姫の間に子供は生まれません。実は徳川将軍正室である御台所の間に世継ぎ(次期将軍)が生まれたケースは、二代・秀忠と江*3の子・家光だけだそうです。平安時代藤原家のように、将軍外戚が権勢を振るうようにならないために、大奥が「コントロール」していたという説もあるようで須賀、正室側室問わず、将軍家の子供が早世しやすかったことについては、別の理由も指摘されています。それは大奥女性たちが付けていた白粉に含まれる鉛で、赤ちゃんが日ごろ接する乳母たちの肌に有害物質がベッタリ塗られていたとすれば、それはかなり影響大でしょう。家定も、父・家慶の30人近い子供の中で唯一成人した「生き残り」だそうで、そのことを考えると彼は病弱であるどころか、元々非常に健康状態に恵まれていた評価すべきなのかもしれません。ここから先は本当に余談で須賀、同様のことは宮中、具体的には明治天皇子供たちについても言えるという説も古くから指摘されているようです。

 

さて、来週は斉彬と吉之助というより、渡辺謙鈴木亮平という両俳優が主役のスペシャルだそうで、それはそれで結構楽しみにしています。放送前に「NHK働き方改革で、大河ドラマ放送回数を減らす」なんてニュースを見ましたが、その絡みなのかもしれませんね。その趣旨自体は全然構わないので須賀、「働き方改革」という言葉意味は働く方法手段改革(効率化や省力化)のはずであって、働いた成果が変わってくるのは厳密に言えば働き改革ではない気がします。何度も言いま須賀、働いた成果が変わることを否定する趣旨ではありませんし、現に私は今年の大河ドラマについて成果が変更されることに全く批判的ではありませんが、「働き方改革」は「AI」と並ぶ昨今の一大マジックワードだと思いますので、しっかり精査して使いたい言葉だなあと思っただけです。

*1:「西郷どん目線」コーナーが前回と同じですね…

*2女性を多く登場させたり、その時代女性生き様現代にも通じるものとして描こうとすることが、本当に女性視聴者の獲得や支持につながるのかどうかは私にはわかりません

*3信長の妹・市と浅井長政の娘で、秀吉の妻・淀の妹

2018-03-23

[][]親子の2018年2月読書「月間賞」 00:59

  • 『さるかにかっせん』

長男気持ちに沿ったチョイスではないかもしれませんが、何度か読んであげたこの本にしてみました。最近私が読み聞かせる時は、補足説明をしたり、内容をちゃん理解しているかたまに質問をしたりするので須賀、この話は仇討ち相手を殺してしまう展開なのでちょっとそれをやりにくい分、こちらの印象には残っているんですよね。

私は該当なしです。

[]鹿児島弁は外国語?/長男言行録(3歳8カ月) 01:31

録画なりを一緒に見ていることが多いので須賀、そう言われて尋ねてみると、どうやら内容を聞き取れていないような反応でした。

「この前会いに行ったあなたのひいおばあちゃん達も、同じような言葉を話していたよ」と言ってもあまりピンときていない様子。

ただ、たまたま久々に見た『風林火山』のライトな京言葉を聞いても同じようなことを聞いてきたので、「意味理解できないから」ではなく「日常聞く言葉と違うから」そう尋ねてみたという可能性もありそうです。

しかしまあ、感慨深いですよね。どこの家庭でもあるやりとりなのかもしれませんけど…。

2018-03-19

[]二極化する筋書きの巧拙/「西郷どん」第十一話 07:25

第十一回「斉彬暗殺」|NHK大河ドラマ『西郷どん』

今回はいろんなことがありました。島津斉彬の息子・虎寿丸が急死し、斉彬自身も病に倒れます。西郷吉之助が橋本左内に頼んで調べたところ、斉彬の食事からヒ素*1。その場で出くわしたいかにも怪しげな男が薩摩弁を話していたことから、吉之助が高輪の斉興・お由羅を訪ね詰問しようとするも返り討ちに遭ってしまいます。その顛末を聞いた斉彬は「国難が迫る今、自分の命などどうでもよい。毒を盛ったのが誰かなど詮索している場合ではない」などと吉之助を叱り飛ばしたのでした…

