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四丁目でCan蛙

2016-08-28

「『琉球独立』は夢物語ではない」松島泰勝・龍谷大教授

08:07 | 「『琉球独立』は夢物語ではない」松島泰勝・龍谷大教授を含むブックマーク 「『琉球独立』は夢物語ではない」松島泰勝・龍谷大教授のブックマークコメント

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◎父の圧迫骨折から2か月、その間に百寿の会もあって、それどころではなかった、「文藝春秋」誌が、2冊、我が家に。父もやっと少し普通の生活に戻った証です。母が毎月発売される日に本屋さんへ行って買い求め父に届けています。読み終わった本が我が家にひと月遅れで届きます。今回は一度に、二月分。その中から、7月号の「大型企画・2020年『日本の姿』」30本の記事から「琉球独立」についての記事を書き移すことに。母が、これまた読み終えた讀賣夕刊をすぐわが家に届けてくれますが、ちょうど、著者の松島泰勝さんが「ええやん!」というコラムに取り上げられていましたので、これも一緒に。まず、「文藝春秋」の「独立論」から:

琉球独立」は夢物語ではない

松島泰勝 龍谷大学経済学部教授


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 1996年の米軍普天間飛行場返還合意を後押ししたのは、前年の米兵による少女暴行事件だった。だが以来20年、返還は実現せず、またも若い女性が米軍関係者の餌食になった。抜本的な解決策はもはやこれしかないのか。『琉球独立宣言』(講談社文庫)などの著書がある石垣島出身の経済学者が、専門とする島嶼経済観点から、独立への道筋を説く。

 

 普天間だけでなく、沖縄県内にあるすべての米軍基地が無条件で返還され、辺野古にもほかのどこにも代替施設を造らずに済む方法があります。すなわち、琉球国として独立することです。日本でなくなれば、日米安保条約日米地位協定の適用を受けませんから、米軍基地が存在する根拠がなくなります。

 1972年の復帰から44年、琉球アメリカとの交渉を日本政府に委ね、期待を裏切られ続けてきました。しかし琉球国として独立すれば、一対一でアメリカとの交渉を行う立場を得ます。

 琉球新報2015年5月に行った「独立に関する県民世論調査」では、「日本の中の一県のままでいい」が66.6%。「日本国内の特別自治州などにすべき」は21.0%。「独立すべき」は8.4%でした。独立支持派は11年11月の同じ調査で4.7%でしたから、まだまだ少数とはいえ、少しずつ増えています。

 

 基地問題で不満や失望を抱えてはいるものの、独立するといわれると経済がうまくいくか心配ーーこれが多くの県民意識だと思われます

 しかし、その心配は要らないばかりか、むしろ独立したほうが発展します。その論拠を示しましょう。


 沖縄県は今年度予算について、「歳入面では、県税等の自主財源の割合が低く、国の地方財政制度に大きく依存した脆弱な構造である」と指摘しています。しかし独立すれば、まず財源不足が解消されます。たとえば72年の返還から現在までに使われた沖縄振興予算の9割は公共事業ですが、うち半分は東京などに本社を持つ大手建設会社が受注しています。米軍基地内の工事を請け負うには100億円の補償金を積む必要があるので、現実的に大手ゼネコンしか受注できず、県内企業は排除されているのです。ほかの産業でも、同じことが起こっています。こうした植民地経済から、独立によって脱却できるのです。


 また世間には、「沖縄米軍基地への経済依存度が高い。他県より多くのお金を日本政府からもらっている」という勘違いもあるようです。しかし基地関連の収入は現在、県民総所得の5%まで下がっています。13年度の国からの財政移転(国庫支出金+地方交付税交付金)は全国14位沖縄振興予算という名前が誤解を与えているようですが、これは上乗せではなく、他県ももらう国庫支出金と国直轄事業の合計のことです。


 今年度の沖縄振興予算は3350億円。地方交付税交付金が2066億円。独立すれば、この合計約5400億円はもらえません。その代り、県内徴収分の国税所得税法人税消費税など)と地方税等の県の自主財源が琉球国の税収となります。13年度の実績では、合わせて4654億円です。金額は減るものの、振興予算の使い道が限定されているのに対して、こちらは自由に使えることが大きな意味をもちます。


 基地の跡地利用の経済効果からは、 前記の減額分を補う数字が出ています。米軍の牧港住宅地区は、返還後に那覇新都心として再開発され、県立博物館や美術館、ショッピングモールなどができてにぎわっています。沖縄県が昨年発表した調査結果によれば、地代収入や軍雇用者所得などによる米軍住宅当時の経済効果は52億円でしたが、現在は32倍に及ぶ1634億円とのことです普天間飛行場についても、返還されれば3866億円の経済効果をもたらすと、沖縄県と関係市町村は試算しています。現在の120億円に比べ、やはり32倍に達する大幅な増加です。

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独立への五つの手順


基地は観光産業にとってもマイナスです。そもそも、沖縄観光産業は大きく伸びています。昨年度、沖縄県を訪れた観光客は、過去最高の約794万人でした。国内客が79%を占めていますが、大型クルーズ船による中国本土などからの外国人は167万人に達し、前年比69.4%の大幅増となりました。ところが過去のデータを見ると、アメリカ中東で戦争を始めたり、テロが起こると、米軍基地を抱える琉球の観光客数は落ち込むのです。


 このように、基地の存在が経済の発展を阻害している現実を、一人でも多くの県民に認識してもらい、世論の喚起を促すことが、独立への第一となります。


 実際に独立するには、次の五つの手順が必要です。

1)沖縄県会議員のうち、独立支持派を過半数まで増やす。

2)県議会が、国連植民地化特別委員会の「非自治地域」リストに琉球を加えるよう、決議する。

3)「非自治地域」と認められた琉球は、国連や各国際機関からの協力を受けながら、脱植民地化の活動を行う。

4)国連の監視下で住民投票を実施し、独立支持が過半数を占めれば、世界に独立を宣言。独自の政府を作り、国連に加盟申請する。

5)国際法に基づき、平和的に独立する。日米をはじめとする他国と外交関係を結び、対等な交渉によって米軍基地、自衛隊基地を撤去させる。

 この”国連型”の独立なら、日本政府の承認は必要ありません。


 もう一つは、”スコットランド型”です。かねてから独立運動の盛んなスコットランドでは、14年9月にイギリス連邦からの独立を問う住民投票が行われました。このときイギリス政府との間に、賛成が過半数を占めれば独立を認める合意が、あらかじめなされました。しかし日本政府がこうした合意に応じるとは思えませんから、我々は国連型”が現実的だと考えています。


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 スコットランドの投票結果は賛成45%、反対55%で独立はかないませんでしたが、賛成票の多くが若い世代だったことは印象的でした。また独立を支持する大きな理由に、イギリスが国内唯一の核ミサイル潜水艦基地を押し付けていることへの反発や、かつて独立国だった点があげられるのは琉球とよく似ています。

  

 琉球が日本に統治された時期は、1879年の琉球処分から1945年終戦までと、1972年の復帰から現在までの、合わせて110年余にすぎません。そして、日本の統治下にはいることも、20万人の戦没者を出した沖縄戦も、戦後のアメリカ統治も、すべて琉球人の意思ではありませんでした。独立を決める住民投票で、琉球人は初めて自己決定権を行使し、自ら将来を決めるのです


