かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ヨーロッパ中毒奇行紀行五日目・寒空のパリからリスボンの日差しへ

5日目です。この日が時間的にも旅程的にも、この旅行の中間地点。移動の前後で、驚くほど違った風景が私たちの前に姿を現しました…なんて能書き垂れてる余裕はありませんねw ちなみに上の生存報告は前日の日記に書いたとおりで、時差の関係でこの位置になっています。

パリからアムスへ「大返し」

タリスに乗るのはたりーっす

この日は早い時間の列車に乗らねばならなかったので5時起きの予定だったので須賀、目が覚めたのは4時。何か物音がすると思って起き上がって見てみると、下のフランス人が何やらごそごそやりだしたのでした。「また、お前かwww」。仕方がないので二度寝もそこそこに支度にとりかかり、いまだ乾かない洗濯物(笑)をしまって5時45分にチェックアウト。11ユーロデポジットを返してくれた陽気なお兄さん*1にわずかばかりのチップを手渡し、まだ夜が明けぬパリの街を、パリ北駅へと向かいました。

パリ駅では因縁の(笑)タリスに乗車。

6時25分の便に乗車し、4時間弱でオランダはスキポール空港へ舞い戻ります。と簡単に言いま須賀、行きの鈍行では乗車時間だけで7時間近くかかってますからね。えらいことです。ちなみに車内ではもちろん寝ていました。
こうして10時半前にスキポールに到着しました。えっ、帰るの? いえいえ。説明するのを忘れていましたが、今日の旅程は、パリからタリスでスキポールに戻り、そこから飛行機でポルトガルリスボンに向かう、というものです。西欧の地理にお詳しい皆さんなら、即「どんだけスペイン嫌いなんだよ!」と突っ込みたくなるような旅程で生姜、別に私はスペインに行きたくなかったわけではありません。むしろグラナダイスラム風建築を見に行きたかったくらいなので須賀、日程と予算の都合上それは難しいよ、と友人に優しく諭され、泣く泣く(?)スペイン行きを断念することになったのでした。まぁこの旅程全体に隠されたもっと重大な意図、というのも存在するので須賀、それは然るべき時にお話しします。

スキポールとの短い再会

空港での手続きを簡単に済ませ*2、昼食はバーガーキング。野菜不足を実感していた私はサラダセット5.86ユーロを注文し、二人でモクモク食べていると、何やら警備員らしき人がわらわらと店内に集まってきます。何かを遠巻きに囲んで何やら話しているので、その視線の先に何があるんだろうと思って見てみると、そこにはリュックサックのようなバッグが一つ、テーブルの下に置かれていたのでした。まぁその時点で大体の事情はつかめるわけなんで須賀、やはり国際空港となると警備も厳重ですよね。バッグのあったテーブルの隣の席の一団は移動させられていましたし、10分後くらいに現れた持ち主とみられる男性も、苦笑していましたがそう簡単には解放されなさそうな感じでした。
私たちが乗り込んだ飛行機は、12時20分発のスキポール空港リスボン空港行きです。この飛行機、なんと定刻5分前に動き出して若干驚きました。私はこれまで国内線を中心にそれなりに飛行機には乗ってきているので須賀、記憶のある限り定刻前に動き出したのは初めてです。ちなみにこの飛行機は結構小型で、日本では標準的と言えるスクリーンの大画面や各座席のイヤホンがありません。するとどうなるかというと、非常用マスクやら避難経路の説明はCAさんが実演でやってくれるんですね。皆さん”Oh!”とか言いながら熱心に見入っていらっしゃいました。その様子は私も興味深く拝見したので須賀、ハイネケンを2杯あおったあたりでお休みの時間とあいなりました。

汗ばむリスボン市内観光

1月に17度ってwww

さて、ここでひとつお断りです。これまでオランダ、ベルギー、フランスと、いわゆるヨーロッパ標準時とやらを採用する国々を巡っていたので須賀、ポルトガルはこれよりさらに1時間遅く、日本と比べて9時間遅れになっています。イギリスと同じですね。そんなわけで、ここからは便宜上、ポルトガル時間で記述を進めていきます。
目が覚めた頃には、飛行機は着陸態勢に。窓の外を見ると、これまで見てきたオランダやフランスと違った、赤レンガの街並みが広がっていました。

窓越しで曇っていたのが残念なこの一枚です。
そして午後2時10分、周囲の乗客の歓声と拍手とともにリスボン空港に着陸しました。確かに航空機事故というのは多くが着陸時のものだそうで須賀、この人たち(=乗客)は飛行機にほとんど乗ったことがないのか、いつも歓声を上げているのか、さらには彼らの反応をどのくらい一般化できるのか*3、あるいは小さな飛行機だったからなのか…。気になるところです。
そして飛行機を降り、ロビーで10000円を55.5ユーロに換金して…って、暑いわorz 朝の6時前に冬空のパリを出て、アムステルダムを経由してきた私たちはまぁそれなりの格好をしてきたわけなんで須賀、いくらポルトガルとはいえ1月の昼下がりに17度あるとは思いませんでしたwww てなわけで若干汗ばみながら、市内一日パスと書かれた3ユーロ*4のチケットを買い求め、リスボンの中心部へ向かうバスに乗り込みます。

