南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

ガッタスラストイベント(3/7)その7


ガッタスは、個人的には最もハロプロ的なもの、という印象が濃い。
それはハロプロ草創期から、各グループの雰囲気を野球やサッカーを例えに語られることの多いチーム感的なものがついに実現したことでもあったり、チーム結成当時の連戦連敗から常勝チームへの変貌。最低から最高へ、といった歩みでもあったりする。だから活動休止は残念である。
また、試合中の選手たちの表情。闘志むき出しであったり、喜んだり悔しがったり、時には涙も…という、アイドルたちのナマの顔が見られるのも大いなる魅力であった。




2012年の新体制以降、観戦出来る機会が減ったのも残念であった。
新体制始動時のファンイベント(@TFMホール)にて、選手たちが口にしていた、
「このメンバーで合宿がしたい」
というのが実現されなかったのも同様である。
(以下、当時のレポ)*1
Gatas Brilhantes H.P.サポーターミーティング2012春(4/29)二回目・天の巻 - 南アルプス天然少年団
Gatas Brilhantes H.P.サポーターミーティング2012春(4/29)二回目・地の巻 - 南アルプス天然少年団
Gatas Brilhantes H.P.サポーターミーティング2012春(4/29)二回目・人の巻 - 南アルプス天然少年団


今なら各種ネット配信もあるので、観戦不可の試合や合宿をそういうもので配信出来ないものか、とも思っていた。




しかし一方で、ガッタスは役割を終えたのだ、という思いもある。
それは現在のアプガが象徴しているように思う。
ガッタス及び芸能人女子フットサルが始まった頃は、アイドルがやや下火になりかかっていた時期で、CDも売れない時期にさしかかっていた。
そもそもハロプロとフットサルの関わりは、
女子サッカーの応援歌を歌ってくれませんか?」
という日本協会からの働きかけであったらしい。
それに対してアップフロント側の返答が、
「今はCD作っても売れませんよ。それよりチーム作りましょうか?」
というのがガッタスのスタートだった、というように記憶している。
本当はその時(ハロプロスポフェス)で終わりだったはずが、選手たちの希望で活動続行→いろいろあって、その後芸能人チームが次々出来て…という経緯*2
当時は現在のようなアイドルイベントはなく、芸能人女子フットサルの会場がいちばんアイドルが集まるイベントであったと思う。アイドル界にとっては、いわば起死回生の企画でもあったのだ。
いみじくも里田まい殿がメッセージの中で、
「あの頃はフットサルしか仕事がなかった」
と言っていたが、今のように各種アイドルイベントが活発な状況ならば、カントリー娘。メロン記念日ももっと仕事があっただろう。
反対に、あの頃の状況であったら、アプガは(もしかしたら℃-uteも)本業が少なくてフットサル専任のようになっていたかもしれない。



とはいえ、各選手が口にしていたように、またいつか再始動されたら、きっと応援に駆けつけている自分がいるようにも思っている。



最後に余談ながら。
今回のイベントには参加していないが、現在、安田美香選手(元XANADU loves NHCキャプテン)が東京女子流と、川島令美選手(元Chakuchaku J.b)がバニラビーンズと一緒に仕事をしていること。
『ON8』パーソナリティーのさな選手(元carezza)や、忘れちゃいけない、スフィアリーガーの出世頭といっていい柳原可奈子選手(元YOTSUYA CLOVERS)。
かつてのスフィアリーガーたちが今のアイドル界を支え、盛り上げてくれているのが、ちょっと嬉しかったりしている。




――ガッタスラストイベント、了――
 
 

*1:この時のイベントでは永井沙紀選手のキャラがクローズアップされた印象がある。もっとこういうイベントがあれば、意外な人気者が出てきた可能性もあったはず。

*2:この時のエピソードで好きなのは、アップフロントがライバルチームを作らなきゃと白羽の矢を立てたのが、当時野田義治氏が社長を務めていたイエローキャブ・のちのサンズ所属のcarezzaで、当初野田社長は「フットサルって何?」という状況であったらしいが、説明すると「ああ、ウチ、阪神タイガース作ればいいのね」という風に理解した、という話。