 独立を回復した琉球連邦共和国は人口140万人、有人島約50日本国憲法九条に倣い、非武装中立国家となります。これまでは日本との格差是正を求めてきましたが、今後は地の利を生かし、アジア近隣諸国との連携強化を広く図ります。

 参院選を経て憲法改正の動きが加速すれば、在日米軍基地の74%を押し付けられている琉球は、再び戦場になる危険が高まります。そうなれば、独立運動は活発化するでしょう。県民の意識次第では、2020年東京五輪琉球国代表選手団を送り込むことも、決して夢物語ではないはずです。

◎…と「琉球独立論」を語る松島泰勝さんは、1963年石垣島生まれの53歳。

どうやって「琉球独立論」を唱えるようになったのかを、讀賣新聞の記事から:

昔、英語の教科書で、ウエールズイングランドの支配下に入り、19世紀中ごろには、英語を話すよう強制され、禁じられたウエールズ語を話すと見せしめに「WELSH」と書いた板切れを首から下げさせられたという話を読んだ覚えがあります。あれと同じことが復帰後の沖縄であったということには驚きました。それでは、8月24日(水)の読売新聞夕刊の”ええやん!”「語る・聞く」の頁を書き移しました:

f:id:cangael:20160826142916j:image:right琉球人 島の未来思う

沖縄出身の竜谷大教授 松島泰勝さん  53


 もともとは、何の疑問も持たずに自分は日本人だと思っていたという。


 父親気象台職員で、一家石垣島南大東島与那国島と移り、那覇市へ引っ越した小学3年の時、沖縄は日本に復帰した。

 「復帰したから君たちは共通語を話しなさい、と担任に言われた。島言葉(しまくとうば)を話すと『方言札』を首から掛けられた。日本の教科書を一生懸命に勉強しました」。


 東京で広い世界を見たくて早稲田大へ進んでから、違いに気づいた。

 「いろんな人と会って自己紹介すると、特別な目で見られる。見た目の雰囲気や言葉のイントネーションが違うからでしょうか。どこの国からの留学生ですかときかれたりしました」。

 沖縄出身者向けの学生寮で暮らしていた。他の寮生も同様の違和感を抱いていた。琉球の歴史や文化の本を読みあさり、寮生たちと夜中まで語り合った。


 「自分は何者なのかと思い悩み、自問するうちに『琉球人である』と自覚するようになりました。国籍は日本だけれど、日本人でなく琉球人なんです


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     ◇   ◇   ◇


 大学院へ進み、太平洋の島々を回って島の経済を研究した。「差別を乗り越えるには経済力をつけることだと考えたからです」


 仏領ニューカレドニア独立運動の現場を見たりするうち、先住民族問題への関心が高まった。1996年にスイスジュネーブで開かれた国連人権委員会先住民作業部会には、アイヌ人と並び、琉球人として参加した。

 その後、日本総領事館の専門調査員としてグアムに2年。「先住民族チャモロ人には実質的な政治決定権がない。観光業は主に日本企業が握っています」

 パラオ日本大使館にも1年。「人口2万人でも自分たちで政策を決め、環境保護経済主権を大切にしながら、観光を中心に独自の国づくりを進めている。独立するとこんなに違うのか、と目を見開きました」


 現場主義琉球だった島々をめぐり、島民と車座の語り合いを重ねてきた。


 2008年からは京都龍谷で教えている。

 「日本の歴史・文化の中心地で、興味深いですね。神社やお寺は沖縄にはあまりなくて、文化が明らかに違う。その実感もあって琉球独立の力になる研究をしようと決心しました」


   ◇   ◇   ◇


 琉球の歴史をたどると、統一国家のないグスク・三山時代が二百数十年、琉球王朝が450年間。明治政府王朝を滅ぼして沖縄県にしてから敗戦まで66年間、米軍統治が27年間、日本復帰後44年余り。日本の一部になった期間は短い。

 「王朝の後半270年は薩摩の支配下とはいえ、独立国。中国にも朝貢を続け、米・仏・オランダと独自に条約を結んでいました

 沖縄の言語や文化の違いを、日本の多様性の一部とする見方もあった。

 「沖縄のテレビ、ラジオ、新聞は島言葉をよく使い、市役所や県庁も使う。別の民族かどうかは血とかDNAではなく、各人がどう考えるかで決まる。琉球人という意識を持つウチナーンチュは多くなっています」

 「米軍基地の問題は、負担の大小だけでなく、自己決定権の問題翁長知事が『イデオロギーよりアイデンティティー』と言うのはそのことです。もとは独立国だったんですから


   ◇   ◇   ◇


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 日本の憲法にも法律にも地域独立の規定はない

 「世論が高まれば県議会などで決議して、国連の脱植民地化特別委員会の『非自治地域リスト』に登録を求めます。登録されると、国連の支援の下で住民投票ができます」

 経済は成り立つのか。

 「今は米軍基地が広大な土地の利用を妨げている。人口は140万もあり、アジア各地との地の利を生かせば、経済は発展します」

 安全保障はどうか。中国が攻めてきたりはしないか

 「米軍抑止力というけど、沖縄は現に基地の被害を受けている軍事力を持たず、各国と友好関係を結び、国連アジア本部を誘致して平和の拠点になる。そんな独立国を侵略して国際的非難を浴びる愚かなことを中国がするでしょうか

 力まず、穏やかな口調で説く。しかし独立論は今のところ沖縄でも少数派。本当に実現できますか?  

「居酒屋談義でも机上の空論でもありません。遠い先ではなく、この10年くらいの間に決まるでしょう


取材後記 /   世界遺産首里城を見学すると、琉球が独自に歩んだ歴史の長さがわかる。亜熱帯にある沖縄は自然風土が違うし、料理や音楽も違う。ウタキと呼ばれる信仰の聖地が各地にある。「日本人が行くと、異国情緒を感じるでしょ」と松島さん。


 中国の海洋進出、北朝鮮のミサイル開発などで日本周辺海域の安全保障環境は厳しさを増し、駐留米軍の重要性が高まっているとする声は大きい。一方で、米軍基地の移転問題などをめぐり、沖縄県日本政府と激しく対立している。


 対立の底流に何があるのか。知っておくべき沖縄の歴史や人々の心情が琉球独立論には込められている

リテラ8月25日の記事「沖縄・高江で取材中の琉球新報沖縄タイムス記者を警察が拘束!「報道の自由」侵す暴挙も中央マスコミは一切無視」http://lite-ra.com/2016/08/post-2521.html

2016-08-27

金曜デモ<石橋湛山「昭和の選択」(BSプレミアム)>と「原子力政策をどう考える」(NHK”解説スタジアム”)

11:41 | 金曜デモ<石橋湛山「昭和の選択」(BSプレミアム)>と「原子力政策をどう考える」(NHK”解説スタジアム”)を含むブックマーク 金曜デモ<石橋湛山「昭和の選択」(BSプレミアム)>と「原子力政策をどう考える」(NHK”解説スタジアム”)のブックマークコメント

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◎昨日は金曜日、官邸前の金曜デモの日ですが、私の朝一番の仕事は生協さんです。先週の注文分が届き、来週分の注文を渡し、少なくなった生協仲間とあいさつを交わす日。お孫さんがいる方から、「箕面市は全校にクーラーがついたので夏休みはもう終わって25日から学校よ」と聞きました。

午後からリサイクルショップの「ぶらぼう」へ紙袋を届けに出かけて、帰りは細くて危ないバス道を避けて、坊島の田んぼの道を自転車で。二中の北側にやってくると二中生によく出会いました。夏休みのクラブ活動ではなくて、みな制服姿です。この暑いのに…そうか、クーラーか…。