特に今回は、筋書きとしてうまいところとそうでないところが二極化していた印象です。前者で言えば、一橋派と南紀派の対立の構図がはっきり浮かび上がってきました。宴席で本人が何と言ったかはともかく、将軍・家定の後継に一橋慶喜を推す水戸斉昭・松平春嶽島津斉彬らと、紀州徳川慶福を推す井伊直弼らの対立が顕在化してくる。斉彬暗殺未遂黒幕リンクしそうな気配もあり、ここがこの先の政局の中心になってきます。

また、短いシーンでしたが、島津久光大久保正助の絡みも後の伏線になりそうです。ちなみに久光が探していたのは、1824年にトカラ列島宝島にやってきた英国船と島の武士が牛を巡って争い、イギリス人1人が射殺された出来事(宝島事件)についてのものです。英国と事を構えることをも想定する*2スタンスは兄・斉彬と対照的ではありながら、最早序盤のようなただのマザコンキャラではないことを強調する一幕でもあったでしょう。

逆にどうかなと思ったのは、終盤の吉之助vs斉興・由羅と、斉彬に蹴飛ばされるシーンです。西郷吉之助という人間の成長を描く意図はわかりましたが、いくらなんでも証拠もなしに(かつての恩師・赤山を切腹させた)斉興のところに殴り込むのはいくらなんでも短慮に過ぎます。あと、これは役者のせいではないので生姜、斉彬のいかにも「憂国の士」的な啖呵は鼻につくんですよね。最近も、ずっと前から分かっていたことを急に「国難だ」と騒ぎ立てて議会解散した人がいましたけど、概してこういう危機を煽るような言葉は容易にマジックワード化してしまいます。それは脚本においても然り、ではないでしょうか。そもそも吉之助の行動は明らかに斉彬の立場を損じるものだったわけで、そこをたしなめればよかった気がします。

最期に細かいんで須賀、前回あれだけ「西郷には幻滅だ」と言っていた橋本左内が今回は(一橋慶喜も交えて!)仲良くつるんでいるのにはちょっと笑ってしまいました。しかも慶喜刃物男が現れた時に「行け、西郷!」って、ポケモンじゃないんだから…ww

*1ヒ素で毒殺説と言えば個人的にはナポレオンですかね

*2:まあ、これは後に現実化しま須賀…

2018-03-17

[]『日本軍日本兵 米軍報告書は語る』(一ノ瀬俊也) 12:44

太平洋戦争中に米陸軍将兵向けに出していた広報誌を通じて、日本軍日本兵実像に迫った本です。当時の日本兵というと教条的かつ狂信的に「バンザイ突撃」を繰り返すイメージが強いかもしれませんが、米広報誌に描き出されていたのは、そういった姿ばかりではありませんでした。

優勢だと勇敢だが想定外の事態には弱く、斉射はともかく個人射撃や格闘、そしてLとRの発音区別*1が下手。都市部出身者はアメリカ文化を好み、投降者はよくしゃべる。夜襲を多用したが、硫黄島沖縄ではそれまでの敗退から学び、水際作戦を避けて精緻な地下要塞に敵を引きつけてから集中砲撃するようになった―。

もちろんこの資料は米陸軍一定意図を持って発行しているものなので、丸々鵜呑みにするというのも危険で生姜、生身の日本兵日本軍の様子を示す有力な視点の一つであることは間違いないと思います。著者も強調するように、日本陸軍も奇襲や玉砕一辺倒の「学ばない組織」だったわけでは必ずしもなく、彼らなりの一定の目的合理性を持ち、戦術を変化させていたというのは重要な指摘でしょう。それがゆえに米軍も多くの人的被害を出し、日本攻略に手こずるわけで須賀、余談ながら「本土決戦ではセオリー通りの水際撃退に回帰するだろう」という米側の分析は、奇しくも日本軍上層部方針を言い当ててもいたのです。

