好きです!仕事!嘘です!

タイトルはもちろん『少年メリケンサック』のキャッチコピーより。どうも、課長島CARLです。
3月の年度末ラッシュもぼちぼち終わりを迎えて、今日は1ヶ月ぶりだろうか、丸1日お休みだった。つってもなにもやる気が起きず、civ4も起動してはすぐ消したりでいまいち気が乗らずだらだら夕方まで過ごして『機動戦士ガンダム00』の最終回を観る。ほんで以下その感想。

ひとことで言うとなんかガッカリ感のする最終回。てか最終話がまるごとド突き合いってスクライドかよ、作画はいいんだけどなあ。

紛争の根絶とか最初に掲げた看板も結局「分かり合うことでなんとかできるんじゃないか」みたいに結局、問題を矮小化しちゃうし。確か1期が始まったときはもうちょっとリアルな政治の匂いとかさせてたと思うんだけどなー。まあそれやったせいで地味な展開になったのも否めないワケでそうなるとそもそもこのテーマが無理筋ってことだよな。

なにより納得がいかないのがソレスタル・ビーイングのメンバーが誰一人として自分のやったことについて作中で報いを受けていないこと。彼らは世界の平和のためと多くの人命を奪った。それは必要な犠牲だったと彼らは言うが、殺した人たちにも家族や友人がいて、そういう人々に対する責任を彼らは取っていない。
その辺は最後にキチッと主人公が罰された『コードギアス』に、テーマ性でもエンターテイメント性でもまったく敵わない。

もし、ソレスタル・ビーイングのメンバーが生き残るとしても、せめて主人公の刹那は、全ての十字架を背負ってキリストのように死ななければならなかったんじゃないか。

人の死が飽和する戦場、ゼータのラストのように次々と散る仲間達。ルイスもロックオンもティエリアにハレルヤも死んだ。破壊と悲しみが満ちる中で高らかに自らの勝利を誇るリボンズ・アルマーク。生き残った沙慈が見つめる中、純粋種として覚醒した刹那が人々の死を感知したとき、満身創痍のガンダムダブルオーが呼応する。ツインドライブが限界を超え光を放ち始め、開放されたGN粒子が死んだはずの仲間を蘇らせていく。その光は戦場を越え、地球をも包み、人々に人類の進むべき姿を幻視させる。しかしその光に恐怖を感じたリボンズとの決戦の末、相打ちの形で両者は地球へと落下してゆく。トレミーの艦内で刹那とリボンズ両機の反応が消滅するのを確認し涙するクルー達。刹那は人類の進むべき形を体現しつつも喪われてしまう。

だがそれは無駄だったのか?いやそうではない、人々に新たに進むべき世界を見せることができた、人の心の光を世界にみせることができたのだ。刹那の死と引き換えに世界に新たな胎動が生まれる。今はその流れをかつてティエリアと呼ばれたものの意思を閉じ込めたヴェーダが見守る。

そしてラストシーン、青い空、浜辺に打ち付ける白い波。そこにはバイザーも割れ、半ば壊れかかったヘルメットが波に洗われている。その青いヘルメットに我々は見覚えがある。そのヘルメットの持ち主と思しき青年が歩む先には彼の姿を見て涙ながらに微笑む一人の女性の姿が……

以上が僕の考えたダブルオーのラスト。ん?死んでないじゃんって?キリストだって磔にされてから蘇ったでしょ、それにこれなら劇場版にも繋がるし。てか本当はさっきみた『ウォッチメン』について書きたかったのにダブルオーが大変ぬるかったんで仕方ない。ウォッチメンについてはまた今度、ロールシャック最高!