地蔵盆が過ぎたこの時期が、あの長い夏休みの何とも言いようのない思い、この夏と休暇への惜別、やり残した、やれなかった後悔混じりのあと引く思いを噛みしめながら、やっと二学期へ気持ちを切り替えたりする大事な時期なのに・・・。今は勉強しなきゃいけないことも増えているのかも…なんて思いながら帰ってきました。一月前の7月下旬、百寿の会で集まった山の上の山荘ホテルが見えました。

◎さて、恒例、「特別な1日」さんのブログから金曜デモのルポを。今回のタイトルはNHK-BS『昭和の選択』(石橋湛山特集)と『河野洋平インタビュー』(毎日新聞)、それに『0826再稼働反対!首相官邸前抗議』」http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20160826/1472218254)です。

今日の午後 公的年金の源資を管理するGPIFが4〜6月に5兆円の運用損を出していたことが発表されました。7月末に昨年度の運用損が5兆円というのが報道されたばかりですが、今度は3か月で5兆円です。

<GPIF運用損5兆2342億円 2期連続赤字:日本経済新聞http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL26HJD_W6A820C1000000/?dg=1&nf=1

                                      

14年に株式の運用を倍にしてからの通算も約1兆の赤字に転落しました。完全にアベノミクスのツケです。偉そうにしていた化けの皮がどんどん剥がれています。デフレ脱却は失敗、実質賃金は下がりっぱなし、運用損は累計1兆円、正社員雇用は殆ど増えない、これだけ失政が続いても有効に攻められない野党も情けないですが、これで平気な国民にもあきれ返ります。

◎GRIFについて、飛び入りでコチラも:

内田樹さんがリツイート

小沢一郎(事務所) ‏@ozawa_jimusho · 8月26日

安倍政権が姑息にも参院選後まで隠し続けた「年金巨額損失」が、足もと更に拡大。新たに4〜6月期も▲5兆円の運用損となることがわかった安倍政権自作自演自爆円安バブルの崩壊により、国民の大切な年金がどんどん消失している。肝心なことが報道されない事態。国会での徹底追及が必要である。

◎次の石橋湛山を取り上げたNHKBSプレミアムの番組の紹介が素晴らしいです。再放送、さっそく予約しました。でも番組を見なくても記事で十分内容がわかります。ここに、ダイジェストで引用させていただきます(色字、太字by蛙):

昭和の選択「“核なき世界”と権力への挑戦〜いま石橋湛山を見る〜」

再放送予定(9月1日午前8〜9時)- NHKBSプレミアム


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東洋経済の実質的な社長だった石橋湛山軍部言論弾圧に直面した際 どういう手段を選んだかという問いを出演者が議論していたんです。議論ではこんなオプションが上がっていました。

1.正面から抵抗する

2.臨機応変に対応し、言論活動を続ける

3.軍部に抗議して筆を折る

4.諦めて権力の言うことを聞く


出演者の歴史家、磯田道史(『武士の家計簿』の人)、増田弘(歴史家)、船橋洋一元朝日のジャーナリスト福島事故の民間事故調をやった人)、宮崎哲弥(評論家)、高橋源一郎(元活動家小説家SEALDsアドバイザーをやった人)の議論は凄く面白かった


湛山は2を選びます。のらりくらりとした、でも読む人が読めばわかる表現で戦争反対を婉曲に訴え続ける。当時は軍部右翼の圧力で、大臣や軍人でも戦争反対とか和平とか言えば、命が危うかった時代です。先日むのたけじ氏が亡くなりましたが、彼のことを考えれば石橋湛山は如何に危ない橋を渡ったか判ります。戦争末期 1945年5月の東洋経済が番組で紹介されましたが、戦争反対とか降伏とは言わないけれど『日本は反省してやり直せ』ということを書いているんです。ちょっとびっくりしました。その東洋経済を三井も三菱安田も広告を出して支えていたのも面白かった。


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政治家になった石橋湛山を描く後半病に倒れた湛山が懸命のリハビリの末、岸信介らの反対や右翼の猛抗議を受けながら中国への訪中に踏み切ったことが印象に残りました。その十数年後 田中角栄は国交回復のために訪中する際 病床の石橋湛山を見舞ってから中国出かけたそうです。いかにも田中角栄らしいエピソードです。


平和を希求する湛山は最後まで日米中ソの集団安全保障集団的自衛権ではない)を目指していたそうです。ボクですら夢物語だと思いましたが、番組で『安保法制は成立してしまったが、もっと広い視野で安全保障を考えるうえでは今も重要な示唆ではないか』と言っていたのは、その通りだと思いました。


番組の議論は『イデオロギーではなく、国民の利益を考える政治家の重要性』、『理想と現実主義の両立』、『真の自由主義とは』が語られて収束します。高橋源一郎が『石橋湛山のような政治家が今いてくれたら』、船橋洋一は『石橋湛山のようなジャーナリストが今いてくれたら』、宮崎哲弥は『石橋湛山のような日銀総裁が今いてくれたら』と語った後(笑)、磯田道史が『今 こういう番組を作ることができて本当に嬉しかった』と締めくくって番組は終わります。制作側の気持ちが伝わってきましたよ。

◎そして、官邸前へ:

ということで今週も再稼働反対の官邸前抗議

今日の午後6時の気温は30度(笑)。台風前の東京は蒸し風呂のような暑さです。参加者は主催者発表900人また少しずつ活気が増してきたようにも思いました。

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今日 鹿児島県三田知事九電川内原発の停止を申し入れました知事に法的な停止権限はないことをとやかく言っている阿呆が居ます。でも川内はまともな避難道路もないのに再稼働をしている住民の命を守ることが仕事である地元の首長として声を挙げるのは当然でしょう。


沖縄の翁長知事もそうですが、これから三田知事一人にさせてはいけないと思うんですよ。地元の目先の経済だってあるから、もしかしたら何か妥協を図らなければいけない時もあるかもしれない。そう言う時 直ぐ日和ったとか言い出すバカがいる(笑)。困難に直面した時こそ市民の側も知事と一緒に現実的な見地に立てるか石橋湛山のように理想と現実主義を両立させて一歩でも前へ進む知恵があるかが、我々一人一人に問われてくると思います。

★ほかに、タイトルにある河野洋平氏の言葉とか、ぜひ、読み応えのあるブログを直接訪ねてください。こちらです:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20160826/1472218254

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◎昨日は、夫が、早朝、八ヶ岳へ向かいました。台風が心配でしたが、下山の日はペンションどまりだからと、加賀市の親友と茅野で落ち合うといって重いリュックを背負って出かけました。私は、早く寝ればいいものを、やはり開放感から?か、シャワーを浴びた後もテレビをつけてみることに。

12時を過ぎてNHKの解説委員たちが原発是非をめぐって討論しています。これは本当の討論です。あの島田氏がもんじゅはやめるべきだと。政府担当の解説員が、お役目上、政府側の立場を控えめに主張?紹介?していましたが、貯まり続けるプルトニウムについて、”抑止力のため”という意見について、アメリカ担当の方、「国内だけじゃなく、世界の日本を見る目を考えれば、NPTにも反して北朝鮮のような立場を敢えてとる意味がない」と。再稼働反対を鮮明にしていた解説員さんは、そういう原発問題とは別の視点でものをいう人がいるのはわかるけど、それは無視してよいとはっきり。