米軍が見た日本軍、という外在的な議論から内情に迫っていくという切り取り方は、手法としても面白かったですし、その成果も実り多いものだったと思います。ただそれは逆に言うと、先の戦争の実態に関する昨今の議論が、いかにステレオタイプにまみれているかを示唆しているようにも感じました。

*1:これによって味方である中国兵と区別しようとした

2018-03-14

[]篤姫感情移入できない/「西郷どん」第十話 12:07

第十回「篤姫はどこへ」|NHK大河ドラマ『西郷どん』

実父の死を知り藩邸を抜け出した篤姫は、西郷吉之助に連れ帰られた後、13代将軍・徳川家定に輿入れするための修行を始めます。一方の吉之助は、福井藩士・橋本左内出会うなど、江戸での人脈を広げつつありました。

今回は篤姫にまつわる話が多かったですね。実は初登場の御前相撲あたりからずっと思っていたので須賀、どうもこの作品篤姫感情移入できなくて困惑しています。斉彬の娘となり、薩摩を離れて江戸で嫁ぐことについて本当はどう思っているのかよく伝わってこないですし、そもそもなぜあれほどまでに西郷びいきなのかもよく分かりません。それらについてセリフとして述べているシーンはあったような気もしま須賀、深い心情の描写がなくて、一言でいうとあまり響かないんですよね。ちょっと厳しいかもしれませんが、脚本か演技のどちらかないし両方が薄っぺらいのかなあと考えながら見てしまいました。

話は逸れま須賀、北川景子さんは髪の色が明るいイメージが強かったんですけど、黒髪も意外と似合いますね。それにしても、個人的には「篤姫」と言えば浅野ゆう子いじめられている菅野美穂だなあ…

もう水曜日なので、このくらいにしておきます。

2018-03-13 釜山旅行記三日目・慰安婦像

日本総領事館近くの「少女像」

[][]釜山ショートトリップ三日目・慰安婦像通信使 11:30

交流相克現場を訪ねる

そして最終日。もう日本に帰るので須賀、午後便なので午前中は有効に使いましょう。

この日は朝食を摂りにチャガルチ市場へ。

f:id:canarykanariiya:20180313101036j:image

3階に「市場メシ」が食べられる食堂があると聞き、チェックアウト前に向かいます。分かりやすい場所にはないとは知っていたものの、そもそも市場内の別棟で探し回ったりしてしまったので結構時間がかかりました。

f:id:canarykanariiya:20180313100733j:image

こちらがお目当ての食堂。真ん中の一番大きな建物にあります。1人6000ウォンで、カタカナ語を使えばバイキング形式。エゴマの葉など、キムチの種類が豊富だったのが印象的でしたが、さすがに魚市場内にあるだけあって煮魚のチゲがおいしかったですね。ただ、魚介のメニューは他には見当たりませんでした。

たらふく食ったところで宿に戻り、支度をしてチェックアウト。ここからは徐々に、空港の方へ向かいましょう。

まず見に行ったのは、これです。

f:id:canarykanariiya:20180313110805j:image

説明するまでもないかもしれませんが、少し前に話題になった、在釜山日本総領事館近くに設置された「少女像」というやつ*1です。以前ソウルでもお会いしてきましたので、個人的には2人目になります。ちなみにこの場所は、釜山中心部を南北に貫く幹線道路歩道で、地下鉄草梁駅の出口のすぐ近くです。

f:id:canarykanariiya:20180313110917j:image

ご覧のように、日本総領事館敷地に隣接しており、それを見据える位置にありま須賀、いわゆる建物の正面にあるわけではないようです。詳しくは日本人が知らない釜山少女像(慰安婦像)の本当の位置 - たびのあとさきなどをご参照ください。先ほど「領事館前」と言わなかったのはそのためではありま須賀、じゃあ裏手にあるからといってウィーン条約が言うところの在外公館の威厳の侵害に当たらないと主張できるかどうかは別の問題だと思います。