ロナウドの宿

パリとの日差しの強さの違いを感じながら揺られること30分。私たちは市中心部にあるロシオ広場*5に降り立ち、目をつけていた宿”BEIRA MINHO”にチェックイン。このホテルは、広場に面していて窓からの眺めもよく*6、お花屋さんの二階にあるという素敵な宿。スタッフも10年後のロナウドみたいな温厚なおじさんで、一泊35ユーロとお手頃なのでおススメです。

夕暮れのリスボンを歩く

そんな宿で生乾きの洗濯物を干してから一息ついてから、早速市内散策に出発です。午後4時半だというのに空はまだまだ青く、遅出の散歩を勇気づけます。広場からアウグスタ通りをまっすぐ南に向かうと、テージョ川沿いのコメルシオ広場に出ます。コメルシオというのは「貿易」という意味だそうで、昔から貿易関連の建物が立ち並んでいたんだとか。

アウグスタ通り。右奥のオレンジ色の集団にシャボン玉をもらいました。

コメルシオ広場。馬にまたがっているのは18世紀のポルトガル王・ジョゼ1世です。逆光です。そこからテージョ川沿いを西に歩いて行くと、天気雨のおかげで5時なのにきれいな虹がかかっていました。赤レンガと青空にきれいに映えていますね。

地下鉄カイス・ド・ソドレ駅近くのスーパーでワインやら食料やらを買い込んで(9.1ユーロ)から、乗り込んだのはケーブルカー。5分にも満たない乗車時間で、短いながらも細くて急な坂道を登っていきます。お値段は1.3ユーロで、夕暮れ時とあってか乗客は観光客というより市民が中心のように見えました。
坂上田村麻呂から市内の商業地域、シアードを通っていったん宿へ。Wikipedia先生によると「シアード」とは「靴のきゅっきゅっという音」という意味なんだそうで、カフェのテラスでおじさんがアコーディオンを演奏していたりと、まさに雑踏という感じでしたね。外れのほうでこんな光景も見かけましたけどねww

「犯罪行為の巣窟」へww

6時半ごろにいったん宿に戻り、夕食へ。ガイドブックに載っていた「エル・パラル」なる店で、ミサの中継みたいなラジオを聞きながら、ビールやワインと一緒に豚肉のステーキやらポテトやらをいただきました。二人で20ユーロでしたが、前菜のパンもあってかなりお腹は膨れました。
そこから地下鉄を使って(1.4ユーロ)やや北寄りのエドゥアルド7世公園へ。ガイドブックに「夜のエドゥアルド7世公園は売春や薬物など犯罪行為の巣窟」と書いてあったのを目ざとく見つけた友人が「犯罪の巣窟に行こうよ。いいじゃん、売春と薬物の巣窟だよ?」と強く主張したため足を伸ばすことに。9時ごろ着いた公園では、一番目立つ場所に座り込んで昼間にもらったシャボン玉を吹いていたり、外れの池にいた水鳥たちにシャボン玉を吹きつけていじめたりしていましたが、結局危険な兆候は何もなく*7、とりあえず高いところからリスボンの夜景を見たということですごすごと帰ってきたのでした。ちなみに行きの地下鉄で、バスでもらった一日パスに”…for any other ride on the bus and tram public network”と書かれていたのを見落として、私「なんでpublic networkなのに地下鉄は乗れないんだ!」 駅員「お前英語わかってんのか!」と喧嘩をしたのは秘密です。もうひとつついでに言えば帰りの駅で見つけたこれ。

どっちなのかはっきりしてほしいですwwww
結局売春婦の誘惑や犯罪集団による襲撃を受けることなく10時に宿に戻り、12時半ごろ就寝しました。スーパーで買ったワインはスーパー酸っぱかったです。

*1:今となれば、Too lateと言われたのがこの日でなくて本当によかったと思います

*2:オランダとポルトガルシェンゲン協定に参加しているため国境の検問がなく、国内線と同様の搭乗手続きで国際線に乗れます。そういえば列車でベルギーに入った時も、フランスに入った時も何もありませんでしたよね

*3:ポルトガル人」なのか、「ヨーロッパ人」なのか、「たまたまこいつらだけ」なのか

*4:いやぁ、安い!

*5:ロシオというのは「所有者のいない草原」という意味だそうです

*6:上の方に見えるのはカエサルの時代からあったというサン・ジョルジェ城。写真左下の地下鉄駅表示が、この宿のアクセスの良さを物語っています

*7:そもそも人っ子一人いなかった気がします