パスタでランチと夜間中学校


先々週の日曜日、台風の後の滝道の様子を見に行った夫が、同じように様子を見に来た駅向こうの従弟とバッタリ。二人ともビックリだったようです。それから、二人で最近の身の上話をしたそうです。従弟の方は、奥さんの田舎の一人暮らしだったお母さんが亡くなられ、同時に名古屋の娘の子供が入院することになって、大阪と石川と名古屋を車で走り回ったとか。

翌日、聞いたからには放っておけないからと香典を入れた封筒をついでの時にポストへ入れてほしいと母が持ってきました。それを聞いた夫が、僕が届けに行ってあげるからと切手の貼ってある封筒を持って散歩を兼ねて出かけました。するとしばらくして電話、いつの土曜日がよいか?と。午後から出勤の従弟も家にいて、夫がイタリア土産の乾燥ボルチーニ茸を使ったパスタを御馳走すると従弟夫婦を招く日の都合を聞く電話でした。
その日が、先週18日の土曜日でした。12時少し前に従弟夫婦がやってきました。2年前の夜間中学初出勤の日に我が家に寄って話を聞いてから2年。もう3年目だそうです。それまでの2年間で家族の間で生死にかかわる大きな出来事があって、駆けずり回っていた話を詳しく聞いたり、奥さんの実家の話を初めて聞いたり、二人のなれそめを初めて聞いたり。叔母さんが幼いころに小児麻痺にかかり左上腕が不自由になった次男坊の従弟の結婚をとても心配していましたが、二人の話では、意識したのは僕は中学1年生から、私は3年生になってから、とかで大笑いでした。

夫の”ボルチーニ茸と生クリームのパスタ”の出来栄えを肴に話が盛り上がりました。
干しシイタケみたいな乾燥ボルチーニ茸の袋入りを8月のイタリア旅行で手に入れてきました。輸入物より質もよいし値段も格安だったそう。戻して使った茸の香りがとても良いスッキリした味の美味しいパスタに出来上がっていました。
帰国後のリウマチ発症の話を聞いていた従弟が味をかみしめるように「命がけのキノコやな〜].(写真は余裕がなくて、テキスト本の写真から)



私は、生協さんから届いた今月号の「ステーション」誌に載っていた、丸ごと白菜と豚のバラ肉のスープ煮と、柿とリンゴのサラダに自家製マヨネーズ入りのドレッシングを準備しました。
楕円形のお鍋は、箕面の和光電気が店じまいするときに形に惚れて買い求めたもの。なかなか出番がなかったのですが、ピッタリのお料理を見つけました。パスタの邪魔にならない薄味で、丁度良いメニューなので、母との朝のコーヒータイムが終わるとすぐ準備にかかりました。
金曜日には能勢のSさんのお任せ野菜が届き、その中に、きれいな白菜の2分の1サイズが入っていました。根元の真っ白な部分を生で口に入れても甘い上出来の白菜でした。半分の4分の1サイズにした白菜の葉の間に豚のバラ肉を挟んで、向かい合わせに鍋に押し込んで、 顆粒のコンソメスープの素を溶かした500ccの湯を注いで蓋をして弱火で煮込んでおきました。


