「震災7年〜少女が初めて見せた涙」(報道特集)


東日本大震災津波で両親と姉を失った少女。人前では涙を見せない一方、心の奥底では自分を責め続けていた。家族を失った悲しみをどう乗り越えるのか。7年間の成長の記録。」と書かれているのは、先週土曜日の報道特集で放送された海音(かのん)ちゃんという女の子のことです。大震災があったのは小学校一年生の時。それから報道特集のスタッフが海音ちゃんを追跡取材。
普通に7歳からの7年間を過ごしていても、乗り越えなければならない難しい反抗期や思春期はあるもの、それを家族を失った海音ちゃんはどんな風にして成長していったのか。子ども心に家族の死の重荷をどんなふうに背負い、閉ざした心をどんなふうに開放していったのか。それは、それは、哀しくも愛しい心の記録でした。いつものように背中で聞きながら、途中から見入ってしまった番組、慌てて写真を撮り続けたもので、抜けていますがメモ代わりに・・・

津波で家族を失った海音(かのん)ちゃん

両親と姉の三人を亡くした海音ちゃんは、息子家族と暮らす祖父母に引き取られました。
けなげな海音ちゃんは悲しみを見せることもなく、遺影に手を合わせることもありません。

陸前高田市で被災者を励まそうとボランティアがコンサートを開きました。
失った家族について一切触れることはありませんが、歌が好きでした。
2012年5月、大人たちに交じって歌う海音ちゃん。

海音ちゃんが閉じ込めた感情

叔父の沼倉辰也さんも「一切話さないのは、精神的なものだと言われた」と心配しています。


「人の前で泣いたのは、
姉の花瑚ちゃんが遺体で見つかった時だけです。」
「そこから人が変わっちゃいました、
”絶対、泣くもんか”に」
その後、両親の遺体が見つかっても
海音ちゃんが泣くことはなかった。
海音ちゃんは小学6年生になろうとしていた。
「こっちに来て、何センチ背が伸びた?」と祖母の隆子さん。
柱の記しを見て物差しを当てて「21.5〜22ぐらい」と海音ちゃん。
その頃、海音ちゃんは祖母にも口を利かなくなった。
祖父の廉さんも、「毎朝、着ていくもので喧嘩だ。出されたものは嫌だって」。
「ある日、『海音が殺したんでしょ。お祖母ちゃんも、そう思ってるんでしょ』って、言うんです」
「何言ってるか、私、ドキッとして…」「海音のために、みんな死んだって」。
あの日、海音ちゃんは下校途中だった。両親が車で学校に駆け付けたが、海音ちゃんが下校したと知り、姉の花瑚ちゃんも、その車に乗り、父、純さんも海音ちゃんを捜していたとみられている。
海音ちゃんが自分を責め続けていたことを隆子さんは知った。
「そういう風に思ってたの? 何も海音が殺したんじゃないから」

2016年2月、祖父、廉さん(75)が亡くなる。
あと一月ほどで海音ちゃんが小学校卒業という時に

自宅で息を引き取った。
5年近くを見守ってくれた祖父の死だったが・・・
卒業式の様子は叔父の辰也さんが撮影したビデオで見た。
(取材の)私たちの前で晴れの日にふさわしい表情を見せてはくれなかった。そっけなく卒業証書の筒を置いた。

震災7年初めて見せた涙


去年、中学2年生になった海音ちゃんに変化が現れた。
東北の子供たちを支援する団体の集まりで「手紙〜愛するあなたへ〜」を歌った。

♪私が生まれた日の日記には/あなたの優しい文字で/
♪「素直で可愛い子に育ってね」と/そんな私に今なれていますか?
♪お父さんお母さん/愛されたことは/いつも後から気づきます/ありがとう・・・(作詞・作曲:藤田麻衣子
客席で聞いていた辰也さんは「ここまでストレートに感情を表現する歌を選ぶことは…あれは、びっくりしますよ」「これはちょっと乗り越えた壁があって歌えたのかなって」。

2017年夏、東北の子供たちを支援する被災児童支援プロジェクトで、カナダに2週間ホームステイすることに。

不安もあったが大らかで温かいカナダの人たちは優しく迎えてくれた。
ある日、ホームステイ先の家族の前で、あの震災の話をする機会があった。
聞きながら、海音ちゃんが驚くほど、ずっと泣きっぱなしだったという。
「こっちもつられて泣いちゃう。」 つられて流れ出たという涙。

カナダからの帰国後、海音ちゃんは、ホームステイをした子どもたちの集まりで、こう言い切った。
「親がいないことがはずかしくて、伝えるのがイヤだったけど、震災のことを分かってもらえて」
震災のことを知ってもらえればいいなと思えた。
自分を解放するきっかけになった。
海音ちゃんの中から今抑え続けてきた感情が溢れます。

(そして、取材記者にも正面から向き合って話ができるようになれました)
「亡くなってから、本当に死んじゃったんだろうなみたいな、
お母さんは、学校に来て海音がいなくて、全部、自分のせいだと思う時期があって、
私のせいで、親が死んじゃったんだみたいなこと・・・
(向き合うことが怖くて)仏壇にも手をあわせることができなかった
愛されてたのに、お礼も言えなかった
お母さんにもらった思いを他の人に・・・」

スタジオで取材スタッフが話します:
カナダのホームステイ先の女性に話を聞くことができたのですが、
泣きながら話を聞いたあと、「自分を責めないで、生き残った意味を探して」と言ったそうです。

海音ちゃんも「お母さんが出来たようで嬉しかった」と泣きながら話したそうです。
サバイバーズギルト”という言葉があるそうです。生き残ったことをずっと責め続けるという意味なんですけど、同じような苦しみを抱えて続けるということがあるんでしょうね。

海音ちゃんの場合、本当に多くの人が、叔父の辰也さんや奥さんだったり、歌の先生、そして友達・・・・」
「今は、逆に、多くの人たちの励ましになっているんじゃないかと感じました」と膳場さん。