『ヴォルテールの国』とはどういうことか

 Charlie Hebdo(以下「シャルリー」) 襲撃事件から一週間、当の仏をはじめ欧州では大規模なデモに発展するなどすっかり沸騰した状況にある一方、日本ではあまりレスポンスがなく、逆に「なんであんなのが称揚されるの?」「デモ起こすような事なの?」みたいな反応も多いような気がします。

 シャルリーの風刺画には預言者の尻の穴を描くようなものをはじめ、(その風刺画の意図するところはさておき)信者にとっては「冒涜」に他ならないわけですが、(1)なぜ反宗教的言説を保護するのか、(2)これに対する攻撃がどういう意味を持つのか、というフランス(人)側の理論を考える必要があるところです。

 (1)について、まずフランスでの宗教的自由が、政府と一体となり、「異端*1」を何かと理由をつけて殺して回っていたカトリック教会に対する対抗運動を経て獲得されたものであることと関係があるでしょう。プロテスタントに対する迫害については、カラス事件*2、ラ・バール事件*3、といった訴訟にもあらわれます。このあたりの詳細は(当時の刑事訴訟手続等も含め)、下記の本に詳しいです。

18世紀フランスの法と正義

18世紀フランスの法と正義

 これらの事件に対し、(その処刑まですんでしまった後でしたが)名誉回復運動を行ったのがヴォルテールで、前掲書のほか、下記の論文などでカラス事件とヴォルテールの関与の経緯がまとめられています。
小林善彦「カラス事件 : 十八世紀フランスにおける異端と寛容の問題」学習院大学文学部研究年報10号269頁(1964年)
http://hdl.handle.net/10959/2296
小林善彦「ヴォルテールとカラス事件」学習院大学文学部研究年報11号361頁(1965年)
http://hdl.handle.net/10959/2302
 このように、異端に対する寛容を要求する活動が行われ、その後、革命を経て「権利」として宣言されたわけですが、要するに、教会に対して「異端の存在を許容しろ」と要求して社会運動を起こし、これを権利として確立したという経緯があったわけです。このため、宗教に対する否定的言説についてもその自由は重いものとされ、フランスでは「涜神は権利である」と言われることがあり、接頭辞として「ヴォルテールの国で」という言葉が付いてくることになります。

 (2)について、上記(1)で語られたのは、全て「カトリック教会に対する」ものでしたが、「およそ宗教が」その教義(ないしその解釈)に基づき異端者・冒涜者を弾圧して回るとき、フランスの市民は同じものとして反応することになるのではないかと思います。即ち、「200年前に我々市民が戦い勝ち取った権利を、いま再び奪おうとする宗教があるのだ」というわけです。
 シャルリー事件は、イスラム教についての教義の解釈に基づく(それがイスラム教の主流でない過激派的な解釈であるとしても)冒涜者の抹殺として行なわれた殺人であるため、このような反応を引き起こすものである、ということがいえるかと思います。なお、EUの高官たちが集まって行進のパフォーマンスをしていたことからわかるように、欧州ではその価値観が概ね共有されているところでしょう。

 このような、「反宗教的言説の自由」特有の重みが理解しがたいため、「表現の自由くらいでなんであんな騒ぎにできるのか」という、非欧州での反応を生じることになっているのではないかと思います。日本で、シャルリーの風刺画の内容に着目して「あれではテロにあっても仕方ない、なぜ自粛しなかったのか」「あれは表現の自由の範囲外だ」というような言説が出てくるのも、おそらくその特殊性を見落とすからだろうと私は思います(もちろん私は、その議論が日本でも無前提で妥当すると主張するものではありません)。なお、フランスにおける「風刺表現」にも何やら特殊性がありそうなのですが、それについてはちょっと資料も手がかりもないので触れないでおくことにします。

 (3)ついでに…「宗教による表現の自由に対する攻撃」だけの問題ではないことについて。
 シャルリー事件と同じようなことが、カトリックでもイスラム教でもなく、例えば「創価○会」によって引き起こされたらどうか、などと想定してみれば、百万人を動員するようなデモが起こることは想像しがたいように思われます。単に「欧州的価値観を共有しない宗教」であるというだけではなくて、背後には増加するムスリム移民とこれに対する(思想的か経済的か原因は特定できないけど)反感もきっとあることでしょう。フランスの政府は口が裂けても言わないとして、民衆レベルではシャルリーの風刺画が反イスラムの象徴となっていて、デモに人を動員する要素になっているとは思います。

 一方で、フランス政府は政府で、「テロを擁護する表現」を犯罪としていて、
仏風刺芸人、検察当局が捜査対象に=「俺はクリバリ」とネットに書き込み(時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015011300051 …といったことを行っているので、逆に欧州における表現の自由の重さを喧伝することにもなっているテロ行為に比べ、風刺表現に対して実効的な「表現の自由の制約」を始めているのはフランス政府の方になってないですかこれ、という残念なオチで本日の記事はおしまいです。

画像はヴォルテールの像と棺@パンテオン(パリ)地下霊廟。

*1:18世紀フランスの社会においては、プロテスタントは異端であり、迫害の対象であった。

*2:プロテスタント一家で、カトリックに改宗しようとした息子が死亡した(状況からは自殺のようであったが真相は不明)事件で、教会が信徒から有罪の証言をする者を集め、真偽も証明力も疑わしい証拠によって父親が有罪となり、拷問の末に車刑となった事件

*3:教会の十字架が傷付けられた冒涜罪の事件で、「冒涜的な歌を歌っていた」「教会指定の禁書を所持していた」等を証拠として有罪とし、火刑となった事件