彼岸花咲いて・・・


18日の月曜は敬老の日の祭日。母は俳句の日。朝、一緒にコーヒーを飲みながら、「タクシーで行ってもいいんだけど…」と母が。
夫がイタリアの山の旅から帰国して3週間近く。高熱が出て、手がはれ上がり、手足の節々が痛み始めて、近くの外科医で血液検査の結果、リウマチと診断されてから10日が経ちました。朝は関節のこわばりと微熱があるものの、徐々に動きが滑らかになり、午後からは楽になるという生活が続いています。初めてリウマチと聞いたときは、本人より私の方がショックを受けました。あの時、旅行に出かけるのを止めていれば良かったと思ったり、隣の年老いた両親のことも、夫を頼りにしていたので心細くなったりしました。

今回も、母の生来の前向きなのには驚きました。夫に向かって「行く前に判っていればイタリアに行けなかったのに、帰ってからでよかったね」と言って「若いから大丈夫、治る治る」と励ましてくれています。夫も後悔している様子はなく「落ち込んでないし、必ず治るから」と言っていますので、私も、そう思うことにしました。一週間ほど前の、まだ大変な頃、午前中は手が肩まで上がらず、歩く様子を見て、どこかで見た…そう、そう、スターウォーズの金ぴかロボット(C-3POでした)に似ているなんて思ったり。可哀そうにと思う一方で、これですから、私ってヒドイと思ったり。
朝のこわばりが解ける?と車の運転もできます。それで、母が遠慮がちに、千里まで車で行けるか尋ねたというわけです。12時5分に、私も助手席に乗って母を千里まで送って行きました。帰って、昼食を済ませてから、台風一過の昨日の午後、坊の島のヒガンバナを見に出かけました。


さて、坊の島の田んぼです。もうすぐお彼岸ですが、頭を垂れた稲穂に真っ赤なヒガンバナが見えてきました。しばらく見ていなかったのですが、もう9月も半ば過ぎ、一月もしないうちに稲刈りです。そして、名前の通り、お彼岸ごろに満開になる彼岸花の曼殊沙華。
白い彼岸花は、坊の島受水場入り口の北側の柵沿いに置いてある鉢植えの花です。そこから暫く歩くと、住宅街のはずれ。受水場の東裏に見える田んぼは、南北を家に挟まれて、東に遠くの田んぼまで見通せるユニークな場所なんですが、奥の田んぼの一面が埋められていますので、来年はこの景色は無くなると写真に収めることに。


道なりに竹下橋を目指していくと、稲の海の中に赤い花が浮いて見えます。
咲いてる、咲いてる!!
畦道を歩くと、姿の見えなかったカエルが
ピョンピョン跳ねて道を開けてくれます。
鍋田川は、昨日の台風の雨で音を立てて流れています。
川の中に黄色いの夏の花が咲いています。
三本糸杉を越えてから用水を北側に渡り、
ヒガンバナを求めて歩きました。


前回、女郎花(オミナエシ)が咲いていた一画、黄色い群落が見えます。
我が家の女郎花もまだ咲き続けています。
近くまで行くと、コスモスやケイトウが咲き乱れていました。
元の道に戻り、道なりに辿ると、前方のヒガンバナの上に黒いアゲハ蝶が舞っています。
写真映えはするのですが、なかなかじっとしてくれないので、撮りにくい。
何とか、二三回シャッターを押して諦めました。

さて、バス道に近いところで、用水路をもう一度、今度は南に渡って戻ることに。
真直ぐに畦道を下ると住宅街に出る両側が、かつてはヒガンバナの写真スポットでした。
写真を趣味にしていた父のお気に入りの場所でもありましたが、今は出口の西側は埋め立てられ、その西側も囲いがめぐらされて、整地用の機械が入っていました。
三本糸杉より南側の住宅に接した側の田んぼはもう無くなりそうです。
いつかはこんな日がやってくると思っていましたが、
美しく懐かしい田園風景が消えていくのは、
寂しい限りです。

帰ると、玄関に鍵が掛かっていました。夫も調子が良くなって、初めて竜安寺まで行ってきたそうです。片道2キロを一時間かかったとか。父を呼んでお茶をしているときに帰ってきました。
俳句から帰った母も、そう、だんだん良くなるわ、と喜んでくれました。
焦らず、症状に合う良い薬が見つかって治ってくれるといいのですが・・・母の俳句、2句、並べてみます:


  行きずりの 風のやさしさ 竹の春


  思い出も ときには重荷 秋高し