さてこの少女像ソウルの例*2からしてもまた独特な空気に包まれているんだろうなと思っていたら、格段そうでもありませんでした。本当に「一応います」という感じで、遠巻きに警官が(確か)2人いるくらいです。iPhoneでカシャカシャ写真を撮っていても、咎め立ててくるわけでもありませんでした。まあこちらも早々に退散するようにはしましたが、率直に言って拍子抜けした感は否めませんでした。そういえばなんですけど、私は初日タクシーでもこの道を通っていました。地下鉄駅の出口を通り過ぎた際に「あ、もしかしたらこの辺にあったのかな」と思ったくらいだったので、言ってしまえば街中でそのくらい存在感の薄いモニュメントなのかもしれません。穿った見方をすれば、今はソウルで見た時と違って、慰安婦問題日本比較強硬文在寅政権ですので、政府なりに強制撤去される可能性は低い、ゆえにわざわざ座り込みをして守らなくてもいい、という雰囲気があるのかもしれませんですね。

さて、ここからはタクシーを利用して、最後の目的地「朝鮮通信使歴史館」に向かいます。これは読んで字の如く、江戸時代に朝鮮王朝から日本側に派遣された朝鮮通信使について解説する施設です。

f:id:canarykanariiya:20180313113021j:image

こじんまりしてはいるので須賀、漢陽(現在のソウル)からここ釜山を経て、江戸に至るまでの道のりとその苦難をジオラマ映像で紹介しています。

f:id:canarykanariiya:20180313113854j:image

これがその船の模型です。

f:id:canarykanariiya:20180313115944j:image

正使の服装だとか。

f:id:canarykanariiya:20180313120118j:image

これらは、日本各地に伝わる朝鮮通信使を模したとされる人形だそうです。江戸時代日本人たちにとって、将軍代替わりに合わせて隣国からやってくる行列は格好のオリエンタリズムの対象であったことは想像に難くありませんが、その発露がこうした形で残されているわけです。特に興味深かったのは、東北信州北部など、朝鮮通信使ルートではない地域にもこうした人形があるという点。朝鮮通信使という存在のインパクトの強さが窺い知れます。

30分ちょっと見学して、再びタクシーに乗り込みます。行き先は金海空港。ものの30分で着いてしまい、空港でゆっくり昼食を食べ、日本へと飛び立つことができました。

糸冬

あとがき

2泊3日の家族旅行あとがきへったくれもない気がしま須賀、一つだけ。釜山に遊びに来て感じたのは、やはり日本との近さを感じられる街だなということです。そういう場所を選択的に回ってきたというのは事実生姜、私がこの短い旅行で見てきた中だけでも、秀吉大軍この街で戦い、その後の朝鮮通信使はこの街から江戸に向かい、その間数百人の日本人この街で商売などに従事し、植民地時代には日本風の目抜き通りをこの街に整備し、そして今でも、天気が良ければこの街から日本の島が見えるわけです。

ちょっと紹介したヒット曲「釜山港へ帰れ」は、日本語では男女の仲を歌っていま須賀、韓国語では「釜山港から行ってしまって帰ってこない兄弟」へ向けた詞になっています。その兄弟はどこへ行ったのか。歌詞の中で明言されてはいませんが、彼の行き先は日本であると広く理解されているようです。関釜フェリーの例を出すまでもなく、歴史的*3釜山にとって身近な外国日本であり、特に北部九州対馬にとっては、当然逆も然りだったということは言ってよいのだと思います。特に対馬からは、釜山夜景が見えたりするそうですね。

冒頭で少し触れましたが、私の釜山への関心もそこにありました。例の「少女像」をこの文脈のどこに位置付ければいいのかは悩みま須賀、「日本から最も近い外国」たるこの釜山に、今度は対馬から渡ってみたいです。