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議論の透明性とか、避難計画も条件に加えるべきだとか、安全性について規制委員会は責任を負っていない、国が前面に立って責任を明確にすべきだとか、ちょうど三反園鹿児島県知事川内原発即時停止を申し入れた日でもあって、力が入っていました。SPYBOYさんが、NHKの番組を評価されていたのを読んだ後でしたので、ちょっと嬉しい内容でした。途中dボタンで視聴者アンケートに参加。原発再稼働賛成は約25%、反対は67.8か9%、どちらともいえないが8だったかな…。私は反対の赤ボタンを押しました。反対が7割近くで、世論調査の結果と大体同じですね…とか。

番組欄で調べるとタイトルは「解説スタジアム」の「原子力政策をどう考える 原発核燃料サイクル▽解説委員が徹底討論」(PM11時55分〜AM1時)。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/27 19:09 トラックバックありがとうございます。
ご主人、保津川下りに、八ヶ岳と滅茶苦茶お元気ですね。非常に勇気づけられます。後進としてぜひ、あやかりたいと思います。
NHK、そういう番組もやっているのですね。ま、もんじゅ廃止なんか日経ですら否定してますから、それは当たり前ですよね(笑)。NHKがダメになってるのは目立つ時間帯、7時とか9時のニュースで、あとは(相対的に)結構まともじゃないかと思います。政府の顔色を見るバカ上司の圧力に対してゲリラ戦をやってる人が居るのでしょう。それこそが人間としての、プライドですよね。もちろん、時間が経つにつれて組織が腐っていくでしょうから、安閑とはしていられないでしょうけど。ゲリラ戦をやってる人を皆で応援しないと、と思います。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/27 19:11 連投すみません。
<もんじゅ廃止なんか日経ですら否定してますから
もんじゅ廃止なんか日経ですら主張してますから、の間違いです。お目汚しすみませんでした。

cangaelcangael 2016/08/27 19:25 SPYBOYさん、毎金曜日のデモとルポ、そしてブログ、ありがとうございます。
わが夫ながら、元気というか、よく遊びたいことがよくそんなにあるもの!?とあきれています。遊ぶためにはリュックを担いでの訓練も欠かしませんし、努力家?でも。70歳過ぎても大丈夫ですよ〜
もんじゅ、日経も早くから「廃止主張」でしたね、「廃止否定」では確かに可哀相…。
ところで、NHK。そうなんです、夜中にやってる時事公論とか、Eテレでは結構籾井会長以前の内容とそう変わらないと思う番組もありますね。そうか、ゲリラ戦なんですね〜。大いに取り上げて応援しないと・・・昨夜のは天木直人氏もほめてました!

kataomoimamakataomoimama 2016/08/27 20:24 関東では地蔵盆というのはあまり馴染みがないように思うのですが、この時期のものだったのですね。お地蔵様は、子供を守る菩薩様ですね。皮肉なことに、子供をめぐる悲惨な事件が、また起きてしまいましたね。この世界の不寛容さ、残酷さが、子供たちをじわじわと蝕んでいるようで、やるせなくなります。そのほかイロイロ嫌なニュースやアタマにくることばかりですが・・・暗くなっていても仕方ないですものね。私のところも娘の夏休みは昨日で終わり。学校嫌いの娘を日々送り出すためには、まず自分が元気でないと!と、シッカリ食べて(笑)、奮起しています。
ところで、八ヶ岳は、山自体に登ったわけではないですが、ふもと辺りに移住したいと一時本気で考えたくらい、好きな場所です。昔は富士山よりも高かったのに、怒った富士山にボコボコに叩かれて、あの姿になった、とか。(笑)

cangaelcangael 2016/08/28 08:29 kataomoimamaさん、コメントありがとうございます。
8月24日ごろが地蔵盆で、近くに北向き地蔵がありますので、私の子供のころから夜店が出てにぎわいました。お盆も過ぎて、地蔵盆を迎えるといよいよ夜には秋風が吹いて、夏休みの宿題が気がかりな頃になって。今は、孫がいないので、地蔵盆の日も外に出ないのでわかりませんが、続いていると思います。そして、子供を取り巻く環境といえば、ますます悪くなっているとしか思えませんね。暗いところばかり見ていると、ホント、落ち込んでしまいますね。kataomoiさんも、ちょうど、子育て最終段階とお年寄りを抱えて凹んだり、倒れたり出来ないカナメの役割を担って、頑張り時ですね。シッカリ食べて、金子みすずさんみたいに少しでも「明るいほうへ」!!
八ヶ岳へ移住、本気だったことが!? 安曇野(字も響きも素敵)のあたりは、よさそうですね。

2016-08-26

50年モノの車庫の扉と進む貧困化

08:48 | 50年モノの車庫の扉と進む貧困化を含むブックマーク 50年モノの車庫の扉と進む貧困化のブックマークコメント

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水曜日の午後、父の2度目のリハビリデイサービスの日、前日、電話してお願いしていたNさんが、車庫の釣り戸の修理に来てくださいました。

ひと月ほど前から、釣り戸の片一方の扉が不具合を起こして、私の力では動かないくらい扉が下がってきました。いつも夫がスパナで巻き上げて調整するのですが、今回はそれも効かないとか。

私が小学1年の夏、豊中から引っ越してきたとき、元から建っていた離れ座敷と蔵の間に、台所、風呂場、トイレ、玄関を建て増ししないといけなくて、それをお願いした大工さんが、その後、縁側をつけたり、蔵を改造して子供部屋にして二段ベッドを作りつけてくれたのも、そして、縁先にくっつけてレンガ作りの柱に白いペンキを塗ったガラス戸のサンルームも作ってくれました。

母が、私たちは一度も最初から完成したまともな家に住んだことがないというのは、こういう事情がありました。だから、母の勧めで、私たちが古い座敷の家とサンルームを取り壊して、そのあとに新築一戸建てを立てた時、完成した家を一番喜んでくれたのは隣の両親でした。そんなこともあって、以来コーヒータイムに我が家の茶の間にそろって来てくれるように。

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で、父の古い友人ご夫妻がわざわざ西宮から自家用車で数回箕面まで訪ねての熱心な勧めで父が車の運転免許を取って、我が家に赤いカローラがやってくるとき、当然、この大工さんに車庫をお願いすることに。今からちょうど半世紀以上前のことです。アイディアマンのこの大工さん(大変な文化人?でもあったそうです)が作ってくれたのがこの釣り戸の車庫です。2枚の木製の扉を回転させて一方に寄せて、車の出し入れをします。ご近所に同じ車庫が2軒ありました。今は、一方は家主さんも変わって、どちらも家ごと建て替わって、残っているのは我が家だけです。名人大工さんの手の跡です。

夫が力づくで動かしていましたが、金具は売ってないだろうし、車庫全体を変えるとなると、またお金がかかることになりそう、としばらく放っていました。母に「一度植木の散髪をお願いしているNさんに電話してごらん、あの人は元々技術屋さんだから、何でもできるみたい」と言われて、電話番号をメモした紙片を目のつくところに置いていました。お盆も過ぎたので、そろそろと電話でお願いしたら、以前にも下がってきたのを直してもらったことがあったとかで、直ぐ「わかった。古いもんは古いもんで直し方があるから、多分、大丈夫」とのこと。そして、水曜日、チャイムが鳴って・・・

