あれから一週間。

菊地が磐田首脳に謝罪…事件後初の面会「反省しています」[サンスポ]

彼の一報が入って世間を騒がせ始めたのは、ちょうど先週の今頃だったのだろう。
その時の私は教育実習真っ最中で、2週目に入りようやく慣れて楽しくなってきた頃だった。
学校から帰ってきた夕方頃、友人から「ニュース見て!多分あんたがショック受けることだから」というメールが来た。その時は、誰かが移籍だか引退表明だかをしたのだろうか…という風に予想して、その予想が当たった時のための心の準備もしていた。
そうして開いたネットで知ったのは、全くの予想外の出来事で。
カウンターパンチ以外のなにものでもなかった。


ある日突然、応援していた選手が居なくなるという事態。
それが移籍や解雇や引退という話なら、その方がどんなに真っ当で健全で、救われただろうか。
それならば、一ファンとして惜しみながら悲しんだり、あるいは叱咤したりできた。それもサッカーファンという観点から、至極真っ当な反応として。
だけど、そうじゃなかった。そんなんじゃ、なかった。
あまりにも情けなくて情けなくて、憤りを感じずにはいられなくて、虚脱感ばかりが残った。それはしばらくしたら消えるどころか、どんどん大きく残っていくばかりだった。
どんなに罵倒しても、消えることのない痛みを彼は残していった。


あれから、一週間。


横浜FC戦のことを聞いて、目を潤ませたという彼。
今さらどれほど悔やんでいたとしても、彼の犯した多くの罪は消えない。
被害者とその家族を侮辱した罪。彼自身の家族、友人、身近で支えてくれていたはずの人たちを裏切った罪。チームメイト、クラブ関係者、サポーター、ファンの心を踏みにじった罪。
一時の衝動が、どれだけ多くの人たちを傷つけることになってしまうのかなんて、どうしてそんなことも考えられないような人になってしまったのか。それとも、元々はじめからそんな人だったというのか。
わからない。わからなくさせてしまったのは、今まで築き上げてきた何もかもをぶち壊して、輝かしい過去のすべてを否定させてしまったのは、他の誰でもない、彼自身なのだから。


ジュビロでのプレー、五輪代表でのプレー。
時には強気な、チーム内の若手を牽引していくかのような発言の数々。
成長を感じさせて、喜ばせてくれたことだって何度もあった。なのに。
あの日々の全てが嘘だったということになるのか?
記憶の中にあるそれらの日々の彼は、この先の成長へ期待を馳せるに値する選手だったはずなのに。それも全て嘘だったということになるのか?
こんなことになった今では、良かった頃の思い出なんて、すべてが無かったことにされる。あの日々の彼はもう、居なかったことになる。それも彼が招いてしまったこと。
彼に残るものはなんなのだろう。
何もかもを失って、それでもサッカーへの気持ちが残っていたとしたら、その時は、一生をかけて自分の罪と向き合うしかない。もし何も残っていなかったとしたら、もう二度と、彼の姿を見ることはない。あったとしても、二度と見る気になんてなれない。


謝罪文の掲載をクラブより先に自身のサイトに行ったことは、いったい何の表れ?
たとえそこに本人の意思が絡んでいなかったとしても、全てを信じさせられなくしてしまったのは、紛れもない彼自身の罪。
一度失ったものを取り戻すことなんて、そう簡単にいくはずがない。


それでも、他の選手たちはその失ったものを取り戻そうと、自分たちにしか出来ないことをしようとしている。
当事者の居ない場所で、必死で。
そのことがただただ、悲しいし悔しい。だけど、そうしてばかりもいられない。
時間は動いていくものだから。時間は待ってはくれないものだから。

今日もがんばれ。応援しか出来ないけれど、がんばれ。
ヤマハに応援に行かれる方々も、がんばれ。
「これから」をがんばる舞台に立てるというのは、なんて幸せなことなんだろう。


風化させることなく、しっかりと胸に刻みつけて、それでも前に進むために、がんばろう。
二度と誰かが、同じ過ちを繰り返さないように。
二度と誰かが、その過ちで悲しむことがないように。



…そして速報クリッカーにしかなれない現実に涙する。(ああ…)