 

最後までご覧いただいた奇特な方がいらっしゃったなら、本当に感謝申し上げます。ヤマなしオチなしでお恥ずかしいで須賀、今回はこれにて。

(2018年3月27日午前11時半、自宅書斎にて)

*1:像の左下の地面には「平和碑」と刻まれています

*2:像の隣に「守備隊」の学生らのものと思しきテントがありました

*3:現在の釜山国際的な海運の拠点だそうなので、この断りはあった方がよいでしょう

2018-03-12 釜山旅行記二日目・海と山

遊覧船から望む太宗台の灯台

[][]釜山ショートトリップ二日目・海と山で自然満喫 12:58

太宗台遊覧船と貝焼き

この日は少し足を延ばして、釜山の海と山を堪能してきましょう。一日で釜山自然の魅力を両方楽しんでくる、というと聞こえが良いで須賀、要はどちらに行くかについて家族間で合意を得られなかった、ということでもあります。

10時に宿を出て、まずは影島の先端にある太宗台に向かいます。遊覧船もあるそうなので、乗られるといいですね。

f:id:canarykanariiya:20180312100323j:image

昨日タワーから見た影島大橋のたもとでバスに乗ります。30分ほどでバスターミナルへ。

f:id:canarykanariiya:20180312103056j:image

降りたところで「あれ?この先どっちだ?」ときょろきょろしていると、オロナミンCの箱を持った乗客のおじさん2人が「太宗台に行くの?来なさい」と声をかけてきました。乗ったバスで行き先を確認したのを聞いていてくれのでしょうか。ありがたく付いていくことにしました。

…しかし、おじさんたちはいきなり右手側の狭い脇道に入り、どんどん先に進んでいきます。息子の手を引く細君は、既に遅れ始めています。そして道の突き当たりで「ここを左に行きなさい」と言い残し、自分たちは右側へ。もうどっちに曲がっても車はすれ違えないような道幅で、「これ本当に大丈夫なのかな」と言いながら進んでいきます。

10分弱歩いたでしょうか。やっと開けた浜が見えてきました。

f:id:canarykanariiya:20180312103943j:image

そしてそこには遊覧船乗り場も。

f:id:canarykanariiya:20180312110652j:image

ちょうどどこからか送迎されてきたワゴン車の一行と同乗させてもらうことになったので須賀、日本語もできる案内のおじさんが、突然現れた私達を見て一言。「どうやってここに来るのかわからないとよく言われるんですけど、よく辿りつけましたね」

船は11時発。腹ペコなカモメたちも同行します。

f:id:canarykanariiya:20180312110744j:image

f:id:canarykanariiya:20180312110950j:image

f:id:canarykanariiya:20180312111035j:image

f:id:canarykanariiya:20180312111643j:image

これが太宗台の灯台です。新羅の太宗にちなんだ名で、晴れていれば海の向こうに対馬が…

f:id:canarykanariiya:20180312111615j:image

f:id:canarykanariiya:20180312112704j:image

見えませんねorz

f:id:canarykanariiya:20180312112210j:image

f:id:canarykanariiya:20180312112647j:image

さらに進むと、ビーチリゾートとしても名高い海雲台も見えてきました。

船はこの辺で引き返しましたが、同乗の皆さんはみんなで歌を歌ったり、長男お菓子をくれたりとご機嫌な皆さんでした。歌と言えば、周辺は「釜山港へ帰れ」に歌われた風景だったりもするそうで須賀、彼女らが歌っていたのはその曲ではなかった気がします。

戻ったら昼食です。船着き場近くにテントの食堂街があります。

f:id:canarykanariiya:20180312130943j:image

非常に熱心に売り込みをしてくるおばさんがいたので須賀、「どこに行くの」とかしつこく聞かれると、そのこと自体で嫌になってきてしまうんですよね…。結局写真の一番手前の店にしました。その名も「遊覧船」。

