河野太郎が語る「核のごみの最終処分」(「通販生活」)

右に並べた見出しは表紙から続く本文記事「一日も早く原発国民投票」という記事のものです。
そして「落合恵子深呼吸対談」のゲストは自民党の国会議員で脱原発を掲げている河野太郎さん。

こうの・たろう//衆議院議員。1963年、神奈川県生まれ。大学卒業後、民間企業での勤務を経て96年10月。第41回衆院選挙に神奈川5区から出馬して当選。以降、現在まで5期連続当選。法務副大臣総務大臣政務官などを務める。原発を推進してきた自民党の中にあって、当選以来、核燃料サイクルの矛盾について指摘し続ける。著書に「我が自民党を立て直す」「変れない組織は亡びる」など。

長い対談の中、「30年前から一向に実用化されない核燃料サイクル」の見出しの中から。「私が原発について本格的に『おかしいぞ』と思ったのは、97年12月に開かれた『地球温暖化防止京都会議(COP3)』のときでした。あの頃日本政府は『国策として原発を20基増やします』と言っていたのですが、原発の根幹とも言える『核燃料サイクル』の論理がメチャクチャだということに気付いた。自民党内で『核燃料サイクルは辻褄が合っていない』と言ったら、『あいつは共産党か』と言われました。」
核燃料サイクル」についておさらいのつもりで引用します:


原発で電気を作るためにウランを加工したウラン燃料を燃やす、その際に「使用済み核燃料」という「核のごみ」が出ます。その核のごみをどうするのか、最終的な処分方法が決まっていない。だから、まずは原発を止めるのが筋だということです。
使用済み核燃料を再処理という化学処理をするとプルトニウムが取り出せる。それ以外の残ったものは「高レベル放射性廃棄物」という、もう利用価値のまったくない最後のどん詰まりの核のごみです。この高レベル放射性廃棄物から分離されたプルトニウムとウランを高速増殖炉という特殊な原子炉で燃やすと、発電しながら、投入した以上のプルトニウムが取り出せる、とされている。つまり、プルトニウムがより多くのプルトニウムを生んで、それがまた高速増殖炉の燃料になる − これが30年以上前に日本が考えた核燃料サイクルです。

しかし、30年たった今も高速増殖炉は実用化がほど遠い状況です。
1967年の長期計画では、「80年代後半に出来る」と言っていました。ところが長期計画は更新するたびに高速増殖炉の実用化も先送りされ、いま政府は、2050年よりも前に高速増殖炉が商業利用されることはないといっています。福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅ」は95年に事故を起こし、去年8月にも炉内中継装置が落下する事故が起きた。もう原子炉の試運転はできないと思います。
本来なら「もんじゅ」が本当に稼働できるかどうか分るまでは、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出すことをやめないといけない。ところが、フランスやイギリスにお願いして再処理をしてもらったり、国内で再処理をしたりして、これまで31トン以上の核分裂プルトニウムを取り出してきた



プルトニウムは、それ自体が非常に放射性毒性が強い物質であることもそうですが、核兵器に転用もでき、二重の意味で危険な物質ですよね。落合>
北朝鮮は50kgのプルトニウムを所持しているだけで国際社会から問題視されて大騒ぎになりましたよね。日本は北朝鮮の千倍近いプルトニウムを持っているのです。既にあるプルトニウムの使い道も定かでないのに、さらに青森県六ヶ所村にある再処理工場を動かそうとしています。「もんじゅ」が動かないと大量のプルトニウムが処理できない。だから六ヶ所村の再処理工場を停める、それがまともな考えでしょう。それなのに現実は、「六ヶ所再処理工場からプルトニウムが出てくるから『もんじゅ』を動かさなきゃいけない」という考え方のもと日本の原子力政策は突き進んできた。誰が見てもおかしいですよね。


プルトニウムとウランを混ぜた「MOX燃料」を作って原子力発電所で燃やす「プルサーマル」という発電方法がありますが、これも危険な上に、推進してきた人たちの思い通りには全く進んでいない。落合>

電力会社や経産省は「ウラン資源の再利用」と宣伝しています。でも、ウラン9に対してプルトニウムは1の割合で混ぜられるだけで、プルサーマル発電をしてもプルトニウムはほとんど減らない。それなのに、MOX燃料を作る工場のために何兆円もかけている。

高速増殖炉は動かない、プルトニウムはどんどん溜まる、プルサーマル発電も期待できないと、ないない尽くしですが、今真っ先にすべきことは。落合>
使用済み核燃料の再処理を止めて、しばらくの間はそのまま持っている「中間貯蔵」しかないでしょう。
<現在すでに日本全国の54基の原発の建屋内の冷却用プールには大量の使用済み燃料が浸かったままになっていますよね。貯蔵量が限界に来ている。落合>
だから、最終的には使用済み核燃料を地下深くに埋める「地層処分」しかないとおもいますが、それでも問題は山積みです。
2038年から地層処分をするというのが従来の自民党政権、そして現在の民主党政権の方針ですが、通産省経産省の歴代課長さんを呼んで「どうなってるの? 予定より遅れてるよね?」と聞くと、やっぱり「何とか頑張ります」という答え(笑)。高知県東洋町では放射性廃棄物を受け入れようとした町長が、リコールされそうになり辞職。出直し選挙で落選しました。結局核のごみの引き受け手がどこにもないんです


フランスは、高速増殖炉「スーパーフェニックス」を核とした再処理計画を進めていましたが、燃料漏れや故障が続いて98年に運転を終了。高速増殖炉の開発から事実上撤退しました。アメリカも、ネバダ州のユッカマウンテンという山の中に放射性廃棄物を埋める計画があったのですが、地元の反対で白紙に戻しました。両国とも核のごみの最終処分方法は決まっていません。最終処分方法が決まっているのはスウェーデンフィンランドだけです。
<たとえばフィンランドの計画は、岩盤層を深さ500mまで掘り下げた所に核のごみの最終処分場を建設して、100年後ぐらいに満杯になったら入り口を完全封鎖するというものですよね。でも、廃棄物が出す放射線が生物に安全なレベルに下がるまでに10万年かかる。どこかに埋めたとしても、それを1万年後、5万年後、そして10万年後の人たちにどうやって伝えるのか − フィンランド原子力政策に携わる関係者達のそんな苦悩を描いたドキュメンタリー映画「100000年後の安全」が日本でも今年公開されましたよね。落合>

(略)

10万年も先の未来にまで影響を与える核のごみに対して、人類は何かやりようがあるのか − そんな肝心なことが、これまでの原子力を巡る議論には一番かけていました。だいたいウランの可採年数はあと70年とも言われていますが、このまま高速増殖炉が実現しないと、原発は70年で終わるわけです。それなのに、そのあと10万年もの間、安全管理のためのモニタリングをしなくてはいけないというのは、余りにも時間的コストが大きすぎる。ここをどう辻褄を合わせるのかと言うことも、私が最初に原発に対して抱いた疑問でした。
だいたいアメリカみたいな広大な国ですら、核のごみの行き先がなくて困っているのに、国土が狭くて人口密度が高くて、火山がいっぱいあって、地震がたくさん起きる日本で、本当に地層処分なんてできるのかという話です

原発推進派の学者さんが自然エネルギーの未来を理想論だとか空想論だと批判されているのを見たりしますが、この核燃料サイクル高速増殖炉によるプルトニウムの再利用という考え方の方がすでに実現不可能が証明された空想論なのに、なぜ未だに日々大金をかけてしがみついているのかが不可解です。