「任しとき!」っという感じで、引き受けてくださって、夫も私も家の中に引っ込むことに。

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冷たいお茶だけでもと思って持っていくと、扉をレールから外して、金具の具合をみておられました。外すこと自体、素人ではできません。

しばらくして、覗くと、扉は元通りに。できた!ということで、二人で外に出ました。

「これで、10年は持ちまっせ」と言われました。夫が運転している間持てば十分。「こんなん、業者に相談したら、金具がないとか言われたり、全部新しくせなアカン、言われて、何十万だっせ〜」「そうです、そうです」。

「金具は、この辺で探したら、無いといわれる。地方へ行けば、必ずある。釣り戸は今でも使うてるさかい」「なるほど〜」。お礼は・・・「秋に又柿を取りに来るので、そのときもらうから」と言われましたが、そういうわけにはいかないので、少なくて悪いと思いつつ、五千円札を封筒に入れてお渡しすることに。車庫の扉、まだ十年も使えるといわれて元通りに使えるようになりました。レールに沿って、私や母の手でも、軽々と動くようになりました。

◎「水草牧師メモ帳」さんの政府は自分の役目を認識していないのではないか」では、

子ども貧困率水準の比較」と「実質賃金の推移」を示すわかりやすいグラフを紹介。☆コチラで:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20160822/p3

◎「☆句の無限遠☆」さんの「人口変化と老後の社会保障─近未来の若者老後地獄」では、

「Business Journal」の記事「夫婦で8万円以下の年金、75歳からの支給─社会保障体制の崩壊の構図」を紹介。☆コチラで:http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20160821/1471742768

リテラの記事「卑劣! NHK貧困女子高生に“貧乏人は贅沢するな”攻撃! 片山さつきも乗り出し生活保護バッシングの悪夢再び」はコチラで:http://lite-ra.com/2016/08/post-2516.html

miyotyamiyotya 2016/08/26 09:17 おはようございます。
まぁ〜素晴らしいお話ですね。
昔は近所や知り合いに、便利屋のように何でも直してくれる大工さんがおりましたね。
今、ホームセンターに行けば色々と使える部品がありますが、それを生かして修理
してくれるだ大工さんはおりません。
今でもそういう方とお知り合いで頼りになりますね。

cangaelcangael 2016/08/26 10:44 miyotyaさん、おはようございます。
そうなんです。これも、母が大事にしている人のつながりです。
私は、なるべく植木も人手に頼らないで良いように…と思っていたのですが、
この方に、植木や植物でどれだけ慰められるか考えたら年に一度の散髪代は
安いもんやと言われて、考え直したことがあります。
古いもんを直して使うのがええんや…という方がいて助かります。

SPYBOYSPYBOY 2016/08/26 22:49 植木屋さん?の良いお話をありがとうございました。
ボクが子供のときは確かに近所にこういう人が居ました。大工だか左官屋だかなんだから判らないんだけど、なんでも直してしまう人。そういう人がいたことを思いだしました。ああいう人は今はどこへいってしまったんでしょう。
今は人間関係の希薄さに加えて、モノ自体が変わってしまいました。金具だって部品だって、何時までもメーカーが残しておかないし(それでも10年くらいは持ってますが)、家電では修理という行為自体 『交換』に置き換わり、殆どなくなってしまいました。
今の人件費なら、明らかにそれが合理的ですが、これでいいのかとも考えてしまいます。日本人って分別とかは細かくやりますが、捨てるのは早い、車でも家でも交換サイクルは短いですよね。

cangaelcangael 2016/08/27 15:17 SPYBOYさん、コメントありがとうございます。
本当に、修理より、捨てて買い替えたほうが安いものが多いですね。愛着がわく…という間もなく。
車を買い替えるときに驚いたのが、分割で払い続けて、途中で下取りして新しいのに替えることを前提に・・・という売り方があるんです。なんだか車を所有しているというより借り続けている立場なんですね。借家と持ち家だと、家への愛着が全く違うということがありますが・・・モノとの関係も変化してますね。

2016-08-25

「シン・ゴジラ」と「64年五輪で石原氏転向?」と「五輪で『国威発揚』?」

09:01 | 「シン・ゴジラ」と「64年五輪で石原氏転向?」と「五輪で『国威発揚』?」を含むブックマーク 「シン・ゴジラ」と「64年五輪で石原氏転向?」と「五輪で『国威発揚』?」のブックマークコメント

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◎先週の土曜日、夫が木津川下りに折り畳み?カヤックを車に積んで出かけた日、私は、映画「シン・ゴジラ」を見ようと自転車で映画館へ。3・11以後の日本の政治を描いたという前評判の高いゴジラ映画。確かに、これは大人向けの政治映画です。東京は3・11の地震津波の後に、福島原発事故が重なったような無残なことに。自衛隊は本来こういう時のためにあるというような・・・。子供連れのお父さんが上映間際に入ってこられましたが、退屈?だったのか、終わると、一人はぐっすり寝込んで・・・。子供向け映画じゃないって…。

ゴジラの登場場面は全体のごく一部、大部分は東京の街の凄まじい破壊場面です。9・11の際限なき再現かとばかり次々と高層ビルがビームで真っ二つに。後半は、ゴジラ自身が、コンクリート攻めにあって石棺化? 

今の日米の政治状況をなぞり乍ら新たな展開にというのはわかるんですが、大掛かりな仕掛けが、どうも楽しめなくって。また、楽しめない自分に、童心を失ったか…とそちらも気になるし…と、私にはチョット・・・でした。

巨大に進化するゴジラの3段階目が可愛すぎて…と思っていたら、内田氏のツィート欄にイラストが。浮世絵北斎の波間にゴジラ登場、これはいい!!

あの目が可愛い(映画ではガラス玉みたいに見えるのがチョッと??)ゴジラのイラストから、実際に張り子のゴジラにしてしまう人も! こちらの方に感心してしまいました。

内田樹さんがリツイート

ヘイヘイ(自宅) ‏@hey2m · 8月22日

こういうのはいいんよ

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内田樹さんがリツイート

▼ シン・しゃく ‏@EFR390 · 8月15日

蒲田君 #平和なシン・ゴジラ

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▼ SOL ‏@mokeidaisukisol · 8月20日

@sis_sis @EFR390 と、いうわけでかわいいイラストの蒲田君(赤べこ仕様)を勝手に作っちゃって完成しました♪

(*^^*)

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◎23日(火)のNHKスペシャル内村航平萩野公介 金メダルの舞台裏」の内村さんは、圧巻でした。才能と努力の行き着く果てに到達する境地というのはこういうことか…と思いました。オリンピックとはこういうアスリート個人が集うスポーツの祭典ですね。

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ところで、リオ五輪の閉会式で安倍首相登場!? スポーツと政治? 「五輪憲章にはこうあります。『オリンピック・エリアにおいては、いかなる種類のデモンストレーションも、いかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない』」と内田氏のツィート。

(➡相変わらず辛辣な日刊ゲンダイと↓この記事を紹介したツィート)

KK ‎@Trapelus

へそが茶を沸かす安倍首相任期延長論 2020年までやる気なのか 景気は上向かず、改憲の野望も頓挫し、TPPも批准できず、待ち構えているアベノミクス逆噴射に口先首相はどう対応? コスプレで浮かれている場合か(日刊ゲンダイ