頼んだ「貝焼きセット」はコースになっていて、

f:id:canarykanariiya:20180312121528j:image

f:id:canarykanariiya:20180312122426j:image

f:id:canarykanariiya:20180312123942j:image

最後の写真の左側は、貝のリゾットっぽい料理に変身。海の幸のコクとほどよい辛さが混ざってとても美味でした。

息子にも小さなおにぎり*1話題の(?)イチゴパイナップル味の炭酸ジュース*2サービスしてくれたりと、みんなお腹いっぱいになるまで食べて44000ウォン。この辺は観光地価格と聞いていたので須賀、非常に満足のお昼ご飯でした。

食後は来た道を戻り、バス停周辺を散策します。この時初めて気づいたので須賀、最初におじさんについて行って曲がったところをそのまま直進していれば、太宗台公園の入口があったのですね。

f:id:canarykanariiya:20180312131941j:image

f:id:canarykanariiya:20180312132321j:image

広い公園内はこの「タヌビ列車」で移動するのだそうで、後から調べたところでは、さっき来た遊覧船乗り場にもここから向かうことができたのだそうです。近道を教えてもらったということなんですね。

文禄の役古戦場

ここから取って返します。バス地下鉄を乗り継いで、東莱駅へ。バス乗り場が分かりにくかったのでタクシーをお願いしてしまい、東莱邑城址へ向かいます。

東莱は釜山市内のやや北寄りに位置するエリアで、ハイキングコース温泉地が人気の行楽地として知られているそうです。歴史的には釜山地域の中心地だったといい、この地に築かれた東莱邑城は、豊臣秀吉朝鮮出兵戦場にもなりました。文禄の役の序盤、こにたん小西行長らが攻め寄せて比較短期間で城を制圧しているので須賀、朝鮮側では文官だった宗象賢という人物徹底抗戦の末戦死し、敵味方問わず称賛を受けたのだそうです。

私がここに来てみたかったのは、そういう歴史を感じてみたかったからです。

f:id:canarykanariiya:20180312151550j:image

f:id:canarykanariiya:20180312152317j:image

f:id:canarykanariiya:20180312153531j:image

f:id:canarykanariiya:20180312154247j:image

…なんで須賀、最後の写真歴史館が休館*3だったこともあってか、復元された城壁などがあるとはいえ、この高台の広場を古戦場脳内変換するのはちょっと難儀でした。

f:id:canarykanariiya:20180312153401j:image

ちなみにこの旗に書かれているのは、こにたん小西行長が投げ入れた「戦うなら戦え、戦わないなら(明に攻め入るための)道を貸せ」という木片(メッセージ)への宗象賢による返事だそうで、「命を懸けて通さない」ことを宣言していますね。

ここから先、韓国最大級という城壁を巡るコースもあるので須賀、陽も傾いてきましたので、今日はこのくらいにしておきましょう。

再び南浦洞で食べ歩き

宿に戻ったのが午後5時ごろ。夕食時まで1時間ほど休憩し、家族カルタ遊びなどに興じておりました。息子はこの時間が一番楽しそうで、親の都合で海へ山へと連れ回してしまったのはちょっと申し訳なかったです。カルタ日本でもできるんですけど、こういう楽しみ方も家族旅行なのかなと感じつつ、3歳児相手に本気で戦っておりました。

午後6時ごろから再び外へ。夜の南浦洞を散策します。

f:id:canarykanariiya:20180312183203j:image

ちょっと見えにくいですけど、たこ焼き屋です。

f:id:canarykanariiya:20180312184542j:image

ホットックの有名店だそうです。左の写真チェジウではないでしょうか?はるな愛写真もあった気がします。確かにとてもおいしくて、3人家族で結局4つも食べてしまいました。

f:id:canarykanariiya:20180312192237j:image

f:id:canarykanariiya:20180312185701j:image

夕食はその間近にある店で豚クッパ。これは釜山、特に西面*4のものが有名だそうです。「九州とんこつラーメンのような臭さがあって、韓国人でも苦手な人は苦手」という前評判を聞いていたので須賀、そもそも九州とんこつラーメン臭いと思ったことがないどころか、ラーメン二郎も好物だったからなあ…(笑)

あ、二郎とは比べ物にならないくらい食べやすかったですのでご心配なく。それにしても、この釜山九州名物料理共通性には、どんな歴史的経緯があるのでしょうか。

その後、スーパーで決め手がないと唸りながら土産物を買って、同じく午後9時ごろに宿へ。もう明日には日本に帰りますよ!