さて、私が一番聞きたかった話をすることに。「加計問題で証言した元文科省事務次官の前川さん、今、福島で夜間中学校の先生なんだって」と話を振ってみましたら、びっくりするような話が飛び出してきました。夜間中学校の関係者が集まる会議というか集会というか研修会のようなものが、毎年交互に東京と大阪で開催されるそうです。今年は大阪であり、従弟は受付係り。一人の男性が、名簿に名前を・・・「前川 喜平」!と普通に書かれるのを見て、あの、前川さん!と驚いたそうです。本当に普通だったとか。(写真はこの日の報道特集から。授業を終えて金平キャスターの加計問題に関するインタビューを受ける前川氏)
「前川さん、奈良の出身で、前川さん自身は裕福だったらしい」「そう、前川さんは、いいとこの出で、逆に特別扱いされて、差別の存在に気付いた人らしいね」と、証言の後、ネットで知った前川さんについて私も。
そこで、一人の男性が話し出した。「たけしのアンビリバボー」という番組で取り上げられ話題になったという人だったそうです。「35年目のラブレター」の主、その人。小学校を出ていなくて、字の読み書きが出来なかったのを隠して結婚していた。いつバレるかと冷や冷やしていた。奥さんは「新聞、読んでたじゃないの」と言うけれど、読めるふりをしていただけ。読み書きができないことを打ち明ければ、蔑(さげす)まれるに違いないと思ったけれど、奥さんは「一緒にがんばろうね」と言ってくれたとか。夜間中学で字の読み書きを習って、初めて奥さんあての手紙を書いたというお話。テレビでは素敵な俳優さんが演じてくれて、とご本人は話していたが、周りの者はみな聞き入っていたし、僕は泣けた。前川さんも涙を拭いながら聞きこんでいたということでした。
「全国に公立の夜間中学は35校」「関西は多いのよね」「そう、18校、そのうち大阪が11校。」「やっぱり、在日の人たちが多かったから?」「だろうね。それに特徴的なのが、関東はボランティアというけど、大阪では、だれもボランティアとは言わない」。「そう〜」「当たり前やと思ってるから、ボランティアとは言わん」と。調べてみると、東京8、千葉1、神奈川6、愛知1、京都1、大阪11、兵庫3、奈良3、広島1となっています。福島にはまだ公立の夜間中学はなくて、自主的なものだそうです。大阪では公立で公務員、だから公立以外で夜間中学に取り組んでいる人たちの多い関東以北ではボランティアというんでしょうね。


最年長は80歳の在日の方から、今年は18歳のネパール人が二人、やっと平均年齢が50歳台を切って40歳台になったとか。台湾やベトナム、ペルーとか国籍も人種も様々。日本語を教えることから始めるけど、「かける」という言葉が難しい。「掛ける」、「駆ける」、「書ける」、「欠ける」、「賭ける」等々、漢字で書けばわかるけど、身振りを交えて説明が大変とか。
森友学園の話になって、従弟の勤める学校は豊中市の曽根。通勤は車、禁止で電車通勤とか。森友学園は、近くなので、奥さんと車で現地まで見に行ったそうです。「安倍晋三記念」とデカデカ書いてあったし、名誉校長の安倍昭恵という名前も書いてあったのに、問題になってからは消えていた、「絶対、金は渡してる」と言っていました。政治向きの話はしたことがなかったのに、北朝鮮の話から、最近の選挙の話まで、今の政府のやり方がおかしいとほとんど一致。大阪の教育は橋下(徹府知事)になってから無茶苦茶。高校は、学区制を無くして、府下全域から行きたい高校へ行けるようにしたので、もう大変。スライス状態とか。「どうしてそんなことになったの? 何が狙い?」と私。「結局、進学率を上げたいだけ。結果はダメだけど」とのこと。


さて、お茶の時間になり、隣の両親も呼んで、6人でコーヒーとケーキにしました。
母は従弟にとっては伯母さんに当たります。母にとっては甥っ子の従弟に、「いつまで勤められるの?」と聞いています。「あと2年。65歳まで。僕は数学なので、数学教師は少ないので、残ろうと思えば残れるかもしれないけど、先のことは考えていない」と答えていました。
両親の故郷も加賀市、夫も従弟夫婦も加賀市ですし、私は子供のころ、夏休みになると両親の実家に1か月ほど滞在して従弟たちと遊んでいましたし、結婚後も夫の実家で暮らしたこともありましたので、昔懐かしい半世紀以上も前のふるさと話に花が咲きました。
「今度はトマト味のパスタがいいね」と、次回も又ということにして、お開きになりました。