2016年8月23日 16:21

内田樹さんがリツイート

Hyo Yoshikawa ‏@HyoYoshikawa · 23時間23時間前

マリオになって出てくるのが安倍総理ではなく往年のスポーツ選手だったら印象は全く違ったはずBBC始め世界が驚いているのはこの臆面のなさ。権力と文化の間に矜持がないのがこの国だハリウッドがオバマに役割を与えオバマが引き受けたりするだろうか両者の拮抗の概念すらない。一事が万事。

リテラの記事:「日本の恥! リオ五輪閉会式で安倍首相がアスリートをさしおいて政治宣伝…背後に官邸と組織委のグロテスクな思惑」(http://lite-ra.com/2016/08/post-2515.html

内田樹さんがリツイート

辻田 真佐憲 ‏@reichsneet · 15時間15時間前

リオ五輪閉幕を受けて寄稿。1964年東京五輪。冷淡だった文化人たちが、いかに「転向」したかというテーマです。 /「オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか」 ジセダイ総研 #ジセダイ http://ji-sedai.jp/series/research/063.html

石原慎太郎民族意識にめざめる


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 ところが、石原はすぐに変化を起こす。思っていたより日本人選手が活躍しない。他国の国旗ばかり見せられ、他国の国歌ばかり聴かされる。それに石原は苛立ちはじめるのだ


 同月16日の「読売新聞」に石原はこう書く。「どたん場にくれば平素の実力以上のものを出してしまう外国選手と、実力までも出し切れずに敗れ去る日本選手。われわれに欠けているものはなになのか」


 これに対し、石原はややためらいがちにこう答えを出す。

「解説者は、彼らが胸の内にしまい、その背に無形に背負っているものの違い、国家民族への意識だと説いていたが、あるいはそうなのかもしれない」


 つまり石原は、日本の選手が弱いのは、国家や民族に対する意識が弱いからだというのである。そしてそこから石原の筆は、現代の政治問題に及ぶ。


この[戦後]復興にそって、日本という国家に対し、国民に戦前戦中とは違ってさらに新しい共同体への意識をいだかしめる、新しい国家の理念自家発酵さすべく努力すべきだったのは政治である。政治、政治家はこの責めを怠った


文学者たちの「転向」は他人ごとではない


 こう考えると、文学者たちの「転向」は他人ごとではない。2020年には東京で再びオリンピックが開かれる。目の前で「感動的」なできごとが起こるとき、われわれは果たして冷静でいられるだろうか。


 つい先日閉幕したリオ五輪にしてもそうだ。リオ五輪ははじめこそ盛り上がりに欠いた。ただ、日本人が次々にメダルを獲得することで空気は変化していった。そして閉幕式で公開された2020年東京大会の「ショー」で、その好意的なムードは頂点に達した。


「ショー」には、スポーツ選手だけではなく、キャプテン翼パックマンドラえもんハローキティといった日本の人気キャラクターまで登場し、安倍晋三首相スーパーマリオに扮するシーンまである。


「マンガ・アニメ・ゲームに政治を持ち込んだ」といえなくもない事例だが、現在のところ、それほどの批判はでていないようである。むしろスポーツに冷淡なひとびとにも評価され、成果は上々だったとさえいえる。人気キャラクターの動員は、みごとに成功したのだ。

(★全文はコチラで: http://ji-sedai.jp/series/research/063.html

フジヤマガイチ ‏@gaitifujiyama · 12時間12時間前

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フジヤマガイチさんがnhk_kaisetsuをリツイートしました

五輪のメリットとして、ここでも堂々と国威発揚と書いている。刈屋富士雄は解説委員らしいが、まず自分で五輪憲章を読み直せよ。話はそれからだ。こんなのが解説委員とか言ってて、NHKはホントに大丈夫なのかいな

8月22日放送の時論公論リオ五輪から東京2020へ」(刈屋富士雄解説委員)の解説記事をアップしました。http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/251068.html … #nhk_kaisetsu

(↑5つのメリットの写真は時事公論ではなくて、NHKの朝の番組のものです)

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NHK刈谷氏の解説は「東京は、オリンピックを招致する際、大震災からの復興した姿と平和、そして人類の未来を見せると約束しましたオリンピックを開催することの意味を国内外に発信し、オリンピックの未来の形を示せるか。東京は、東京の未来と同時に、オリンピックの未来という大きな荷物を背負いました。」という言葉で結ばれています。

刈谷氏自ら「国威発揚」こそ五輪のメリットと解説したわけではなく、リオから東京の課題を考えるうえで、じゃ、「開催国のメリットは何か?」で、「1984年商業主義を導入したロサンゼルス大会以降言われてきた主なメリットは次の5点です」と紹介したトップが「国威発揚」でした。リオの場合はこの「開催国のメリット」すらどれも当てはまらない、だからオリンピックは「曲がり角」だと指摘しています。刈谷氏自身はオリンピック開催の目的は「オリンピック精神の普及」ですとも。

ところで「時事公論」の指摘に反して、森さん、小池都知事安倍首相の考える東京五輪は、20年以上も前の《開催国の5つのメリット》を目指しているようですね。国税をつぎ込むからには…という思いもあるのでしょうが、政治家のトップが率先して売り込んでアピールしてというのは、日本の安倍首相が突出していますね。招致の時のあの「アンダーコントロール演説から始まっていますから。政治利用(と誤解?されるようなこと)は避けて遠慮するのが常識ですが…安倍政権メディアは徹底利用して、あわよくばコントロール下に、ですから・・・。

内田樹さんがリツイート

yuuki ‏@yuukim · 13時間13時間前

知ってた。 / オリンピック最大の敗者は開催都市|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/post-5696.php

オリンピック開催都市には新たな投資や観光客がやってきて、長期的に経済を活性化するというのは、IOCの宣伝文句であって事実ではない。現実はむしろその逆だ>

(真夏の太陽にサンルームにある2つのランプシェードが透けています。ラクダの胃袋と聞いていましたが、本当かどうか。)

SPYBOYSPYBOY 2016/08/25 20:13 ゴジラご覧になりましたか。仰るように政治映画ですね。実際に小池百合子や枝野にヒアリングしたそうですし。あのセリフの洪水は子供には絶対わからないですよね。
ボクは面白かったところとシラケるところがあったんですが、怪獣大戦争(宇宙大戦争かな?)の音楽が鳴り響く電車攻撃(笑)のシーン、あそこだけは童心に帰ってマジで萌えました(笑)。

empirestateempirestate 2016/08/25 21:39 アスリート自身はオリンピックのために頑張っている、というのはわかりますが、それが政治利用されるというのは残念ですね。ドラえもんやハローキティもそうですが。

cangaelcangael 2016/08/25 21:43 SPYBOYさん、コメントありがとうございます。
ブログに大いに影響されて出かけたのですが、あれは、男の子の映画かな…とか思いましたよ。そういえば、登場人物、女性は目立ったところで2人だけでした?ね。
そう、そう、伊福部氏の音楽を使ったり、音楽はとてもよかったですね、そして、あのシーン。あそこは私もビックリしました。無人の新幹線と在来線をぶつける作戦、なるほど武器?戦闘機?になる!!でした。そういえば普段から、弾丸列車に乗ってるんですね〜。

cangaelcangael 2016/08/25 21:47 empirestateさん、コメントありがとうございます。
そうですね、一生懸命頑張れば頑張るほど、利用価値も上がるわけですね。
日本文化の新しいマスコットがたくさん出ていましたね。
やはり、政治の側の人間がケジメをつけないと、後味がよくないですね。

