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2018-01-04

[]「黙殺」する側の私/『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(畠山理仁) 13:40

ピエール・バイヤール流に、いつか書こうと思っていた自分の話をしようと思います。

新聞社の整理部という部署で働くようになっていつの間にか3年が過ぎましたが、その間各種選挙に関する段取りや扱いなどを所管する「選挙班」に所属し、2016年参院選2017年衆院選では実務上の責任者を務めておりました。責任者というと偉そうで須賀、一言で言えば選挙紙面づくりの交通整理係です。どのタイミングでどんな情報を何ページにわたって載せるとか、ついては原稿や紙面レイアウトをいつまでにこの分量で下さいとか、投開票日の部内タイムスケジュールを作ったりとか、そんなことをやっておりました。すると、特に衆院選では候補者が何人出るかというのがかなり重要になってくるんですね。1行の経歴だけとかならともかく*1、ポーズ写真付きの候補者紹介記事なら*2、直前に1人増えたがために全部レイアウトし直し、なんてことも十分あり得るのです。

そこで重要になってくるのが、この本で言うところの「無頼系独立候補」たちの扱いになるのです。何度かそういうシーンが出てきま須賀、選管締切直前に無警戒の候補が届け出たり、逆に出馬表明していた候補がやめてしまったりすると、下手をすれば紙面は作り直しです。具体的にどのような基準で、またどんな表記で候補者情報を扱ってきたかについては、さすがにここには書きませんけれども、例えば候補者の側から「届け出はするけどマスコミ取材には応じない」とか「顔写真を撮らないでくれ」と言われる場合もありますので、思ったより事情は複雑だったりもします。

このように選挙報道の裏方を交通整理してきた私の職責は、恐らく著者からすれば「黙殺」する側の権化のようなものかもしれません。ただ、私自身の意見としては、著者の思いに共感できる部分は多くありました。自分立候補しない以上、他の誰かを選ぶしかない。その選択肢は多様な方がいいし、もっとちゃんと知られていい。そもそも、多くのものを投げうって立候補した人は一定の敬意を払われるべきだ―。その通りだと思います。そして、政界エスタブリッシュメントによる裏付けがない候補者たちが、自分に振り向いてもらうために、自分の信念や政策を聞いてもらうために、どんな思いで必死選挙を戦っているのかも教えてもらいました。結果、必死さが世間一般政治家像とは別の方向に向いてしまうケースもままあるようで須賀、彼らを生温かい目で見つめ、笑いをこらえながらも時には一緒に怒ったりする。これは著者の取材の緻密さということ以上に、取材対象者たちと選挙そのものに対する深い愛の為せる業なのだろうと感じました。

 

この本は半分くらいマック赤坂の話なので須賀、そういえば2014年の3月、大阪道頓堀くいだおれ人形の前で人形マネをして踊っているマック赤坂を見かけました。面白かったのでSNSにうpしたので須賀、それは彼の思惑通りだったということなのですねww あと、個人的に「好き」なのは又吉イエス外山恒一なので須賀、先になくなった羽柴誠三秀吉も併せて、この本の中に言及がないのは少し残念に思いました。著者のことなので、接触を試みずに「黙殺」しているなんてことはないのではと思うだけに、この本の出版に至るまでにどんなやり取りがあったのか興味がありますけどね。

*1:そこも野党が分裂しているか共闘しているかなど、選挙の構図によってかなり差が出てきます

*2:各新聞社で差があるかもしれませんが「見参記」「横顔」などと言います