*1:一口サイズのものが10個くらい並んでいました

*2炭酸飲料を口にしたのは生まれて初めてと思われま須賀、さすがにほとんど飲みませんでした

*3:この日は月曜日でした

*4:「南浦洞」「東莱」などと同じレイヤー地域名です

2018-03-11 釜山旅行記一日目・釜山へ

機内から見る朝鮮半島南部

[][]釜山ショートトリップ一日目・中心部散策 11:03

0日目まで

3月11日から13日まで、家族3人*1韓国釜山に行ってきました。

これまでも大体そうでしたが、これは純然たる「家族旅行」です。なので、かつてのように明確な(?)意図を以って企画されたわけでもないので須賀、大まかに言うと決定までの経過は以下の通りです。出発前に書いたことと重複する部分があることはご承知おきください。▽出向を来月に控え、最後に平日に連休を取って*2旅行したかった▽最近また韓国語をかじっており、久々に実地で使ってみたかった▽でも平昌パラ期間中は仁川空港発着が混みそうで嫌だ▽行ったことのない釜山経済的ツアー(航空券ホテル)を見つけた―。本当にそんなところです。

釜山といえば、というような見所も正直言ってすぐ思い浮かんだわけではないので須賀、江戸時代に和館があったところだったりという、(良くも悪くも)日本との歴史的なつながりを感じられる場所に行ってみたいな、とは思っていました。あと、これは残念だったので須賀、もう少し時間があれば、対馬から船で渡りたかったです。

前日は仕事でして、夜中に帰ってきて何の支度もせずに就寝。朝から慌てて荷作り*3を始めました。

さっそく街歩き

釜山・金海空港に降り立ったのが午後4時半。搭乗時刻に遅れたおばさんグループを待っていて遅くなってしまったので須賀、ああいう人たちのせいで飛行機が遅れた場合は罰金を取ってもいいんじゃないかと思うことがあります。ちなみにこの金海空港軍用機も使用するからとのことで、写真撮影をしないように着陸前に注意がありました。まあ、近くの席の人はガン無視でしたけど、実際のところそんなに切迫したオーダーのようにも聞こえませんでした*4

f:id:canarykanariiya:20180311170330j:image

空港から南浦洞にあるホテルまではタクシー移動。リムジンバス時間が合わなかったのが理由で須賀、バス1人6000ウォンだそうですので、20000ウォンdoor to doorで行けたのはそんなに悪くなかったのかなあと思います。

午後6時前にチェックイン。荷物を置いて散策に出ましょう。

まず目指したのは釜山タワー。高さ118メートルのタワーがある龍頭公園はまさにホテルの裏山のような位置にあり、急な階段を登ればすぐ着いてしまいます。

f:id:canarykanariiya:20180311181201j:image

もちろんこの方は文禄・慶長の役秀吉軍と戦った李舜臣将軍であらせられます。

そして展望台からの景色がこちら。

f:id:canarykanariiya:20180311182521j:image

釜山からだと、東京ワシントンD.Cが同じ方角なんですね。他にも世界の主要都市の方角が示されていてそれはそれで面白かったで須賀、私達のような釜山ビギナー観光客からすると、1000キロ先に母国首都があるということよりも、眼前に見える風景についてより知りたかったです*5