A0153A0153 2016/08/26 20:36 今回のオリンピックの日本の成績は、良かったと言う感じで多くの人はとらえていると思ってたんですが、そう思ってない人もいるのですねえ。成績が良かった悪かったと言うのもいろんな観点があると思うんです。身近にいる人にどうして日本が強くなったのかと問われて、私は、日本国を背負ってという意識が薄れ、自分の最高技術を出すと言うことが中心になったからじゃないかなと思いました。私の比較対象は、マラソンの円谷や柔道のヘーシンクに敗れた選手(名前が出てこない)の時代ですので。選手が「試合を楽しむ」と言うことが多く聞こえて、あのころに比較して良くなったなあと思っていました。オリンピックの成功とはなにか、を真剣に考える必要がありますね。メリットのみでなくデメリットも並べて、成功を考える必要があると思います。5つのメリット追求のあまりが膨大な借金を残したり不要な施設を残したりではメリットも消えてしまう。国威とは何か、もはっきりさせる必要がありますね。

cangaelcangael 2016/08/26 20:57 AO153さん、コメントありがとうございます。
私たち世代になると、本当に、日本国を背負って重圧に押しつぶされたり、気負ったり、ということが見えない今の選手たちが幸せそうに見えていいですね。これから4年、変な方向にもっていかないでほしいですね。そのためには、オリンピックとは…から考えることも必要ですね。開催国のメリットも、あのロサンゼルス以来の「5つのメリット」は到底得られないそうですし・・・五輪「旗」を異様にありがたがるのもオカシイし・・・

2016-08-24

ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」 2016.08.13

08:48 | ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」 2016.08.13 を含むブックマーク ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」 2016.08.13 のブックマークコメント

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◎8月13日、お盆前の土曜日に放送されたNHKEテレ)の「加藤周一 その青春と戦争」、メモとして残しておきたいと思いながら、なかなかまとまりません。そのうち、放送内容全文を書き起こしされているブログを見つけました。見逃した方はぜひそちらを。

◆全文書き起こしブログhttp://o.x0.com/m/324867

私は、最後の部分、”サバイバル(生き残り)コンプレックス”を抱いた加藤周一氏が、戦病死した親友を『裏切』ることはできないと、「憲法九条の会」の立ち上げに参加、親交のあった樋口陽一氏がその憲法9条の意義を語る言葉:「逆に西洋にまだなくて、ひょっとして日本がこれからつくりうるかもしれないもの」という見方が、この「青春(戦争)ノート」という加藤氏の思索の原点の行き着く先を示しているようで、とても心に残ります。(写真は全て録画画面をカメラで撮ったもの)

加藤周一 その青春と戦争」NHK(Eテレ)

本放送 2016年8月13日(土)午後11時00分〜午前0時00分


戦後日本を代表する評論家・加藤周一の「青春ノート」が公開された。詩や評論、翻訳など新発見のノートは8冊。日中戦争から太平洋戦争の時代、若き加藤は社会の中で孤独を感じ、戦争協力に雪崩をうつ知識人批判のまなざしを向けていた。立命館大学の学生たちがノートを読み解き、今の時代を考える。さらに作家の大江健三郎池澤夏樹詩人の山崎剛太郎、憲法学者樋口陽一ら加藤ゆかりの人々の証言で、その思想の原点を考える

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◎書き起こしブログから、私なりにピックアップしてダイジェスト版です:(立命館大の学生たちや日記に書き記された詩や池澤夏樹氏の言葉など省略するに惜しい部分もたくさんありますので、全文書き起こしがおすすめです)

◇2016年1月3日、 かつて加藤周一が教鞭を執った立命館大学。 今年4月新たに加藤周一文庫が開設されました。遺族から2万冊の蔵書の他に1万ページに上る手稿などが寄贈されました。 文学から芸術政治に至るまで幅広い評論活動で戦後民主主義を牽引した加藤周一。 その著作は200点を超えます。

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加藤は8年前にこの世を去りました。 元編集者の鷲巣力さんは40年にわたって加藤と交流がありました。 加藤の死後誰も知らなかった記録が見つかりました。 加藤が亡くなって3年後に見つかったお菓子の缶。その中に残された8冊の大学ノート旧制高校から大学時代(17歳から22歳)にかけて書かれたものです。 揺れ動く若き加藤の心の記録。

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(鷲巣)「それはびっくりしましたよね。 まさかこんなものが出てくるという事は」「私は学生時代に書いたものがあるっていう事は聞いてなかったし。 でも大事に取ってあったんですよね。」

残された加藤周一の8冊の「青春ノート」をもとに若者たちが戦争の時代を見つめていきます。

ノートが書き始められたのは、1937年。この年の7月勃発したのが日中戦争でした。 以後日本は8年にわたる戦争の時代に突入します。 このころ加藤は17歳。 旧制第一高等学校の2年生でした。 開業医を営む父のもと東京渋谷で育ちました。

1940年パリ陥落。加藤がフランスに思いをはせている頃日本はドイツイタリア日独伊三国同盟を結びました。 加藤がこのころノートに翻訳していたのが小説「チボー家の人々」。 第一次世界大戦に向かうフランス社会を描いた大河小説です。 加藤は「チボー家の人々」を翻訳しながら迫り来る戦争を予感していました。

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「私は1914年戦争を舞台とするある長編小説を読みながらしきりに現代を想い歴史は繰りかえすの感を深くした」。 「1940年はいかに1914年に似ていることか!現代は何度絶望したら許されるのか!と。 1914年以降20世紀は廃墟の上に絶望と痛恨との日々を送った」。

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◇ノートには創作活動を共にした詩人の名前が書かれていました。

山崎剛太郎」。

加藤とは高校時代から死の直前まで交流を続けました。山崎氏が語ります。「はっきり言って戦争は嫌だなっていう事を言っててね。戦争というのはね国と国の戦争でね、その国の一番偉い人…そのお互いをね憎み合って戦争すると。しかし駆り出される人間っていうのは、お互いに何も知らないで戦う。 そういう不幸がある。 それがいわゆる戦争というものの特徴である、というような考え方を持っていたね。」

◎開戦のその日の日記もあります:

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◇その日。 加藤はいつものように東大医学部に向かっていました。 「大本営陸海軍部発表」。「12月8日帝国陸海軍は本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」。 太平洋戦争開戦の日1941年12月8日。加藤がまず記していたのは2行のフランス語でした。

Einfinlaguerre.Dclarationdelaguerre.(宣戦布告)」。 「Quiafait?(誰がしたんだ?)」「pourquoi?(何のために?)」

「K君が朝大学の裏門を潜った所で無造作に話しかける。 『とうとうやったね』」。

T教授が授業のあとで手術台に手をかけながら『医学生の覚悟』を促す」。 「『始まりましたねこういう緊張した所で勉強するのも男子の本懐ですかな』」。 「皆がそれを話題にする。」

「 街にはラジオの前に人が集まってニュースをきいている。 ちょうど相撲の放送をきく人の群れのように。 しかしそれよりも落ち着いた静かさで。 最も静かなものは空である。 今日冬の空は青く冷たく澄んでいる。 水のように静かに。 ヴェルレーヌの聖なる静寂を想わせる」。

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太平洋戦争開戦と同時に日本軍東南アジア各地に侵攻。1942年2月、シンガポール陥落の頃の日記。

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◇「2月18日の日記」「シンガポール陥落の祝賀式を『全国一斉に』やれというおかみの布告である。 大学は授業を休んだ」。

