色づく稲穂とワレモコウ(吾亦紅)色


一週間ぶりの田んぼ。稲穂が少し黄色く色づき始めています。
そして実るほど頭が垂れる稲穂ですので、これからもっと項(うな)垂れることになるでしょう。
金曜日、8月いっぱい娘さんとお孫さんを預かって毎日奮闘?されていたUさんをお茶にお誘いしました。ついでに、これまた久しぶりのOさんも。そして少し遅れてゴボウ茶のSさんも。
久しぶりのお二人にはイタリア旅行のアルバムから。Uさんは海外旅行の大先輩。ご夫婦で年に2,3回という年もあったような。そしてきちんとアルバムに整理されていて記憶されていますので、私たちの2回の旅行はこのUさんからヒントを得ました。
ところで、Oさんには午前中の出先からメールでお誘いしたので、お昼は二人でカレーを食べました。急だったもので、朝、生協さんで届いた”レストランのカレー”という真空パックの非常食用カレーに、イアリア旅行のパートナーだったFさんが畑で作った元気な玉ねぎを送って頂いていたので、それをバター炒めして加えました。これで「お袋」の味が少しはマシになるでしょう。
そこで、二人で原発の話になりました。Oさんは私のブログは読んでいないので、ノートパソコンで、ちょうど「おおま」さんのコメントが届いた日だったので、紹介することに。Oさんは「私はゼロは無理だと思う」と。「どうして? 安全保障の面で?」と聞くと「周りが使っているのに日本だけが止めると・・・それより中国の事故の方が怖いし、経済もやっていけない」と初めて聞く意見でした。
色々話しているうちにOさんの問題の一番は、人間が物欲で動くのは仕方がないという言い方でしたので、物欲、物、金で事を進めて挙句の果てがフクシマだったんじゃない? それではダメだと気が付かなきゃだめだし、気が付けば変わらなきゃダメじゃないと私。Oさんは熱心な仏教徒です。宗教の話は私たちの間ではタブーだと思っておられて極力宗教の話はされません。電気が足りない、原発を止めれば電気代が上がるを信じ切っておられたので、関電の話をしました。企業が生き残るためだけに原発を動かしているんだったらそれはいつか知れ渡る・・・と仰るので、もう皆わかってることよ・・・と私。
金曜デモのルポのSPYBOYさんのブログを見せて、ホラ、毎週こうやって東京で、大阪の関電前でもやってるよ。ホラ、ドイツの日本人も心配してるし、こうやって、「ベルリンの壁ライプツィヒの月曜デモから・・・」とエールを送ってくれているし・・・と。何でか鈴木邦夫さんの話になってマガジン9条の鈴木さんのコーナーを見たりもしました。
私もいつもだったら黙って、反論したり説得したりはしないのですが、今日はたまたま二人きりだったし、余りに無邪気に新聞報道を信じ切ったことをオウム返しに言われるのでついつい・・・「新聞(Oさんは日経)とテレビだけではダメよ。今は情報は自分で探さないと」と年下の一人暮らしの彼女に言ってしまっていました。その夜、お礼のメールが入っていて、「またいっぱいお喋りしましょうね」と書いてありましたので、私も「今日は楽しかったですね! おやすみ〜」と返事しました。
さて、ワレモコウです。
先日、玄関の花瓶にツユクサを活けていたら、母が庭の西側の隅にワレモコウがあるから、赤くなっているのを何本か足して活けたらと言ってくれました。
母が大事に育てているワレモコウですが、秋の七草の一つ。
七草と言えば、夫の母が好きだったからと何年も前にキキョウ(桔梗)を植えたのですが今年は花が咲いていません。(上の右のキキョウはプールへの途中の住宅街の中で)
アサギマダラが好きなフジバカマ(藤袴)はまだツボミです。
金曜日の讀賣夕刊の「みちくさ植物」というコラムの「ワレモコウ 何色なのか」(文 藤田雅矢・作家、育種家)からです:

  吾亦紅(われもこう) 吾(われ)も亦(また) 紅(くれない)なりとひそやかに


 と詠んだのは、高浜虚子である。ワレモコウの花色について詠んだ俳句だ。赤黒くて紫でもこげ茶でもないこの微妙な中間色の花色は、暗赤色とでも呼べばよいのだろうか。ほかに近い色としては、紫鳶(むらさきとび)や、減紫(けし紫)という日本の伝統色もある。減紫は、平安時蔡中期に編纂された「延喜式」にも登場する古くからの格調高い色である。
 また、桑の実を示した桑の実色という表現もあるようだから、そのまま吾亦紅(われもこう)色と呼ぶのが、一番自然かも知れない。


 さて、このワレモコウ、実はバラ科の植物である。小さな花が集まった楕円形の穂状の花をつけているが、花びらがないため、とてもバラの仲間とは思えない姿をしている。


 こんな花の色と形が、日本人のわびさびの心をくすぐるのだろう。茶花としては人気が高く、生花の材料としても流通している。 

「るりとうわた」さんの6日のブログでもワレモコウの花を取り上げ、コメント欄でこの虚子の句を挙げておられます。