f:id:canarykanariiya:20180311182642j:image

ざっくり東側景色

f:id:canarykanariiya:20180311182953j:image

こちらは南南東。中央左の影島大橋は翌日の話にも出てきます。

f:id:canarykanariiya:20180311182944j:image

f:id:canarykanariiya:20180311183126j:image

f:id:canarykanariiya:20180311183132j:image

南南西方面から徐々に西へ。1枚目の中央にある横長の建物がチャガルチ市場、2枚目で左右に連なる光は光復路です。

タワー見学を終えて、今度は南側に降りていくとこんな案内が。

f:id:canarykanariiya:20180311184314j:image

この場所には、17世紀後半から草梁倭館と呼ばれる対馬藩を中心とした日本人施設がありました。約10万坪の広さに、常時数百人の日本人が住み、交易などに従事していたそうです。乱暴に言ってしまえば、釜山出島のような位置づけですかね。

しかしそれにしても、なぜ朝鮮王朝はこのような小高い場所に外国通商拠点設置を認めたんでしょうか。日本側の要請で別の場所から引っ越してきたそうで須賀、海に近い高地であれば、他にも利用価値がありそうな気がするんですけどね。論理の順番が逆*6かもしれませんが、現に釜山代表するランドマークが建っている場所なわけですし…。ちょっと気になりました。

そして光復路です。オシャレな店が多いですね。

f:id:canarykanariiya:20180311184805j:image

19世紀末に小川を埋め立てた道だそうで、日本植民地時代には、劇場百貨店が並ぶ日本人商業街の中心だったようです。

f:id:canarykanariiya:20180311185938j:image

f:id:canarykanariiya:20180311190911j:image

少し脇道に入ると、国際市場と呼ばれるエリアに。靴や衣類、食べ物を売る屋台もありました。このおでん屋では私たちも食べさせてもらったので須賀、スープが優しい味で美味しかったですね。長男もゴクゴク飲んでいました。ただおでんの客は立ち食いが原則のようで、空いた席に座ろうとしたら「안 돼!*7」と怒られてしまいました。

夕食は座って食べましょうか。踵を返して南方へ。

f:id:canarykanariiya:20180311194148j:image

鯨肉料理店ですね。

f:id:canarykanariiya:20180311194258j:image

先ほどタワーから見たチャガルチ市場です。私達は、その手前にあるこちらの店に入りました。

f:id:canarykanariiya:20180311202950j:image

f:id:canarykanariiya:20180311195557j:image

手前は私の刺身ビビンバ。ご飯を入れて、混ぜていただきます。細君の刺身定食といい、食感が良くておいしかったですね。

宿に戻ったのは、午後9時前。初日から結構観光できてしまいました。

*1:私と細君と4歳前の長男

*2:3月までの職場シフト勤務

*3:というほどの分量でもないけど

*4:だから無視してかまわないという趣旨ではありません

*5:私の探す限り、その種の解説は見当たりませんでした

*6:例えとしてで須賀、「海外貿易の拠点として草梁倭館周辺が発展したので、その中心地にランドマークが建てられることになった」という経緯だった可能性もロジックとしてはあり得ますよね。まあこの辺は本気で調べれば分かってくるので生姜、ここは一つ、素人の素朴な疑問というところでご勘弁ください

*7:ダメ!

2018-03-10

[]最後っ屁で釜山19:25

D34 地球の歩き方 釜山 慶州 2017~2018

D34 地球の歩き方 釜山 慶州 2017~2018

三連休を取りまして、明日から釜山に行ってまいります。

このところたまにちょっとずつではあるので須賀、ニュースサイトやらドラマやらで韓国語に触れるように心がけておりまして、どのくらい実地で使えそうか試してみたくなってまた(?)韓国を選びました。あとは、平昌パラをやっているので仁川空港を利用する場所は避けました。

休み自体は少ないけれど、平日に休むのは比較的容易な部署でしたので、今回は言わば「最後っ屁」のつもりです。本当に家族3人で街をふらつくだけなので、ご紹介できるようなこともあまりないかもしれません。