はてな評議会

オレはまあ、何にしても割り切るときはすっぱり割り切る人なので、多数決に文句はない。期間中ならば、賛否どちらにでも乗り換えられるというのが面白い特徴だと思った。

「評議会」だとか「市民」だとかは、ネタとして突っ込む程度が華なんじゃないかなあ。もの言わぬ場合でも、賛成・反対の意思を持つということは当然あるのだし、それを伺うことは総意を知ることとしてとても大事だと思う。議論は、個対個が大勢に影響を与えようとするものであるが、それと同時に傍観者との溝を深くし、総意を伺う機会を失いがちだ。評議会には、傍観者の立場を保障しつつ総意も伺えるという仕組みとなることを「一市民」として期待したい。それゆえに、票を投ずることが揉め事に関わると見なすような見解に対して、オレは意義を感じない。


「一市民」という言葉を使ったのはまあ、オレは誇りを持ってそうなんだ! とか言いたいのではなく、定義されたものとしてそれ以上でも以下でもないということです。どうでもいいか。

はてな評議会その2

前々段に関し、id:mittyさんより反応を頂戴いたしました。どうも有難うございます。

で、mittyさんの追記した内容について、実のところ自分が常々感じていたこととまったく一緒である、と感じました。時として沈黙を選ぶこともまた、自分が取ってきた行動に当てはまることですし、身の上として痛切なまでに理解できます。潰れそうになったり、自ら潰しそうになったりと、私はその辺り人として弱いところがあります。

ちょっとした賛成・反対すら伺えなくなる、あるいはハッキリ「関わりたくない」と表明されるのも実に辛いことです。議論を騒動と看るか、それ以上の揉め事と看るか、その辺りは人それぞれでどうしようもないのですが、土俵なりリングなりを内外関係なく強く意識してしまう人の性はどうしても邪魔っけだと感じます。出来ることなら、そんな概念はすっ飛ばしてしまいたい。

「賛否くらいは出しておきたいけれど、騒動・揉め事に対しては関わりを持ちたくはない」という人の立場を保守する為にはどうしたら良いか。個人的にはまず、「賛否出す程度ならば揉め事に関わっていない」ことにしておけば良いと思うのです。自分にとって必要か不要かどっちでも良いかを機械的に投じるだけなのだという風潮にまず馴染ませたい。多数決が優れたシステムかどうかだなんて私には判りませんが、いらぬ概念を無効にするものとして利用できる可能性あらば取り入れたいものだと、そんな風に思います。