加藤が注目していた一人が作家横光利一でした。 当時新感覚派の旗手だった横光は若者たちに絶大な人気を誇っていました。 アジアの作家たちに日本の戦争理念を訴える大東亜文学者大会。その主要メンバーの一人が横光でした。 こうした横光の姿に加藤の不信は深まっていきます。 言葉を持っているからその言葉を使ってみんなの高揚感をあおる。 戦争に雪崩を打っていく知識人。加藤のまなざしは学生へも向けられていきます。

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注目したのが懸賞論文時局下に於ける学生」。 入選作を読んだ加藤は時局に迎合する若者を痛烈に批判します:

『学生と時局』という目下流行の問題に関連して。これら若干の学生の一番馬鹿な所は与えられた課題に答案をこしらえる練習ばかりしていて課題を自ら発明する能力のない所に存する。 マルキシズムの次にはヒューマニズムヒューマニズムの次にはファシズムといった塩梅にやってきたものを何でも構わず一応考えまもなく納得したか納得したふりをしてきたのである」。 

◇やがて戦局は悪化日本各地が空襲にさらされるようになります。 加藤を育んだ東京の街も灰燼に帰しました。加藤のノートは開戦の翌年1942年で終わっています1943年学徒出陣が始まります。 二十歳になった文科系の学生は軍に召集されていきます。

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加藤は東大医学部の研究室に勤務していましたが東京大空襲のあと長野県上田に疎開しました。そのころ加藤の親友・中西哲吉がフィリピンで戦っていました。2人は高校時代から校内の雑誌や新聞に詩や評論を共に寄稿してきました。

◇(鷲巣)「 中西哲吉というのはむしろ加藤さん以上に戦争に反対であるという事を学生の時から表明していた人で校友会雑誌とか向陵時報によく書いてた人なんですけれども中西哲吉が書くと大学当局はそれだけでにらむというような人だったようなんですね。 彼の書くものというのは加藤さんと全く同じで戯曲もあれば小説もあるし詩もあるし評論もあるしそして古典文学に関心が非常に深い。」「恐らく加藤さんは当時としては一番親近感を抱いていたのが中西哲吉だと思うんですね。」 しかし中西はフィリピンの戦場で戦病死を遂げました。

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加藤が中西について語った最晩年のインタビューが残されています。

(加藤)「どうして私じゃなくて彼なのかと。 サバイバルコンプレックスですよ。生き残りコンプレックス。 それが私にもちょっとあるのかもしれない。 つまり彼だったらやるかもしれないというような事を全然やらないでいるっていう事の一種の…何ていうかね後ろめたさっていうか…があると思うんですよね。ほとんど怒りに近い感情で反戦的気分にあおられる」。

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◇ 「玉音放送」。その2か月後加藤は広島で戦争の惨禍を目の当たりにし衝撃を受けた事を後に回想しています。

原子爆弾影響日米合同調査団に東大医学部の一員として加わっていました。

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広島には一本の緑の樹さえもなかった。 人の住むことのできる家は一軒もなくしかしその焼け野原には影のようにいつも誰かがさまよっていた」。「1945年8月6日の朝までそこには広島市があり何万もの家庭があって身のまわりの小さなよろこびや悲しみや後悔や希望があったのだ」。

◇ なぜ日本は悲惨な戦争へと向かったのか。加藤は医師の傍ら次々に評論を発表していきます。

軍国主義が亡びるや言うべくして言えなかったことを言おうという人々は東京の焼け跡のいたるところに現れ類をもって集まろうとしていた。」

「そのときはじめて私は時代の機運のなかにいる自分を感じた」。

◇ 敗戦直後加藤が書いた最初の論文が「天皇制を論ず−問題は天皇ではなくて天皇制でした。

作家大江健三郎さんは加藤周一文庫開設を記念した講演会でこの論文を取り上げました。

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(大江)「『天皇制を論ず』という短い文章にですね天皇制はなぜやめなければならないかを書いています。 これを…加藤さんが言ってる事はですねこの天皇制太平洋戦争というものを導いて日本人にああいう苦しみを与えたと。 悲惨を与えたと。 そういう経験があってやっと憲法を作り替える。 天皇は日本の日本人のシンボルなんだと。 大きい権力でも何でもない。 いわんや大きい暴力である事はありえないという事を私たちは憲法に書いたそしてそれを今も持ち続けてるって事がどんなに大切な事かと。」

…その後加藤は文筆活動の傍らカナダ西ドイツアメリカそして中国の大学などで教鞭を執り続けました。 代表作「日本文学史序説」で文学を通して日本人の思想・精神を明らかにし一方で政治や社会問題に積極的に発言。 戦後の言論を牽引しました。

享年89。

死を前にした加藤がつづったメモが残されていました。

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「私は戦争で二人の親友を失った。 もし彼らが生きていたら決して日本が再び戦争への道を歩み出すのを黙って見てはいないだろう。南の海で死んだ私の親友は日本が再び戦争をしないことを願ったに違いない。 憲法九条にはその願いが込められている。私は親友を裏切りたくない」。

太平洋戦争で亡くなった日本人は310万人

加藤と同じ世代の多くの若者が命を落としました。

再びこの歴史を繰り返してはならない。

晩年の加藤が「九条の会」の呼びかけ人となったのもこうした思いからでした

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樋口陽一氏)「冷静に自国の事であればあるだけ冷静に批判的に見ていかなくちゃいけないというのが加藤さんの時代批評の基本ですね。

それと同時に、加藤さんにとって西洋にあって日本にまだ十分にないもの、いわば、逆に西洋にまだなくて、ひょっとして日本がこれからつくりうるかもしれないもの.という見方も忘れてはいません。忘れてはいないというか非常に重要なものとして提示していますね。

それが日本国憲法で言えば第九条ですそれは現在世界中を暴力の連鎖が覆い尽くそうというところにまで来ています。 その中で戦後日本がつくり出しかけているものつくり出しつつあるものそれを大事にしていこうじゃないかと。」

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戦争の時代加藤周一がしたためた8冊の「青春ノート」。

70年後の今若者たちは加藤の言葉から何を受け取ったのでしょうか。

「やはり僕も今の現在社会で生きていく中で加藤さんのように少しでも自分が疑問に思ったり違和感を持ったりしたら……という事を大切にしたいと思います。」

「 文化に対して差別感がなくて差別なく全部受け入れてしかもその魅力をみんなに…伝わるというか。 そういうところは私にとってはすごく勉強になったというか。 自分もこれからこういう視点を持って生きていこうかなと思います。」

「 要するにナショナリズム的なものが入ってこなくて文化は国境がないというとこがすごく魅力を感じたところだと思います」。

「 加藤さんが人間の絶望的弱さを信じているけど人間の弱さに絶望はしないっていう事を書かれていて…。

歴史は繰り返すのは人の弱さかもしれないけどもしそれを何か乗り越えるものがあるとしたら人の力だと思っていて。

それをより…その力をより発揮するための手段が人をつなぐ事だと思います。

自分自身人の弱さを認めながら人の力を信じて人と人をつなぐそういう生き方をしていけたらいいかなと思います」。

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「(戦争)大事件は何時も前ぶれなしに突然平和な何ごとも予期していない社会を混乱の中に投げこむ。

それまでは時は何時もながら静かに戦争の前の日も空の美しく晴れ子供たちのたわむれている街の上を流れ去る」。

(「チボー家の人々」より)


ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」